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魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
1.5
24/185

24. 巨大蜂

引き続き、全体的に虫(蜂)の話をしてます。苦手な方はご注意ください。

この話を書きたいがために3話かかってしまいました。

 カチ、カチ、威嚇音が続く。

 ブレイズの剣を自分の毒針と同じと見たか、巨大蜂は去ろうとしない。


 先に動いたのはブレイズだった。


 竜種の死体を避けて右へ回り込み、巨大蜂へ接近する。

 蜂が反応して距離を取ろうと後退する、が、遅い。横に薙いだ剣先が、わずかな手応えを伝えた。


 ヂッ! という音とも声ともつかない何かが聞こえて、空中にある蜂の身体がぐらりと傾く。腹の先から吹き出す毒液を避けて、ブレイズは左後方へ飛び退いた。

 蜂の、六本ある(あし)が一本、根本から剣に断たれてぽとりと落ちる。


 ブレイズは舌打ちをした。

 浅すぎる。胴を断ってやるつもりだったのに。


(もっと、深く)


 踏み込めないわけじゃない。怖気づいてなどいない。

 次はもっと前へ出てやる。


 そう思った瞬間、今度は蜂のほうが動いた。まっすぐブレイズへ突っ込んでくる。

 すれ違いざまに胴を薙いでやろうと踏み込んだ先で、靴底がずるりと滑った。ばちん、切っ先が何かに叩かれる。


「チッ……!」


 ブレイズの足を滑らせたのは竜種の血だった。

 血と土と毒液混じりの泥濘が、靴を赤黒く汚す。


 追撃に備えて体勢を立て直さなければ、と思った矢先、巨大蜂が大きく距離を取った。

 見れば、高速で上下する翅がひとつ、だらりと垂れ下がっている。先ほど剣に触れたのはあの翅か。刃に触れただけで裂かれ、機能を失ったのだろう。


「……やっぱ、ジルの剣はすげえや」

「ブレイズ!!」


 剣の切れ味に感心していると、上空から相棒の声が降ってきた。同時に氷の(きり)が十数本、雨のように巨大蜂へ降りそそぐ。

 それを避けるように、蜂が出てきた灌木の奥へ、滑るように飛び去っていく。


「逃がすか……!」

「えっ」


 ここまで追い詰めて、逃がすなんてありえない。

 後ろのほうでラディが何か言っている声が聞こえたが、それもすぐに聞こえなくなった。



 ◇



 森をふらふらと彷徨う、赤みの強い黄色を追って走る。

 邪魔になる灌木は踏み折って、まっすぐに。蜂の黄色い体色は目立つが、他に気を取られていると見失ってしまう。

 途中で出くわした竜種は斬った。逃げるのを待ってやる間すら惜しい。幸い、巨大蜂が動ける程度の広さがあれば、剣を振るのにも支障はなかった。


 別に、頭に血が上っているわけじゃない。


 先ほど不思議に思った竜種の動き、その原因はあの巨大蜂だと思ったのだ。

 竜種が主に食べるのは、自分よりも小さい虫や小動物だ。体躯の大きな竜種なら、巨大蜂(あいつ)はさぞかし食いでがあるように見えただろう。

 そして、ブレイズの目の前で息絶えた、あの竜種のようになる。

 そうやって力関係が逆転して、この辺りに棲む竜種たちが『白の小屋』のほうへ追いやられたのではないかと、戦いながら考えていた。


(何か、あるはずだ)


 あんなでかい蜂が魔境にいるなど、これまで聞いたことがない。ここ十年で生まれた新種というわけでもないだろう。

 逃げる先は巣だろうか、そうでなくても何かがあるはずだ。

 考えている間も足は止めない。蜂はずっと逃げ続けている。

 暗い森に浮かび上がるような黄がひとつ、ふらりふらりと左右に踊る。

 ちら、と黄色がもう一つ見えたような気もしたが、気のせいだろうか。他の個体が援軍に来る様子もないが、まだ巣まで距離があるのか。


 しばらく追っていると、急に目の前が開けた。


 どういうわけか、木が全く生えていない場所に出たらしい。

 下草も途切れていて、土の色が見えている。


 眩しさに慣れない視界の中、バリ、バリ、と何かが割れる音がした。

 二度、三度と瞬きをすると、目の前が徐々に明確になっていく。

 やがて、バリバリという音の正体が、はっきりとした形を取った。


 肢と翅の欠けた巨大蜂が、地面に転がる小さな同胞(ハチ)を貪り喰っていた。


 小さな、といっても、人の頭ほどの大きさはある。

 それの腕を、骨を、針を、音を立てて噛み砕いていた。


「……っ!」


 ブレイズの背筋に怖気が走る。

 虫が共食いすることは珍しくないと、知識としては知っていた。しかし目の当たりにしたのは初めてだ。


 呆然とするブレイズの姿を捉えたのか、地面に降りて食事(・・)をしていた巨大蜂の頭がゆっくりとこちらへ向く。

 その顎に引っかかっていた黒い肢を、バリンと噛み割った。


 ……カチ、カチ。

 顎を打ち鳴らす、威嚇音。


 ブブ、と残った翅が力強く音を立てる。鮮やかな体躯が中天に舞い上がる。

 白い陽光に、蜂の輪郭が溶けて。


(眩し――)

「落ちろっ!」


 ごう、と音を立てて熱が耳の横を通り過ぎた。

 舞い上がった蜂が一瞬で炎に包まれ、煙を上げながらぽとりと地面へ落下する。


「ラディ!」

「まだだ! 翅しかやってない!」


 振り返ろうとするのを制される。

 見れば、巨大蜂は五本の肢で立ち上がり、よろよろとこちらに対峙しようとしていた。

 背の翅はなくなって、体色に混じって黒い燃えカスがくっついているだけだ。

 もぞもぞと蠢く蜂の頭部で、二本の触覚が揺れている。迷うようにブレイズと、別の方向――おそらくラディの間を行き来している。


「ラディ」


 視線はそのまま、別の方向にいるだろう相棒へ声をかける。


「ひと当てして、意識(ヘイト)を俺に向け直す。横でも後ろでもいい、回り込んで仕留められるか?」

「……分かった」


 ざ、と土を踏む音がして、気配が遠ざかる。

 蜂の頭が、こちらを向いてぴたりと止まった。


「……おう、一対一(サシ)でやろうぜ」


 がちんと打ち鳴らされた顎は、ブレイズの挑発に応じたように見えた。


「行くぞ!」


 姿勢を低くして一歩踏み込み、剣を水平に薙ぐ。蜂は触覚を持ち上げると、バックステップで剣先を避けた。と思えば、こちらが剣を返すよりも早く突進し、噛み付いてくる。今度はブレイズが、バックステップで回避する。


 いつの間にか、複眼を恐ろしいと思わなくなっていた。

 肢を断ち翅を焼き、ここまで追い詰めて、この虫の生きようとする意思が見えたからだろうか。

 その顎はいつかの蝗と同じく、こちらの肉を食いちぎろうとしているというのに、口元には笑みが浮かぶ。


「あいつに任せっぱなしってわけにもいかねえからな……!」


 踏み込みを一拍遅らせて、あちらの突進と同時に剣を振り下ろす。触覚を一本断ち切った先、鼻先にある頭楯(とうじゅん)に刃が弾かれた。体躯が大きくなった分、殻や皮も分厚く丈夫になっているのだろう。ラディの炎で翅しか燃えなかったのはそのためか。

 触覚を片方失って、蜂の動きが精彩を欠く。先ほどよりも容易く残った触覚を斬ったところで、周囲の気温がぐっと下がった。


「ブレイズ、離れろ!」


 相棒の声に飛び退くのと同時、蜂の頭上から白く巨大な氷の刃が落ちてきた。

 重さに任せた一撃が蜂の背から胸を裂き潰し、頭部が弾け飛んで少し離れたところに落ちた。残された腹部が、ぐらりと傾いで横倒しになる。


「……終わったな」


 声のした方向を見ると、ラディがほっと息を吐きながら、こちらに歩いてくるところだった。


「ずいぶんと派手な魔術だな」

「火だと手加減がいるから。さっきも翅しか燃やせなかったし」

「ああ、思ったより丈夫だっ……」


 その時、ラディへ向けた視界の端で、何かが動いた。


「ブレイズ?」


 不自然に途切れた言葉にラディが訝しげな顔をする、その向こうでひくりと蠢くのは巨大蜂の腹。

 ただの痙攣かと思った矢先、縮こまるように丸まった腹からぬらりと黒い針が、後ろを振り向こうとする彼女へ向いて――。


「ラディ!!」


 とっさにラディの肩を引き寄せ、前へ一歩踏み出した。身体の位置が入れ替わるのと同時、ブシャ、と毒針の根元から何かが噴き出される。


(毒液――!)


 反射的に両目を固く閉じる。変な臭いのする液体が顔にかかった。

 引き寄せた肩は離さず、そのまま数歩、後ろに下がる。


「ブレイズ!!」


 悲鳴のような声とともに、頭上から水が落とされた。頬の両側に何かが触れて、思いきり下へ引っ張られる。


「目は開けるな、口も閉じてろ、できれば息もするな!」


 いや最後のは厳しい、と反論する術もなく、続けて後頭部に水がぶつけられた。ぱしゃりぱしゃり、おそらくはラディの手が、下を向くブレイズの顔にも水をかけていく。

 しばらくラディのされるがままになっていると、ふと細い指先が、ブレイズの額に触れた。

 前髪の生え際に残る古い傷跡は、白の小屋でブレイズが保護された当時、血を流していた場所だ。もう痛みもしないそこを、ラディの指が労るように撫でる。


「もう塞がってっから平気だよ」


 その手を取って、ブレイズは顔を上げた。

 蜂毒は水に溶けやすいと聞く。これだけ洗い流してもらえば十分だろう。

 ぐっと袖で顔を拭っていると、不安げな顔をしたラディと目が合った。首から胸元にかけて服が濡れ、肌にぺったりと貼りついている。

 なんとも目の毒な眺めなのだが、当のラディは気にする様子もなく、揺れる瞳でブレイズを睨み上げてきた。


「無茶をしすぎだ」

「……一人で突っ込んだのは悪かったよ」


 そこだけは間違いなくブレイズが悪かった。

 巨大蜂を追ったのには理由があるし、頭に血が上っているわけじゃないと自分では思っていたが、やはりどこか冷静ではなかったのだろう。

 自分だけで森へ突っ込んでいったのも、ラディを一人にしたのも、どちらも良くなかった。


 そこだけじゃない、と言いたげなラディの表情には気づかないふりをして、ブレイズは森の奥へ視線を向ける。


「でもまあ、無駄にはならなかったんだから大目に見てくれよ」

「え……」


 蜂を引きつけている時、たまたま視界に入って驚いたのだ。

 同じように視線を向けたラディが、「あ」と小さく声を上げる。


 二人の視線の先では、麻紙のスケッチとそっくりな植物が何本も、天に向かってまっすぐに生えていた。

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