22. 白の小屋と記憶
切るタイミングをミスったので短めです。
戻ってきた支部長は、翌日から二日、きっちり休んでから警備に加わった。
支部長としての仕事もあるので日中ついでに見てくれる程度だが、受付のカチェルの後ろで筋骨隆々の巨漢が睨みをきかせているのだから、それで十分ともいえる。
日中帯の警備を彼に任せることができれば、ブレイズとラディは交代で夜の警備のみすればいい。
いつもであれば、この時期にゆっくり休んで、また二人で警備当番をこなす日々に備えるようにしていた。
しかし、今回は少々事情が異なる。
リカルドと、先日までルシアンが警備に加わっていたため、体力がそこそこ余っていたのだ。
「ラディ、お前どこまで見た?」
「西側の浅い部分はだいたい見たかな。ブレイズは?」
「防壁沿いをざっと見ただけ。ウィットの稽古もあったし、そんなに時間取れなかった」
領兵たちが守る南門を抜けて、魔境の森を無造作に歩きながら、互いの成果を確認する。
先日ケヴィンから託された依頼――フォルセが欲しがっているという植物を探して、ここ数日、それぞれの非番の日にちょくちょく森に潜っていた。
今日はちょうど休みが重なったので、二人で探しに入ることにしたのだ。
「今日、ウィットの稽古は?」
「休養日にした。まだ魔境には連れてこれねえし」
それは確かに、とラディが頷く。
覚えの早いウィットだが、実戦経験はほぼ皆無だ。今の、荒れている森に立ち入らせていい段階ではない。
もし仮に実戦をさせるとしても、せめて最初は魔境ではなく、北に広がる平原の獣あたりを相手にさせたいところだ。
「となると、夜までに戻ればいいのか」
それが知りたくて質問したらしく、ラディは日没までの時間を指折り数える。
昼食として弁当と、行動食もいくつか用意してきた。だいたい半日弱ほどは森にいられるはずだ。
野営道具は持ってきていないので、夕方には引き返すことを考えないといけない。
「そうだな……まだ探してない東側を、と言いたいところだけど」
「せっかく二人で来てんだ、それじゃ勿体ねえよな」
前衛と魔術士、二人揃えば多少の無茶ができる。
時間もたっぷりあるのだ、二人でないと行けないところへ行くほうがいいだろう。
未探索の東側は、どちらか一人でも見に行けるのだし。
「奥に行ってみるか。どこまで行けるか分かんねえけど」
「そうだな。今からなら、『白の小屋』よりは奥に行けるはず……っと」
そこでラディは、頭上に向けて手をかざした。
瞬時に現出した氷の盾へ、横手から飛び出してきた黒い影が衝突する。
そのまま跳ね上げられた影が足元に転がってくるのを、既に抜剣していたブレイズが突き刺した。
「お、竜種」
「この間の生き残りかな」
腹を貫かれた竜種は、刃から逃れようと深い緑色の手足をばたつかせている。さほど大きくはない、人間の赤ん坊と同じくらいだ。
少し前に、領兵たちが持ち込んできた竜種の皮と似た色をしている。
「奥に逃げ帰ってないってことは……近くに巣でも作ったか?」
「あり得るな」
だんだんと竜種の動きが鈍くなっていくのを横目に、ラディが腰の剣を静かに抜く。
この先、竜種が飛びかかってくる可能性が高いとなれば、いつもより警戒しておくべきだ。
やがて動かなくなった竜種を道の脇に退けると、二人は踏み固められただけの道を、奥へ向かって進み始めた。
◇
「……そろそろ白の小屋か」
ラディがぽつりと落とした呟きで、そういえばと気づく。
ウィットを拾った後に見に行ってから、ずっと放置していた。今、あの建物はどうなっているだろうか。
前回訪れた時には、それまで開かなかった扉が開いていた。というか、破られていた。
あの時、ウィットがやったのかと一瞬考えて、ありえないと否定した。非力な少女にそんなことができるわけないと。
しかし今、彼女の異能の存在が、その考えをふたたび浮かび上がらせる。
錬鉄を引き裂く力――。
あの力があれば、分厚い鉄の扉を引きちぎることも可能かもしれない。
(でも、なあ……)
仮にウィットがあれをやったとしても、彼女が大怪我をした理由にはつながらないのだ。
それに加えて、ウィットを保護してからも、防壁へは竜種の襲撃が起きている。
やはり、あの子以外に森の獣を浮足立たせる存在がいる、と考えたほうがしっくりきた。
(そもそも、あの扉がおかしい)
ブレイズとラディが発見された、通称『棺の部屋』の扉は、いつの間にか開いていたと聞く。
では、もう片方の扉は、どうして破られたような状態なのか。
無理やりこじ開けた? なぜ?
「ラディ」
ふと足を止めて、後ろを歩く相棒を振り返る。
そういえば聞いていなかったな、と思い出して。
「うん?」
「お前、ウィットについて心当たりとかないよな」
「……驚いた」
相棒はきょとんとした表情で言った。
「ブレイズに昔のことを聞かれるとは思わなかった」
「別に今も興味ねえけど、ウィットのことは気にしねえとダメだろ」
そう答えると、ラディは何がおかしいのか、くすくすと控えめに笑う。
ブレイズにファーネで目覚める前の記憶はないが、ラディはそうではない。きちんと記憶を保っている。
彼女は何も言わなかったが、薄々察してはいた。
ただ、あの頃はジルの友人として生きていくことのほうがずっと大事だったので、わざわざ尋ねる気にならなかったのだ。
「……で、答えは?」
「ないよ」
即答だった。
「まあ私も拾われた時は三つか四つだったし、自分の周りのことを理解していたとは言えない。ひょっとしたら、どこかで関わりがあったのかもしれないけど」
そこで言葉を切ったラディに促され、ブレイズは前へ向き直った。
森の奥へ、二人並んで歩いていく。
いつの間にか、辺りは静まり返っていた。
獣の気配が、不自然なほどにない。
やがて、薄汚れた白い壁が見えてくる。
「でも、仮にあの子が、私たちと同じところから来たんだとしたら――」
――白の小屋だ。
「たぶん、もう二度と戻れないと思うよ」
白い外壁に手を這わせて、ラディはささやくように言った。




