21. 支部長の帰還
とりあえずは三日に一度、満腹時と空腹時は避けること。
その日の体調が悪ければ中止すること。
ウィットに剣の稽古をつけるにあたり、セーヴァから出された条件は、おおむね以上であった。
異能の発動に紐づけるほうは、別途ラディとカチェルのほうで考えてくれるらしい。そちらは少し時間がかかるので、「まず剣に慣れさせておいて」と言われている。
そういうわけで、ブレイズは単純に斬り方を教えればいいという話になった。
「じゃあ次、好きに斬りかかってこい。こっちからは攻撃しねえけど、弾くし捌くから、ちゃんと体勢立て直せよ」
「分かった!」
木剣を構えたブレイスに向かって、ウィットがまっすぐ斬りかかってくる。
それを、まずは正面に弾き返した。構え直して、再び斬りかかってくるのを、今度は横に受け流す。
「うわっ」
流れてしまった刃を引き戻すようにして斬り上げようとするのを、上から剣で抑えつけた。ウィットが往生際悪く切っ先を持ち上げようとするが、びくともしない。
「無理して攻撃を欲張んな。力比べじゃお前のほうが分が悪いんだから、間合いを取り直すのが先だ」
「一撃加えて即離脱って感じ?」
「そうだな、そのほうがいい」
至近距離での戦いには、瞬時の判断力と、ある程度の体捌きが求められる。格闘の素養だって必要だ。
実戦経験がほぼ皆無のウィットなら、大人しく距離を取ったほうが安全だろう。
「……ん?」
ふと視線を感じて通りのほうへ目を向けると、砂色の髪を角刈りにした、壮年の男が立っていた。大きな背に、ウィットの背丈ほどもある大剣を背負っている。
にこやかに手を振るその人を見て、ブレイズは目を丸くした。
「知り合い?」
「……支部長だ」
王都に呼び出されていたファーネ支部長、キース・ワイマンその人だ。
◇
「まさかブレイズが剣を教える側に回るなんてねえ」
一階ロビーの応接スペース。
しみじみとした口調で言われて、ブレイズはすいと視線を窓の外へ逃した。なんとなく居心地が悪い。
支部長はそれ以上何か言うこともなく、受付スペースのカチェルの方へ顔を向ける。
「商品の納品は問題ないかい?」
「カーヴィル経由のものは一昨日納品されました。魚介類はもう売り切れてるんじゃないかしら」
「そうかい。来る途中に行商人の集団を見かけたから、明日明後日くらいには細々としたものが入ってくると思うよ」
満足げに頷いて、テーブルに出された茶を一口すすった。
「ラディの姿が見えないが……夜警明けかな」
「ああ。そろそろ起きてくると思うけど」
「じゃあ土産はその時に出そうか。……それで」
そこで言葉を切って、今度はブレイズの隣に立っていたウィットに視線を合わせる。
「お嬢さんは初めて見る顔だね。ファーネの子かい?」
「や、魔境で拾われたらしくて。覚えてないけど……。あ、ウィットっていいます」
「うん、おじさんはキースだ。ほとんどいないけど、ここの支部長をしている」
よろしくね、と微笑みかけて、視線がまたブレイズへと戻ってきた。
「ブレイズが面倒見ているのかい?」
「拾ったのが俺だからな」
「……色々と複雑そうだね。後で詳しく教えてもらうよ」
そう言って茶を飲み干すと、支部長は席を立ち、出入り口で警備に立つリカルドのほうへ歩いていく。
しばらくリカルドと話してから、「少し街の様子を見てくるよ」と言って、外に出ていってしまった。
「優しそうなおじさんだね」
ウィットが小声で言ったのに、「そうだな」と頷く。実際とても優しい人だと、ブレイズも思っている。
十年前の大襲撃で、ぼろぼろになったファーネ支部を、一人で背負い込んだ人だ。他の生き残った大人たちのように、見捨てて他の土地に移ることだってできただろうに。
「それに、強いぞ。支部長の大剣は俺でも振れねえし」
「ああ、背中にしょってたやつ? おっきかったねえ」
「腕力が半端ないんだよなあ。俺でも、あの人相手じゃ一撃離脱戦法になる」
彼の大剣に速さはないが、それ以上に重さが凄まじい。まともに組み合った場合、今のブレイズでは到底敵う気がしない。
そんな支部長も師匠には一度も勝てなかった、と以前聞いたことがあるが、一体どういうことなのか、詳しい話を聞いてもさっぱり分からなかった。
いつだったか、頭をひねるブレイズに支部長が「それだけあの人の“技”が優れていたということだよ」とだけ教えてくれたが……。
(……考えたって分かるわけねえな)
軽くかぶりを振って、思考を振り払う。
そもそも自分は身体で覚えるタイプなのだ。頭の中だけでぐるぐるかき混ぜたって、何も出てきやしないだろう。
「ウィット、もうちょい稽古やるか?」
「やるやる。さっきの斬りかかるやつ、もう一回やりたい!」
「いいぞ、次は何回続くだろうな」
言い合いながら、ウィットと訓練場へ戻っていく。
今はあれこれ考えるよりも、この子供の剣を見ていたかった。
◆
その夜。
受付カウンターの奥にある執務室に本来の主の姿があるのを、セーヴァはぼんやりと眺めていた。
あまり使われない執務机に向かうキースの手には、数枚の麻紙。
業務日誌の抜粋と、そこに書けなかったあれこれについてセーヴァがまとめた、簡易の報告書だ。
紙が擦れる単調な音が眠気を誘う。
「……色々と、気苦労をかけたようだね」
不意に声をかけられて、セーヴァは俯きかけていた顔を上げた。見れば、キースは報告書の束を机の上で揃えているところだった。
「読み終わったんなら燃やしてくださいよ」
「うん、いくつか確認したらそうするよ。この歳になるとすぐに覚えられなくってねえ」
ぼやきつつ、再び最初からぺらりぺらりと報告書をめくっていくキース。
「きみから見て、ウィットちゃんはどうだい?」
「医者として言うなら、すこぶる健康。食事も問題なく取れてるし、体力もあるほうです」
「そう言う割には、まだ色々と制限かけてるようだけど?」
「精神のほうは専門外なんで」
欠伸をひとつ挟んで、セーヴァは続けた。
「物覚えがいい、ってのはまあ置いといて……物分かりが良すぎる。振る舞いは子供そのもの、なのに迂闊な言動はほとんどない。記憶がないということに不安がる様子もないし、何かに依存しているようにも見えない。……例の妙な異能については、何か思うところがあるようですけどね」
「拾ったブレイズにべったり、というわけでもない?」
「そうですね、一人でほいほい出かけてます。……ブレイズとラディってどうだったんです?」
「……ブレイズはジルさんに依存しきってたよ。ラディはまあ、強いて言うならブレイズに、かな」
「となると、やっぱりウィットは平然としすぎじゃないですかね」
違和感は山ほどある。しかし、記憶喪失を嘘だと断じることもできない。
ウィットはものを知らなすぎるのだ。
言葉、魔術、地理、社会構造。生きていれば嫌でも身につくはずの知識が、あちこち欠けている。
しばらく黙った後、キースは小さく息を吐いた。
「まあ、注意はしておこうか。疑わしい面があるとはいえ、子供を放り出すわけにはいかないからね」
「扱いは今のままでも?」
「うん、賞金稼ぎを臨時で雇った形にしておこう。……いつか故郷を思い出して、帰りたがるかもしれないしね」
セーヴァが頷くと、キースは報告書をまとめて掴み、魔術で火を起こして燃やした。
どうやら、この話はここまでらしい。
眠いしもう終わりにしてほしいところだが、残念ながら話しておくべき話題はもう一つある。
再び出てきた欠伸を噛み殺して、セーヴァは自分からそれに触れることにした。
「……昼間、街を見てきてどうでした?」
「ぱっと見た雰囲気は変わっていないけど、品薄の波は来てるね。中央広場の屋台の数が減ってる」
「ああ、リカルドも言ってました。……やはり、関税が?」
「そうだね、また上がったらしい。イェイツ、エイムズあたりで売る値段を吊り上げて、辺境地域への輸送費に充てていたけど……それでも苦しくなってきた」
「ファーネの物価があまり上がってないのは、それでですか」
業務日誌に書けなかったあれこれの一つ、リアムが語ったことと違う。
少しためらって、言葉を続けた。
「報告書にも書いた領主の息子が、密輸を疑ってましたけど……」
「ううん……実際、裏ではやってるんじゃないかなあ。物の値段を上げるにも限界があるし。便乗して個人的にやってるのもいそうだ。まあ心配しなくていいよ、悪いようにはならないと思うから」
「はあ……まあ、あんたがそう言うなら別にいいです」
「さては本気で眠くなってきたね? じゃあ次で最後にしようか」
まだあるのか、とうんざりした表情を隠さず執務机を見やる。
キースは頬杖をついて、世間話でもするように話し始めた。
「次の発注、ブレイズとラディに行ってもらおうと思うんだけど。どう思う?」
スパイとか隠密ものでよくある「(地図やメモをぺらっと渡して)この場で頭に叩き込め、覚えたら燃やせ」ってやつ、かっこいいけど「できるか!!!!!!!!」とも思いませんか




