XX. 東方の未調査域について
「見てわかるだろうが、このあたり一帯の地図だ」
クラース会長が、地図の上に指を滑らせて説明してくれる。
中心にあるのが、ブレイズたちも通ってきたベルィフの街。
そこからほぼ真南に港街サルミナ。逆に、北西へ伸びる街道を辿っていくと、山裾あたりに現在地であるガユーの街がある。
ベルィフの東は山岳地帯で、途中の少し開けたあたりに街がひとつ。『ヴァレシフス』という名前で、ベルィフを迂回する場合はこの街を経由することになる。今回ブレイズたちが使わなかったルートだ。
「で、今回きみたちに行ってもらうのはガユーの北だ」
「でかい雪原だってメルケルさんに聞いたんすけど」
「そうだ。どこまで続いているか見当もつかん、果ての見えない大雪原だ。だから地図もこの通りなわけだな」
会長のずんぐりした指が、ガユーの北側にある空白地帯で大きく円を描く。ほとんど何も描かれておらず、まっさらだ。
「本当に何も分からんから、下手に出ていくと遭難してしまう。……とはいえ、最近は王国の商業ギルドが金出して色々整えてくれたおかげで、ガユー周辺は少しずつ調査を進めているところだが」
「整えて……というと、雪中装備とかですか?」
「それもあるが、主に設備というか拠点だな」
ラディの言葉を半分肯定しつつ、会長は空白地帯をこつりと叩く。
「ガユーから北に一ヶ所。さらに北にもう一ヶ所。丸太小屋だが暖炉もあるし、寝泊まりするぶんには問題ないだろう」
「逆に言うと、それより北、つーか奥にはそういう場所がないってことっすよね」
「ああ。なので深入りはせんでいい。するな。死ぬぞ」
言って、会長がじろりとこちらを見やる。
それに頷きながら、ブレイズは改めて地図を見た。
(つまり、拠点の丸太小屋から離れ過ぎんな、ってことだよな……)
雪中での野営は無理だろう。
仮に道具を借りたとしても、雪に慣れていない自分たちにできるとは思えない。
となると、行動できる範囲はそれぞれの拠点から出発して、その日のうちに戻って来れる距離になる。
ガユー付近は街の商工会が調査を進めているだろうから、自分たちが見るべきは奥のほうになるだろうか――。
「ねえねえブレイズ」
「ん?」
考えていると、それまで黙っていたウィットがくいくいとブレイズの袖を引いた。
こういう対外的な話し合いの場で口を挟んでくるのは珍しいな、と思いつつ、そちらを見る。
「どうした?」
「まずは『鋼の蜘蛛』を探してみない? ほら、僕らが選ばれた経緯的にさ」
「ああ、そういやそうだったな……あ、そうか」
そこでブレイズは自分が考え違いをしていたことに気がついた。
というか、思い出した。
そもそも、あの蜘蛛――ウィットいわく人工物らしいが、あれについていた刻印が『白の小屋』の棺にあったものと一致していたから、そこで拾われたブレイズたちが寄越されたのだった。
つまり王国の商業ギルドが自分たちに期待しているのは、件の『蜘蛛』の出所を突き止めることだ。調査隊の真似事などではない。
「うん? あの蜘蛛の話か?」
ウィットの言葉に、クラース会長が反応した。
「王国のギルドからは、生き物じゃなくて作り物だと聞いているが……」
「それを言ったのがこいつなんすよ」
ブレイズはウィットの肩をぽんと叩き、こちらを見る彼女に頷いてみせた。
好きに話していい、という許可だ。
全てを洗いざらいぶちまけると会長を混乱させてしまうだろうが、そこはウィットも分かっているはずだ。説明が面倒な部分を省いてしゃべるくらいはできるだろう。
「ラディ。お前は何か気になることあるか?」
会長がウィットの説明を聞いている隙に、ブレイズは相棒に話しかけた。
こちらも話し合いの席ではあまり出しゃばらないタイプだが、今回はブレイズもどう動くべきか迷っている。意見があるなら聞いておきたかった。
「気になること、というか……」
ラディは何か考えるような様子を見せた後、少し声を抑えて言った。
「見つけたものに対する、商工会の意向は知っておきたいかな。……たとえば、『白の小屋』みたいな建物が見つかった場合、調査のために壁を破壊していいのか、とか」
「ああ……『白の小屋』には開かずの扉とかあったもんな」
その扉をぶち破ってウィットが出てきたわけだが。
……それを考えると、もし開かない扉があった場合、その先に生きた人間がいる可能性もあるわけか。
実際、多少記憶の戻ったウィットに案内されて入ったあの部屋には、一人分の人骨が転がっていた。
「……生きた人間がいた場合の扱いも確認しとくべきかな」
「必要だと思うよ」
商工会が『生存者』に対して、商売相手として交渉を考えているのか、政治的にガユーの街に組み込みたいのか。『鋼の蜘蛛』に関心を持っているなら、完全な相互不干渉はいまのところ考えていないだろうが。
……もし無体な扱いを考えているとして、それを素直にブレイズたちに話しはしないだろうが。それでも、表向きの言質を取るのは無意味ではない。
そんなことを小声で話し合っている間に、ウィットはクラース会長に大体の事情を説明し終えたようだ。
横で聞いていた限りだと、会長はどうも、『鋼の蜘蛛』が生物でないという点が納得できていなかったらしい。
ウィットは『白の小屋』で見つかった棺と『鋼の蜘蛛』に同じマークがついていたという話をして、あの蜘蛛が棺と同じく人工物である可能性がある、というところまで納得させたようだ。いまの段階で断言しても決めつけにしかならないだろうし、それで十分だろう。
ひと通り説明を終えたらしいウィットを引っ込め、改めてブレイズは口を開いた。
「まあそういうわけで、俺らはどっちかっつーと、例の『蜘蛛』の出所を見つけることを王国のギルドに期待されてるんすよ。生き物なら巣、作りもんなら作られた工房なり製作者なり」
「なるほどな。……生き物であれば話が楽なんだが」
「そうなんすか?」
「この街の主産業は狩猟だ。生き物の肉をとって、皮と骨は加工して売る。あの蜘蛛が生き物なら、狩る獲物が増えるというだけで済むが……作り物なら、作った者との交渉になる」
「あの蜘蛛が人工物なら、製作者と商取引をしたい……という意向だと思っていいですか?」
ラディが念押しすると、会長は「うむ」と頷いた。
「本音を言えば、材料となる金属の出所を知りたいところだが……さすがに教えてもらえるとは思っとらん。材料の金属を売ってもらうか……最悪あの『蜘蛛』を買うことになっても、まあ王国から輸入するより安いだろう」
「それでは、製作者に接触できたら、取引を望んでいるというふうに伝えます」
「ああ、それで頼むよ」
気にしていた部分が確認できたからだろう、ラディはブレイズに目配せして引っ込んだ。
クラース会長はテーブルの上の地図を手元に引き寄せ、難しい顔で覗き込んでいる。
「あの蜘蛛を捕まえた場所は……確か、このあたりだな」
そう言って示されたのは、雪原に二ヶ所ある拠点のうち奥にあるほうから、少し東に進んだあたりだった。
地図の縮尺がよく分からないブレイズは、地図を見ながら眉根を寄せる。
「……拠点から歩いて行ける距離っすか?」
「あの蜘蛛が見つかった地点までは、さほど距離は離れていなかったと聞いている。……が、巣だか工房だかの場所によっては、その日のうちに戻って来れる距離にはないかもしれん」
「結局、行ってみなけりゃ分からねえってことか」
「ま、そうなるな。繰り返しになるが、無理はするなよ」
そう言って、クラース会長は地図から手を離した。
ブレイズは地図に視線を落としたまま、小さくため息をついた。




