18. 幕間:商業ギルド本部にて
【街がいくつか出てくるので簡易まとめ】
・ナイトレイ:魔境からの防衛を任された家。リアムの親父(元傭兵団の親分)が当主。資金繰りがやべえことになってる
- エイムズ:領主の屋敷がある中心地の街。領主のお膝元
- イェイツ:『大街道』沿いにある商業都市
- ファーネ:本作のメイン舞台。対魔境の最前線
・ミューア:王国西端の貴族家。当主はリアムの親父と相婿。西側の隣国ハルシャとの交易で儲けている
- カーヴィル:西の貿易港。ハルシャ皇国、および中央大陸の南側(南方)へ船を出している。『大街道』の西側の始点
商業ギルド、ファーネ支部長であるキース・ワイマンは、柔和な表情の下で激しく苛立っていた。
領の中心地であるエイムズの支部で月次報告を上げ、大街道沿いにあるイェイツの街まで出て、あらかじめ取りまとめておいた商品の発注をする。ここまではいつもの流れだった。
イェイツ支部に至急扱いで来た連絡により、王国西端にあるカーヴィルの街に呼び出されたかと思えば、顔を出したカーヴィル支部では王都への呼び出しがかかっていた。カーヴィルとは逆方向である。
そこからは用意されていた馬車で、半月かけて王都へ。本来ならば、とっくにファーネへ帰り着いている時期だ。
ここまで長くファーネを留守にすることは滅多にない。
そもそも、前もって分かっていたわけではないのだ。支部長代理と事務員にだって、当面の指示しか出していない。本部から仕入れを代行できる職員を派遣するからと言われて、それなら安心、などと簡単に言えるわけがない。
……だというのに、本部へ出頭してから「担当者不在」という言葉でずっと待たされている。
今になって思えば、ファーネ支部長ではなくキース個人を指名していた段階で、何かおかしいと気づくべきだった。
――いっそのこと、無断で戻ってしまおうか。
そんな考えが過らないでもなかったが、衝動に任せて行動して、後で痛い目を見るのは自分と、ファーネに残したかわいい若者たちである。
やっと担当者が戻ってきたとのことで、ギルド本部から改めて呼び出しがかかったのは、待たされて十日目のことだった。
◇
「いやあ悪かったな、本来ならカーヴィルで済ますはずだったんだが」
案内された、ギルド本部の一室にて。
キースを迎えたのは、ギルド幹部のデズモンド・バッセルという男だった。
壮年期を過ぎて初老の域に入るが、商業ギルド全体の武力を統括する、現役の警備部門長である。
もと賞金稼ぎで、十数年前にはよく一緒に仕事をしていた。
「納得の行く説明はしてもらえるんでしょうね」
「おう、聞く気があって結構だ。聞きたくないって言われても聞かせなきゃならんからな」
厄介事か。
内心げんなりしながら、「そうですか」と相づちを打つ。
若い職員が茶を淹れ直し、静かに退室していった。
「……人払いをするレベルですか?」
「ああ。回りくどくて面倒極まりない政治の話だ」
うんざりした表情を隠すことなく、デズモンドは頬杖をついてみせる。
お前も楽にしろ、と視線で告げられて、体の力を抜いた。
想像でしかないが、説明の担当者に顔見知りであるこの男を寄越してきたのは、本部なりの気遣いなのだろう。
「ナイトレイとギルドの関係が悪くなってるのは知ってるな?」
「ええ、エイムズ周辺では当てつけのように物価が上がっていますからね。庇ってもらっている立場としては、何も言えませんが」
「ま、実際半分くらいは当てつけだしなあ。領民にかかる税金が少ないから、あの値段でも売れるは売れるが……関税考えたら馬鹿らしくて輸入量絞ってるし」
「エイムズの支部長、お役人に『数を絞って値段を吊り上げる強欲商人』呼ばわりされて大笑いしてましたよ」
「あいつなあ、キレると笑い出すんだよなあ……」
やけに眼が据わっていると思っていたが、キレていたらしい。
帰る際には土産のひとつでも買っていってやろうと思いながら、続きを促す。
「連中、関税を吊り上げても思うように金が集まらないのに焦れてな。次の算段を立て始めている」
「というと?」
「聞いて驚け、今度は『大街道』に通行料を課そうとしていやがる」
「……は」
大街道に、通行料?
頭の中に王国の地図を展開して、東西に大街道の線を引き、首をかしげる。
「……私の知る限り、大街道を通るのに税をかけている領地はなかったと思いますが」
「おう。大街道沿いに街を置けば、領を出入りする関税だけでボロ儲けだからな。普通はやらん」
「確認ですが、大街道を塞ぐように関所を設ける、ということでいいのですよね?」
「イェイツの近くにな。あの辺の道はナイトレイが金を出して整備してるから、通行料を取る権利があると主張した馬鹿がいるらしい」
「……他の領地に喧嘩を売ることになりませんか。特にイェイツから東」
「王都も入るな。隣国からの輸入品が軒並み値上がりするか」
なるほど、それは馬鹿としか言えない。
そもそも、その関所を作る金はどこから出るのだろうか。まさか、それすら商人から搾り取るつもりか?
……頭が痛い。
「まあ実害も酷いが、それ以前の問題があってな」
「まだあるんですか……」
「今回の件で、儂も初めて知ったんだが……大街道な、あれ、王家の直轄領なんだそうだ」
王国法のうち、貴族に関わる法律――通称『貴族法』によれば。
王国の東西を結ぶ大街道は国の基幹となるものであり、ゆえに所有権は王家が持つ。
大街道沿いに領地を持つ領主は、その恩恵を受ける代わりに、それぞれが経費を負担しての、大街道の維持管理を義務付けられる――。
その話が確かなら、ナイトレイ家は王家の直轄領に無断で関所を造り、通行料と称して金を巻き上げる計画を立てていることになる。
「さすがに拙いと、誰も気づかなかったんでしょうか?」
「気づくつもりもなかったんだろうな」
こめかみを押さえて言うと、デズモンドは嘲るように笑った。
「奴らはな、貴族になったくせに貴族を憎んでるんだよ。だから貴族の都合なんて知ったこっちゃない」
「お知り合いで?」
「戦時中、傭兵やってた頃にちょっと話したことがある。……お前は、当時だとまだ成人したばかりだったか」
「終戦時に十七、八くらいでしたね」
「なら知らんだろうな。連中はな、ほとんどが故郷で領主に恵まれなかったんだ。ろくに領地の面倒も見ねえくせに税ばっかり重くて、貴族ってのはそういうもんだって思い込んじまったんだよ。奴らにとっては贅沢をせず、領民から税を取らない領主が『いい領主』で、それ以外は何も考えていねえんだ」
「……領兵は鍛えているようですが」
「傭兵団は治安維持を任されることも多いからな。そもそも王から『魔境に対する備えとなれ』と命じられてんだ、そこだけはきっちり守ってたんだろ。だから十年前、ファーネの大襲撃にも駆けつけた」
そこで一旦言葉を切ると、デズモンドは机越しに、キースの顔を覗き込む。
「分かるか? あいつら、未だに傭兵団気分でいるんだよ。もう三十年も経ってんのにな」
何も言えないでいると、デズモンドは喋り疲れたのか冷めた茶をすすり、茶菓子に手を付けた。
視線で促され、キースもティーカップを持ち上げる。
来客用の、繊細なデザインのカップだ。職人が手をかけて作り上げただろうこの品も、彼らに言わせれば贅沢でしかないのだろうか。
「ナイトレイの首を、息子のリアムに挿げ替える」
ぽつりと、デズモンドが言った。
「大街道の件で、王家の黙認も取り付けた。後ろ盾はミューア家。当面の資金もミューア家が貸し付ける」
「……だから私は、カーヴィルから王都まで呼び出されたのですね」
「ああ。今のカーヴィルで込み入った話をするのは危険だからな。無駄足踏ませたのは悪かった」
言いながら、デズモンドは机の上に三通の封筒を並べる。
どの封筒にも、ギルド本部の印章が入っていた。
「キース、お前はしばらくファーネに留まれ。これからナイトレイ領は荒れる、支部長が不在で妙なことに巻き込まれるのは避けたい」
細かい指示はここに書いた、と封筒が一通、机の上を滑って手元に届く。
「ルシアンもそのまま貸しておいてやる。裏の事情もある程度教えてあるから、好きに使え」
「おや、裏まで教えるとは……秘蔵っ子ですか?」
「嫁いだ姉の孫だ。ガキの頃から面倒を見てやってな。これ命令書な」
まさか血縁とは思わなかった。
ルシアンが可憐な見た目なのと裏腹に、デズモンドは人相が悪い。何も知らない者に、犯罪組織の親玉と言ったら信じるだろう。
驚いていると、二通目の封筒が指先にぶつかった。
「リカルドの派遣も延長する。あいつには拒否権があるが……まあ断らんだろ」
故郷に近い街としてファーネを気にかけてくれる、優しい地精使いの顔を思い浮かべる。
彼がいてくれるなら、たしかに心強い。
三通目を寄越すと、この話はこれで終わりとばかり、デズモンドは明るい声を出した。
「秘蔵っ子といえば、エイスの秘蔵っ子どもは元気か?」
「ええ、大きくなりましたよ」
「いくつになった?」
「ブレイズは十九、ラディカールは十七ですね」
にこやかに答えながら、秘蔵っ子、という表現を内心で否定する。
ジルベルト・エイスという人は、剣士としては尊敬できる偉大な人であるが、人間としてはどこか歪んでいた。
おそらく、その歪みの根本にあるのは、若い頃に失ったという二人の友人たちだろう。
でなければ、五つと三つの、まだ親が必要な幼子に対して、子供ではなく友人としての役割を与えたりはしない。
ラディのほうは、まだマシだ。
直接尋ねたことはないが、おそらくあの子は、ファーネに来る前のことをある程度覚えている。
そのお陰か、ジルベルトの与えたものを、「ただ名前をもらっただけ」としか認識していない。
もといた場所に帰ろうとする素振りがないのは、覚えていないからか、それともブレイズが心配なのか。
そして、覚えていることを隠している様子もない。多分だが、聞けば答えてくれるのだと思う。
それに対して、ブレイズのほうは歪みが酷い。
過去を知るラディが傍にいるにもかかわらず、自分のことを尋ねようと考えもしない。興味がないのだ。
記憶を失ったところに『ジルの友人のブレイズ』という役割を焼き付けられ、そう在ろうと振る舞っている?
同時に、ジルベルトの剣に憧れて稽古をせがむなど、弟子や子供のように振る舞うこともあった。
十年前にジルベルトが死んで、彼の中の歪みは、今どのような形を取っているのだろうか。
「いい年になったじゃねえか。そろそろ仕入れは任せていいんじゃねえのか?」
「……そうですね。いくつか権限を持たせないといけませんが」
「もし王都に寄越すなら、本部にも顔を出すよう言ってくれ。儂がいれば直々に手続きしてやる」
そう言って、デズモンドはニヤリと笑う。
これから、ナイトレイ領は変わる。ファーネ支部の在り方も変わるだろう。
本部からある程度の人手を貸してもらえる今は、彼らにファーネの外を見せる、いい機会なのかもしれない。
【記憶に関する二人の考え方】
ブレイズ「必要ならラディが言うだろ」(興味なし)
ラディ「ブレイズが聞いてきたら答える」(押し付ける気なし)




