XX. 魔物の挙動
たいへん遅くなりました。
「いやあ助かった。これで街の活動も正常に戻るだろう」
白髪の混じった頭をゆっくりと縦に振りながら、初老の男性が言った。
市長夫人のおばちゃんが、その前に湯気の立つカップをにこにこしながら置いていく。
男性の向かいに座るブレイズたち四人の前にも、同じものが置かれた。中身はホットワインのようだ。
市長夫人が自ら世話を焼くこの男性は、ベルィフの街の市長である。
ブレイズたちがベルィフに到着した当初、街は魔物の襲撃にさらされていたため、医術の心得がある彼は負傷者の手当てに回っていた。なので、まともに対面するのはこれが初めてだ。
「それと、遅くなったが、三日前のことについても礼を言わせてくれ。重傷者の処置を手伝ってくれたのも、街の防衛に協力してくれたのも、大いに助かった。……きみたちがいなければ、死人が出るのは避けられなかっただろう」
「そう言ってもらえるんなら助かります。こっちも勝手に手出ししたところがあるんで」
市長は普通に感謝しているようで、ブレイズは内心ほっとしていた。
三日前のことについては、緊急事態だったから仕方ないとして。その後、街道の群れまで自分たちだけで撃退したのは……ひょっとしたら、この街の面子を潰すことになったんじゃないかと。帰り道で思い当たって、少々身構えていたのだ。
……もっとも、実際に街を守っていた連中がよく思っていない可能性はあるが。
そうだとしても、こちらから喧嘩を売らない限りは、表立って何か言ってくることはないだろう。
「にしても、死人が出かねなかったってことは、やっぱ想定外だったんすか? 今回の竜種」
「……まあ、そうと言えばそうだなあ」
妙に歯切れの悪い口調で答えつつ、市長は何かを思い出すように視線を上向けた。かさついた親指の腹で、顎先を撫でる。
「毎年この時期に、獣やら魔物やらが街道まで出てきてしまうのは珍しいことではないんだ。まあ、街道にあそこまでの大物が出たのが、想定外といえば想定外か」
「ええと、つまり……あの大きな竜種さえ出なければ、街に残っていた人員だけで対処できていた、と」
「うむ、そういう計算だった。実際、街道の群れに手を出さず、街の防衛に専念していれば問題なかっただろうが……」
ラディの言葉に頷いて、市長は髪と同じく白いものが混じった眉をひそめた。
「……何か気になることでもあるかね? 別に、この街の防衛体制を気にしているわけではなかろう?」
「あー、気にしてんのは魔物の挙動っすね」
訝しげに問われたので、ブレイズは慌てて口を開いた。
別に、街の防衛に口出しするつもりはないのだ。帰路の安全を考えるなら、正直もうちょいしっかりしてくれと思わないでもないが……余所者の自分たちがそこまで関わる義理はないし、向こうも関わらせる気はないだろう。
「俺たち、これからガユーの先にある未探索域に行くんで。こっから先、あの街道の竜種みてえのがゴロゴロしてるんなら、ちょっと心構えが必要かなと」
「……そういえば、王国から来たと言っていたな。こちらの魔物に不慣れなのか」
その説明で、市長は納得してくれたらしい。「そうだな」と前置きして、まだ温かいホットワインで唇を湿らせた。
「あの竜種……この辺りでは見たまま『赤トカゲ』と呼んでいるが、あれに限れば、ガユーまでの街道以外では出てこないだろう。未探索域に出るかどうかは、ガユーの連中に聞かないと分からんが……」
「珍しい種類の竜種ってことっすか?」
「いや、あいつらは火の魔力を喰らって生きるから、近くにある火山からめったに下りてこないはずなんだ。それがここ十年ほど、あの街道でだけ目撃されるようになった。東にあるヴァレシフスという街のほうが火山には近いはずだが、そちらの街道に出たという話はない。……妙な話だろう?」
「そうっすね」
ラディや、それまで口を挟まないでいたウィット、ロアの顔を見回してみるが、三人とも首を傾げている。
市長の言う通り、妙な話だ。棲家である火山に何か異常があったのなら、より近くにあるヴァレシフスの街周辺でも件の『赤トカゲ』が出没しているはずだろう。
それがないということは、何か別の原因がありそうだ。
「火山に棲めなくなった、ってわけじゃねえだろうしなあ……」
街道に居座っていた竜種の親玉は、ある程度傷を負わせるとあっさり街道を立ち去った。おそらく、火山にある棲家に戻っていったのだろう。
生息域を圧迫されているにしては、必死さが感じられなかった。知能が高いとは感じたが、その割に、こちらに何か訴えようとする様子もなかった。
ブレイズたちがそんな所感をつらつらと述べると、市長は「ふむ」と考え込む素振りを見せる。
「となると、原因は火山ではなく街にあるのかもしれないな」
「こっちに?」
どういうことだろうか、と首を傾げてみせると、彼は壁にかけてある地図へ視線をやった。
「このベルィフか、ガユーかは分からんが……人里に、何か興味を引くものがあるのかもしれないということだ」
◇
市長への報告を終えたブレイズたちは、その足で宿へ向かった。
部屋は取ったままにしておいたので、そのまま男女で分かれて部屋のベッドに倒れ込む。
ブレイズは戦闘中ずっと走りっぱなしだったので、体力が限界に近かった。文字通り飛び回っていたロアも同じだろう。
「後で延泊の手続きしねえと……」
ベッドのシーツに顔を埋めたまま、ぼそりと呟いてみる。
確か、明日の朝までしか部屋を取っていなかったはずだ。さすがに明日出発は厳しいので、あと一日二日は休みたい。ラディとウィットにも意見を聞く必要はあるが、延泊そのものに異論はないだろう。
そこまで考えたところで部屋が妙に静かなことに気づいて、ブレイズはベッドから顔を上げた。
視線を巡らせると、ロアが部屋の扉の前に立ったまま、ぼうっと自分の足元を見下ろしている。
「ロア?」
様子がおかしいなと思って、声をかけつつ起き上がる。
呼ばれて我に返ったらしく、ロアはふらふら歩いてくると、自分のベッドに腰を下ろした。
「ぼーっとしてたが、どうかしたか?」
「……さっきの、魔物の話について考えていた」
「市長のおっさんが言ってたやつか?」
「ああ」
まだ半分ほど意識が思考に沈んでいるようで、ロアの目は下を向いたままだ。
とはいえ別にそれで気分を害するわけでもないので、ブレイズは起き上がったベッドの上であぐらをかきつつ、適当に相槌を打って先を促す。
「あの、赤い竜種……赤トカゲとかいったか。あれが、火の魔力を喰らって生きているって言ってただろ。それから街道にでてきてるのは、ベルィフかガユーに、連中の興味を引くようなものがあるのかもしれない、と」
「確かに、そんなこと言ってたな」
「……俺たち南方の民は、体内の魔力が信仰している精霊の属性に寄る。例えば、火族なら、火の魔力の塊といっていい。俺のような『混じりもの』は例外だが」
「それって……」
つまりロアは、赤トカゲが火族の魔力に惹かれて街道まで出てきていると考えているらしい。
しかし彼が自分で言っている通り、『風混じり』のロアが持つ魔力はどちらかというと風寄りだ。
となると、別の、『混じりもの』でない火族が――。
「――あ」
そこでようやく、ブレイズもロアが何を気にしていたのかに思い至った。
赤トカゲの挙動からして、この街か次の街に、火族がいる可能性が高い。
そして、ロアは同郷の――純粋な火族である伯父夫婦と妹を探してここまで来たのだ。住んでいた村が十年ほど前に魔物に襲われ、新天地を求めて王国を東に進んでいった一家を。
「……赤トカゲが街道に出てくるようになったのは、ここ十年くらいのことだって言ってたよな?」
「ああ」
市長の言葉を信じるなら時期としても合うし、大人二人に子供が一人なら、火の魔力もそれなりに大きなものになる。
その大きな火の魔力がずっと同じ街にあるなら、赤トカゲが興味をもつことだってあり得るだろう。
「お前たちについてきたの、正解だったかもしれないな」
俯いたままのロアの目に、ぎゅっと力が入ったように見えた。




