XX. 会館にお泊まり
そこそこに夜がふけて、空に星が多く見えるようになった時間帯。
竜種の死骸の片付けを終えたブレイズたちは、先に戦っていた青年たちと共に、商工会の会館に戻ってきた。
大通り沿いの家や店は大部分が明かりを消しており、会館の窓から漏れる明かりがよく目立つ。
この街には来たばかりのブレイズだが、その明かりを目にすると、戦闘で張りつめていた気分が少し緩んだような気がした。……まあ、ウィットとロアがそこにいる、というのもあるだろうが。
同じくほっとした顔をしているラディを横目に、ブレイズは締め切られていた扉を開けた。
「あ、おかえりー」
中に入ってすぐ、横からのんびりした声がかけられた。
見れば、扉の横に小椅子を置いて、そこにウィットが腰掛けている。
「怪我人の手当ては落ち着いたのか?」
「だいたいはね。そっちも大丈夫だった?」
「まあな。ああそうだ、怪我人連れてきたから、もうひと働き頼む」
「それは先に言おうよ。……ちょっと知らせてくるね」
苦言を呈しつつ、ウィットが立ち上がって奥へと駆けていった。
応急手当ては済んでいるし一刻を争うような重傷者もいないので、別に焦らなくてもいいのだが。
……一名ほど『傷が痛むんですけど?』とでも言いたげな顔でこちらを見ている怪我人がいるが、そいつは動けない竜種の前にノコノコ出ていって噛まれたアホなので無視である。なんなら手当ては最後に回してもいいと、先に戦っていた青年たちにも言われていた。なんでも、不注意でたびたび痛い目を見ているにもかかわらず、改善する気配がないらしい。
まあ、そんな現地住民のお悩みだか何だかはさておいて。
ブレイズたちが怪我人を椅子に座らせたり手当てのために服を脱がせたりしていると、奥から薬や包帯などを持った住民たちがぞろぞろ出てきた。その中に大きなたらいを持った人を見つけて、ラディが「水やお湯が必要なら出せる」と手伝いを申し出に行っている。
ブレイズは周囲をぐるりと見回して、ちょうど寄ってきたウィットに話しかけた。
「ロアは?」
「奥で休ませてもらってるよ。重傷者が多くて、だいぶ魔力使っちゃったみたいで……街の人たちも、命に関わるほどじゃなければ遠慮してくれてさ」
まあ、それはそうだろう。
この街の連中にしたって、命に関わらない怪我までロアに対応させた結果、重篤な怪我人が出たときに、それを癒す魔力が残っていないという事態は避けたいはずだ。ついでに、手が空いたなら休ませて、少しでも魔力を回復させてもらったほうがいい。
……まあ、どこまで手を貸すかはロア次第ではあるが。魔力云々はそれ以前の問題である。
「……で、お前はなんで扉の近くなんかに居座ってたんだよ」
「僕が一番疲れてなかったからね。他の人たちが奥で休んでる間、会館に入ってきて誰もいないってのもよくないでしょ。……ま、きみたちがギルドで警備してるのの真似みたいなものかな」
そんなことを話していると、奥からロアがのそりと顔を出した。
あまり顔色がよくない。先ほどウィットが言った通り、だいぶくたびれているようだ。
「よう、大変だったみたいだな」
「まあな。……怪我は?」
「俺もラディも無傷だよ。先に戦ってた連中も、お前に頼むほどのはいねえな」
「そうか」
ロアは少し間を置いて、視線を逸らしながら再び口を開いた。
「……悪かった。勝手な行動をした」
「ん? ……ああ、それは別に。俺も許可出したしな」
むしろ、あの状況でとっさに動けたという点で、ブレイズはロアをすごいと思っている。
彼が動かなければ、ブレイズも、おそらくはラディも、もうしばらく固まったままだっただろう。
「そういう話なら、俺はウィットに謝らないと。いきなり放り出して悪かったな」
「いえいえ」
少しおどけた調子でウィットが応じ、それで謝罪合戦は終わりとなった。
「ブレイズ」
ちょうど話が終わったあたりで、魔術を使って回っていたラディがどこからか戻ってきた。
彼女はウィットとロアの姿が増えていることに軽く驚いたものの、「揃っているならちょうどいい」とそのまま話を続ける。
「手伝いついでに、今日の宿の相談をしてみたんだけどね。街の宿屋は、さすがにもう閉めてしまっているらしい」
「マジか。……でもまあそうか、街ん中に魔物が入ってきてるんだもんな。開けっ放しってわけにはいかねえか」
「うん。それで、今日は会館に泊まっていいって。ベッドは怪我人優先だから、そのへんの床に雑魚寝になるけど」
「ま、仕方ねえか」
非常事態だと分かっていて来たのだから多少の不便は覚悟しているし、東方の寒さを思えば、暖かい建物の中で眠れるだけでも十分助かる。
疲れてはいるが、もう一日ベッドで寝られないからといって死ぬわけでなし。
閉まるのが早いだけで宿屋が開いていないわけではないのだから、明日になったら宿を取りに行けばいいだろう。
ウィットとロアを見ると、二人ともうんうんと頷いていた。異論ないようだ。
では泊まりたい旨を伝えようかと、ラディが話をつけた相手のところへ連れて行ってもらうことにする。
サルミナの商工会の様子からして、ブレイズはその『相手』とやらを、年かさの職人か商人だろうと思っていたが……ラディに案内されたのは裏庭で、相手はそこで大きな鍋をぐるぐるかき混ぜているおばちゃんだった。
「あらお嬢ちゃん、話はついたの?」
「はい、今日のところはお言葉に甘えます。で、彼がうちのリーダーです」
「どうも、世話んなります」
ラディに紹介されてぺこりと頭を下げる。
その後ちょっと話を聞くと、このおばちゃんはベルィフの街の代表――東方では『市長』というそうだが、その奥方であるという。要は、ベルィフという都市国家の王妃様というわけだ。見た感じ、ただの気さくなおばちゃんだが。
なので、その王妃様、もとい市長夫人が「よし」と言えば、その通りになるとのことだ。ちなみにもっと偉いはずの旦那の方はというと、多少医療の心得があるので、怪我人の世話のほうに行っているらしい。
「まあ、来て早々、宿も取らずに手を貸してくれたんですもの。そんな人たちを寒空の下に放り出すような恩知らずはいないわ」
「そう言ってもらえると助かります」
「もうすぐスープができるから、よかったら食べてちょうだいな。食料はね、余裕があるのよ。昨日もサルミナから来た商人が、日持ちしないのを色々と売っていったそうだから」
にこにこしながら言うおばちゃんに頷いて、ブレイズたちは一旦、寝床の確保のため会館の中に戻る。
後ろでラディが、「後で手伝いに来ます」と言っているのが聞こえた。
◇
会館に入ってすぐの広間の端っこを寝床として確保したブレイズたちは、それぞれの敷布の上に腰を下ろして、出された食事に手を付けていた。
黒パンとスープ、それから酒精の弱いエール。強い酒はそのまま、または蒸留して、怪我の消毒などに使っているそうだ。
「来る途中で聞いた通りだな。魔物の群れが、ガユー方面の街道を塞いでるらしい」
エールをちびちび飲みながらロアが話すのを、ブレイズはパンにかじりつきながら聞いている。
ロアは怪我人の治療をするかたわら、その怪我人や一緒に手当をしている住民たちから話を聞き出してくれていたらしい。
「雪はもう解けてるから、道としては問題ないんだそうだ。だから魔物を排除さえすれば、すぐにでも通れるようになるんだが……」
「春になって行商人とか商隊がみーんなサルミナに行っちゃって、戦える人も、ほとんどが護衛で一緒についてっちゃったんだって」
ウィットも一緒に話を聞いていたようで、ロアの言葉を引き継いで言った。ちぎったパンをスープに浸しながら、こてんと首を傾げて続ける。
「僕たちが聞けた話はこんなところだけど、そっちは?」
「……街道にいる魔物の中に、一匹、大きいのがいるって話だ。たぶん、群れの親玉か何かなんだろう」
ウィットの問いに答えたのはラディだ。ブレイズはちょうどパンをもぐもぐしていたところだった。
ラディはちょっと顔をしかめ、声を小さくして続ける。
「……今日、会館が怪我人で溢れてただろう? あれ、街道の魔物にかかっていって返り討ちにあった連中らしい。……はっきりとは言われなかったけど、会館のそばまで何匹か入り込んできたのも、撤退した時に撒けなかったんじゃないかな」
「あー、なるほど」
ウィットが腑に落ちたような顔をした。
「確かに、今日みたいなひどい状況がずっと続いてたら、この街とっくにどうにかなっちゃってるよね。そっか、たまたま今日賭けに出てたのか」
「で、負けた、ってわけだ。……会館でその話は出すなよ。教えてくれた連中からも、『特に重傷者に聞こえる所では話すな』って言われてっから」
ようやくパンを飲み込んで、ブレイズも言葉を添えた。
ラディの話したことは、襲撃のあった土嚢から会館に戻る道中、先に戦っていた連中から聞いた話だ。
もうしばらく耐えて、腕利きが何人か戻ってきてから動くという意見もあったのに、自分たちだけで解決できると周囲の制止を振り切って……しくじった。自信過剰の未熟者と言っても文句は言われないだろうが、大怪我で生死の境をさまよっているような者にぶつける言葉としてはあまりに酷だ。彼らだって、一日でも早く街に平穏を取り戻したくて無茶を考えたのだろうし。
それに、おそらくは、他でもない当人たちが一番後悔しているだろう。だからこれ以上追い詰めてくれるな、ということだ。
「で、だ。これからどうするかなんだが……ラディ、どう思う?」
「ん……勝てなくはない、かな」
スープを飲み込んで、ラディはやや考えるそぶりをしながら答えた。
「今日戦ったのが群れの下っ端だとして、おそらく街道にいる大物も、性質は同じだろう。つまり、水に弱い」
「そうなのか?」
「赤い竜種だったんだが、口から火を吐くんだよ。俺らも見てびっくりした」
ロアに答えていると、ラディの目がこちらへ向く。
「ブレイズはどうだった? 下っ端の鱗が簡単に斬れてたなら、大物の鱗もたぶん大丈夫だと思うけど……」
「まあ、普通だな。ファーネの竜種と大差なかった。大物も……まあ、いけんじゃねえかな」
答えて、相棒と頷き合う。おそらく勝てるだろう、という結論で一致したようだ。
今日戦った感触からいって、ラディがいればだいぶ有利に戦えるだろう。水に怯むようだし、冷気に強いか弱いかは分からないが、少なくとも凍りつかせれば動きを封じることはできた。火を出すのは口からだけのようなので、囲まれないよう立ち回りに気をつければ避けることはできる。
「しいて言うなら、下っ端の数が多いときついか。火を吐くことを考えたら先に片付けちまいてえが、こっちの体力にも限りがあるしなあ……」
「……そこは手伝ってやるから安心しろ」
「ロア?」
「竜種がどのくらい固いのかは知らないが……精霊の風なら、ある程度のものは切り裂ける。下っ端の雑魚くらいなら、たぶんなんとかなるだろう」
ロアが言う横で、ウィットがそーっと手を挙げる。
「たぶん僕、『アレ』を使えば大物の鱗も斬れると思うんだけど……」
「それはさすがに危ねえからダメ」
「ですよねー」
分かってるなら言ってみるんじゃない。
体がでかいということは、ちょっと動くのが当たっただけで大怪我をする可能性が高いということだ。拾った頃に比べれば、ウィットの体捌きや身のこなしはだいぶ良くなってきてはいるが……さすがに今回は相手が悪い。
火を吐くことを考えれば、下っ端の相手もさせたくなかった。
「とりあえず、街道の魔物をなんとかしてみよう、ってのに反対はねえってことでいいな?」
ブレイズの言葉に、三人ともが首肯する。
これはつまり、この三人を魔物退治に付き合わせるということで……三人分の命を預けられたに近いという事実が、少し重くも感じるけれど。
「よし。明日と、足りなきゃ明後日も休んで準備して、それで行くか」
重たいからと投げ出す気には、到底なれそうもなかった。
【わたしだけが楽しい世界設定メモ】
Q. 『街』の首長なのに『市長』なの?
A. 大昔は街のことを現地語で『○○市』と呼んでいたのですが、共通語が普及してから、そちらに合わせた部分と合わせなかった部分で食い違いが出てる感じです




