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魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
6:風のゆくえ
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XX. 中継都市ベルィフ

 翌日の昼過ぎに到着したベルィフは、すぐ近くに小さな港がある街だった。

 貿易港は近くにサルミナがあるのだから、こちらはおそらく漁港なのだろう。


 南側にある門の手前で馬車を下り、街に入る。

 ちなみに検問はなかった。魔物が襲撃中という非常事態だからかと思ったが、乗合馬車の御者によると、この街はでは検問がないほうが普通らしい。

 サルミナと他の都市を結ぶ中継都市としての役割が強いため、一年を通して人の往来がとても多く、いちいち検査などやっていられないのだそうだ。


 なお、周辺の都市で犯罪者が見つかった場合などは、さすがに例外らしい。

 それはそうだろう、中継都市というなら、高い確率で逃亡中の犯罪者はこの街を通るだろうから。


「……静かだな」


 街の入り口で御者と別れ……る前に、この街についてひと通り教えてもらい、礼を言って改めて別れた後。

 四人で大通りを進んでいると、隣を歩くラディが、周囲を見回しながら呟いた。


「もっとバタバタしてるかと思ってたんだけど。それだけ避難が進んでいる、ということかな」

「そんなとこじゃねえの。残ってる住民も、家に引きこもってるんだろ。……魔物は街まで入り込んでくるらしいから、下手に外出もできねえだろうしな」


 まあ、街が静かだということは、少なくともいまは襲撃がなく、落ち着いているのだろう。

 しかし、時折見かける人の中には、頭や手足に怪我を負っている者も少なくない。まだ襲撃が続いているのなら、あまりいい状況ではなさそうだ。


「……ま、とりあえずは商工会だな」


 ブレイズたちの立場で、一番顔を出しやすく、話を聞きやすい場所だ。まず向かうべきはそこだろう。

 会館の場所も、街の入り口で別れた御者に教えてもらっている。ええと確か、と御者の言葉を思い出そうとしたところで、後ろからウィットの声がした。


「このまま通りを進んけば、すぐ分かる……だっけ?」

「……あれじゃないか?」


 最後尾を歩いていたロアを振り向くと、彼はかなり前方に見える、大きな建物を指差していた。

 家も店も窓や扉を閉め切っている中、そこだけは両開きの扉を全開にして、何やら人が出入りしているようでもある。


「たぶん、当たりだろうな」


 少なくとも、何らかの施設であることは間違いないだろう。

 ブレイズは頷くと、その建物に近づいていった。


 商工会の会館……と思しき建物の中を覗いてみると、そこは人で埋め尽くされていた。

 血と消毒液の匂いが鼻につく。多くの怪我人が床に横たえられ、あるいは壁際に座り込んでいるのだ。

 かつてのファーネを思い出すような惨状に、ブレイズは思わず息を呑む。


「……一番の重傷者はどこだ?!」


 一瞬怯んだブレイズの横をすり抜けて、ロアが声を上げた。

 近くで看病していた青年が、そこで初めてブレイズたちに気付いた様子で目を丸くする。


「あんたらは……?」

「さっきこの街に着いたんだ。俺は精霊使いだ、ある程度の怪我なら治せる」

「おい、精霊使いって言ったか?! こっちだ、頼む!」


 目の前の青年とは別の、奥の方から声がかかった。

 ロアは頷くと、床に寝かされている怪我人を慎重に避けながら、そちらへ足早に歩いていき――数歩進んだところで、思い出したようにこちらを振り返る。


「ブレイズ、構わないな?!」

「あ、ああ……」


 どうにか頷くと、ロアは今度こそ、ブレイズたちに目もくれず奥へ行ってしまう。

 呆然とそれを見送って、ああ自分たちも動かなければ、と思った直後。


「――襲撃! 襲撃!!」


 大通りの向こうから、住人らしき男が声を張り上げつつ走ってきた。

 会館に駆け込もうとしている、と気づいたブレイズたちが横にずれると、男はそのまま転がるように扉をくぐり、再び声を張り上げる。


「襲撃だ! 動けるやつは行ってくれ!」

「どこだ?!」

「そこの通りの土嚢の前!」

「すぐ近くじゃないの!」


 悲鳴のような声が上がって、まだどこかぼんやりとしていた意識がぱちんと弾けた。

 反射的に振り返った先にあるのは、すぐ隣にいる相棒の姿。


「ラディ!」

「――っ、大丈夫、行ける!」


 ブレイズと同じく呆然としている様子だったラディが、はっとした顔をして、すぐにしっかりと頷いてみせた。

 それに頷き返して、次はウィットに視線を移す。


「ウィット」

「ここのお手伝いでもしてるよ」


 ブレイズが何か言う前に、ウィットはあっさり頷いて言った。話が早い。


「……何かあったらロアを頼れよ」

「うん。きみたちも気をつけてね」


 ウィットはこちらに軽く手を振ってから、会館の中へ入っていく。

 一人で放り出すようで悪いが、何かあったらきっとロアが助けてくれるだろう。……ロアには後で叱られるかもしれないが。


 しかし、これ(・・)以外の行動など、いまのブレイズには考えつかない。

 だからたぶん、これ以外も、これ以上もないのだ。


「――おい、あんた!」


 ブレイズは襲撃を伝えにきた男に声をかけた。


「襲われてるのはこの道まっすぐ行った先でいいんだな?!」

「あ、ああ……そうだ!」


 男は一瞬戸惑った顔をしたものの、ブレイズの腰にある剣を目にすると、こくこくと何度も頷いた。戦える者だと分かったのだろう。


「通りの途中で土嚢を積んで塞いでる! まっすぐ行ってくれればいい!」

「分かった!」


 それだけ聞ければ十分だ。

 ブレイズは相棒に目配せすると、大通りを北に向かって走り出した。



 ◇



 襲撃されている場所はすぐに分かった。走って数分で土嚢の壁が見えてきたからだ。


「マジで近くじゃねえか……」


 ファーネで言うと、ギルド支部から南門までの距離と大差ない。

 東方の都市は『都市国家』と言うだけあって、王国の街より広いところが多いと聞いている。それでこの距離というのは、かなり危うい。

 商工会の会館があった場所を考えると、ほぼ街のど真ん中に魔物が入り込んでいるようなものだ。そりゃあ住民も外に出ないわけである。


 そのまま襲撃場所へと走っていき、さてそろそろ声が届く距離だな、と思った矢先。

 土嚢の向こうで、いきなり赤い炎が噴き上がった。


「ぅあっちぃ!!」

「おい大丈夫か?!」

「水かけろ水!」


 誰か魔術士が誤射でもしたか、と思っているうちに土嚢の手前まで来てしまった。

 とりあえず、こちら側で怪我の手当をしている槍使いに声をかける。


「加勢に来た! どこに行けばいい?!」

「……剣士か? なら、土嚢(コイツ)を越えて向こう側だ。もし魔術が使えるなら、上から水でもぶっかけてくれると助かる」

「だとよ、ラディ」

「任せろ、得意分野だ」


 いい返事である。

 槍使いも頼もしく思ったのか、ふ、と表情を緩めた。


「あんたら、ここらじゃ見ない顔だな。あいつらは火を吐くから気をつけろよ」

「え、魔物なのに……?」

「ああ、珍しいことにな。……だからか、水に弱いらしい」

「よし、分かった」


 とりあえず、いまはそれだけ聞けば十分だ。

 土嚢に登るならあっちだ、と槍使いが指差したところに駆け寄り、階段状に積まれた土袋を駆け上がる。

 上から土嚢の向こう側を見下ろすと、数人の武装した青年たちが、赤い鱗をもつ竜種(トカゲ)の群れと戦っているのが見えた。

 ざっと数えて、十数匹といったところか。どの個体も、全長が人間の大人の身長と同じくらいのように見える。


「ラディ」

「うん」


 ラディがひとつ深呼吸すると、竜種と、ついでに青年たちの頭上に、巨大な水の塊が現れた。

 もうだいぶ西に傾いている太陽の光が透けて、地面に波のような模様を落とす。


「……ああ、いいな。海が近いし雪も多いから、水が集めやすい」

「おおーい、水ぶっかけるぞー!」


 さすがに自分から水を浴びに行く気にはならなかったので、ブレイズは土嚢の上から青年たちに警告した。

 ……まあ、言われる前から気づいていたようで、慌てて土嚢の方に走ってきていたが。


「――落ちろっ!」


 青年たちが退避するのを待って、ラディが水塊を解き放った。

 ばっしゃぁん、と派手な音を立てて、地面が水浸しになる。


 直後、ブレイズは剣を抜いて、土嚢の上から飛び降りた。


「おらぁ!」


 着地しざま、水に怯んで固まっていた竜種の一匹を両断する。

 ぬかるんだ土に足を取られそうになりながらも走り、近くにいたもう一匹の頭を落とした。


 ああ、なんか前にもこんな戦い方をしたような。

 どこか既視感を覚えながら、次の獲物を定め――。


「……ッ!」


 とっさに横に跳んだと同時、獲物と定めていた竜種が、こちらへ向けてぱかりと口を開いた。

 その喉から赤い火が噴き出して、一瞬前までブレイズがいた空間を焼く。


「マジで火を吐きやがった……」


 魔物や魔獣というのは、魔力を持った動物に対する呼び名だ。特に、後天的に魔力を獲得することを『魔物化』という。

 人間のように火や道具を使わない彼らは、通常、自身の魔力を魔術の形で扱うことがない。魔物は同種の動物と比べて体が大きく、力が強くなる傾向があるので、おそらく発育に魔力を使っているのだろうと言われている。

 つい最近、自分の筋力を強化するタイプの治癒魔術を使う女戦士に会ったが……ひょっとしたら、ああいう自己強化をやっている個体もいるのかもしれない。


 つまり、火の魔術を使う魔物なんて初めて見た、ということである。

 いや別に火の魔術だとは限らないが、魔術でもなしに火を出すのは人間でも無理なので、とりあえず魔術だと考えざるを得ないというか……。


「――っとと」


 そんなことを考えていたら、また別方向から火が襲いかかってきた。

 回避が一瞬遅れ、ちり、と肩のあたりを火が掠めていく。

 服もマントも燃えにくい素材だったおかげで、燃え移りはしなかった。


 それはともかく。


「マント邪魔だな……!」


 正直めちゃくちゃ動きにくい。

 寒冷地用なので重いし、激しく動くと腕にまとわりつくし、そのうちどこかに引っ掛けそうだし。

 商工会でウィットに預けてくればよかった。もしくは、飛び降りる前にラディに預ければよかった。


 ……などと、ブレイズが少々場違いな後悔を胸に抱いていると。


「おーい! 下がれー!」

「水が来るぞー!」


 後方、土嚢のある方向から、青年たちの声がする。

 振り返れば、再びラディが上空に水の塊を出現させていた。また竜種どもに水をお見舞いするらしい。


 手招きしている青年たちに従って、ブレイズはそちらへ走り出す。

 土嚢の壁まであと数歩の位置までたどり着いたところで、背後からまた派手な水音が聞こえて、それから。


「――凍れっ!!」


 そんな声が降ってきたと同時、水音に続いて、ぴしりぴしりと硬質な音が聞こえてきた。

 振り返ると、竜種たちの四肢が、地面のぬかるみに埋まったまま凍りついている。

 竜種たちは足を引き抜こうともがいているが、どうにも上手くいかないようだ。


 それを見て、青年たちの誰かが言った。


「……でかした姉ちゃん! よし、いまのうちに仕留めるぞ!」


 その声を皮切りに、他の青年たちも武器を握り直す。


「お、おう!」

「口の前に立つなよ! せっかく安全に倒せるんだからな!」


 あとはもう、単純な作業だった。

 口々に鼓舞し、注意し合いながら、彼らは動けない竜種を一匹一匹確実に仕留めていく。


「ギャー! 噛まれた!」

「だから口の前に立つなっつったろ!!」


 ブレイズも加わって、竜種の数を地道に減らしていって。

 全ての竜種を仕留め終える頃には、もう太陽は沈みきっていた。

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