XX. 中継都市ベルィフ
翌日の昼過ぎに到着したベルィフは、すぐ近くに小さな港がある街だった。
貿易港は近くにサルミナがあるのだから、こちらはおそらく漁港なのだろう。
南側にある門の手前で馬車を下り、街に入る。
ちなみに検問はなかった。魔物が襲撃中という非常事態だからかと思ったが、乗合馬車の御者によると、この街はでは検問がないほうが普通らしい。
サルミナと他の都市を結ぶ中継都市としての役割が強いため、一年を通して人の往来がとても多く、いちいち検査などやっていられないのだそうだ。
なお、周辺の都市で犯罪者が見つかった場合などは、さすがに例外らしい。
それはそうだろう、中継都市というなら、高い確率で逃亡中の犯罪者はこの街を通るだろうから。
「……静かだな」
街の入り口で御者と別れ……る前に、この街についてひと通り教えてもらい、礼を言って改めて別れた後。
四人で大通りを進んでいると、隣を歩くラディが、周囲を見回しながら呟いた。
「もっとバタバタしてるかと思ってたんだけど。それだけ避難が進んでいる、ということかな」
「そんなとこじゃねえの。残ってる住民も、家に引きこもってるんだろ。……魔物は街まで入り込んでくるらしいから、下手に外出もできねえだろうしな」
まあ、街が静かだということは、少なくともいまは襲撃がなく、落ち着いているのだろう。
しかし、時折見かける人の中には、頭や手足に怪我を負っている者も少なくない。まだ襲撃が続いているのなら、あまりいい状況ではなさそうだ。
「……ま、とりあえずは商工会だな」
ブレイズたちの立場で、一番顔を出しやすく、話を聞きやすい場所だ。まず向かうべきはそこだろう。
会館の場所も、街の入り口で別れた御者に教えてもらっている。ええと確か、と御者の言葉を思い出そうとしたところで、後ろからウィットの声がした。
「このまま通りを進んけば、すぐ分かる……だっけ?」
「……あれじゃないか?」
最後尾を歩いていたロアを振り向くと、彼はかなり前方に見える、大きな建物を指差していた。
家も店も窓や扉を閉め切っている中、そこだけは両開きの扉を全開にして、何やら人が出入りしているようでもある。
「たぶん、当たりだろうな」
少なくとも、何らかの施設であることは間違いないだろう。
ブレイズは頷くと、その建物に近づいていった。
商工会の会館……と思しき建物の中を覗いてみると、そこは人で埋め尽くされていた。
血と消毒液の匂いが鼻につく。多くの怪我人が床に横たえられ、あるいは壁際に座り込んでいるのだ。
かつてのファーネを思い出すような惨状に、ブレイズは思わず息を呑む。
「……一番の重傷者はどこだ?!」
一瞬怯んだブレイズの横をすり抜けて、ロアが声を上げた。
近くで看病していた青年が、そこで初めてブレイズたちに気付いた様子で目を丸くする。
「あんたらは……?」
「さっきこの街に着いたんだ。俺は精霊使いだ、ある程度の怪我なら治せる」
「おい、精霊使いって言ったか?! こっちだ、頼む!」
目の前の青年とは別の、奥の方から声がかかった。
ロアは頷くと、床に寝かされている怪我人を慎重に避けながら、そちらへ足早に歩いていき――数歩進んだところで、思い出したようにこちらを振り返る。
「ブレイズ、構わないな?!」
「あ、ああ……」
どうにか頷くと、ロアは今度こそ、ブレイズたちに目もくれず奥へ行ってしまう。
呆然とそれを見送って、ああ自分たちも動かなければ、と思った直後。
「――襲撃! 襲撃!!」
大通りの向こうから、住人らしき男が声を張り上げつつ走ってきた。
会館に駆け込もうとしている、と気づいたブレイズたちが横にずれると、男はそのまま転がるように扉をくぐり、再び声を張り上げる。
「襲撃だ! 動けるやつは行ってくれ!」
「どこだ?!」
「そこの通りの土嚢の前!」
「すぐ近くじゃないの!」
悲鳴のような声が上がって、まだどこかぼんやりとしていた意識がぱちんと弾けた。
反射的に振り返った先にあるのは、すぐ隣にいる相棒の姿。
「ラディ!」
「――っ、大丈夫、行ける!」
ブレイズと同じく呆然としている様子だったラディが、はっとした顔をして、すぐにしっかりと頷いてみせた。
それに頷き返して、次はウィットに視線を移す。
「ウィット」
「ここのお手伝いでもしてるよ」
ブレイズが何か言う前に、ウィットはあっさり頷いて言った。話が早い。
「……何かあったらロアを頼れよ」
「うん。きみたちも気をつけてね」
ウィットはこちらに軽く手を振ってから、会館の中へ入っていく。
一人で放り出すようで悪いが、何かあったらきっとロアが助けてくれるだろう。……ロアには後で叱られるかもしれないが。
しかし、これ以外の行動など、いまのブレイズには考えつかない。
だからたぶん、これ以外も、これ以上もないのだ。
「――おい、あんた!」
ブレイズは襲撃を伝えにきた男に声をかけた。
「襲われてるのはこの道まっすぐ行った先でいいんだな?!」
「あ、ああ……そうだ!」
男は一瞬戸惑った顔をしたものの、ブレイズの腰にある剣を目にすると、こくこくと何度も頷いた。戦える者だと分かったのだろう。
「通りの途中で土嚢を積んで塞いでる! まっすぐ行ってくれればいい!」
「分かった!」
それだけ聞ければ十分だ。
ブレイズは相棒に目配せすると、大通りを北に向かって走り出した。
◇
襲撃されている場所はすぐに分かった。走って数分で土嚢の壁が見えてきたからだ。
「マジで近くじゃねえか……」
ファーネで言うと、ギルド支部から南門までの距離と大差ない。
東方の都市は『都市国家』と言うだけあって、王国の街より広いところが多いと聞いている。それでこの距離というのは、かなり危うい。
商工会の会館があった場所を考えると、ほぼ街のど真ん中に魔物が入り込んでいるようなものだ。そりゃあ住民も外に出ないわけである。
そのまま襲撃場所へと走っていき、さてそろそろ声が届く距離だな、と思った矢先。
土嚢の向こうで、いきなり赤い炎が噴き上がった。
「ぅあっちぃ!!」
「おい大丈夫か?!」
「水かけろ水!」
誰か魔術士が誤射でもしたか、と思っているうちに土嚢の手前まで来てしまった。
とりあえず、こちら側で怪我の手当をしている槍使いに声をかける。
「加勢に来た! どこに行けばいい?!」
「……剣士か? なら、土嚢を越えて向こう側だ。もし魔術が使えるなら、上から水でもぶっかけてくれると助かる」
「だとよ、ラディ」
「任せろ、得意分野だ」
いい返事である。
槍使いも頼もしく思ったのか、ふ、と表情を緩めた。
「あんたら、ここらじゃ見ない顔だな。あいつらは火を吐くから気をつけろよ」
「え、魔物なのに……?」
「ああ、珍しいことにな。……だからか、水に弱いらしい」
「よし、分かった」
とりあえず、いまはそれだけ聞けば十分だ。
土嚢に登るならあっちだ、と槍使いが指差したところに駆け寄り、階段状に積まれた土袋を駆け上がる。
上から土嚢の向こう側を見下ろすと、数人の武装した青年たちが、赤い鱗をもつ竜種の群れと戦っているのが見えた。
ざっと数えて、十数匹といったところか。どの個体も、全長が人間の大人の身長と同じくらいのように見える。
「ラディ」
「うん」
ラディがひとつ深呼吸すると、竜種と、ついでに青年たちの頭上に、巨大な水の塊が現れた。
もうだいぶ西に傾いている太陽の光が透けて、地面に波のような模様を落とす。
「……ああ、いいな。海が近いし雪も多いから、水が集めやすい」
「おおーい、水ぶっかけるぞー!」
さすがに自分から水を浴びに行く気にはならなかったので、ブレイズは土嚢の上から青年たちに警告した。
……まあ、言われる前から気づいていたようで、慌てて土嚢の方に走ってきていたが。
「――落ちろっ!」
青年たちが退避するのを待って、ラディが水塊を解き放った。
ばっしゃぁん、と派手な音を立てて、地面が水浸しになる。
直後、ブレイズは剣を抜いて、土嚢の上から飛び降りた。
「おらぁ!」
着地しざま、水に怯んで固まっていた竜種の一匹を両断する。
ぬかるんだ土に足を取られそうになりながらも走り、近くにいたもう一匹の頭を落とした。
ああ、なんか前にもこんな戦い方をしたような。
どこか既視感を覚えながら、次の獲物を定め――。
「……ッ!」
とっさに横に跳んだと同時、獲物と定めていた竜種が、こちらへ向けてぱかりと口を開いた。
その喉から赤い火が噴き出して、一瞬前までブレイズがいた空間を焼く。
「マジで火を吐きやがった……」
魔物や魔獣というのは、魔力を持った動物に対する呼び名だ。特に、後天的に魔力を獲得することを『魔物化』という。
人間のように火や道具を使わない彼らは、通常、自身の魔力を魔術の形で扱うことがない。魔物は同種の動物と比べて体が大きく、力が強くなる傾向があるので、おそらく発育に魔力を使っているのだろうと言われている。
つい最近、自分の筋力を強化するタイプの治癒魔術を使う女戦士に会ったが……ひょっとしたら、ああいう自己強化をやっている個体もいるのかもしれない。
つまり、火の魔術を使う魔物なんて初めて見た、ということである。
いや別に火の魔術だとは限らないが、魔術でもなしに火を出すのは人間でも無理なので、とりあえず魔術だと考えざるを得ないというか……。
「――っとと」
そんなことを考えていたら、また別方向から火が襲いかかってきた。
回避が一瞬遅れ、ちり、と肩のあたりを火が掠めていく。
服もマントも燃えにくい素材だったおかげで、燃え移りはしなかった。
それはともかく。
「マント邪魔だな……!」
正直めちゃくちゃ動きにくい。
寒冷地用なので重いし、激しく動くと腕にまとわりつくし、そのうちどこかに引っ掛けそうだし。
商工会でウィットに預けてくればよかった。もしくは、飛び降りる前にラディに預ければよかった。
……などと、ブレイズが少々場違いな後悔を胸に抱いていると。
「おーい! 下がれー!」
「水が来るぞー!」
後方、土嚢のある方向から、青年たちの声がする。
振り返れば、再びラディが上空に水の塊を出現させていた。また竜種どもに水をお見舞いするらしい。
手招きしている青年たちに従って、ブレイズはそちらへ走り出す。
土嚢の壁まであと数歩の位置までたどり着いたところで、背後からまた派手な水音が聞こえて、それから。
「――凍れっ!!」
そんな声が降ってきたと同時、水音に続いて、ぴしりぴしりと硬質な音が聞こえてきた。
振り返ると、竜種たちの四肢が、地面のぬかるみに埋まったまま凍りついている。
竜種たちは足を引き抜こうともがいているが、どうにも上手くいかないようだ。
それを見て、青年たちの誰かが言った。
「……でかした姉ちゃん! よし、いまのうちに仕留めるぞ!」
その声を皮切りに、他の青年たちも武器を握り直す。
「お、おう!」
「口の前に立つなよ! せっかく安全に倒せるんだからな!」
あとはもう、単純な作業だった。
口々に鼓舞し、注意し合いながら、彼らは動けない竜種を一匹一匹確実に仕留めていく。
「ギャー! 噛まれた!」
「だから口の前に立つなっつったろ!!」
ブレイズも加わって、竜種の数を地道に減らしていって。
全ての竜種を仕留め終える頃には、もう太陽は沈みきっていた。




