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魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
6:風のゆくえ
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XX. まだまだ彷徨う風精使い

 ロアが男を蹴倒した音を聞きつけて顔を出した宿のおばちゃんは、その場の状況を一瞥すると、ため息をつきながら倒れている男に拳骨を落とした。どうやらそこそこの常習犯のようだ。

 手慣れた様子で男のシャツの後ろ襟を掴みながら、おばちゃんはウィットに「ごめんねえ」と困り顔を向ける。


「頭がおかしいだけで悪いやつじゃないんだけどさ。人間、寒いとろくなこと考えないからねえ……」

「それってこういうときに使うアレだっけ……」


 指示語が多すぎてどこに突っ込みたいのかいまいちはっきりしないウィットをさて置いて、おばちゃんは男を宿の奥へと引きずっていく。

 それをぽかんと見送っていると、数歩進んだところで思い出したように振り返った。


「……ひょっとして泊まりのお客さんかい?」

「ああ、そうなんだけど……」

「ちょっと待ってておくれ、『これ』を置いたらすぐ戻ってくるから」


 その辺にでも座ってて、と宿に入ってすぐそばにあるテーブルセットを指差してから、今度こそおばちゃんは奥へ男を引きずっていく。

 ふっくらした背中が消えるのをぽかんと見送っていると、こちらの襟元を掴んでいたロアの手が外されて我に返った。


「まったく……」

「あー、その、なんかごめんな?」

「なんとなくで謝るんじゃない」


 ごもっともである。


 まあ言い訳をさせてもらうなら、あの男は言ってることがアレなだけでウィットに指の一本も触れるそぶりがなかったので、まだ手を出す段階ではないと思っていたのだ。

 ギルドの警備員という立場上、条件反射で手を出さない癖がついているというのもある。無闇に手を上げるとギルドの評判に関わるのだ。


 これについてはラディにも同じことがいえた。

 とはいえ彼女は変人への耐性がないので、それ以前の問題だったりもするのだが。ウィットを盾にしなかっただけ頑張った方ではないだろうか。


「ロア、久しぶり!」


 当のウィットは、表情をぱあっと輝かせてロアに飛びついた。

 ブレイズが見たかぎり、さっきの男を怖がっている様子もなく平然としている。まあ男の言っていたことが言っていたことなのでドン引きのひとつふたつはしただろうが、そのくらい、ここ最近のファーネで慣れて……非常に不本意ではあるが、慣れているだろう。

 そこらへん、メンタルが妙に安定しているやつである。


「きみもこの宿に泊まってるの?」

「あ、ああ」

「じゃあ夕ご飯一緒に食べようよ。話したいこともあるしさ、ね?」

「別に構わないが……」


 ロアは飛びついてきたウィットの背を支えてやりつつ、畳み掛けられるように夕飯の約束をさせられていた。つい先ほどまでブレイズにキレてきたのとはえらい違いである。

 ……彼が探している妹が、生きていればウィットと同じくらいの年齢だと前に聞いたことがあるので、重ねている部分があるというのは知っているが。


 ひとまず矛先がそれたことにほっとして、ブレイズが小さく息をついたところで、宿のおばちゃんが戻ってきた。


「はいはいお待たせ。宿帳は受付にあるから、こっちに来とくれ」

「分かった、いま行く」

「ブレイズ、ギルドの経費になるから領収書つけてもらうのを忘れないで」

「ああ」


 おばちゃんと相棒にそれぞれ返事をすると、ブレイズは受付のある方へ歩いていった。

 座っていろと示された椅子とテーブルをちらりと見て、座る暇なんかなかったなと、どうでもいいことを思いながら。



 ◇



 割り当てられた二階の部屋に荷物を置いてブレイズが戻ってくると、先ほど座りそこねた椅子とテーブルに、ロアが一人でぽつんと座っていた。ラディとウィットはまだ来ていないようだ。

 王都やドリスの宿と構造はそう変わらず、この宿も一階部分は食堂兼酒場になっているらしい。そろそろ夕飯時だからか、いくつかある四人がけのテーブルはほとんど埋まっていた。


 先ほどブレイズたちが宿に入ったところにロアと、あのちょっとおかしい男が居合わせたのも、夕飯のため食堂に向かうところだったのだろう。

 そういえばあの男はどうなったのか、となんとはなしに思いながら、ロアのいるテーブルに近づくと、あちらから声をかけてきた。


「お前たち、今日着いたのか?」

「ああ。お前も着いたばっかか? リカルドから聞いた話じゃ、結構前に王都を出てるもんだと思ってたが。お前が乗ってりゃ船は最短だろ?」


 ロアは風の精霊使いだ。風の魔術に限れば、ラディよりうまく使える。

 ブレイズたちと同じような帆船に乗ってきたのであれば、ほとんど理想的な航路とペースで到着できただろう。

 そんな推測を念頭に置いて聞いてみれば、ロアは首を横に振って軽く肩をすくめた。


「着いたのは五日くらい前だ。一泊してすぐ出ようと思ってたんだが、精霊使いだってバレてな。昨日まで『癒し』をかけろってこき使われてた」

「断れなかったのか」

「帰りも世話になる街なんだ、無下にすると後が厄介だろ。……ま、路銀をまとめて稼ぐと思えば、そう悪いことでもなかったさ」


 話しているうちにラディとウィットがやってきたので、料理を注文して、再び雑談に戻る。

 ロアはリカルド経由で聞いていた予定通り、春先の少し前に王都を出発したそうだ。そこから東部にある同郷の住まいを尋ねて回りつつ街道の雪解けを待ち、王都からの商人たちより一足先にドリスから船に乗ったらしい。

 移動がやたら早いのは、彼が空を飛べるからだろう。魔力の消費と疲労はあるだろうが、飛んでいってしまえば路面の状態は無視できる。聞けば、ドリスに着くまでの間、雪に閉ざされた村への荷運びで随分と稼いだという。


 ブレイズたちも彼と別れてからのことを話そうと思ったが、ある程度はすでに知られていた。

 どうやらフォルセと思ったより仲良くなっていたようで、彼に出した手紙に書かれていた内容はだいたい教えられていたそうだ。

 ……ついでに、王都から帰ってすぐ起きた『大襲撃』にて三人まとめて大怪我を負ったことも知られていた。ファーネに来る前のリカルドがバラしたらしい。「無茶をするな」と呆れ混じりに叱られてしまった。


「……で、近況以外にちょっとお前に話しておきたいことがあってさ」


 あまり時間を置かずにサーブされた料理に手を付けながら、ブレイズは改めてロアに告げた。


 ラディは静かにこちらへ視線をやって、小さく頷いている。ひとまずはこちらに任せてくれるらしい。

 ウィットは……ちょうどスプーンを口に入れたところだった。あれではしばらく喋れないだろう。


「ドリスの街で(イグニ)族の兄ちゃんに会ったんだ。名前はミゲルっていって、たぶん、お前の同郷だって――」


 ブレイズはドリスの街で会ったミゲルが言っていたことについて、覚えている限りをロアに話して聞かせた。

 いくつか記憶が抜けていたところはラディとウィットが補完してくれるようだったので、彼女たちが喋っている間、料理に手を付ける。せっかく温かいのに、冷めてしまったらもったいない。


 ラディとウィットの補足説明が終わると、ロアは何か思い出そうとするように視線を浮かせ、「うーん」と悩ましげに首をひねった。


「……シルビオさんに紹介してもらった中に、不在だったり引っ越してたりで、何人か会えなかった人がいるんだ。その中に、ミゲルって人の名前があったかもしれない」

「確実じゃないのか」

「会えない人のことはさっさと忘れて、まだ会ってない他の人に会いに行くのを優先してたんだ。……名前くらい控えておけばよかったな」


 ラディの言葉に答えつつ、ロアは自分の前にある肉団子の煮込みをナイフで切り分ける。

 魔物肉だったらちょっとな……と思って、ブレイズたちが避けたメニューだ。

 ちなみに他のメニューは大部分が芋とサーモンの何かだった。なので、ブレイズたちが食べているのは芋とサーモンのグラタンに、芋とサーモンのスープである。芋だけで腹が膨れそうだ。


「まあ、俺のことを『ルフィノの息子』って言ったんなら、同じ村にいた人なんだろう。長いこと不在にして、いつ帰ってくるか分からないって人がいたから、たぶんその人だろうな」

「その人ね、ロアの伯父さん……だっけ? その人のこと、『東方大陸のどこかにいるだろう』って言ってたよ。あと、『海沿いじゃなくて、たぶん内陸』だってさ」

「……王国東部に隠れ住んでる可能性はないってことか? 根拠があるなら聞いてみたいが……運が良ければ会えるかな」


 そこで言葉を切って、ロアは切り分けた肉団子を口に入れた。

 大丈夫かなと内心ハラハラしながら見守っていると、視線に気づいたのか、ロアが胡乱げな目を向けてくる。

 ラディが苦笑しながら魔物肉を食べることに忌避感があるのだと言うと、彼は「なんだそれ」と呆れ顔になった。


「確かにこいつは魔物肉だって聞いたが、俺は別に腹を壊しも下しもしてないぞ。というか、大通り沿いのまともな宿が下手な料理(もの)を出すわけないだろ」

「頭じゃ分かってるんだけどなあ……」

「僕はちょっと食べてみたい」

「一口だけな」


 自分の皿をウィットのほうに押しやりつつ、ロアはじとっとした目でブレイズとラディの顔を交互に見る。

 ウィットに続いて食ってみろとでも言うつもりかと思っていると、彼は小さく息を吐いた。


「……明日この街を発つなら、次に泊まる宿で挑戦してみたらどうだ? もし腹に穴が開いたら、俺がすぐ治してやるから」

「へ?」


 言われている意味がすぐには分からず、ブレイズは相棒の顔を見た。ラディも目を丸くしている。

 怖いもの知らずに魔物肉の団子をもぐもぐしていたウィットがごくんと口の中のものを飲み込んで、ロアの顔を見た。


「ロアも一緒に来てくれるってこと?」

「お前たちが行く『ガユー』とかいう街も、内陸にあるんだろう? ……どこから回っても同じだろうし、お前たちと一緒なら路銀の節約もできそうだからな」


 ウィットに頷いてみせながら、ロアは遠回しな肯定を口にする。

 素直なのか素直でないのかよく分からない振る舞いだが、思えば、以前に王都まで共に旅をした時も似たようなものだった。最後の最後、別れ際にだけ、素直に礼を言われたような覚えがある。


 まあ、知らない仲ではないし、ロアが頼もしい男なのは間違いない。

 同行してもいいと言われて、断る理由はなかった。

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【完結】階段上の姫君
屋敷の二階から下りられない使用人が、御曹司の婚約者に期間限定で仕えることに。
淡雪のような初恋と、すべてが変わる四日間。現代恋愛っぽい何かです。
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