17. 出立
翌日、日が昇り始めたばかりの早朝に、ケヴィンたちはファーネ支部へ顔を出した。
これから王都に出発するのだという。
「色々とお世話になりました」
そう言ってぺこりと頭を下げたのはリアムだ。
彼は顔をの半分を、包帯でぐるぐる巻きにされていた。火傷を保護するガーゼの固定のほか、顔を隠す意図もある。
この処置のためだけに起きてきたセーヴァは、先ほど二度寝すると言って自室へ引っ込んでいった。
この場にいるギルド側の人間は、夜警明けのブレイズと、これから警備に入るラディだけである。
ウィットも見送りたがっていたが、昨日の疲れが出たのか、まだベッドの中だ。
ぐっすり眠っていたので起こすのが忍びなかったというか、まあ本音を言えば自力で起きられない奴が悪い。
「しかし、火傷は本当に治さなくて良かったのか?」
ラディが心配そうな顔で口を開いた。
リアムの負った火傷は、命に関わるものではないが、それなりに深い。間違いなく痕が残るだろうというのがセーヴァの診断だ。
「リカルドも治療代は相場より安くすると言っていたし、貴族が顔に傷を残すのは良くないのではと思うんだが」
「おっしゃる通りなんですが……」
リアムは苦笑した。
「まあ、自戒というやつです。それに当家はどちらかといえば武断の家ですからね、かえって勲章になるかもしれません」
本当にいいんだろうか、とケヴィンとマーカスのほうを見ると、ケヴィンは小さくため息をつき、マーカスは苦笑いで応じてきた。
良くはないが、許容範囲内。そんな感じだろうか。
「こちらこそ、何もお礼をしないで本当にいいんでしょうか」
リアムが困り顔で言う。
「宿のご主人に保存食を無料で譲ってもらえたので、多少は金銭に余裕があるのですが」
「金貰っても、使いみちがなあ……」
正直なところ、金に困ってはいないのだ。今はルシアンとリカルドのお陰で多少は自由な時間ができているが、ブレイズもラディも基本的に、警備か寝るかの毎日である。使う暇がない。
むしろこの場で金を受け取ってしまうと、彼らの路銀がこの先で足りなくなる心配をしてしまいそうだ。
「僕は借りにしておくぞ」
口を挟んできたのはケヴィンだ。
金色の瞳が、じっとこちらを見ている。
「……この先、本当に手に負えない問題が出たら言え。おそらく、大抵のことは何とかしてやれる」
「マジか」
「ああ。その時は、フォルセにでも伝言を寄越せ。……それから」
そう言ってケヴィンは小さく笑うと、初めて話したときのように腰のポーチへと手を伸ばした。
中から四つに折り畳んだ麻紙を引っ張り出し、差し出してくる。
「これも預けておく」
受け取り、開いて中を見ると、植物らしきスケッチが描かれていた。
異様に太く、節くれだった茎。それに対して、妙に細い葉茎。赤い花が、その先端に垂れ下がるように咲くらしい。
見たことのない形状だ。隣から覗き込んでいたラディを見るが、首を横に振られる。
「魔境に生えていると思われる植物、らしい」
ケヴィンが「僕もよく知らないが」と続けた。
「フォルセから、もし見つかれば標本を持ち帰ってくれと頼まれていたんだ。……滞在中、森に入れるようなら探してくるつもりだったんだが」
「分かった、見つけたら王都に送っとく」
「一応、商業ギルドの調達依頼として処理してある。送り先は王都のギルド本部にしてくれ」
受け取った麻紙をポケットにねじ込んで、ケヴィンと握手をする。これもまた、初対面のときと同じ。
「……僕たちが王都に戻ったら、ナイトレイ領は荒れる。僕とリアムが、荒らす」
「ああ」
「くたばるなよオーデット。僕らに手を貸したこと、間違いじゃなかったと言わせてやる」
なんとなくリアムのほうを見ると、「それは私の台詞じゃないのかなあ」と、困ったように笑っていた。
◆
まだ人通りの少ない中央通りを、北へ向かって歩いていく。
誘拐騒ぎで宿の主人に保存食を譲ってもらうのを忘れていたのだけれど、それを知って真っ青になった主人が、詫びだと数日分の保存食を無料で譲ってくれた。
そのおかげで、通りがかる市場で買うべきものはほとんどない。
フードと包帯で狭まった視界で、リアムは街の様子を目に焼き付ける。
王都に戻ったら、しばらく王宮に通い詰めることになるだろう。次にこの街を訪れるのは、いつになるだろうか。
(思っていたよりずっと、優しい人たちだった)
ブレイズたちだけではない。
ほとんど儲けの出ない宿をまだやっている父娘も、食堂で少しだけ言葉を交わした住民たちも、彼らの口から語られる領兵たちだって。
……ブレイズたちは知らないようだったけれど、王都では、『余所者に冷たいナイトレイ領』と言われている。
それは財政難にもかかわらず領内の税を低いままに保ち、その分を商人に負わせる領主の姿勢を嗤うものであり、高い関税のせいで生活必需品が値上がりするのを、商人たちが強欲なせいだと思い込んでいる領民たちの無知を蔑むものだ。
だから、ファーネの街がそうでないことに内心で驚いていた。
外部の援助なしでは立ち行かない土地だということも、理由のひとつではあるのだろう。
けれどそれ以上に、住民たちがそうあれと願っていたように、今は思う。かつて賑わっていた頃を、忘れないように。
やがて北門が見えてくる。
こちらに気づき、軽く手を挙げて会釈しているのは、若い男の領兵だ。
「早いな、これから王都かい?」
「ああ、防壁の件では世話になった。そちらの班長どのによろしく伝えてくれ」
「で、そっちが顔に火傷したって奴ね。ラディちゃんから聞いてるけど、一応ここでフードだけ取ってくれるか?」
「……はい」
返事をして、リアムはフードを後ろへぱさりと落とした。包帯で顔を半分以上覆っているので、おそらく大丈夫だろう。
間近でその領兵と顔を合わせて――ひやりとする。
相手も目を見開いた。息を呑む気配。
「――ッ」
「……えっ、と」
眉をひそめたケヴィンとマーカスが何か言おうとする前に、領兵の男が口を開いた。
「顔に火傷した、って……大丈夫、なのか?」
痛々しいものを見るように顔を歪めて、そっと顔を覗き込んでくる。
ひどく懐かしい仕種に、泣きたい気持ちになった。
「……はい。ガーゼを、固定しているだけ、なので。大したことは、ないんです」
領兵になった彼は、「そっか」と泣きそうな顔で笑った。
◇
「……知り合いか?」
北門を通り抜け、ファーネから十分に離れた頃になって、ケヴィンが短く問うてきた。
「同郷です。小さい頃はよく遊んでもらいました」
近所のお兄ちゃんってやつですね、と頷く。
貴族だからとお高くとまることはない、という父の意向で、小さい頃のリアムは、平民の子供たちに混じって遊んでいた。
ジーン・ゴーラムは、そんな子供たちの一人だ。
リアムが学院に入る前の年に成人し、ナイトレイの領兵になって以来、一度も会う機会がなかった。
「故郷にずっと帰ってこないから、どうしているのかと心配していたんです」
「……帰ってこない、ね」
意味ありげに呟いたのはマーカスだ。言わんとしていることは分かる。
リアムの味方をされてはかなわないと、遠ざけられたのだろう。
「帰してもらえなかった、のでしょうね。……僕のせいで」
「否定はしないが、あまり思い詰めるな。ここでふさぎ込んでも何にもならん」
沈みかけた心は、ケヴィンにすぐさま引っ張り上げられた。
厳しくも優しく正しい、頼りになる先輩である。おかげで挫ける暇もない。
「……ここから厳しくなるぞ。覚悟はいいか」
「はい」
低い声で投げかけられた問いに、しっかりと頷いた。
下調べはここまで。ここから先は、本格的に貴族の争い――政争を、始めることになる。
「家督を奪ります。代替わりを待っていては、間に合わない」
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
この話で全体プロローグと前半(ファーネの墓守編)のプロローグが終わった扱いになります。
次回は補足を兼ねた幕間を投稿予定です。




