XX. 東方について(前)
翌日の昼過ぎ。
王都の目抜き通りに並ぶ屋台で食べ物を物色するウィットの背中を、ブレイズはラディと一緒に道の端から見守っていた。
午前中は、三人そろって宿でゆっくり休んでいた。ラディが一番ぐったりしていたとはいえ、ブレイズもウィットも疲れていることには変わりなかった。
貴族令嬢のリズ様から借りた竜車という乗り物は、それだけ体力を使うものだったのだ。その分、移動日数は短縮されるので、王都に到着した時の消耗具合は乗合馬車と大差ないのだが。まあ、移動にかかる日数が短くて済む点で、総合的に見ればプラスではある。
……あくまで実用面に限って考えてのプラスであって、お貴族様の乗り物に求められがちな快適さや優雅さは見られないのだが。やっぱり、お嬢様が隣国のえらい人を連れてくる時の手段じゃなかったよな、とつくづく思う。
まあ、あの御一行については思い出すと頭痛しかしないので、頭から追い出すことにして。
疲れていた三人のうち、ブレイズとラディは、まだ朝と呼べる時間に起きた。長年の警備員生活で、とりあえず朝に一度起きるという習慣が体に染み付いていたせいだろう。
ウィットは案の定、なかなか起きて来なかった。特に予定はないので起こさずにいたら昼過ぎまで爆睡しやがったので、適当な時間に叩き起こすべきだったかもしれない。
で、ウィットが起きてきた頃には、宿の食堂のランチタイムが終わっていた。なので屋台で軽く何か食べさせることにして、現在に至る……という次第である。
「おまたせー!」
そのウィットが買い物を終えて、ブレイズたちのところに戻ってきた。
抱えているのは魚の串焼きに揚げ芋、焼き菓子と、エールの入った木のコップ。
そんなに食って夕飯が入るのか、という心配は、量を減らしてもらえばいいのでさておくとして。
「おい、それ酒だぞ。大丈夫か?」
「これは薄いから平気だよ。それに、出発までにもうちょっと慣れておきたいしね」
そう言われてしまえば、そうか、と頷くほかない。
ラディもやや心配そうだったが、何も言わなかった。
これまでウィットが酒に手をつけることはなかったのだが、東方大陸へ行くにあたって事情が変わった。
あちら出身のセーヴァいわく、あちらは気温が低いため、寒い時期は水が凍ってしまって飲めないことがある。そのため、凍りにくい酒類を水の代わりに飲むことが珍しくないのだそうだ。
そういう習慣があるということは、あちらの宿や料理屋でも、水や茶の代わりに酒が供される可能性が高いということである。ある程度酒が飲めないと、飲み食いで苦労するらしい。
ラディがいれば氷は溶かせるし、あまりに濃い酒を出されたらそうするつもりではあるものの、現地の習慣やもてなしを無視し続けるというのは心証がよろしくない。
そんなわけで、ウィットはセーヴァに監督されながら、酒に慣れる訓練を積んでいたのだ。
支部長のようにどうしても酒を受け付けない体質だったらウィットの東方大陸行きは断念せざるを得ず、そうなるとブレイズとラディも行く理由がなくなってしまうところだったので、多少は飲めるようで何よりだった。
なお、ブレイズとラディはどちらも人並みには飲めるタイプである。特段酒が好きなわけでもなく、警備の仕事に響いたらまずいため、付き合いでもなければ飲まないだけだ。
「俺も軽く何か食うかな」
ウィットの抱える食べ物の匂いのせいか、ブレイズも小腹が減ってきた。
揚げ芋でも買おうかと周囲の屋台を見回して、ちょうど通りすがった女性が立派な胸をしているのに、つい目が行って。
「……あら?」
その女性が、こちらを見て足を止めた。
天鵞絨の、肩のあたりまであるウェーブヘアに、眼鏡の女。
「あ」
思い出して、ブレイズは小さく声を上げた。
ブレイズの幼馴染であるフォルセの同僚、植物大好きなリストニエだ。会ったのは一度きりだが、その植物狂いっぷりとご立派な胸部が印象深かったので、すぐに思い出せた。
向こうもウィットの黒髪あたりが印象に残っていたのだろう、ぱっと顔を明るくしてこちらへ歩いてきた。
「お久しぶりです。お仕事ですか?」
「ああ。ちょっと東方大陸までな」
「東方? ……ああ、そういえば調査隊が出ていましたっけ。その関係で?」
「そんなところだ」
気のない様子のリストニエに、ウィットがこてんと首を傾げる。
「お姉さんはあんま興味ない?」
「ミリアで構いませんよ。……そうですね、私はあまり。東方の植生、王国東部と大して変わらないので。だいたい調べ尽くしてしまったといいますか」
聞けば彼女は、王国東部に商圏を持つ、とある商家の娘なのだそうだ。東部ではそれなりに名の知れた商家らしい。
「ああ、言われてみれば東部らしい髪の色だものな」
「そうなの?」
「うん」
ラディの言葉にウィットが反応したので、彼女に向けてラディが続ける。
「こういう深い色の髪は、王国の東部や東方大陸の人に多いんだ。というか、東方人の血統だね。セーヴァなんかもそうだけど」
なお、そういう意味だとブレイズの髪色は焦げ茶寄り、ラディもやや深い紫色で、東方人の特徴に近い。
しかし二人が見つかったのは王国西部のファーネ近くだし、王国は混血も多いので、素性の手がかりにはなりそうもなかった。
それはともかく、ウィットはラディの説明を聞いて、ちょっと不思議そうな顔をして。
「……東部の人と東方大陸の人って、ひょっとして人種が同じ?」
「そこからか」
そういえばこの子供は、拾った当初は共通語すら話せなかったのだった。
当然ながら世情を知っているはずもなく、王国の成り立ちについても、ブレイズとラディで話して聞かせるまで知らなかったと言っていた。ファーネの街が西部にあったので、東部の話なんかする機会はなかったし、知らなくても不思議はないのかもしれない。
「うーん……これから王国東部を通って東方大陸に渡るわけだし、ある程度は東部について知っておいたほうがいいかもしれないな。とはいえ私も西部育ちで詳しくないから、どこまで教えられるか分からないけれど」
「あら、でしたら私がお教えしましょうか?」
ラディが悩ましげに眉を寄せてぼやくと、横で話を聞いていたリストニエが提案してきた。
「ちょうどいま、研究材料の到着待ちで暇なんです。魔境の森の植物なので、皆さんをお見かけしたとき、ひょっとして到着したのかと期待したのですけれど……そういうわけでもなさそうですし」
ちょっと残念そうに言う彼女は、暇つぶしに王都の花屋や園芸店を覗いて回っているところだったらしい。もはや植物好きを通り越して中毒のレベルである。
「いかがでしょう? 前回いらしたときと同じ研究棟でよければ、これからでもお招きできますし。ついでに、ルヴァードに顔を見せてあげては?」
「……だそうだけど、どうする?」
ラディが視線をこちらに向けてくる。
立場上、この三人のまとめ役はブレイズだ。他の二人に意見を求めはするものの、最終的な判断をするのは自分である。
そういう事情からラディはこちらを立ててくれたわけだが、今回に限れば、別に反対する理由はなかった。
「そういうことなら、よろしく頼む。せっかく王都に来たんだし、一回くらいフォルセにも会っておきたかったしな」
どうせ、ウィットに飯を食わせたら、また暇になるところだったのだ。
そういう意味でも、リストニエの申し出はちょうどよかった。
さっさと東に出発させたいところですが、もう1~2話ほど準備回が続きます。
第二部はちょっと構成がよろしくないなーと筆者も自覚がありますが、こちらの改稿はひとまず完結まで走りきってから考えさせてください。
(第一部の1章まわりの改稿も最近とんと手を付けられておらず…)




