16. 疑問は尽きず
「あ、ウィット兄ちゃんだ」
「にーちゃんどこ行くのー?」
「兄ちゃんはねー、これからブラジャー買いに行くんだよ」
「え、兄ちゃんブラするの?」
「にーちゃんなのに?」
「するする。ほら木こりのアドルフさん、あのムッキムキのおじさんだっておっぱいあるじゃん? 本当はブラしなきゃダメなんだよ」
「やめなさい」
そこでようやく、ラディは口を挟むことができた。
兄ちゃんでも姉ちゃんでも返事をするのをやめろ、往来のど真ん中でブラジャーとか言うんじゃない、アドルフさんを巻き込むな、涼しい顔して嘘をつくな――言おうとしたときには次の突っ込みどころに話が移ってしまい追いつけず、なんとか出てきた言葉だった。
近くでこめかみを押さえていた子供たちの母親に、小さく頭を下げる。
「すみません」
「いや、いつも遊んでもらって助かってるからねえ……。ついでと言ったらあれだけど、ちょいとお湯を頼んでいいかい?」
了承すると家の裏に案内されて、勝手口の前に置かれた洗濯だらいに湯を満たすように言われる。
午後から洗濯しても乾かないだろうし、湯浴みか何かに使うのだろう。
「熱さはどのくらいに?」
「めいっぱい熱くしとくれ。旦那が帰ってくる頃にはちょうど良くなってるだろうよ」
頷いて、たらいを見下ろし魔術を編む。
水の魔術で水を生成、同時に火の魔術で沸騰直前まで加熱。熱湯が跳ねると危ないので、発動点はたらいの底すれすれに。
ものの数秒で湯気の立つ熱湯がたらいに満ちて、ふわあ、と子供たちが声を上げた。
「危ないから触るんじゃないよ!」
駆け寄ろうとする子供たちを母親が制して、上から綿布を被せてしまう。ごみ避けだろう。
駄賃を渡そうとしてきたが、それは先ほどの迷惑料も兼ねて断り、ラディはウィットを連れて道へ戻った。
「すごいね、いきなりお湯出すのって難しいって聞いたけど」
「それなりに器用ならできる人は多いよ。私の場合は職業上の慣れもあるが」
ウィットの言葉にそう返して、ラディは手の中に氷の錐を作り出す。
「建物や森の中で、火の魔術は危ない。お湯だと跳ねるし、氷をぶつけるのが一番安全なんだ」
「ああ、そういうことか……うわ冷た」
水と風の魔術を合わせて水流をぶつけるという戦法もあるのだが、これも場所を選ぶ上、ラディは風より火の魔術のほうが得意なので、普段は使わないでいる。
作った氷をウィットに手渡してやると、彼女は冷たい冷たいと言いながら無邪気に笑った。
「おーい、そこ。抜き身で刃物、ってなんだ氷か……いや刃物っぽいもんを持って歩くんじゃない」
横手から声をかけられてそちらを向くと、見知った顔があった。
別に悪い印象のある相手ではないのだが、その鎧にあるナイトレイ家の紋章を見て、少し身構えてしまう。
「ジーン……」
「よ、ラディちゃん今日は休み? ウィットはそれ捨てなさい」
「はーい」
ウィットが氷を地面に落としたので、火の魔術で蒸発させておく。
あまり人通りがなかったので危険はないと思って持たせていたのだが、まあジーンは立場上、見咎めざるを得ないだろう。
「ジーンは見回り?」
「いや、市場の裏通りで喧嘩だって通報があって、現場見に来ただけ」
「……そうか」
間違いなくリアムの件だろうな、と思った。
魔力的に感知できなくても、ラディの放った突風で物音はしただろうし、あの禿頭の男の絶叫が聞こえていても不思議じゃない。
……そういえば、あの男はどうなっただろう。身体が半分炎に突っ込んでいたのだ、水で冷やす程度ではどうにもならないだろうが……。
「さっき現場見たら、折れた剣とかなんか燃やした跡とか、まあ確かに何かあったな、って感じだったけど……二人とも何か聞いてないか?」
「うーん……」
ウィットが首を傾げながら、ちらりとこちらに視線を投げてきた。こういうとき、下手に口を開かないのは助かる。
わずかに頷きを返して、ラディは慎重に口を開いた。
どうせ宿に物取りが入った件は隠し通せないのだ、そこと絡めて誤魔化すしかない。
「……昨日ギルドに来た賞金稼ぎの一行が、宿に泊まってたのは知ってるか?」
「あー、北門の担当が言ってたなあ。やけにキラッキラした兄ちゃんが入ってったって」
「やっぱ目立つよね、あの人……」
同感だが、そこはどうでもよろしい。
「今日の昼、宿の食堂が忙しい時に物取りに入られたらしい。一人、疲れて部屋で休んでいたのが拐われて、ギルドの手が空いてる面子でなんとか助け出したんだ。剣を折ったのはブレイズだし、燃やした跡は私がやったやつだ」
「……それで?」
真面目な顔になって、ジーンが続きを促す。
「拐われた一人は救出、犯人は逃走。うちのルシアンが追っかけていったが……まだ戻っていないなら、逃してしまったのかもしれないな」
返り討ちに遭った、というのは考えにくい。件の二人組はどちらも魔術に長けているようには見えなかったし、片方はろくに動けないのだ。
案外、今頃はギルドに戻ってきているかもしれない。
何か考え込んでいる様子のジーンに、ウィットが困ったような顔で話しかける。
「ごめんねえ。拐われた子がちょっと怪我しちゃって、そっちの手当にみんな意識行っちゃってたから、そっちに話すの忘れてたよ」
「いや、そっちはまあ、言われても人を回せなかったと思うから今回はいい。次から気をつけてくれよ」
「……何かあったのか?」
ギルド支部と違って、北門と南門の二か所で当番が組める程度に人手のある領兵たちが、人を回せなかった?
眉をひそめてラディが問うと、ジーンは声を落として言った。
「昼過ぎな、南門に魔物が群れで押し寄せてきたんだ。非番の連中もかき集めて応戦してて、ちょっと前に撃退したとこ。今は片付けしてる」
「……またか」
「大丈夫だったの?」
「そんなに規模でかくなかったし、出たのも竜種だったからな。ファーネに来たばっかの連中には、いい経験だったろうよ」
「トカゲの肉って、鳥に似てるって聞いたことあるけど」
「いや今回のは破棄だよ破棄。たぶん魔物化してるか、なりかけだったから。肉以外はまたギルドに持ち込むつもりで……ラディちゃん?」
「……あ、いや。なんでもない」
まだジーンが目の前にいるのを忘れて、考え込んでしまっていた。
軽く頭を振って、素材の持ち込みの話はギルドに通しておくと受け合う。ジーンの話からして、ギルドに素材が来るのは早くても夕方頃だろう。その頃にはラディたちも帰っているはずだ。
「それで話戻すけど、拐われてたやつの怪我って?」
「顔に火傷を。猿轡を自分で燃やして……」
「ならファーネを出る時、まだ治ってないかもしれないな。北門の警備に引き継いどくわ」
「そうしてもらえると助かる」
こくこくと頷くジーンを、ウィットが不思議そうに見上げている。
視線に気づいてか、ジーンが「どうした?」と問いかけると、ウィットはおずおずと口を開いた。
「いや、なんというか……『勝手に動くな!』って怒られると思ってたから」
「怒るぞ? お前とかそのへんの兄ちゃん姉ちゃんがやったら」
「街によっては、商業ギルドで自警団を組むこともあるからな。ブレイズと私は警備員だし、このくらいは許容範囲だろう」
「領兵の手が足りなかったのもあるしなあ。新しく来た連中も、早いとこ獣を相手にできるようにしないと……まあ育った頃には中央に取られちまうんだけど」
「ダメじゃん」
「でもやらないわけにもいかないだろ。……まあとにかく、事情は分かった。ありがとうな」
軽く手を挙げ、ジーンが歩き去っていく。
その背が見えなくなった頃、ウィットがそっと口を開いた。
「ラディ、さっきどうしたの? 何か考えてたけど」
「……竜種は、基本的に群れを作らない、らしい」
昔、フォルセから教えてもらったことだ。
彼は虫の捕食者として、鳥類や竜種についてもそれなりに調べている。当人に自覚はないだろうが、博物学者としてもやっていけそうだ。
「それに、魔境の竜種が棲んでいるのは奥の方だ。浅いところでは滅多に出ない」
「……集団なのが、おかしい?」
ウィットの言葉に、小さく頷く。
一匹二匹なら、ラディだって「珍しいな」としか思わなかっただろう。
思い出すのは、以前ブレイズが言っていた、“得体の知れない何かの気配”。
半月ほど前に起こった魔猪の襲撃は、その気配に猪の群れが怯えて逃げてきたものだろうと、彼は言っていたが……。
(まだ、いるということか……?)
なんとなく、ラディは南の――魔境の方角を見やる。
灰色の防壁の上で、空はからりと晴れていた。
【私だけが楽しい世界設定メモ】
・竜種≒鱗のある陸上生物、くらいのふんわりとした認識
・本作、マジモンのドラゴンは人間社会で確認されていませんので、竜はトカゲのことを指します
・ちなみに先出ししておくと、エルフやドワーフなども「人間社会で確認されていない」ため、存在を想定されてすらいません
(魔境の中心地帯とかにいるかもしれませんが、まあそこまで人の調査域が広がらないとわかりません)
※本作で出てくる予定もないです




