XX. 勝利の報酬
すみません、少し遅れました。
(活動報告でこっそりお知らせしましたが、ちょっと土日で体調を崩してました…)
「ふわぁ……」
ドタバタとした決闘騒動から一夜明けて、翌日。
昨日と違って静かで穏やかな空気が流れるギルドのロビーで、警備に立つブレイズは小さくあくびをもらした。
シフト上、本来ならブレイズは昨日の夜警を担当するはずだったのだが、「疲れているだろうから」とラディが代わってくれた。
ちょっと一対一で戦った程度で大げさな……と思ったのだが、こうして眠気が残るあたり、彼女の見立てのほうが正しかったのだろう。
というか、支部長を始め、他のギルド員たちもラディに同意していたので、はたから見たら明らかに疲れていたのかもしれない。
……いや、仮に疲れていたとしても、その原因は決闘じゃなくて、その後のカノットのアレのような気がするが――。
ちょっと遠い目になったところで、ブレイズは崩しかけていた姿勢を正した。
正面出入口の扉の向こう、表通りのほうから、何やら騒がしい気配が近づいてくる。
昨日の騒ぎでよくよく見知った気配だ。……どうやら、穏やかな時間はここまでらしい。
出入り口の扉が開かれる。
かろん、とドアベルが音を立てる。
「――しかしお嬢様、いくら盗品の原価がゼロだからといって、買い値をゼロまで値切るのは実質強盗では?」
「正々堂々の値切りバトルで押し切ったのだから立派な商売の結果よ。あの闇商人が交渉力を磨けばいいだけの話でしょう」
「どちらかというと司法取引を見てるような感じでしたけどね。……あ、お仕事ご苦労さまです元ダーリン」
「付き合ったことねえのに元も何もねえだろ」
カノットはともかくとして、主従のほうは相変わらず貴族とは思えない話をしていやがる。
……いやちょっと待った。この主従、さっき何を言っていた?
「……闇商人つったか?」
「あらオーデットさん、ごきげんよう。こちらの闇市場はあまり充実していないようですわね? 雑魚ばかりでしたわ」
「いや、闇市って路地裏でやってる無許可の露店のことだよな? 行ったのか? 貴族のお嬢様が? 他国の大事な客連れて??」
「表の市場は早々に回りきってしまったので。……やはりイェイツからファーネまでの道を、本格的に整備しないと厳しいかしら。帰りにエイムズに寄りますから、リアムに文句言っときますわね」
「やめてやれよ忙しいらしいから……」
言いつつブレイズが受付カウンターのほうを見ると、職員スペースの奥で支部長が頭を抱えていた。
路地裏の闇商人たちは、基本的にギルドとは没交渉だが、不干渉のラインを取り決めるための交流はある。よその貴族が押しかけてきて売り物を買い叩いていった場合の取り決めなどないだろうから、後ほど向こうの顔役と話し合いだろう。苦労の多いことだ……いや、他人事ではないのだが。
「まあ、それはそれとして。今日はあなたに用があって参りましたの」
「俺?」
ブレイズは目を丸くした。このお嬢様にピンポイントでご指名されるようなことを、自分は何かやっただろうか。
「覚えていらっしゃらない? 昨日の決闘はハルシャ式だったので、代理人にも勝利の報酬を求める権利がある――と、申し上げたはずですわ」
「……ああ、それか」
しまった、何も考えていない。
……いやその前に、自分はいま警備中だ。ここで話し込むわけにはいかない。
ちょうど職員スペースでウィットが事務作業の手伝いをしていたので、声をかけてラディかリカルドを呼んできてもらうことにした。
◇
「ぶっちゃけ、何も思いつかねえ」
「でしょうね」
正直に白状したブレイズに、リズ様は特に不満な顔もせず頷いた。
「昨日の今日ではね」
「つーか、何か要求するにしても、相手はカノットさんだろ? 他国の近衛兵やってる人に何を望めと……」
「私が姉さんと同じ顔でなければ、この身体を差し出せば済む話だったのですが……」
「そのネタはもういい」
「くっ、姉さんがギルドのオカンと化してさえいなければ……」
「聞こえてるわよ」
受付カウンターからカチェルのひっくい声がした。が、カノットはさらりと黙殺する。
カチェルが仕事中で下手に席を立てないのが分かっているからできることだ。さすが近衛兵、判断が的確である。
他人に聞かれても問題のない話だったので、話す場所は別室ではなく、商談用の応接スペースだ。
ブレイズの代わりに警備に立つのは起きたばかりのラディだが、彼女は今度こそカノットまわりの諸々に関わるまいと心に決めたらしく、彼女なりに限界まで存在感を消していた。横目でちらりと見れば、完全に『無』の表情をしている。一人だけ変人から逃げるなこのやろう。
代わりに、というわけでもないが、近くで面白そうに話を聞いているのはウィットである。どうやら暇らしい。
「そうねえ……。後々の貸し借りにするには、ちょっと交流が難しいことだし……」
ほっそりした指で自分の顎先を撫でながら、リズ様は少し考え込むそぶりを見せる。
ややあって、何か思いついたのか、ぱちりと目を瞬かせてブレイズを見た。
「では、ミューア家で立て替えることにいたしましょう」
「立て替え……? カノットさんへの要求を、ってことか?」
話がよく分からず首を傾げると、リズ様は「ええ」と頷いて、再び口を開く。
「オーデットさんの要求には、我がミューア家がお応えしますわ。単純に金銭でも、何か便宜をはかるのでも。カノット様個人よりは、まだできることが多いはずです」
「えっ」
その言葉に反応したのはカノットだった。
「あの、それだと私がミューア家に借りを作るってことになりませんか?」
「そうなりますけれど、無茶は言いませんからご心配なく。そうですわね……来年の治癒魔術士の派遣枠について、事前に相談できそうな方でも紹介していただければ」
「うーん、まあそのくらいなら、なんとか……」
難しい顔をしつつ、カノットはそれ以上何か言い募ることはなかった。なんとか妥協できるラインらしい。
そんなカノットを差し置いて、リズ様は再びブレイズに視線を戻す。口元が得意げに笑んでいた。
「いかが? 当家であれば、同じ王国内ですもの。要求が決まったら、後日、お手紙で知らせてくだされば済みますわ」
「よその貴族様に頼むこともあんま思いつかねえんだけど……」
「欲のないことねえ」
リズ様が苦笑するが、そんなことはない。
望みはあるのだ。叶えるのが難しいと、分かっているだけで。
現状維持。ずっとこのまま。
それは無理だと分かっているから、それではいけないと思っているから、最近はあれこれと悩んでいる。
「まあ最悪それなりの金銭でも構いませんから、何か考えておいてくださいな。何もなし、というのも当家と隣国の面子に関わりますので」
そう言うと、リズ様はすぐ後ろで控えているロイドに、何やら手で合図を出した。ロイドはどこから取り出したのか、真っ白な封筒をさっと彼女の手に乗せる。
リズ様は封筒を受け取ると、それをそのままブレイズに差し出してきた。特に拒む理由もないので、素直に受け取る。
あまりに白いのでなんとなく察していたが、貴族らしい高級紙で作られた封筒だった。
表の宛先のところに、目の前のお嬢様の名がすでに記されている。決まったらこの封筒で手紙を送れ、ということらしい。
屋内ではよく見えないが、日の光にでも透かしてみれば、きっとどこかにミューア家の紋章の透かしでも入っているのだろう。
ブレイズがおおむね理解したのを察したのか、リズ様がにこりと笑みを浮かべる。
「――あなたがわたくしたちに何を求めるのか、楽しみにしておりますわ」
夏空のような明るい青の瞳が、面白そうにきらりと光っていた。




