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魔境の森と異邦人  作者: ツキヒ
5:訪問者、いろいろ
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XX. 結婚できない女

「あっはっはっはっは!」


 ギルドのロビーに、男の笑い声が響く。

 声の出どころは、騒動の顛末を聞かされたセーヴァだ。笑いながら受付カウンターをバンバン叩いている。手が痛くならないのだろうか。

 出入り口の横に立つリカルドも、ブレイズから顔を背けて口元を押さえている。肩が震えているのは笑いをこらえているからだ。……さっき「ぶふっ」と噴き出したのが聞こえたが。


 ギルドに来ていた商人たちは、ブレイズが傷の手当てを受けて鍛錬場の片付けをしている間に、各々の手続きを済ませてさっさと出ていったらしい。

 どいつもこいつも「次に来た時に顛末を聞かせてくれ」とブレイズに伝言を残していったそうだ。おそらく社交辞令ではない。普通に面白がられている。

 そんな商人たちを(さば)き終えた後、「今日はもう来客はないだろう」と、少し早いがギルドを閉めてしまったのだという。


 しばらくして、ほぼカウンターに突っ伏す体勢になっていたセーヴァが体を起こした。


「あー笑った笑った」

「笑いすぎだろ」


 一応文句を言ってみるが、手をひらりとさせて流された。


 いつも不機嫌そうな顔をしているので初対面にはとっつきにくいと思われがちなセーヴァだが、実際のところは年齢のわりに大人げない性格をしている。

 患者やギルドの客に暴言混じりの軽口くらいは普通に叩くし、人のことを笑う場合は、いまのように遠慮なく盛大にゲラゲラ笑う。なんなら指さして笑う。場末の酒場でたむろするごろつきと大差ない。

 彼より年下のリカルドのほうが、『笑ったら悪い』という思考が働くだけ人間ができていると思えるくらいだ。


 ……今回に限っては、当事者たるブレイズとしても『いっそ笑い飛ばしてくれ』という気分だったので、ある意味で助かったところもあるが。


「まあ、丸く収まったようで良かったよ」


 一緒に事の顛末を聞いていた支部長が、困ったような微笑で言ってくる。

 短い時間で色々あったが……おおむね、彼の言葉が全てだろう。大きな揉めごとや、遺恨の残る結果にならずに済んだのは良かった。


 少し離れたところでカノットが「いやあ、お騒がせしました」と頭をかいている。そっちはマジでちょっと反省してほしい。衆人環視の中で求婚するどころか艶事語りだす奴がいるか。


 と、そこで、一番やかましそうなミューアの主従が妙に静かなのに気がついた。

 応接スペースのテーブルセットに座って優雅に足を交差させているリズ様が、テーブルに頬杖をつきつつ何やら考え込んでいる。

 ブレイズの視線で気づいたのか、対カノットでは見事に役に立たなかったラディが、主人の近くに立つロイドに話しかけた。


「リズ様はどうしたんだ? 難しい顔をしているけど」

「トイレを我慢していらっしゃるのです」

「違うわよ」


 即座に従者の腹に肘鉄を叩き込むリズ様。手慣れていらっしゃる。

 ロイドも脇腹あたりにお嬢様の肘をめり込ませつつ、涼しい顔を崩さない。こっちも慣れていやがる。


 真顔で大嘘をついたロイドから視線を外しつつ、ラディが『どうしてこっちに話しかけちゃったんだろう』とでも思っていそうな顔をした。

 貴族の主従が揃っているなら、基本的には従者のほうとやりとりをするのが作法として正しいので、別にラディの手落ちではない……はずなのだが、妙にしくじったような気持ちになるのは分からないでもなかった。


 これ以上ロイドに口を開かせないためか、リズ様が頬杖をやめて口を開いた。


「カチェルさんに追加の提案なのですけれど」

「えっ?」


 唐突に名前を呼ばれたカチェルが、ちょっと驚いた様子で目を丸くする。

 それに構わず、リズ様は言葉を続けた。


「差し支えなければ、結婚にも制限をかけるのはいかが?」


 リズ様の言い分はこうだ。


 王国内の貴族の中には、治癒魔術士を配下にしようとする際に、手段を選ばない連中がそれなりに多い。

 今回、カチェルは公式に第三王子であるケヴィンの配下に加わることになったが、それならば非公式に彼女の力を利用できないか、と考える者も出るだろう。

 公式、というのを『仕事』と言い換えるのであれば、非公式は『私用(プライベート)』となる。要はカチェルと個人的な縁を持ち、彼女個人の意思と事情で治癒の力を使わせようとしてくる、ということだ。


 貴族の視点からすれば、他人と縁を繋ぐ方法なんて結婚一択である。血縁を他のどんな縁よりも重視している、と言い換えてもいい。

 貴族同士で友人関係になった場合だって、その先に子世代や孫世代で婚姻関係を結び、その縁を『確実なものにする』方法を取るのだ。平民にめぼしい者がいた場合も同様で、多少強引にでも一族の誰かと結婚させて身内にしてしまうのが普通である。


 つまるところ、カチェルを無理やり妻にして、いわゆる『身内枠』を主張しようとする――どころか、「夫婦なのだから」と彼女の身柄を押さえようとする。

 そういう輩が出てくる可能性に思い至ったのだと、リズ様は言った。


「実際、『やりそうな家』にはいくつか心当たりがありますの。カチェルさんのお歳ですと、ちょうど第二王子殿下に合わせて生まれた方々が釣り合いますし」


 第二王子、つまりケヴィンのすぐ上の兄だが、今年で二十七になるそうだ。

 あわよくば妻や側近に、と後追いで作られた世代の中には、まだ独身の子息も珍しくない。女はともかく、男ならまだ十分に結婚適齢期だ。


「というわけで、よければ『主である第三王子、もしくは第三王子の委任を受けたミューア家の許可なく婚姻することを禁ずる』といった制限をかけてはどうかと。これなら仮にカチェルさんが脅迫や詐欺などの手段で結婚させられそうになっても、殿下やわたくしが……たとえばこちらのギルドの皆さんに話を聞いたりして、それがカチェルさん本人の意思なのかどうかを見極めることができますわ。この条件を公表しておけば、ほとんどの貴族家は慎重になるでしょう」

「全部じゃないんだ?」

「だって、真正面から口説き落とそうとするご令息は出るかもしれないもの」


 ウィットの茶々に楽しげに返して、リズ様は改めてカチェルに視線を向ける。


「どうかしら? もちろん、この先カチェルさんが本心から結婚したいと思う方ができたなら、お祝いと共に許可を出しますけれど」

「ぜひお願いします」


 即答だった。

 まあ、カチェルが国を飛び出した経緯を知っていれば、そう言うだろうなと思う。目当てが子供か本人かの違いだけで、彼女が故国ハルシャでやられたことと大差ないのだ。


「では、そのようにしましょう。ロイド」

「こちらに」


 リズ様の呼びかけに応えて、ロイドが持参していた鞄から紙とペンとインクを取り出し、テーブルに並べる。この場で追加の書類を作るようだ。

 こういう時はきちんと従者の仕事をするのだな、と少し意外に思う。ふざける時とふざけない時の判断基準が分からない。……別に知りたいわけでもないが。


「やっぱり王国って、治癒魔術の需要高いんですねえ」


 それまで大人しく話を聞いていたカノットが、ため息まじりに言った。


「まあ、私個人としては姉さんが『行き遅れ』仲間になってくれそうで喜ばしいですけど」

「喜ぶんじゃないわよ」

「いや喜びますよ……。実家に帰るたび、やれ『孫の顔が見たい』だの『職場にいい人はいないのか』だの言われるんですから」

「あんた、決闘前に『近いうちに一度帰ってこい』って言ってたのって……」

「一回くらい代わってくださいよー」


 気の抜けた会話をするカチェルとカノット。決闘前の剣幕はなんだったのか。

 すっかり仲良し姉妹に戻ったらしい二人を眺めていると、受付で書類を片付けていたセーヴァが「あ」と小さく声を上げた。


「リカルド。今夜、仔鹿亭に行く用事あったりするか」

「飲みに行くのはやぶさかではないけど、どうかしたかい?」

「ほら、酔っ払い連中で『カチェルが誰と結婚するか』の予想で賭けてたろ。アレ中止させないと」

「ちょっと何よそれ?!」


 聞こえていたらしいカチェルの顔が、ぐりんとセーヴァのほうを向いた。

 セーヴァは悪びれた様子もなく答える。


「だから、お前が誰と結婚するかで賭けてたんだよ。年齢的に適齢期ギリギリだし、そろそろ誰かしら捕まえるだろうって。ちなみに俺はリカルドに賭けてた」

「え、私はセーヴァに賭けてたんだけど」

「なんでそこ二人して私を押し付け合ってんのよ?!」


 なんとなく支部長を見ると、デスクに両肘をついて頭を抱えていた。初耳だったらしい。

 支部長は良識的なので、賭け事をしているその場に居合わせていれば、適当にたしなめてくれただろうが……あいにく彼は下戸なので、酒場に行くことはまずない。

 結果、彼の預かり知らぬところで大酒飲みのセーヴァとリカルドが好き放題やっていた、というわけだ。


「なんでリカルドさんまで一緒になって……!」

「いやあ、止めようかとも思ったんだけどね? カチェルさんは前からあまりギルドの外に出なかったから、周辺住民との心理的な距離を縮めるって意味じゃ有効かなと」


 まだ一応警備中のリカルドに噛みつきに行ったカチェルを止めようか迷っていると、ジャケットの裾をくいくい引かれる。

 見れば、ウィットがそばに寄ってきていた。


「ちなみになんだけど、きみも参加してたの? 賭博(アレ)

「いや、俺は滅多に酒飲まねえし。警備の仕事に響くから」

「でも見回り兼ねて、酒場にはたまに顔だけ出してなかったか?」


 適当に言い逃れようとしたら、相棒(ラディ)が後ろから刺してきた。

 思わぬ裏切りである。俺は知らないところで何かこいつを怒らせるようなことをしただろうか……と思ったが、彼女はきょとんとした顔をしていた。


 こいつとは後でちょっと話し合う必要があるな、と思いつつ、じっと見上げてくるウィットの視線に耐えかねて口を開く。


「……誰にも賭けてない。『俺だけは絶対にない』って念押しはしたが」

「うわずるっ、自分だけ安全圏に逃げてるじゃん」

「酔っぱらいの悪ノリに巻き込まれるとロクなことがねえんだよ」


 わーわーぎゃーぎゃーと、主にカチェルのせいで騒がしいギルドのロビー。

 ブレイズがふとカノットを見ると、彼女はちょっと困ったような、それでいて穏やかな笑みを浮かべて、騒ぐ姉を見守っていた。

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