XX. 決闘騒動(1)
「……ええ、いいわ。精霊神の御名において、その決闘を受けましょう」
睨みつける妹を据わった目で見返して、カチェルはそう返した。
「私の望みはさっき言った通りよ。代理人は――」
そこで彼女は何かを探すように周囲を見回して、その視線がブレイズで止まる。
「ブレイズ、お願い!」
「……まあいいけどよ」
両手を合わせて願ってくるのに、とりあえず頷いた。
事情はよく分かっていないが、カノットとの決闘で代理人をやれるとしたら、自分か支部長のどちらかだろう。
カノットの得物が剣、つまり近接武器である以上、立ち回りが術士寄りのラディやリカルドでは相性が良くない。カノットがどう立ち回るかは知らないが、速攻で間合いを詰められたら終わりである。
で、支部長は仕事中。ブレイズは非番で暇を持て余している。消去法でカチェルがブレイズを代理人に選ぶのは、当然といえば当然の流れだった。
「怪我は治してくれるんだろ?」
「当たり前でしょ。どっちが怪我しても治すから、死なない程度に思いっきりやってちょうだい」
実の妹に対して容赦がなさすぎる。
ブレイズがちょっと引いていると、それを察してか、カチェルは「大丈夫よ」と手をぱたぱた振った。
それから、少し離れたところで武器を確かめているカノットに声をかける。
「カノット、あんた死ななきゃ死なないわよね?」
「即死でなければ死にませんよ」
「何言ってんだ????」
どちらの言葉もわけがわからない。姉妹だけで通じる言語だろうか。
「というわけだから、あなたも即死だけは避けてね。まあ大丈夫だと思うけど」
「……分かった」
色々と突っ込みたいところはあるが、とりあえず飲み込んで、ブレイズは頷いた。
普通にカチェルと話している以上、カノットの側に殺意はないのだろう。決闘を申し込むのだから不満はあるのだろうが、それだけだ。
ブレイズだって、代理人として戦いはするものの、カノットに対して特に思うところはない。
つまり、互いに命を落とす可能性はほとんどないということだ。双方とも殺す気はないのだから。
そう考えれば、決闘とはいえ気楽なものである。カチェルが治してくれるなら、怪我による後遺症の心配もないし。
「……とはいえ、一応の事情くらいは教えてくれよ。話し合いで何があったんだ?」
少し声を落として、ブレイズはカチェルに尋ねた。
決闘が真剣での勝負である以上、引きどころ――降参するタイミングの見極めは必要だ。死ぬ気で戦うつもりはないが、どのくらい食い下がるかは、こんなことになった理由による。
これでクソしょうもない理由だったら、カノットに勝てない、と判断した時点でさっさと降参してしまいたい。
「……そうね。代わりに戦ってもらうんだもの、あなたには聞く権利があるわね」
カチェルは少し気まずそうな顔をしたが、渋々といった様子で頷いた。
◇
「それではカチェルさんの希望は、引き続きこちらのギルド支部に勤務すること――で、よろしいですわね?」
「ええ、その通りです」
「カノット様もよろしいかしら?」
「はい、異論ありません」
キース支部長と従者のロイドを追い出して、女性だけになった一室で。
カチェルの扱いは、同時刻にロイドがブレイズとウィットに語った通り、ほぼ彼女の希望通りとなっていた。
しいて言えば、これまたロイドが話していた通りに、そろそろ明確にケヴィン王子の配下になることを勧められたくらいだ。ケヴィンにはこれまでも世話になっていて信用していたし、貴族の『勧め』を無理に拒否する理由もなかったので、そちらには同意した。
カノットからも、皇国としての主張のようなものは聞かされなかった。
とりあえず元気にやってるかどうか顔を見てこい、としか言われていないらしい。
「とりあえずの目的は、本人確認と、あなたが不本意なことを強制されていないかを確かめに来た、程度でしょうね」
「……ええ、皇から言われてるのはそんなところです」
ミューアのお嬢様――リズシェイラの言葉に、妹は小さく苦笑して頷いた。
「あとはまあ、『強引に連れ帰る必要はない』とも。こちらの王子殿下の目に留まったのなら、そのまま通常通り、皇国からの派遣として処理してよいそうです」
「……ということらしいので、そのように処理しますわね。この場で必要な書類を用意いたしますので、少々お待ちを」
そう言って、リズシェイラは手際よく書類を整えていく。聞けば、領主である父の手伝い、もしくは不在の時の代官として、日頃から書類仕事には慣れているのだそうだ。
マルヴェット王国ではハルシャ皇国と違って、女性に社会的な地位が与えられることはほとんどない。王位を継げるのも、貴族家の当主の地位を継げるのも、男性だけだ。そこを考えると、このお嬢様が領主の仕事を代行できる――それを許されているというのは、とても珍しいことだった。
まあ、ミューア家はハルシャ皇国と関わりが深いので、やや皇国の思想に染まっている部分もあるのだろうけれど。
――と、ここまでは特に問題なかったのだ。
「それはそれとして姉さん、近いうちに一度は帰ってきてくださいよ。父さんも母さんも心配してましたよ」
リズシェイラの書類仕事を待つ間、カノットがそんなことを言った。
これが発端である。
「そうねえ……。殿下にお許しを貰うのは当然として、ギルドに穴埋めの事務員も必要だし、いつになるかしら」
あれこれと考えていたカチェルは、そこでふと思いついて、猛然と書類仕事をしているリズシェイラに話しかけた。
「あの、リズシェイラお嬢様」
「リズ様でいいですわよ」
リズシェイラ改めリズ様は、書類から顔を上げずに返した。手も止めていない。
敬称含めて何と呼べばいいか教えてくれるあたり、ある意味で話も早かった。
「ではリズ様。確認……というよりお願いなのですが、私の国籍を、皇国から王国に移すことはできませんか?」
「……ふむ?」
「姉さん、どういうことです?」
リズ様が手を止めて首を傾げ、カノットが訝しげな顔で問う。
二人の顔をそれぞれ見て、カチェルは自分の思うところを述べた。
「カノット。私を手籠めにしようとした貴族の家ってどうなったか知ってる?」
「やらかした当人が廃嫡。一人息子だったそうで、跡継ぎは分家から養子を迎えるそうです」
「ふうん。ま、次の治癒魔術士を派遣してもらいたかったら、廃嫡くらいはしないとか。……で、代替わりはしてないのね?」
「確かそうだったと」
「じゃあ、あの家のご当主はさぞ私を恨んでいるでしょうね。自分の子供に家を継がせることができなくなったんだもの」
リズ様は黙って話を聞いている。
それを横目に、カチェルは続けた。
「私が心配してるのはね、カノット。私がハルシャの人間のまま本国に戻って、里帰りが終わった後、すんなり王国に戻してもらえないかもってことよ」
「例の貴族家が逆恨みで姉さんに何かすると?」
「それもあるし、私もいい歳だから、国としては子供を産ませたいでしょう? 里帰りのタイミングでお見合い組まれて強制的に結婚、王国への派遣は中止、とかやられかねないわ」
何しろあの国にとって、治癒魔術士は大事な資源であり、資産でもある。目減りすることも、流出することも許容しない。
逆に、増やすこと、独占することに関しては手段を選ばない。カチェルが派遣先の貴族家で手籠めにされそうになって逃げ出して、そのまま国を飛び出すに至ったのも、そういう国の姿勢を知っていたからだ。国内の衛兵に助けを求めたとして、「新しい治癒魔術士の卵が生まれるのならいいじゃないか」と、彼らの手で件の貴族家に送り返される可能性が高かったのだ。
ハルシャ皇国とは、そういう国だ。
「あー、王国に派遣された治癒魔術士が現地で結婚して子供産むと、めちゃくちゃ揉めるのよねえ……治癒魔術の才能があると特に」
話を聞いたリズ様が遠い目をしてぼやく。
皇国との外交窓口を務める家の者として、若いながらに色々と見てきたらしい。
一方、カノットは不満げな顔で口を開いた。
「……皇はそんなことしませんよ」
「皇は、ね」
そこで一度言葉を切って、カチェルは妹を見た。
「そうね。いまの皇が、私の知っている、私たちの友達だったあのアメスなら、きっと私の事情と希望を酌んでくださるでしょう。……でも、周囲の貴族たちはどうかしら?」
「言ったでしょう、皇は『強引に連れ帰る必要はない』と仰せでしたと! それを違えるなんてこと、許されるわけがない!」
「……アメス皇女は、皇位の継承順位が低かったわよね?」
「だから何だと……!」
「皇としての地固めが十分じゃないまま即位されたんじゃない? 周囲の貴族に言うことを聞かせられるだけの力を、いまの彼女は持っているの?」
「……姉さん。いくらなんでも言っていいことと悪いことがありますよ」
カノットの声が、瞳が、剣呑な色を帯びる。
けれどカチェルは、静かに首を横に振った。
貴族の家に派遣される治癒魔術士は、貴族相手に仕事をするために、様々なことを教え込まれる。
無礼をしないために礼儀作法を。恥をかかない程度に眼識を。そして、命を守るために、貴族家の派閥や力関係の知識を。
カノットは悪くない。だって彼女は治癒魔術士にはなれなかったから、教えられなかっただけだ。
自分を近衛兵にまで引き上げてくれたアメス皇に、忠誠と信頼を捧げているだけだ。
でも、カチェルは知っている。治癒魔術士になった彼女は、他ならぬ国から、教えられていたから。
貴族が徒党を組んで、皇に逆らう場合があることを。
「カノット。私は、アメス皇その人のことは信用しているわ。でも」
「ダメです」
「でも私は、アメス皇を――」
「ダメ、黙って――」
「――あなたほどには、信頼できないわ」
◇
「――ってわけで、怒らせちゃった」
説明を終えて、カチェルが肩をすくめた。
ブレイズは今度こそドン引きした。
いや、カチェルの語るハルシャ皇国の負の面もなかなかにアレだったが、それよりも。
「お前、近衛兵の目の前で、よくそんなこと言えたな……」
「言わなきゃ話が進まなかったもの」
ブレイズは一瞬だけカノットを見た。
あちらにはお嬢様とロイドがついて、何やら話し合っている。
(あの人も大変だな)
近衛兵の立場としては、正面切って『皇を信頼できない』などと言われて、聞き流すことなどできないだろう。
決闘して、撤回させて――なんとか『なかったこと』にしたいのかもしれない。
「……カチェル。本当にこれでいいのか?」
「カノットは見ての通りの刺突剣使いよ。たぶん、剣士のあなたが一番まともに戦えると思うの」
「いや『代理人が俺でいいのか』って意味じゃなくて」
そんなことは心配していない。
「……仮に俺が勝ったとしても、故郷には帰りづらくなるだろ」
「そんなの、いまさらよ」
カチェルは小さく苦笑した。
「……あの貴族の屋敷から逃げ出して。王国行きの船にこっそり乗った時に、もう戻れないって覚悟したわ」
ほっそりした指が、ブレイズの手にかかる。
「ブレイズ。私、またファーネに戻って来たいの。このままハルシャに行って、帰してもらえなくなるのが怖い。だから……お願い、頼らせて」
こちらの手を包んでくる彼女の両手は、ひどく冷たかった。
※たぶんこの先も説明する機会はなさそうなので
別に読まなくてもいいやつです
【私だけが楽しい世界設定メモ】
・ハルシャ皇国の王侯貴族は2つの名前をくっつけて1つの名前としています
例)アメス+ユーディ=アメスユーディ
・ミドルネーム文化みたいなもんです 三郎信長みたいな(諱ではないけど)
・作中でとっくに死んでるほうの『ラディカール』も生まれが貴族なのでラディ+カール=ラディカール
・ミューア家は海を挟んでいますが対皇国の辺境伯みたいな役割で、同時に国交の窓口でもあるため、政略結婚で皇国の貴族の血がちょこちょこ入っています
なので名付けの文化もそっちに寄ってます(リズ+シェイラ=リズシェイラ)
ミューアのパッパも本来は『ウォーレンエドガー』という名前なのですが、「王国貴族のくせに皇国にかぶれすぎでは?」みたいな文句が出たので当主を継ぐ際にミドルネームとして切り離しました(文句言ったやつはちゃんと殴った)
・カチェル&カノットは平民なので関係なし




