XX. 幕間:墓参りと思い出と
「久しいな、エイス」
午前中に用事を済ませたデズモンド・バッセルは、亡き知己の墓前を訪れていた。
彼が好んで飲んでいた甘めの蒸留酒を、わざわざ王都から持参した銅のコップに注いで供えてやる。酒精が強いので水割りだ。
もう一つのコップに自分が飲む分も用意して、墓の前にどかりと座り込む。今日やっておくべきことは、すべて済ませた。夕刻まで時間はたっぷりある。
「ここに来るのは十年ぶりくらいか……早いもんだなあ、おい」
ちびちびと舐めるように酒を飲みながら、デズモンドは墓石に語りかける。
自分の好みとは異なる酒の味。それで思い出すのは、十年前のことだ。
魔境の森からファーネの街へ、獣の群れが押し寄せた。
その連絡を受けたのは、デズモンドが商業ギルドに幹部として迎え入れられてから、もうすぐ三年になろうかという時だった。
自ら手すきの警備員と賞金稼ぎたちを率いてファーネへ急行したものの、到着した頃にはすでに、エイス――ジルベルト・エイスは死んでいた。
彼だけでなく、他の、顔見知りだった連中のほとんどが。
残っていたのは、なんとか命だけは助かった、わずかな人数の警備員と賞金稼ぎに……拾い親を失った、二人の子供。
当時の支部長と数人の事務員は、住民を逃がすために街を駆け回っていたところを獣に襲われて死亡。残りの事務員連中は、守ってくれる者の足りないギルド支部に身の危険を感じて逃げ出したと聞いた。現金もいくらか持ち出されてしまったらしい。
遅れてきたデズモンドにできたのは、引き続きファーネ支部に残る意思を見せたキースを支部長に据え、これから不足するだろう物資を手配して、あとは埋葬を手伝うくらいだった。
幼い子供たちは、ほとんど姿を見かけなかった。
後で聞いた話だと、大人たちの邪魔をしないようにと、二人で部屋に引きこもっていたらしい。
それなりに状況が落ち着いてきて、ようやくジルベルトの墓を訪れることができた。
真新しい墓の前で、「幼子の親になっておいて、すぐに死ぬとは無責任が過ぎるだろう」と嘆いたのを覚えている。
……そういえば、医者見習いだという若造がファーネ支部で働くと言い出したので、そちらの雇用の手続きもしてやったのも、この頃だったか。
「お前が死んでなけりゃなあ……」
いまだに思うことがある。
彼が死なず、いまも生きていたならば。きっと、多くのことが変わっていたはずだ、と。
「そうしたら、あのガキどもだって、もうちょい違う生き方ができただろうに――」
午前中、護衛と共に『白の小屋』まで行ってきた。『蜘蛛』と『棺』、それぞれに刻まれたマークの突き合わせのためだ。
結果は、デズモンドの想定通り。二つのマークはまったく同じものだった。
つまり、東方大陸の未調査域と魔境の森という離れた二箇所に、何かしらの繋がりがある、ということだ。
……そして、その片割れである『棺』の中に。
おそらくは、あの二人が入っていたのだ。
ブレイズとラディカール。
ジルベルトがそう名付けた、ふたりの幼い子供。
彼らを拾った時のことも、デズモンドはよく覚えている。
ある日の真夜中、いきなり南の森から轟音がして、宿のベッドから跳ね起きたのが始まりだ。
何ごとかと南門に向かう途中で、同じく南門へ向かうところだったらしいジルベルトたちと合流し、そのまま森へ様子を見に行った。
森の獣たちもざわついていて、どこからか逃げるように駆けていた。
彼らの逃げ出てきた方向へと逆に進んでみれば、視界の端で何かが光り。
反射で矢を射掛けたが、手応えはあったのに、肝心の標的は見つからなかった。
薄気味悪いものを感じながら、矢を放った方へと向かい、そこで見つけたのが『白の小屋』だ。
見たことのない材質と構造の、窓のない建造物。金属でできた二つの扉のうち、片方は勝手に開いた。
もう片方の扉は一向に開かず、頑丈すぎて壊すこともできなくて、ジルベルトと共に難儀していた時だった。
先に調査を始めていた隣の部屋から、ひどい破壊音が聞こえてきた。
二人揃って駆けつけた先で、目にしたのは血まみれの幼い子どもたち。
先に目に入ったのは、魔力を暴走させて自らを傷つけ泣きわめく女児。
次に、頭から血を流して倒れている男児に気がついた。
二人のすぐ近くで、床に転がった『棺』の蓋らしきものが、ぐらぐらと揺れていて。
あまりの惨状に数秒だけ呆然としてから我に返り、それから慌てて動き出したのだ。
どう見ても魔力を持て余している女児の髪をナイフでざっくりと切り、男児の傷を止血だけして、街の医者のところへ担ぎ込んだ。
「……東方、か」
いつの間にか半分ほどに減ったコップの中身に視線を落とし、デズモンドはぽつりと呟いた。
仮に。仮に、東方大陸の未調査域に、あの子供たちのような人間がいたとして。
その人間は、いまも生きているだろうか。
ブレイズとラディカール。あの子供たちがいま生きているのは、おそらく、あの『棺』から放り出されてすぐに自分たちが見つけて保護したからだ。
もしあの時、自分たちが夜明けを待ってから様子を見に行っていたのなら、見つかったのは小さな亡骸ふたつであったに違いない。もっと悪ければ、夜行性の獣に喰われて亡骸すら残っていない可能性すらあった。
東方の未調査域にいるのが、当時の二人のような幼子だったなら、とうに生きてはいないだろう。
あそこは雪で閉ざされた極寒地帯だ。大の大人であっても、何の準備もなしに放り出されれば、飢えか寒さで衰弱死して当たり前。そのくらい、生きていくには過酷な土地である。
ブレイズに話を持ちかけておいてなんだが、向かった先で見つかったのは死体だけ……ということも十分にあり得るのだ。
「だが、もし生きているのなら……」
その可能性を、頭の中で巡らせて。
「……どうなるんだろうな」
デズモンドには分からない。
何がどう転ぶのか。そもそも、何か転ぶような――変わるようなことがあるのか。
あの小屋で拾われた、三人の子供たちの顔が、脳裏に代わる代わる浮かんでは消える。
何か変わることがあるとすれば、それは、あの子たちの――。
「まあ、いい」
分からないことを考えても仕方がない。
デズモンドはゆるく頭を振って、改めて墓石に目を向ける。
「どうなるかは分からんが……お前の『息子』と『娘』だ。見守ってやれよ、エイス」




