XX. 子供の意思と、必要なこと
ラディが二階の自室へ引っ込むのを見送ってから、十数分後。
階段の方から物音がするなとブレイズがそちらを見ると、木箱を抱えたウィットがそろそろと下りてくるところだった。
「ウィット、お前まだ寝てなかったのか」
「あ、ブレイズ。ちょっと場所と明かり借りていい?」
「……? まあ俺から見えるとこにいるなら構わねえけど」
訝しく思いつつも頷いてやる。
するとウィットは、ロビーの応接スペースからテーブルと椅子を一つずつ、ブレイズの近くまで引っ張ってきた。
受付カウンターに置きっぱなしだったランプをそちらへ移し、テーブルの上に木箱を置いて、蓋を開ける。
木箱の中にあったのは、昼間も目にした鋼の蜘蛛だ。
デズモンドが宿に持ち帰ったはずだったが……。
「借りてきたのか?」
「うん。もうちょっと調べてみたいって言ったら、箱ごと貸してくれた。自分はマークのついてるお腹の部品だけあればいいからって」
ウィットは箱から蜘蛛を取り出しながら言う。
ちらりと横目で見れば、その蜘蛛には確かに腹の甲殻がなく、中身が――ブレイズには『内臓』としか表現できないものが丸見えだった。
うわ、と思ったが、声には出さない。……顔にはちょっと出たかもしれない。
「ってことで、しばらく明かり借りるね。自分の部屋でやるの、ランプの油がもったいないから」
「……あんま遅くまではやらせねえからな」
「はーい」
ウィットはどこからか工具を取り出して、蜘蛛の『内臓』を一つ一つ取り外し始めた。
取り外したものをひっくり返したり、ランプに近づけたりして、何かを検分するように目を眇めている。
何をしているのか分からなかったが、聞いても理解できる気がしなかったので、ブレイズはそちらを見るのをやめた。一応は警備中だ。あまりウィットばかりに注意を向けてもいられない。
かち、ぱち。
小さく弾けるような音が、がらんとしたロビーに落ちる。
しばらくそれを聞いていて、そうだ、とブレイズは思い出した。
東方大陸に行くかどうかの件、ウィットの意思も確認しておくべきだろう。
「ウィット」
「んー?」
「昼間のバッセルさんの話、お前はどう思う。……その『蜘蛛』が見つかった場所に行ってみるか、ってやつ」
「あー、あれね」
「……行きたいか?」
……本当は。
本当は、行く必要なんかないだろう、と言いたかった。
ずっとここにいればいい。このギルドの、ファーネ支部の一員として、一緒に暮らしていけばいい。そう言ってしまいたかった。
けれど、「それを決めるのはウィット自身だ」とラディに釘を刺されたばかりだ。だから、そんなことは言えない。
そんなブレイズの内心を知らないだろうウィットは、「行くよ」とはっきり頷いた。
「僕には、やるべきことがある。そのためには、行かなきゃいけない」
「やるべきこと?」
「……この前、『白の小屋』に連れてってもらった時にさ。中に、『穴』が残ってるって言ったでしょ」
「ああ」
破られた『開かずの扉』の先の部屋で、ウィットに聞かされたことだ。
言われるまま木の枝をその『穴』に突っ込んで、跡形もなく消えてしまった衝撃は、まだ記憶に新しい。
「あの『穴』の先に用があるんだ」
蜘蛛をいじくっていた手を止めて。
それまでより少し低い声で、ウィットは言った。
「その用事を済ますために、解決しなきゃならない問題があるんだけど……僕にはちょっと、手が出せない部分なんだ。でも、僕以外に、あの建物の――『白の小屋』の大元になった建物の関係者がいれば、ひょっとしたら、なんとかなるかもしれない。いなくても、解決のための手がかりがあるかもしれない」
そこまで一気に言って、ふ、と息をつく気配。
「だから、僕は行かなきゃいけない。行って、確かめないと」
ブレイズはそれを、黙ったまま聞いていた。
ウィットが言い終えた後、少し間を置いて。
「それは……お前にとって、必要なことなのか?」
「うん」
「そうか」
ためらう様子もなく即答したウィットに、ブレイズはひっそりとため息をついた。
「それなら……連れて行って、やらないとな」
個人的には気が進まないが、それでも。
口の中が苦い気がしたが、その言葉ごと呑み込んでしまう。
――それでも、『これ』は俺がやるべきことなのだ、と。
その考えが、胸にすとんと落ちてしまったのだ。
◇
明朝。
警備の交代に来たラディに、ブレイズは「行くことにした」と告げた。
「ウィットが行かなきゃならねえんだと。……だったら、連れてってやらねえとな」
「気が進まなくても?」
「ああ」
念押しのようなラディの問いに、はっきりと頷いてみせる。
「それが、ウィットを拾った俺の責任だ。俺が、やるべきことだ」
「……そうか」
ラディは、どこか眩しそうな顔でブレイズを見上げてきた。
その表情に少し距離を感じて、それが気に食わなくて、彼女の手を捕まえる。
「お前もだ。一緒に行くぞ」
「え?」
ラディがきょとんと目を丸くした。
そんなに驚くようなことを言っただろうか。彼女を置いていくものだと思われていたなら、ちょっと腹が立つ。
握った手に少し力を込めつつ、ブレイズは続けた。
「警備を本部の連中に丸投げすることになるから、ちょっと悩んだけどな。まあ支部長がいれば、そう悪いようにはならねえだろ。……だから、お前も一緒だ」
――警備が心配なら、私を置いていけばいい。
ラディにそう提案された時、ブレイズの中に生まれたのは、形容しがたい拒否感だった。
その考えにも一理あると、頭では理解できる。筋も通っている。彼女の力量にも、不安はない。
それなのに、どうにも引っかかるものがあった。
拒否感のような、嫌悪感のような、焦燥感のような。
その感覚は、『白の小屋』で棺を前にした時に覚えたものとよく似ていて。
本当にそれでいいのかと、こちらを責めるような声が、自分の内側から聞こえてくるような。
この感覚の正体を、ブレイズはまだ、正確に見抜けてはいない。
だけど、『そうしてはならない』と自分の中の何かが警告を発していることだけは、間違いないことだった。
ブレイズは、直感というものを信じるほうである。
だから、まだよく分からないけれど、それに従うことにした。
「……ラディ?」
言うだけ言った後。
黙ったままの相棒に、ブレイズはにわかに不安になった。
思えば、昨夜ちょっと相談してから、ブレイズ一人であれこれ決めてしまった。
勝手が過ぎたか、と気まずくなってくる。
「あー、でも、その……お前が嫌なら、無理には――」
「ううん」
取り繕うように言いかけた言葉を、ラディの小さい声が遮った。
捕まえていた手を、きゅっと握り返される。
「行くよ。……一緒に」
ブレイズがラディの顔を見ると、彼女はどこか嬉しそうに、はにかむように微笑んでいた。
その表情が妙にあどけなく見えて、心臓がわずかに強く脈を打った。
ぐだぐだ悩むターンはここで終わりで、あとは雪解けまで旅立ちに向けてわーわーやってる章となります。
章としてのまとまりに欠けますが、一章まるまる引っ張るほどの悩みでもないのでこんな形に。
旧ツイッターのほうでもご挨拶しましたが、あけましておめでとうございます。
本年も改稿作業と並行のため、またリアル仕事に振り回されているため、もうしばらく隔週更新が続きます。
のんびりお付き合い頂けると幸いです。




