XX. 鋼の蜘蛛(下)
蜘蛛の腹にあるマークと同じものが『白の小屋』にあった。
そうウィットが口にすると、デズモンドはそうだと言わんばかりに何度も頷いた。
「おう、それだそれ。昔、エイスと一緒に、そこの坊主たちを見つけた時にな。そいつらの近くにあった『棺』に刻印されてたのを見たんだよ」
「じゃあたぶん、僕らが見たのと同じやつだ。ね、ブレイズ」
「あ、ああ……たぶんな」
ウィットに話を振られて、ブレイズは曖昧に同意する。
……自分たちがあの部屋のどのあたりに倒れていたかなんて、まったく覚えていない。わざわざ誰かに聞いたこともなかった。
まあ、『棺』はどれも似たような見た目をしていたので、全て同じところで作られた――つまり、どの『棺』にも同じマークがあった可能性は、それなりに高いと思うが。
そんなことを考えていると、ふと視線を感じた。デズモンドだ。
横目でじいっと、こちらを値踏みするような目つきで見つめられている。なんだろうか。顔面の圧が強いのでやめてほしい。
こちらと目が合うとデズモンドは視線をそらし、蜘蛛に刻まれたマークを指でこつこつと叩きながら、再び口を開いた。
「『白の小屋』で見てから、どっかの工房印かと思ってちょっと調べたことがあってな。それで覚えてたんだよ」
「……どこの工房だったのかは?」
「分からんかった。さっぱりだ。坊主たちの素性の手がかりになればと思ったんだが……」
支部長の質問に対して首を横に振り、頭をがりがりと掻きながら、デズモンドは続ける。
「この立場になってから、本部の登録分も定期的に見てるんだがなあ。似たものすら見かけん」
「となると……まだ未登録か、もしくは地方の支部に登録されて、まだ本部に情報が回ってきていないか……」
「キース。坊主たちを拾ってから、もう十五年近く経つんだぞ。王国広しとはいえ、さすがに『まだ』はありえん」
「では、王国外の工房ということは?」
「それなら輸入の記録がないとおかしいだろう。『棺』のほうは王国内にあるんだから」
二人のおっさんがごちゃごちゃ言い合う横で、ウィットが箱の中の蜘蛛に手を伸ばした。
蜘蛛の腹部を両手でがしっと掴み、箱から引っ張り出す。彼女も虫があまり得意ではなかったように思うのだが、その割にためらいがない。
「ウィット?」
「んー」
ブレイズの声かけに生返事をしつつ、ウィットは蜘蛛に顔を近づけて、じっと観察する。
しばらく無言で、蜘蛛をひっくり返したり、甲殻を指で押してみたり。
気が済んだらしいところで、小さく頷いた。
「……うん。これ、生き物じゃないね。作り物だ」
「あん?」
少し前からウィットの行動に気づいて様子を見守っていたデズモンドが、訝しげに眉を寄せる。
ウィットはそちらを見ることなく、両手で蜘蛛の腹部を掴んで、その側面に親指を当てた。ぐっと力が込められ、爪の先が血の気を失って白くなる。
「よ……っと」
そのままウィットが手を動かすと、蜘蛛の腹部がぱかりと半分に割れた。腹の裏側の甲殻が、丸々とした形を保ったまま、きれいに剥がれている。
ウィットは蜘蛛の本体と剥がした殻を机の上に転がして、蜘蛛の『中身』を覗き込んだ。
「ああやっぱり。機械だよ、これ」
「キカイ……?」
ブレイズも、ウィットの後ろから、蜘蛛の腹の中を覗いてみる。
内臓が詰まっていると思っていたそこは、金属らしい質感の小さな箱のようなものと、それらの箱を繋ぐ、色とりどりの紐のようなものでいっぱいだった。臓器と血管だろうか。
ウィットが「生き物じゃない」と言っていたが、確かに、生き物なら持っているだろう『肉』が欠片も見当たらない。
こうして腹を開いたにも関わらず、傷口から血や体液が出てくる様子もなかった。
「どこも壊れてるようには見えないから、動かなくなったのはバッテリー切れかな? 充電し直せば、また動きそうだけど」
意味の分からないことをあれこれ呟きながら、ウィットは蜘蛛の腹の中に指を突っ込んでこねくり回している。
血肉がないとはいえ、虫の腹の中をいじくる光景というのは、見ていて気分のいいものではない。
顔色を悪くして一歩引いたブレイズと入れ替わるようにして、デズモンドと、それまで黙っていたセーヴァが、興味深そうな顔でウィットの手元を覗き込んだ。
「嬢ちゃんよ。『キカイ』っつうのはなんだ?」
「えーっと、王都のギルドに時計があるでしょ。壁に据えつけてあるやつ。あれをもっと小さく、複雑にしたものって考えてもらえれば近いと思う」
「ウィット、こいつの心臓はどれだ?」
「生き物じゃないから、心臓はないんだよねえ……。しいて言うなら、このでっかい箱みたいなやつかな? これがたぶんバッテリーっていう部品で、役割としては胃袋のほうが近いんだけど」
「……ふうむ」
唸りつつ顎に手をやって、デズモンドが難しい顔をする。
「ギルド本部にある時計も、ごく最近できたもんなんだが……あれよりもっと小さくて複雑な、言ってみれば上等な代物が、この蜘蛛だというわけか」
そこでまた、デズモンドの視線がブレイズに向いた。
先ほど見てきた時と同じ、どこか値踏みするような、こちらを窺うような目だ。
「……で、そんな代物についてるマークと同じものが、『白の小屋』にある棺にもついていて。お前らは、その近くで見つかったってことになる」
「……何が言いたいんすか」
「儂にも分からん。分からんことが多すぎて、頭の整理がついとらん」
訝しむブレイズから、やはり先ほどと同じように視線をそらして。
デズモンドは、次にウィットへ目を向ける。
「片や東方大陸の端、もう片方は王国南西の端。離れた二か所で、同じマークのついたものが見つかった。何のマークか分からんし、両方とも未調査域で見つかったというのも気にかかる」
そう言いながら、視線はウィットを向いたまま。
「で、そのマークのついた、儂らがまったく分からなかった、あの蜘蛛の正体を。あの嬢ちゃんは、あっさり言い当てたわけだ。……儂らが見たことも聞いたこともない、とびきり上等な『キカイ』とかいう代物だ、とな」
その言葉につられて、ブレイズもウィットを見やる。
誰も見たことがない、黒い髪を持つ子供。
……まだデズモンドには話していないが、そういえばウィットは、あのマークを『自分と同じ製造元の社章』だと言い切っていた。
「……坊主。ブレイズ。あの嬢ちゃんを拾ってきたのは、確かお前さんだったな?」
「そうっすけど……」
「見つけたのは、『白の小屋』の近く。そうだな?」
「まあ、はい」
「つまり、あの嬢ちゃんで三人目だ」
デズモンドがじろりとこちらを見た。
指を三本立てて、ブレイズのほうへ突きつけてくる。
「お前とラディカール。あのウィット。『白の小屋』で三人、関係者らしき人間が見つかっている」
「……ひょっとして」
「ああ。儂もようやく、自分が何に引っかかってたのか見えてきた。……歳を取ると、頭の回転が遅くていかんな」
ふ、とひとつ息をついて、デズモンドはギルドの出入り口のほうを見た。
――いや、見ているのはたぶん、出入り口の扉ではなくて。おそらくは、それよりずっと遠くの、海を越えて別の大陸の。
「あっちの――東方大陸の未調査域にも、似たような人間がいるのかもしれん。……仮に存在したとして、そいつを見つけて、話ができる可能性が、一番高いのはお前たちだ」
デズモンドが何を言おうとしているのか、ブレイズは、もうだいたい察してしまっている。
しかし、どう受け止めればいいのか、まだ決めかねていた。
このまま、それを言わせてしまっていいのか。
受け入れるべきか、跳ね除けるべきか。
隣にラディがいたなら、きっと彼女と顔を見合わせていた。
だが、いま、自分の隣にラディはいない。
ブレイズの戸惑いを意に介する様子もなく、デズモンドはそれを口にした。
「どうだ、東方に行ってみる気はないか? ……お前たちの素性も、分かるかもしれんぞ?」




