XX. 昼下がりの怖い顔
秋の終わりが近づいて、温暖なファーネの街といえど、風が冷たくなってきた。
とはいえ昼間であればまだ日が暖かく、外で働く住民たちは、薄手の上着を羽織るくらいで快適に過ごせている。
そんな、ぽかぽかとしているはずの昼下がり。
商業ギルドのロビーの空気は、氷のように冷え切っていた。
雰囲気ではなく、物理的にである。
「長年、ずっと気になってたことがあるんだ」
整った顔にうっすらと笑みをたたえて、本日の警備当番であるラディが口を開いた。
彼女の前に立つのは、いかにも賞金稼ぎといった風体の男。
その両目は、自身の足を――膝から下を氷塊に覆われた右足を、青い顔で凝視している。
「こうやって人の手足を包んだ状態で氷を砕いたら、どこまで砕けるんだろう、って」
「ヒッ……!」
「芯まで凍らせてはいないはずだから、まだ感覚はあるな? 後でどんな感じだったか教えてくれ」
ラディが鞘に収まったままの剣を振り上げる。
凍りついた足に振り下ろそうとする直前ぎりぎりに、がばりと男が頭を下げた。
「すんませんっしたああああああ!!」
受付カウンターの内側からその様子を見ていたブレイズは、剣の柄に掛けていた手を下ろした。
「……よし」
「いや何もよくないよ、怖いよ」
きみもラディも、と付け足しつつ、黒髪の子供がブレイズに寄ってくる。剣を抜きそうだから離れていたらしい。
名乗った名前を縮めてウィットと呼ばれている子供は、賞金稼ぎの足の氷を魔術で溶かしてやっているラディを見やって、それから再びブレイズを見上げてきた。
「きみたちさあ、前はもうちょっと穏便に済ませるタイプじゃなかったっけ」
「ああいう面倒な連中の相手をしょっちゅうしてたら気も荒むだろ」
今の騒動だって、あの男がラディにしつこく絡んだのが原因だ。
彼女は腰に剣を佩いている上、動きやすい格好をしているから、おおかた貧弱な女剣士でしかないとでも思ったのだろう。
からかって、注意を聞かず、挑発を繰り返したので、実力行使に出た次第だ。結果的に無傷で済ませてやってるのだから、十分に優しい対応である。
収穫祭が終わって以降、ファーネを訪れる人間が増えた。
領の出入りで取られる関税が他の領地と大差ない額まで下がったのと、隣街エイムズからの街道がある程度整備されたのが分かったからだろう。
商品を持ち込む商人や、その護衛で同行する賞金稼ぎで街が少しずつ賑やかになってきている。
新たに領主となったリアム・レ・ナイトレイの施策の効果が、少しずつ見えてきた形だ。
ブレイズたちのいる、商業ギルドへの来客も増えてきた。
もともとカチェルが治癒魔術士だと露見したことで厄介な来客が増えていたのだが、そこにファーネを新たな商圏としたい商人や、素材目当てに魔境の森に潜ろうと考える賞金稼ぎが追加された。
十年前の賑わいが戻りつつある……と考えれば歓迎すべきことだが、先ほどのようなチンピラまがいの連中も顔を出すようになったのは頭の痛いところである。
男のブレイズが出れば、多少はああいう手合いも大人しくなるのだろうが――その手段を取るのは、あまり気が進まなかった。
ファーネ支部の警備員は自分とラディの二人だけ。外見での威圧感を考慮する余裕はないし、相手の力量を見誤ったアホが自業自得で痛い目を見ようが知ったことではない。
それに、ゆくゆくはラディも警備のまとめ役に据える予定なのだ。ある程度は矢面に立つ必要がある。
……ブレイズ個人としては、相棒にしょうもない苦労をさせたくないという思いもあるのだが。
それで彼女の影を薄くしてしまうのは、よくないエゴというものだろう。
「ま、あれであの賞金稼ぎはもうラディを舐めたりしねえだろ。周りにいた連中もな」
「だろうけども。……ちなみに、もし『次』があったらどうするの?」
「そんときゃさすがに、俺か支部長が裏まで引きずってって……まあ、『お話』ってやつだな」
「こっわ。それ細切れにして野犬の餌にするタイプの『お話』じゃん」
「さすがにそこまではしねえよ」
人聞きが悪すぎる。いったいどこでそんな知識を仕入れてきたんだろうか。
この子供はあまり荒事を好まないくせに、時々妙にえげつないことを言うことがある。
最近、失っていた記憶の一部が戻ってきたと本人は言っているが、その辺どうなっているのかはいまだに分からないままだ。
……まあ、ウィットが訳の分からない存在なのはいまに始まったことではないのでさておいて。
「いいからお前はさっさと買い出し行ってこい。もたもたしてっと日が落ちるぞ」
そう言ってブレイズが追い払うように手を振ると、ウィットは「はーい」と気の抜けた返事をして離れていった。
王都までの旅でも使っていた黒のフードつきマントを羽織り、買い物かごに財布を放り込む。念のため腰に剣も佩いてから、受付カウンターからロビーに出た。
受付待ちの商人やたむろする賞金稼ぎたちの間を縫って、正面出入り口の扉へ歩いていく。
基本的に職員は裏口から出入りする決まりなのだが、正面の扉は表通りに面しているため、ここから出たほうが色々と近くて便利なことが多い。
なので、横着してこちらを使う職員がそれなりに存在する。常習犯は買い出しのあるウィットと、往診のある医者のセーヴァだ。ブレイズも、鍛錬場に出る時以外はこちらの扉を使いがちである。
このあたり、うるさく言うのが受付のカチェルくらいなので、彼女の目を盗みさえすれば問題ない、というのも横着が横行する一因だろう。現にラディは気づいていたが、知らんぷりして警備に戻っている。
「いってきまーす……」
カチェルに気付かれないようにか、小声で言って、ウィットが開放された扉をくぐる。
たたっと軽快に駆け出して、扉のフレームの向こう側でマントが翻って。
「うひゃああああああああ?!」
上がった悲鳴に、考える間もなく駆け出した。
カウンターを飛び越え、ざわつく商人と賞金稼ぎを押しのけて出入り口へ。
同じく反応したラディに続いて扉をくぐると、尻もちをついたウィットの姿が目に入った。
「ウィット、どうした?!」
ブレイズが声をかけると、ウィットは座り込んだまま、なんとも微妙な笑みで振り返る。
苦笑い、というか。生温い、というか。
そんな顔をしたまま、こう言った。
「ごめん、びっくりしちゃっただけ……」
「はあ?」
「はーっ……」
何がだ、と問い返すよりも先に、ウィットの向こうから重たいため息が聞こえてくる。
顔を上げて、そちらを見て。
「……あっ」
ラディが小さく声を上げる。
ブレイズも得心した。なるほど、これに驚いたのか。
ウィットの前に立つ、先ほどの重たいため息の主の顔には見覚えがあった。
一度しか見たことのない顔だが、一度見れば覚えておくのはさほど苦労しない類の顔だ。なにしろ、大変におっかないのだから。
「ええっと……お久しぶり、です……?」
「ああ、そうだな……」
なんとか言葉を絞り出したブレイズに、相手は憮然とした顔で頷いてくれる。
そこに立っていたのは、王都の商業ギルド本部で会った警備部門長、デズモンド・バッセルだった。
仕事のドタバタに加えて神経痛的なやつを発症しまして、しばらく時間休取りつつ病院通いの日々が続いていますがわたしはげんきです。入院はなんとか勘弁してもらえました。
当分更新ペースが開きますが、この章の詳細プロットもそこそこ固まったので、なんとか月イチは確保したいなあと思っています。よろしければ、今後もぜひお付き合いくださいませ。




