XX. 前日譚:ある研究員の困惑
第二部:黒髪の異邦人 スタートします(当分は隔週~不定期になります)
ナンバリングは第一部の改稿終わってから改めて…
「ん……?」
ふいに感じた違和感を呼び水に、意識が浮上した。
目を開けて、上体を起こしたところで、どうやら自分は倒れていたらしいと気づく。
違和感があるのは全身だ。ずっと痺れているような感じで、自分の肉体であるという気がしない。
手足は自分の意志で動くし、触覚や痛覚もきちんとあるようだが……とりあえず行動に支障はなさそうなので、気にしないことにした。
そこまで確認して、周囲を見回す。
やけに荒れているものの、見慣れた一室だ。見知らぬ場所でないことに、まずは安堵した。
倒れている椅子を起こして腰を下ろし、ひとつ息をつく。
さて、これはどういう状況だろう。
覚醒したばかりでぼんやりしている頭を叱咤して、なんとか記憶を手繰り寄せた。
◇
最初に思い出したのは、隣で『対象』を観察していた同僚の報告だった。
「あれ? 対象の位置が……移動しているのか?」
「方向は?」
「ちょっと待て、直近の座標と比較する。……これは……」
数秒、画面に視線を走らせた後、同僚はひゅっと息を呑んで。
血の気の引いた顔で、叫んだ。
「こ、ここだ! 『奴』はこっちに……俺たちのほうへ向かってきている!」
悲鳴に近い声での報告に、部屋にいた全員が顔を引きつらせた。
画面上では、ただの座標でしかない。しかし、その実体がどれほどの脅威であるのかを、その場の全員が承知していた。
端的に言い表すなら、『世界喰らい』。
単純に巨大な生物であり、単体で“世界”となれる特別な個体でもある。
これまで食らってきた世界は、自分たちが観察してきただけで七つ。
あらゆる法則の外側から襲いかかる、最大級の外敵だった。
「――対界兵器を起動しろ! 『筐体』の使用も許可する!」
その場に居合わせていた上司の一声で、放心しかけていた自分は我に返った。
手元の端末から接続を試みるが、返ってきたのはエラーメッセージ。そこで、仮死状態からの起動には直接の操作が必要だったと思い出す。
勢いよく立ち上がり、座っていた椅子が倒れるのに構わず部屋を飛び出した。
「……それから、二番と三番を迎撃に出せ。同時にじゃない、一人ずつだ。極力時間を稼ぐことに専念させろ」
部屋を出る直前、別の同僚にそんな指示が出されていた。
人気のない廊下を全力疾走し、『ウィットネイト』の培養槽がある部屋までたどり着く。
直結された端末を操作して、今度こそ起動を成功させた。モニターに流れるログを追って、目立ったエラーがないことを確認する。
上司に言われていた『筐体』の選定まで命令を入力し終えたところで、ふと視線を感じた。
部屋の出入り口から、幼い顔がふたつ、隠れるようにしてこちらを窺っている。
「六番と七番じゃないか」
入室許可は出せないので自分から出入り口に出向くと、検査着を着た男児と女児が、手を繋いで立っていた。
どちらもよく知った顔だ――というか、この施設で働いていて、知らないことなどあり得ない。ここは『彼ら』のための施設なのだから。
「どうしたの? そろそろ検査の時間じゃなかった?」
「そうなんだけど……」
こちらから声をかけると、男児のほうが困った様子で口を開いた。
「誰も呼びに来ないから、どうしたのかなって。七番も困ってたし」
その言葉に同意するように、女児がこくこくと頷いている。
この非常事態の最中、予定されていたとはいえ、悠長に検査などしている場合ではない。
おそらく検査は中止になったが、その連絡がこの子たちに届いていなかったということだろう。
検査担当のミスだが、この状況では無理もない。何せ、世界の――言葉にすると随分と陳腐だが――世界の存亡の危機である。
「たぶん、検査は中止だね。いま、ちょっとバタバタしてるから」
「そっか……。じゃあさ、いつもの部屋で遊んでていい?」
「うーん、普通なら自室待機なんだろうけど……」
ここから彼らの部屋までは、それなりに距離がある。六番の言う『いつもの部屋』――遊戯室も同じだ。
どちらに行かせるにしろ、非常事態で混乱している状況下、幼児ふたりだけで帰すには不安があった。
誰かが送り届けてやるべきだろうが、自分も『ウィットネイト』の処理を見守らなければならない。
他の誰かに頼もうにも、この状況でそんな余裕のある関係者はいないだろう。『世界喰らい』と『彼ら』の管理は、密接な関係にある。関わる職員は、ほとんど同じだった。
この子達を帰すのは無理。しかし、自分も面倒は見ていられない。
どうしたものかと考えて……。
――さて、どうしたのだったか。
それ以降のことが思い出せず、研究員は記憶をたどるのを諦めた。
もとより、あの子供たちはさして重要ではない。死んでいれば悲しいが、致命的な問題になるわけではなかった。
重要なのは、『ウィットネイト』だ。
筐体の選定フェーズに入っていたのは覚えている。そこから先、どうなったのか。
座っていた椅子を引きずって端末の前に移動し、画面の表示に目を走らせる。
《適切な筐体を選定しています.....》
表示されている文面は、最後に見た時とまったく同じだった。
コンソールの端でカーソルがくるくると回っているので、異常停止しているわけではないらしい。
どれだけの時間、自分が意識を失っていたのかは分からないが、その間ずっと選定を続けているようだ。
「時間がかかりすぎじゃないか……?」
過去に行った試験では、いずれの選定も長くて数分で終わっていた。
こんなに時間がかかったことはないし、こうなる心当たりもなかった。
本来の出番でこんなケースにぶち当たるなんて、と思わず舌打ちする。
この様子だと、気を失っている間に上司か誰かから叱責のひとつふたつ飛んできていそうなものだが……。
そう思って恐る恐る通信端末を見るが、特にメッセージや着信履歴は残っていなかった。
安堵した直後、おかしいと気づく。
この状況――『世界喰らい』に喰われようとしている状況で、唯一の対抗手段の動きが遅いというのに、連絡のひとつもない?
もう一度、今度は注意深く通信端末を見ると、通信回線がダウンしているようだった。
だから連絡のひとつもないのか、と納得しかけたが、それならそれで、誰かがこの部屋に怒鳴り込みに来たっておかしくないはずだ。
なのに、この部屋に自分以外の姿はない。
……とりあえず、ウィットネイトの状態については報告が必要だろう。
状況の推移も知りたいし、一度あの部屋に戻るべきだ。
そう判断した研究員は、閉めきっていた扉を開けて――眉をひそめた。
照明で明るいはずの廊下が真っ暗だ。部屋の中は煌々と照らされているのに。
空気も違う。じっとりと湿っていて、場違いな草の匂いが漂っていた。
「何だこれ……?」
ポケットからペンライトを取り出して、足元を照らしてみる。
白い廊下は床が割れ砕けており、その下から雑草が飛び出ていた。
まるで屋外のようだ、と思ってなんとなく上を見上げると、見えたのは天井ではなく、木々の枝葉。
その向こうに、満天の星空が広がっている。
「は……?!」
思わず後ろを振り返る。
自分がいま出てきた扉の向こうに、先ほどまでいた部屋が見えた。座っていた椅子が、照明に白く照らされている。
視線を前に戻すと、やはり暗い。
ペンライトを左から右へ動かすと、木の幹が立ち並んでいるのが見て取れた。まるで、真夜中の森のようだ。
前と後ろで、目に映る光景が違いすぎる。
はたしてこれは現実なのか、それとも自分の頭がおかしくなっただけなのか。
……白昼夢、という可能性もあるか。
周囲をもっとよく見ようと、ペンライトを握る手に力を込めた時だった。
ひゅっ。
どすっ。
「あ……?」
脇腹を強く突かれた、と思った直後、熱と激痛が生まれた。
思わずそこに空いた手を当てて、触れた感触が信じられず、目を見開く。
ひどく痛む脇腹から、ざらついた棒が生えている。
矢のようなものが刺さっているのだと、一瞬遅れて理解した。




