132. 番外編:エイムズの近況(中)
記憶を頼りに道を進み、ブレイズは大鷲亭に到着した。
数カ月ぶりだが、外観は変わりない。眠るように目を閉じた鷲の看板も、相変わらずだ。
扉を開けると、早めの夕食だろう、食事をとっている客の姿がちらほら見えた。
出で立ちからして、商人や賞金稼ぎのようだ。ギルドの自警団らしき連中の姿もあるが、以前ほど多くはない。
そんなふうに観察しながら中に入っていくと、空きテーブルを拭いていたウエイトレスと目が合った。
「いらっしゃ……ブレイズさん!」
「よう、久しぶり」
前回、王都まで行った時にも世話になったネリーだ。
向こうも覚えていたらしく、テーブル拭きを放り出してこちらに近づいてくる。
「元気そうね。心配してたのよ、ファーネが大変なことになってたから」
「確かに大変だったが、さすがにもう落ち着いたよ。今日は俺ひとりだけど、部屋空いてるか?」
「大丈夫よ。一人あたり五百ザルト、夕食は別で百二十ザルトね」
「じゃあこれで。夕飯も頼む」
宿泊代は以前のままだが、食事代は少し安くなっただろうか。
カウンターで支払いを済ませて、鍵を受け取る。
その際、ネリーの指に小さく光るものを見つけて、ブレイズは目を丸くした。
「指輪?」
金……いや、黄銅だろう。シンプルな装飾の金属が、ネリーの小指に巻き付いている。
この国で、小指は運命や約束事と縁深い。そこに指輪をつけることには、大きな意味があった。
「え、結婚したのか?」
「ふふふ」
ネリーは淡く頬を染めて、嬉しそうに笑う。つまり肯定だ。
「あんた、ラディと同じくらいじゃなかったか……?」
一応、この国では成人と認められる十五歳以上であれば婚姻は認められている。
とはいえ、十代で結婚することは珍しい。
とにかく人を増やさなければならない農村ならともかく、『街』と呼ばれる規模の集落の場合、男女ともに二十歳になってから結ばれるのが普通だった。
ブレイズがびっくりしていると、ネリーが笑みを苦笑に変えた。
「まあ、ちょっと事情があったんだけどね」
部屋まで案内するついでにと、ネリーはその『事情』とやらを説明してくれた。
そもそもの原因は、彼女の家族――両親と、以前エイムズに来た時、ウィットに石を投げた弟のニックなのだという。
前領主カーティスによって、街の住民と、外から来た商人や賞金稼ぎの間に軋轢があった頃。ネリーとニックの両親は、カーティスの方針に同調して余所者を敵視していた。
それなりに成長し、前領主夫人の作った学び舎の恩恵を受けたネリーは両親に反発して家を出たが、まだ幼いニックは両親の考えに染まってしまった。ニックの年齢を考えれば、無理もないことである。
その後カーティスが失脚し、息子のリアムが跡を継いだ。
リアムはネリーたちと同じ側の思想を持っていたため、商業ギルドを通して商人たちに詫びを入れ、外から来る人間への態度を改めるようにと住民に命じた。
ここで問題になったのが、それまでカーティスの方針に従って外部の人間に無体を働いていた連中である。
しぶしぶ従っていた人々はまだいい。住民が領主に逆らうような真似はできなかっただろうと、周囲も事情をくみ取ってくれる。
だが、喜々として従っていた連中はどうなるか。領主の方針だからと言い訳しつつ、外の人間に酷い態度をとり、場合によっては危害を加えていた――ニックのような連中に、周囲はどんな目を向ける?
「ニックはまだ小さいけどさ、だからって、無条件で許されるわけじゃないでしょ。まず『ごめんなさい』って謝らないと、何も始まらない」
客室の扉が並ぶ廊下を先導しながら、ネリーは言った。
「でも、あいつは謝らなかったし……そもそも、いままでの行いが悪すぎたのよね。ウィットちゃんの時みたいに、外の人に石投げたのも一回や二回じゃないし」
「それだと、いまのエイムズは居心地が悪いったらねえだろ」
「うん。だから別の街でやり直そうってことになったの。……うちの親も、ニックをそんなふうに育てて野放しにしてたってことで、周りの目が辛かったみたいだったし、ね」
そういった事情でエイムズの街を去ることにした一家だが、彼らは娘のネリーも一緒に連れて行こうとしたそうだ。
しかしネリーは街を出る気などなかったし、これまでの行いにけじめをつけないまま逃げようとする家族にも、とうとう愛想を尽かしたという。
「というわけで、バートにアタックしまくってお嫁さんにしてもらったのよ。嫁に出た娘なら、親だって無理は言えないでしょ」
「ああ、相手はバートだったのか」
この宿、『まどろむ大鷲亭』の跡取り息子である。
初めてエイムズに来た時、まさにいま話題にしているニックの件で、色々と世話になった。
彼はブレイズよりも年上だと聞いているので、おそらくネリーとは少し歳が離れていると思うのだが……。
「何考えてるか、なんとなーく分かるけど……そこは別にいいのよ」
ちらりとこちらに視線だけやって、ネリーは指輪のある手をひらひらさせた。
「バートのこと、元々狙ってたの。だから家出する時、駆け込む先にこの宿屋を選んだんだし」
「マジか」
「お目当ての人がいるなら、前もって捕まえとかないとね」
なんともまあ、したたかなことだ。
惚れた弱みが云々と聞くことは多いが、この娘は惚れた相手をそのまま尻に敷きそうである。
「ブレイズさんはいないの? そういう相手」
「いまは仕事で手一杯だなあ」
話していると、ネリーが立ち止まった。ようやく部屋についたようだ。
廊下を結構歩いた気がする。食事や出入りに便利な手前の部屋から埋まっていくようなので、奥の方へ案内されたということは、空き部屋は残り少なかったのだろう。繁盛しているようで何よりだ。
案内された部屋に入って荷物を置くと、扉の前にいたネリーが声をかけてきた。
「食事はすぐ用意できるけど、湯浴みはどうする?」
「夕飯の後に頼む。俺は自力じゃ湯が出せねえから、用意してもらえると助かる」
「分かったわ。じゃあ、落ち着いたら食堂に来てね」
そこでネリーが、ちょっと申し訳なさそうに眉を下げる。
「あの……さっき話したことだけど。そういうわけだから、ニックはもうこの街にいないんだ。本当は、ウィットちゃんにも謝らせたかったんだけど……ごめんねって言っといてくれる?」
「分かった。まあウィットは気にしねえだろうけど」
これはニックのやったことを水に流すわけではなく、ネリーに含むところはないという意味である。
ブレイズも最近になって分かってきたことだが、ウィットはそのあたり、割り切りがとても早い。反りの合わない人間は、『そういう人なのだ』と見限っておしまいにするのだ。
気にしてくれているネリーには悪いが、ウィットの中でニックはとっくに『そういう人間』の一人として処理されているだろう。
とはいえ、そのあたりをネリーにわざわざ教える必要はない。
多くを語らず頷くだけに留めれば、彼女はいいように解釈したのか、ほっとした様子で表情を緩めた。
「それじゃ、食事は用意しておくから。早めに来てね」
そう言って食堂に戻るネリーを見送って、ブレイズはベッドに腰を下ろす。
今日はほぼ一日中を荷馬車の荷台で過ごしていたので、揺れない、柔らかい場所に腰を落ち着けられるのはありがたかった。
……ひと息ついたところで腹が鳴ったので、すぐ立ち上がることになったのだが。
「ま、とりあえずは飯か」
五日ぶりのまともな寝床だが、ベッドは逃げはしないのだ。
腹を満たして身を清めて、それから寝転ぶのでも遅くはないだろう。
そんなことを考えながら、ブレイズは食堂へ向かうべく部屋を出た。
のんびり更新にお付き合い頂きありがとうございます。
次回更新は7/15~16あたりを目安に考えています。




