13. 異能
前話、ちょっと分かりにくいなと思ったのでこっそり加筆修正してます。
とすっ、と。
少し声を出すだけで、たやすくかき消えてしまいそうなくらいの、小さな音がした。
「……は、?」
ナイフを振り下ろしかけていた、禿頭の男が、呆けたような声を出す。
男の視線をたどってみれば、その手に握っていたナイフの刀身が、根本から跡形もなく消えていた。
「……なっ」
「っ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛?!」
ブレイズが声を上げかけた直後、男の絶叫が周辺に響き渡った。
ラディが作り出した炎の壁に半身を焼かれているのに、ようやく気づいたようだ。
柄だけになったナイフが、男の手からこぼれ落ちる。
「ウィット、下がれ! 早く!!」
「へ? あ、うん……」
ラディの声に、ウィットがこちらを見た。
先ほどの一瞬、緑に見えたと思った瞳は、元の青色で困惑に揺れている。
曖昧に頷くと、リオンを助け起こして炎から遠ざかった。
二人がブレイズの後ろまで下がったところで、男の頭上から水が落ちてくる。
男を焼く炎が完全に消えたところで、無精髭の男が蹲る仲間に駆け寄っていった。
「おい、生きてるか?」
「うぅ、う……」
苦悶の声が返ってきて、無精髭が険しい顔になる。
男たちから視線を外せないので振り返れないが、後方のウィットとリオンには、ラディがついているようだ。
「リオン、これを頬に。ウィットは怪我してないか?」
「っ、すみま、せん」
「僕は大丈夫……だと、思う」
ウィットの声に張りがない。先ほどのあれからずっと、ぼうっとしているように感じた。
(そういや、あのナイフは……)
男たちの周辺に視線を走らせる。
ナイフの柄は、彼らの足元にあった。そこから少し離れたあたりで、キラリと何かが白く光る。
何だ、と思って目を凝らすと、それは消えたと思っていたナイフの刀身だった。
刃先が木の床に刺さっている。
折れた、というのは都合が良すぎだ。
折った、と考えるのが正しいのだろうが……ウィットが、素手で?
(信じられねえな)
何度か触る機会があったが、ウィットの手はぷくぷくとしていて柔い。せいぜい、指先に胼胝のようなものがある程度だ。刃物をへし折れるとは思えない。
それに、柄にくっついていたはずの根本側を見ると、折れたにしては断面が妙にでこぼこしている。鉄だろうと銅だろうと、あんな折れ方をするだろうか?
「――っと、動くな!」
じり、と空気が動いたのを感じ取って、ブレイズは男たちを怒鳴りつける。
無精髭の男だろう、小さく舌打ちが聞こえた。ナイフに気を取られていると見て、仲間と共に逃げようとしたか。
捕縛してしまえばそれで済むのだが、あいにく縄も、代わりに使えそうなものも持っていない。だからといって無抵抗の相手を斬り捨てるのは気が進まないし、後でこちらが罪に問われる恐れもあった。
「ラディ、火球を……」
「リアム!!」
撃ち上げて領兵たちに知らせろ、と言おうとしたところで、後ろからでかい声がした。
次いで、鞘から剣を引き抜く音。一瞬そちらに目をやれば、目に眩しい深緋色の髪をした男が、剣を構えながらブレイズの横に並ぶところだった。
「あんただけか?」
「きみのところのルシアンも一緒だ。マーカスは先に探しに行かせたんだが……見ていないか」
「見てねえな」
男たちを見張る目が増えたので、首を巡らせてラディたちのほうを見る。
まず目に入ったのはルシアンだった。警備兵を示す腕章が腕にない。リカルドと代わってもらったのだろう。
右の頬にハンカチを当てているリオンが、彼に何事か訴えているようだ。
そこから少し離れたところで、ウィットがぼうっと自分の手を見ていた。
ラディと目が合い、彼女がちらりとウィットを視線で示したので、小さく頷いて視線を前に戻す。こちらに加わるよりも、ウィットを見ていてくれたほうがいい。
「『リアム』……?」
戻した視線の先で、無精髭の男が訝しげに呟いた。
先ほどケヴィンが叫んだ名だ、と思い出したのと同時、すぐ横から「あ」と小さく声が上がった。
(……ああ、なるほど)
それがリオンの本名か。慌てるあまり、うっかり呼んでしまったのだろう。
しかし、それだけ聞いてもぴんとこない。そもそもファーネにいると街の外の情報などほぼ入ってこないので、貴族の名前など聞かされても、どこの誰だかなんてさっぱり分からないのだが。
「リアム……あの年頃でリアムというと……」
男はぶつぶつと独り言を呟いていたかと思うと、さぁっと顔を青ざめさせた。
「リアム・レ・ナイトレイ……?! ……くそったれ!!」
「あっ、待て!」
それまでの慎重さはどこへやったのか。
男は、生きているだけで精一杯の仲間を担ぎ上げると、脱兎のごとく裏口へ走りだした。
「逃がすか……!」
後を追おうとしたところで、後ろから肩を抑えられる。
何だ、と振り向くと、ルシアンがにこにこと笑顔で立っていた。
「僕が行きます」
「えっ」
「ブレイズは彼らを連れてギルドへ戻っててください」
一方的にそう言うと、ルシアンはブレイズを追い越して、男の消えた裏口へ駆けていく。
建物を出る直前、こちらを振り返ってウインクをひとつ。
「ご安心を。身ぐるみ燃やしてすっぽんぽんにしてやります」
◇
ルシアンが走り去った後。
とにかくリオン――本名はリアムだったか――が顔に負った火傷を急いで治療するべきだろう、ということで、ギルドに戻ることになった。
ブレイズとしても、ウィットの様子が気にかかるので、戻ることに反対する気はない。
「リオン、戻る前にもう一度ハンカチを冷やしておこう」
「あ、あり、がと、ございま……っ」
「無理に話さなくていい。痛むだろう」
ラディの言葉に頷いて、リアムが頬に当てていたハンカチを差し出す。あらわになった右頬は赤く、ところどころ水ぶくれができていた。
ラディは受け取ったハンカチを水の魔術で濡らしてから、軽く凍らせてリアムに返す。
「細かい制御が上手いんだな」
「やらねえぞ、俺の相棒だ」
ケヴィンの呟きに短く返して、ブレイズは焼け焦げた床のほうへ歩いていった。
落ちていたナイフの柄を拾い上げ、刺さっていた刀身を引き抜いて、つながっていただろう部分を観察する。
遠目で、妙にでこぼこしているように見えた断面は、近くで見ると、ぐにゃぐにゃと波打ったような形をしていた。
柄と刀身で、凹凸がきれいに一致している。試しにくっつけてみると、断面がおおむね一致した。
(だが、この断面は、まるで……)
無意識に、ブレイズは眉根にしわを寄せる。
もし、そうだとしたら――なんて、馬鹿げた想像だとわかっているのに、それが頭から離れない。
「ブレイズ?」
ラディに呼ばれて振り返ると、ブレイズ以外の四人が揃ってこちらを見ていた。
ウィットもラディの隣に立っており、不思議そうな顔をしている。
……どうやら、待たせていたようだ。
「……なんでもない。用意できたなら戻るか」
ここであれこれ考えてたって、埒が明かない。
折れたナイフを腰のポーチに突っ込んで、ブレイズは彼らのほうへ歩いていった。
――まるで、親指以外の四本の指で、砂か粘土を掻き取った跡のような。
そんな形をしていると、思ったのだ。
【私だけが楽しい世界設定メモ】
・「レ」は前置詞です。主に貴族の家名の前につきます
・現実でいうところの「フォン」とか「ヴァン」とか「オブ」みたいなやつです
・フランス語の定冠詞(les)とは関係ないので、単数だろうが複数だろうが男だろうが女だろうが前置詞は「レ」です。




