129. 番外編:王都の酒場にて(前)
「では、こちらが報酬になります」
王都の商業ギルド本部。
トレイに積まれた銀貨を数えながら手持ちの財布に移し終えて、ロア・ソレイルはするりとカウンターを離れた。
お疲れさまでした、またよろしくお願いしますね。
後ろから投げられる受付嬢の声はいつもと変わらない調子で、けれどこれを聞いてやっと『依頼が終わったのだ』と実感する。
王都で生活していくうちに知り合いは増えたが、一番話すことが多いのはあの受付嬢かもしれない。
ロアのよく利用する時間帯と担当の時間が噛み合っているのか、だいたい彼女が担当になるのだ。
あからさまに作られた営業スマイルも、いまでは馴染み深いものになっている。
ロビーの壁に設置された時計を見上げると、もうすぐ夕方の六時になるところだった。
あと一時間もすれば日が沈む。ギルドもそろそろ閉める準備を始める頃合いだろう。
さて夕飯はどうしようかと考えながらギルドの出入り口に向かいかけたところで、後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、自分と同じ色の肌と濃茶色の髪をした偉丈夫が微笑んでいる。
ロアは目を丸くした。
「リカルドさん」
「や、久しぶり」
リカルド・ガルサは、以前立ち寄ったファーネの街で、ロアに王都での振る舞い方を教えてくれた地族の精霊使いだ。
平たく言えば、ロアの先輩である。精霊使いとしても、賞金稼ぎとしても。
「戻ってたんですか」
「報酬の受け取りにね。もともと本部からの依頼だったんだよ、ファーネの臨時警備員の仕事」
「ファーネといえば、あいつら元気でしたか?」
「ブレイズたちかい? まあ、いまは元気だけど」
そこで言葉を切ると、リカルドは小さく笑った。
「無事か、とは聞かないんだね。襲撃の件は王都にも伝わってるだろう?」
「フォルセ……あいつらの友達と知り合いなので。ファーネからの手紙を見せてもらいました」
「なるほど、そっちの縁があったか」
学院のフォルセ・ルヴァードと、ついでに知り合ったミリア・ミリア・リストニエの二人は、なんだかんだとロアによく依頼を出してきた。
中には別にロアでなくてもいいような内容の依頼もあったが、『癒し』目当ての依頼ばかり来るのに辟易とした時には、いい気分転換になる。
特にフォルセには、同郷のシルビオと引き合わせてくれた恩もある。なので、なるべく引き受けるようにしていた。
「彼らは手紙にどこまで正直に書いていた? まさか無傷でしたなんて書いてないよね」
「確か……『怪我がないとは言わないが、五体満足で生きている』と」
「……やっぱりか」
指でこめかみを押さえながら、リカルドが深くため息をつく。
違うのか、とロアは訝しんだ。別にリカルドの表情が暗いわけでもないので、それほど深刻なことにはなっていないと思っていたのだが。
「嘘はついてないし、結果だけ見れば間違ってないけどね。……ブレイズは意識不明の重体だった時があるし、ラディも一度死にかけた。色々あって、ウィットも大怪我したよ」
「は……」
意識不明?
死にかけた?
……戦えないはずのウィットが、どうして大怪我を?
「それは……確かに、手紙には書いてなかったな。一言も」
「文章に不自然なところがなかったなら、たぶんラディも共犯だね。ブレイズだけで書いたらボロが出る。あの子は書類嫌いで、文章を書き慣れていないから」
その時、外から重い鐘の音が聞こえてきた。
王城の近くにある時計塔が、六時を知らせる鐘だ。
「……と、もうこんな時間か。ちなみにロア、この後の予定は?」
「宿で飯食って寝るだけですね」
「ならどうだろう、一杯付き合ってくれないか? 夕飯はおごるから」
「いいんですか?」
「王都でのきみの話も聞きたいしね」
話を聞きたいのはロアも同じだ。
……というか、おそらくロアがそうなるように、リカルドは彼らの話をしたのだろう。
でなければ、わざわざ手紙に書かれていなかった怪我の話などする必要はない。
「……それじゃ、ご馳走になります」
ロアの言葉にリカルドが頷き、二人の精霊使いは連れ立ってギルドを出ていった。
◇
リカルドに連れられて入ったのは、大通りから少し外れた場所にある小さな酒場だった。
大人しめの客が多いようで、それなりに客が入っているにもかかわらず、酒場によくある猥雑さはあまり感じられない。
これはリカルドの趣味がいいのか、それとも年若いロアに気を遣っているのか。
「昼間は食堂をやっている店でね。酒より食事が欲しい時は、こっちに来ることにしているんだ」
空いているテーブルに向かいながら、リカルドが言う。
席についてすぐ、ウエイトレスが注文を取りに来た。
「『チェスカ』の水割りと特製シチュー。あとパンを。きみはどうする?」
「じゃあ、せっかくだからエールと……ザライ鳥のローストで。それとパンも」
「もっと食べていいんだよ?」
「とりあえずはこれで」
酒とパンはすぐに来た。
互いの無事に乾杯して、グラスに口をつける。季節柄かやや冷たいエールは、遠くに柑橘の香りがした。
「それで、探していた人たちは見つかったのかい?」
「いえ……ただ、手がかりはありました」
王都に着いてからのことを、ロアはリカルドに話して聞かせた。
依頼品の納品を口実にギルドに紹介状を書いてもらい、学院までフォルセに会いに行ったこと。そのフォルセの紹介で、同郷の火族――シルビオに会えたこと。シルビオに、伯父たちが王都での暮らしを断念して東へ向かったと教えられたこと。
たった数ヶ月しか経っていないのに、あの日々が妙に懐かしく感じる。
リカルドは時折相槌を打ちながら、静かに微笑んでロアの話を聞いていた。
「手がかりが途切れなかったのはよかったね。……実は心配していたんだ。この辺りに火族が居着くとは思えなかったから」
「そうですね。シルビオさんが土混じりで幸運でした」
「そのシルビオさんの店、よければ紹介してくれないかい? 同胞が武器屋をやっているとは知らなかった」
「いいですよ。あの人も喜ぶだろうし」
パンをちぎって口に入れながら、ロアは頷いた。
王都には南方民族の集まりというものがいくつか存在するのだが、どうしてもそれぞれの部族で固まってしまうものらしい。
リカルドの顔がきくのは当然地族の集まりだけだし、火族は集団になるほど王都にいない。
リカルドがシルビオの店を知らなかったのは、おそらくは単純に、シルビオがどの集まりにも属していなかったからだ。
つまり、シルビオは王都でひとりぼっちだったのだ。
武器屋を訪ねたロアを見て彼が喜んだのは、知人の息子だということもあっただろうが、まわりに同族のいない心細さもあったのかもしれない。
(……だが俺も、近いうちに、あの人を置いていくことになる)
いまはシルビオの伝手を頼って各地の同郷に手紙を出してもらっているが、その伝手もそろそろ品切れだ、と言われている。
そうなったら、実際に東へ行ってみるしかない。シルビオをまた独りにして。
リカルドと知り合わせ、あわよくば彼を通して地族の集まりのどこかに紹介してもらえれば、と。
ロアがリカルドに店を教えるのには、そういう下心も含まれていた。
土混じりのシルビオなら、地族にも受け入れられやすいはずだし。
リカルドもそれは察している――というか、そのつもりで「紹介してくれ」と言ったのだろう。なら、ありがたく話に乗っかるだけである。
「ご注文の品、お持ちしました」
注文を取りに来たのと同じウエイトレスが、テーブルに皿を並べていく。
グラスをすでに空にしていたリカルドが追加の酒を頼み、ロアにも勝手にエールを追加する。
どうやら遠慮していると思われたらしい。確かに、していないわけではないが。
ウエイトレスがテーブルを離れると、彼はスプーンを手にとって言った。
「とりあえず、冷めないうちにいただこうか」
【進捗】
・1章:完了(全27話)
・2章(旧1.5章):整合性チェック中




