123. 番外編:臨時休業(2)
用はもう済んだだろうとアイリスを追い出し、警備に戻って数時間後。
昼を少し過ぎた頃に、二階からラディが降りてきた。すでに仕事着を身につけている。
「ブレイズ、お昼は?」
「さっきウィットが持ってきてくれた」
「僕も一緒に済ませたよー」
暇だからと一階ロビーにモップをかけていたウィットが言うと、相棒は「そうか」と頷いた。
「ラディも食べるなら、台所に昨日のパンの残りがあるよ」
「うん、後でもらうよ」
「何か用事?」
「ちょっと裏で素振りしてくる。ここ最近ずっと書類仕事だったからね、少し動かないと」
その会話を横で聞いていたブレイズは、だから交代の時間でもないのに仕事着なのか、と納得した。
よく見ると、彼女の着ている仕事着はいつもより布地がぱりっとしている。午前にアイリスが持ってきたものだろう。
鍛錬のついでに、新しい仕事着の出来も確認するつもりらしい。
「あ、じゃあ僕もやろ。暇だし。ラディ、ついでに打ち込みの相手お願いしていい?」
「いいよ。私はブレイズほど流すのがうまくないけど……」
そこで言葉を切ったラディが、不思議そうな顔でこちらを見た。
「ブレイズ?」
「ん? ……ああ、なんでもない」
ごまかして、視線をそらす。
アイリスとの会話を思い出して複雑な気分になっている自覚はあったが、無意識に見つめていたらしい。
「飯はまだなんだろ? さっさと済ませて食わねえと夕飯になるぞ」
このままラディがここにいると、いまいち警備に集中できない。
内心でそんな言い訳をして、ブレイズは相棒を鍛錬場へ追い払った。
◇
一人になってしばらくすると、今度はセーヴァがロビーに顔を出した。
手に持ったトレイの上には、水の入った水差しと木のコップ、それから皿に乗ったパンがひとつ。
それをカウンターテーブルの上に置いて、彼はいつもカチェルが座っている椅子に腰を下ろした。
「ここで食うのかよ」
「一応、受付に誰かいたほうがいいだろ。急患が来る可能性もあるしな」
「カチェルと支部長は?」
「もう少しすれば起きてくるんじゃないか」
そう言って、セーヴァはカウンターに頬杖をつきながらパンをかじる。
カチェルあたりが見たら「行儀が悪い!」と騒ぎそうな行動だ。
しかしこの場にカチェルはいないので、彼を咎める者は誰もいなかった。
「てやーっ!」
窓の隙間から、ウィットらしき掛け声が聞こえてくる。
かんかんと、木剣を打ち鳴らす乾いた音も。
セーヴァが鍛錬場のほうへ顔だけ向ける。
「外はウィットか」
「あと、ラディだな。飯の前に体動かしてくるとよ」
「ウィットは声聞く限り元気そうだが、ラディはお前から見てどうだった? 顔色が悪いとかなかったか?」
「そういう違和感はなかった……と、思う」
「ならいいが」
言いながら、セーヴァは水差しからコップに中身を注ぎ、水をひと口。
小さくため息をついて、ブレイズを見上げた。
「……うちの人手不足にも困ったもんだな。お前とラディに風邪のひとつもひかせてやれない」
「ひきてえとも思わねえけどな」
軽く返して、ブレイズは肩をすくめた。
そういうことを言っているわけではない、ということは分かっている。しかし、言っても仕方のないことだ。
警備員は、そう簡単に補充できない。
戦闘力が要るのは当然だが、仕事中はずっと気を張って、場合によっては命も張らないといけないのだ。
こんな危険のある仕事、進んでやりたがる者は少ないだろう。当人が望んでも、家族が反対することだってある。
ましてファーネ支部は、南の防壁近くという立地だ。
魔境の森から出てきた獣が、防壁をすり抜けて街に入り込んでくることも稀にある。
それを相手にするのは、ギルドの警備員や居合わせた賞金稼ぎだ。
最近は国軍が防壁をしっかり抑えてくれているので、この先そういうことはなくなるかもしれないが。
いずれにせよ、警備員という職業は、ずぶの素人がいきなり始められるものでないのは確かなのだ。
「でもまあ確かに、支部長が引退するまでに、あと一人は絶対必要だな。最低三人はいねえと、誰か一人が発注でいなくなっただけで警備に穴が空いちまう」
「その支部長は引退について『ラディが嫁に行ったら考える』って言ってるわけだが、どうなんだ? そこんところ」
「俺が知るかよ」
なんだか今日は、やたらとラディの話ばかりされているような気がする。
きゃぴきゃぴしたアイリスはともかく、セーヴァにまでこの手の話を振られるとは思っていなかった。
うんざりしてため息をつくと、セーヴァは何か面白いものでも見るような目でこちらを見上げてきた。
「なんだ、何かあったのか?」
「昼前にアイリス――仕立屋んとこの娘がからかってきたんだよ。嫌にもなる」
「からかわれるような間柄に見えるって自覚はあるだろうに」
くつくつと喉奥で笑いながら、目の前の兄貴分が言う。
本当は『そう』ではない、と分かっているからこそ出る言葉だ。
「ま、お前らがどう片づこうが構わないが、仲を拗らせるような真似はするなよ」
「分かってるよ。警備に響くような喧嘩はしねえっての」
この話そろそろ終わらねえかな、とブレイズが思っているのを察したか。
セーヴァはそれ以上何も言わずに、昼食のパンを食べる作業に戻った。
裏の鍛錬場からは、まだ木剣を打ち合わせる音が聞こえてくる。
「とりゃーっ!」
「うわっ?! ちょ、ウィットそれ危な……!」
ウィットの気の抜けるような掛け声と、相棒の珍しく慌てた声。
「……何やってんだあいつら」
なんだか面白いことになっていそうな気がする。
気にはなるが、警備を放り出してまで見に行くわけにはいかない。
たとえ今日はギルドが休みで、ちょっとくらいならセーヴァに任せたって問題ないとしてもだ。
(仕事するか)
雑音にいちいち耳を傾けていたら、聞き逃してはいけないものを聞き逃してしまう。
ひとまず全てを思考の外に追いやって、ブレイズは警備に集中することにした。
「……おおっぴらに喧嘩のひとつもさせてやれないのも、情けないよな」
だから、カウンターでセーヴァがそんなことを呟いていたのも、聞こえなかった。




