122. 番外編:臨時休業(1)
臨時休業となった日の午前中、本来ならギルドを開けている時間帯。
無人のロビーに一人ぽつんと佇むブレイズの耳に、かすかなノック音が届いた。
正面出入口の扉を叩いた音だ。
扉が分厚いので、ちょっと叩いたくらいでは音が響かない。
ブレイズは扉に向かって声を張った。
「今日は休みだぞ」
「あ、ブレイズ? 入っていい?」
休みだと言っているのにお構いなしの声は、あっさりとこちらの名前を言い当てる。
つまり知り合い、おそらくはファーネの住人だということで、小さくため息をついた。
面倒なので正直入れたくないのだが、頑なに拒んでもギルドとの間に溝ができてしまう。
扉の鍵をしぶしぶ開けて、相手を迎え入れた。
「ごめんねー、早いほうがいいかと思って」
そう言って入ってきたのは、仕立屋の娘アイリスだった。
片手に、麻布の柔らかそうな包みを抱えている。
「注文されてたラディの服、できたから納品に来たのよ」
「あいつ、さっき寝たばっかだから午後にならねえと起きてこねえぞ」
昨日、ラディを先に寝かせた関係で、昼夜の警備が逆転した。
昼過ぎから夜までしっかり睡眠を取った彼女と交代でブレイズが寝たので、ここからしばらく昼の警備は彼の担当になる。
もともと二人で適当に回している警備なので、こうして寝るタイミングによって当番がずれるのはよくあることだ。
それはともかく、ブレイズはアイリスに向かって手を出した。
「渡せばいいんなら預かっとくけど」
「あ、じゃあお願い」
渡された包みは、見た目の印象通り柔らかく、そして軽い。
布の服なのだから当然なのだが……仕事中に彼女が着る服だと思うと、どうにも頼りなく思えた。
顔をしかめるブレイズに気づいているのかいないのか、アイリスは「それで」と改めてブレイズを見上げてくる。
「あんたはどう? ジャケットに不具合ない?」
「いまんとこは大丈夫だ」
答えて、ブレイズは空いているほうの腕を軽く回した。
少し前に新調した黒革のジャケットも、目の前のアイリスに頼んだものだ。
革がまだ固い気がするが、これは慣らしていくしかないだろう。
「……ん?」
ふとギルドの奥に気配を感じて、ブレイズは後ろを振り返った。
裏口は鍵を閉めているはずだが、侵入者か――と訝しんだところで、気配の主が奥の扉からひょこりと顔を出す。
「なんだ、ウィットか」
もうすっかり見慣れてしまった黒髪と青い目に安堵して、知らず肩に入っていた力を抜いた。
「話し声が聞こえたから、どうしたのかなって思って。こんにちはアイリス」
「ちょうどいい。この包み、ラディの部屋の前にでも置いといてくれるか」
「はーい」
ブレイズが差し出した包みを、ウィットは両手で受け取った。
クッションか何かのように包みを抱きしめる子供を見て、アイリスが眉根を寄せる。
「……ねえウィット、いま着てるのより暖かい服持ってる?」
「へ?」
こてんと首を傾げるウィットに何を思ったか、アイリスはブレイズをじろりと睨み上げた。
「なんだよ」
「いまの季節考えなさいよ。ずっとあんな薄着でいさせる気?」
「あー……そういう話か」
得心して、ブレイズはウィットを見やる。
ウィットがいま着ている服は、夏ごろに作ったものだ。
一年中温暖なファーネとはいえ、これから冬に入れば肌寒い日も多い。
いまのところ、涼しい日は王都への旅で使ったマントを羽織って凌いでいるようだが、ずっとそのままというわけにもいかないだろう。
「確かに、そろそろ注文しとかねえと間に合わねえか」
自分がめったに服を買い替えないので、すっかり失念していた。
さてどうしようかと考えて、丸投げすることにした。
「ウィット。ラディかカチェルに相談しとけ」
相変わらず少年のような見た目のウィットだが、女であることに変わりはない。
同性の二人に任せるのが無難だろう。
都合のいいことに、当分の間、ラディの警備当番は夜だ。
午後なら、ウィットに付き添って服の注文に行く時間も作れるだろうし。
ウィットが頷いたところで、アイリスがにやりと笑みを浮かべた。
「あら、ウィットの服には口出ししないの?」
「あ?」
どこか含みのある、嫌な予感のする笑みだ。ニヤニヤしているというか。
「ラディの服には口挟めなくて拗ねたって聞いたんだけど」
「拗ねてねえよ」
なにがどうなってそんな話になったんだ。
そう思ったところで、ウィットがそっと視線を明後日の方向に逸らした。お前かこのやろう。
ニヤニヤしたままのアイリスが、口元にわざとらしく手を当てて、一歩こちらに寄ってくる。
「もっと胸元開いてる服でも着せたかった? やーらしー」
「なんっでそうなるだよ!!」
「だってあんた、女の子見るとだいたい顔か胸見てるじゃない」
「見たくて見てるわけじゃねーよ!」
人より上背があるせいで、女性は見下ろす形になり、たいてい顔と胸しか視界に入らないだけだ。
椅子に座っても、目の高さには胸がくるし。
心の底から言い返したかったが、この場でどう反論してもアイリスには響かないような気がする。
ブレイズは軽く息を吐くだけで全てを流すことにした。
「つーか、ラディに関しては逆だ逆」
「何がよ?」
「お前が持ってきた服もそうだが、あいつの服は薄すぎだ。……本音を言うなら、胸当てくらい着けてほしいんだよ」
以前から、特に胸のあたりが手薄なのは気になっていたのだ。
この場でわざわざ口にはしないが、濡れると布が肌に貼りついて輪郭が丸わかりになるところとか。
いままでは、自分が前に立っていればいいだけだと思っていたから、思うだけに留めていた。
しかし、過日の襲撃の一件で、目の前で致命傷を負ったのを思い出すと――。
思い起こすだけで心臓を握り潰されるような感情を、ブレイズはぐっと呑み込んだ。
この思いを、目の前の二人にぶつけても仕方がない。ぶつけるなら、当のラディであるべきだ。
そんな自制があったことを知る由もないウィットとアイリスは、互いに顔を見合わせた。
「……僕、最近分かってきたんだけど、ラディはブレイズが防具つけない限り絶対に自分も防具つけないと思う」
「ていうか、ジャケットはともかく胸当ては仕立屋に言われても困るわ。ガチの防具じゃない」
こいつらそろそろ叩き出していいんじゃないだろうか。
好き勝手言う二人を前に、ブレイズはそんなことを考え始めた。




