120. 番外編:弱小支部がいつも暇とは限らない(中)
冒頭以外はぼんやりとした三人称でお送りします
宿屋でブレイズが借金取りのごとく書類の取り立てをしていたのと同時刻。
商業ギルド支部に、一人の青年が駆け込んできた。
「大変だセーヴァ先生! 木工屋の爺さんが食ったら腹を壊すキノコを食って腹を壊した!」
「当たり前なんだよクソが!!」
セーヴァはペンを握ったままの拳を机に力いっぱい叩きつけた。
机の揺れが伝わって、隣の席のラディが嫌な顔をする。彼女がこういった感情を表に出すのは珍しいことであったが、それを指摘する余裕のある者はこの場にいなかった。
「このクソ忙しい時に……あのジジイ、いっぺんあの世見たほうがいいんじゃねえのか」
しかし自業自得とはいえ、急患を放置するわけにもいかない。
セーヴァはいまいましげに舌打ちしながら席を立った。診療道具の入ったカバンは医務室だ。
同時に、カチェルとラディもまた席を立った。
手元にある書類の束をそれぞれ一つ、セーヴァの机に積み上げる。
それを見たセーヴァは、医務室へ向かいかけた足を止めて口を開いた。
「……なんだ?」
「計算間違ってて出し直しの書類。外出るならついでに持ってって」
「私のもそうだ」
「あ、僕のもいいかな」
支部長が手元の書類を持ち上げると、カチェルの手がそれをかっさらう。
彼女が書類に軽く目を通す間に、ラディが革の書類ケースを棚から出してきた。
「準備してきたら? 書類は確認してケースにまとめとくから」
「……ああ」
流れるような手際で仕事を押し付けられたことに閉口しつつ、セーヴァは気を取り直して道具を取りに行く。
駆け込んできた青年が、所在なさげにおろおろと視線をさまよわせていた。
◆
ギルドの裏口から出ていく医者の姿を、物陰から見ている人影がふたつ。
どちらも襤褸のマントを体に巻き付けた、薄汚れた格好の男だった。
「これで男がふたり消えたか」
「ツイてるな。勝手に手薄になってくれるとは」
男たちはにやりと口の端をつり上げ、互いに顔を見合わせる。
「確か男は三人で、あとは女子供だって話だったよな?」
「ああ。しかし残りの一人は支部長らしい。滅多なことじゃ外に出てこねえだろう」
「一人だけならどうにでもなる。それより急ぐぞ。出てったばかりの青髪はともかく、茶髪のほうはいつ戻ってくるか分からねえ」
彼らは、ファーネを訪れた商人に護衛としてついてきた賞金稼ぎだ。
護衛の仕事はつつがなく終えたものの、商人は「帰りは空荷だから」と護衛費をケチって、彼らを置いて行ってしまった。
辺境のどん詰まりにあるさびれた街では、賞金稼ぎ向けの仕事などほとんどない。
一応、魔境の森の珍しい獣や植物を高値で買い取るという依頼はギルドに出されている。
しかし、それまで見通しのきく平原でしか活動したことのなかった彼らにとって、魔境の森は少々荷が重かった。
そうして、ちょうど十日前。
彼らはとうとう、手持ちの金を使い果たしてしまった。
もはや宿に泊まる金も、他の街まで行くための路銀もない。
廃屋で寝泊まりし、市場の路地裏で残飯を漁ってなんとか食いつないできたが……そんな生活にも、そろそろ耐えられなくなってきたところだった。
この街には仕事で来ただけで、街や住人にかける情などない。
そんな彼らが、生活を立て直すために手段を選ばなくなるのは、まあ、よくある話だった。
「のこのこと上納金を持ってくる店主を狙うつもりだったが……」
「もっと金のある所が無防備になってくれたんだ。ありがたく頂くのが筋ってもんだろう」
頷き合うと、男たちはこそこそとギルド支部へと近づいていく。
その中に、『連日の徹夜と書類仕事でイラついた魔術士』というとんでもない爆弾があるとも知らずに。
◆
「いらっしゃい。ご用件を――」
「金出しな姉ちゃん!」
「後にしてくれ」
カウンターで来客を出迎えたカチェルに男がナイフを向けた瞬間、男の頭にラディから火球が飛んだ。
「あぢっ?! あ、うわ、あああああ!!」
火球が弾け、男の頭髪に火が燃え移る。
しばらく風呂どころか水ですすいですらいない髪は、脂でべたついているせいか、よく燃えているようだ。
カウンターから下がりつつ、カチェルが嫌そうに顔をしかめる。
「ちょっとラディ、書類が燃えたらどうするのよ」
カチェルは手元に人の頭ほどの大きさの水球を作り出すと、それを男の顔めがけてぶつけた。
「へぶっ」
ばしゃん、と派手に水飛沫が飛び、カウンターの外側が水浸しになる。
しかし火の勢いが思ったより強かったのか、後頭部の火がわずかに残ってしまった。
「ああすまない」
抑揚のない声で言って、ラディがペンを持っていないほうの手を男に向ける。
男の周囲の空気が一気に冷えた。
カチェルのせいで濡れた髪や服が凍り、そこから氷が育つように膨れ上がる。
やがて男の上半身は、腕ごと白い氷に包まれてしまった。
「これでいいだろう?」
「……っ」
体を一気に冷やされて、男の顔が真っ青になる。
血の巡りが悪くなったのか、それとも上半身の重みに耐えかねたのか、ふらりと足元がふらついた。
氷からはみ出た手から、ぽとりとナイフが滑り落ちる。
それらを意に介する素振りすら見せず、ラディが再び書類に向き直ろうとした時。
がしゃん、と裏口から音がした。
◆
表から強盗に入った男が、ラディとカチェルに秒殺されるより少し前。
もう一人の男は、ギルドの裏口から忍び込もうとしていた。
彼らの認識において、警戒すべきは男である支部長ひとり。
だから、片方の男が表から強盗に入って支部長の注意を向けている間に、裏口から侵入した自分が金を奪うという計画を立てた。
おおかた、どこかの部屋にまとめて金をしまい込んでいるのだろう。
ちょっと探して見つかれば盗んで終わりだし、見つからなければ、ギルドにいる女子供を捕まえて保管場所を吐かせればいい。
場合によっては、捕まえた女子供を人質にとって、支部長に金を持ってこさせることだってできる。
つまり、この計画の肝は自分なのだ――と。
ちょうど、相方が軽視していた女ふたりに頭を燃やされている時に、この男は気合を入れ直していた。
(よし――)
先ほど出ていった青髪の男が急いでいたのだろうか、閉じきらず半開きになっている扉に手をかける。
音を立てないよう、ゆっくりと扉を引き開けて――。
がしゃん!
上から落ちてきた何かが、足元で大きな音を立てた。
「うお?!」
驚いた男が足元を見ると、床に金属製のドアベルらしきものが転がっている。
裏口の扉につけられていたのが、運悪く外れてしまったのだろう。
――と、そこまで観察して、はっと男は我に返った。
(どうする……?)
こうして音を立ててしまった以上、ギルドの職員に気づかれず忍び込むのはもう無理だ。
しかし仲間が表で支部長の目を引き付けているのだから、このまま強引に入ってしまってもいいような気がする。
物音に気づいて様子を見に来るとしたら、支部長以外の女子供だろう。
それを逆に捕まえて人質にする方針で――と、そこまで考えたところで。
前方へ伸びる廊下に、紫色の髪をした女が飛び出してきた。
男の判断は早かった。
片手でナイフを抜きつつ、女めがけて突進する。
女は不機嫌そうに顔をしかめると、こちらへ向けて右の手のひらを向けた。
視界が一瞬で白一色に染まる。
「へ?」
ゴッ。
頭に衝撃、少し遅れて痛み。
ぐらりと視界が揺れて、男はその場にひっくり返った。
ぐわんぐわん、頭の中が揺れているような感覚。
そのまま廊下の天井を眺めるしかなかった彼の目に、先程の女が映り込んだ。
よく見れば、人形のように整った顔立ちをした女だ――売るところに売れば高値がつくだろうな、と今更なことを考える。
女は冷ややかな目つきでこちらを見下ろすと、持ち上げた右手の上に、白い氷塊を生み出した。
(ああ――)
魔術士だったのか、とか、さっきの衝撃は氷塊をぶつけられたのか、とか。
男が得心したと同時、彼女は氷塊を男に叩きつけた。叩きつけた。叩きつけた。
「この、忙しい、時に! 面倒、かけるんじゃ、ない!」
氷塊を生み出しては叩きつけてくる女の怒りに満ちた形相を、倒れた男は眺めるしかなく――。
やがて額に命中した一撃に、あっけなく意識を刈り取られた。
◆
ウィットが仔鹿亭から戻ってきた時、ギルドの前には、上半身を氷で覆われた男がふたり転がっていた。
片や頭髪が焦げてチリチリで、もう一方は殴られたのか、顔がパンパンに腫れ上がっている。
意識があるようには見えないが、時折うめき声が聞こえるので、死んでいるわけでもなさそうだった。
焼きたてのパンが詰まった籠を抱えて、ウィットはそれをじっと見下ろす。
「……なにこれ新手の雪だるま?」
そのつぶやきは共通語ではなく彼女の母国の言葉だったが、聞きとがめた者は誰もいなかった。
【おしらせ】
リアルで業務多忙のため、年内の更新はこれにて最後になります。
(余裕があればもう1回くらい更新したいですが…できるかなあ)
少し早いですが、本年もお付き合いくださりありがとうございました。
Q. たかだか20万字改稿するのにどんだけ時間かけとんじゃい
A. ごめんなさい
番外編のネタが尽きたら諦めて第二部を始めるかもです…。




