114. 番外編:雨の中の採取依頼(1)
すみません、ちょっと遅れました。
「雨、止まないねえ」
「そういう季節だからな」
ファーネ支部の一階ロビーにて。
利用者のいない応接スペースに腰かけて暇そうにしていたウィットに、同じく暇なブレイズが相槌を打った。
夜警に備えて仮眠を取るにはまだ早く、雨のせいで日課の鍛錬もできない。雨の時期はいつも憂鬱だ。
ファーネの街には、一年に三つの雨季がある。
春先の冷たい雨の季節、初夏の長雨の季節、秋の嵐と大雨の季節。
ウィットを拾ったのは初夏の雨の頃で、いま彼らが話題にしているのは秋の大雨だ。
――そういえば、ウィットと出会ってから季節ひとつ過ぎたのか。
相変わらず素性はちっとも分からないのだが、人となりはなんとなく見えてきた。
自立心が強く、血を見るのが苦手で、脂っこいものをパンに挟んで食べるのが好きな子供。
体を動かすのも好きなようだから、雨が憂鬱なのはブレイズと同じだろう。
「毎年のことだけれど、この時期の値付けは面倒ね」
カウンターに両肘をついて、カチェルが物憂げにぼやく。
「小麦粉なんかは濡れるとダメになるから、輸送に手間かけたりお金かけたりで、輸送費が高くつくのよね」
「移動も大変だから、納品も遅れがちになるしねえ。僕も発注じゃ苦労したもんだ」
カウンターの奥から、支部長の同意する声もした。
どうやら事務作業が一段落したらしい。そろそろ昼食の時間が近いので、一段落つけた、が正しいのかもしれないが。
「あー、この雨だと道ぐちゃぐちゃだもんねえ」
椅子にまたがったウィットが、背もたれに顎を乗せて足をぷらぷらさせる。
「リアムが道の整備してるらしいから、それが終わったら少しはマシになるんじゃない?」
「雨季が明けるまでは、その工事も中断だろうけどね。……それとウィット、ご領主様に馴れ馴れしい呼び方はしないように。もう立場が違うんだからね」
「はぁい。表じゃ言わないよ」
支部長からの注意に、ウィットは手をひらひら振って応じた。
領主の代替わりは、ファーネの街ではさほど混乱なく受け入れられた。
まだ十代のリアムが領主をやることを不安視する声は当然あったが、それ以上に先代カーティスへの反感が強かったからだ。
過日の襲撃時にとった行動の差もあって、リアムの人柄はそれなりに信用されているらしい。
実際、リアムに代替わりしてからファーネの状況は少し改善された――少なくともブレイズはそう思う。
人頭税は上がったが、関税が引き下げられたので物価が下がり、市場の品揃えも良くなった。
これまで放置されていた街道の再整備にも手を付けたそうだから、領内の物の巡りもこれから良くなっていくだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていると、警備に立っているラディがふいに顔を上げた。横の出入り口をちらりと見る。
何事かと相棒に声をかけるよりも先に、出入り口の扉が開いた。かろろん、とドアベルが鳴る。
「戻った」
入ってきたのは、往診に出ていたセーヴァだった。
羽織っている薄い外套の表面から、水滴がぽろぽろと床に落ちていく。
麻布に蜜蝋や樹液を塗って水を弾くようにしたもので、この辺りでは一般的な雨除けだ。
「ちょっと、入ってくるなら裏口使ってよ」
「俺だけならそうしたさ。客だ」
カチェルの文句に言い返して、彼は親指で自分の背後を示す。
そちらへ視線をやると、扉の陰から、おずおずとこちらを覗き込む顔があった。
「お昼前にすんません……」
セーヴァに促されて入ってきたのは、見慣れた革鎧をつけたずぶ濡れの男。
つい最近、ファーネにやってきた領兵の一人だった。
◇
「ちょっと商業ギルドさんに、依頼を出したくて」
貸したタオルで髪を拭きながら、その領兵は言った。
「採取依頼なんすけど」
「ファーネ支部に話を持ってくるってことは、魔境の素材かい?」
「あ、はい」
カウンターで相手をしているのは支部長だ。
カチェルは昼食の準備で席を外しており、ウィットはその手伝いに行った。
ブレイズはその場に居残りだ。魔境の素材を採取してくるなら、それは自分かラディの役目になる。
髪をあらかた拭き終わった領兵は、首にタオルをかけて続けた。
「見ての通り、ファーネに配属された領兵は雨用の装備を持ってません。……このへんは先代が予算を絞ってたせいですね」
「防壁もろくに整備できていなかったしねえ」
「ええ、そんな金があるなら防壁と武器に回せってことで。俺は少し前までエイムズ配属だったんで、当時の苦労は想像するしかないんですが」
領兵の話しぶりから察するに、エイムズの街では領兵に雨用の外套が用意されていたらしい。
考えてみれば、エイムズは領主のお膝元だ。領兵にもエイムズ出身の若者が多い。
つまり領兵の家族もエイムズに住んでいるわけで、自分たちの父親や息子が雨除けもなくずぶ濡れで外に立たされていれば、文句のひとつふたつ出てくるだろう。
先代領主カーティスの関心は、自分の拠点であるエイムズと、大街道沿いにあるイェイツの街に限られていた。
逆に言うなら、この二つの街だけは、そこそこまともに治めていたのかもしれない。
……街ふたつしかまともに治められなかったので、領主の地位を降ろされたわけだが。
以前いたジーンたちは思っていたより苦労していたんだな、とブレイズが思っている間に、領兵の話は進んでいた。
「で、当代になってきちんと予算がついたんで、雨用の靴や外套なんかも手配してたんですが……納品より先に雨季が来ちまいまして。道の整備もまだまだですし、食料品を優先してるんで、今季中の納品は期待できなくなりました」
「なるほどね」
そこまで話を聞いた支部長が、得心するように大きく頷いた。
「察するに、自分たちで作ってしまおうと?」
「はい。せめて立哨と、巡回する連中の分だけは用意しときたくて。風邪でもひいて欠員が出たらことですし……へっくしょん!」
大きなくしゃみで言葉が止まる。
言っているそばから、当人が風邪をひきかけているようだ。
「依頼したいのは、魔境の森にあるという『テルペ』という松の木の樹液です。要するに松脂っすね、精製して溶剤に使います」
「ふむ……この前の襲撃で傷ついた木も多いだろうし、いまなら傷口にそれなりの量が固まってるだろう。急ぎかい?」
「なるべく早いと嬉しい、って程度っすかね」
そこで支部長がこちらを見たので、ブレイズは口を開いた。
「行くのは構わねえけど、仮に戻ってこられなくなった場合の警備はどうする?」
「あ、日程教えてくれれば領兵で警備代わってもいいよ。一日二日くらいなら昼夜で二人ずつくらい出せる」
ブレイズが懸念を口にすると、領兵が軽い口調で言った。軽快な喋り方は、どこかジーンに似ている。
「カチェルさんについても話は回ってきてる。『第三王子殿下のお墨付きがあるから、国王陛下以外のいかなる身分であっても遠慮は無用』ってリア……じゃなくて領主様から言われてるし」
「……やっぱ友達から上司ってのはやりにくいか?」
「そりゃな」
ジーンと同じくリアムの友人らしい領兵に聞くと、彼は苦笑して肩をすくめた。
「でもまあ、線引きはちゃんとしないとな。先代が仲間と馴れ合ったせいで失敗したの見てるし、いまは外から来た人の目もあるから」
「あー、事情知らねえ連中から見たら、領主が舐められてるように見えんのか」
「そ、だからボロ出せねえの。……それに、そうなったらジーンも怖えし……」
「ん? 何だって?」
「いやなんでも」
最後にぼそりと何か言ったような気がするが、聞き返しても首を横に振られてしまった。
それはともかく。
領兵が警備を代わってくれるのなら、ラディも一緒に連れて行っていいかもしれない。
そもそも対人戦闘においてはブレイズたちより領兵のほうが手慣れているし、ノウハウもある。実力は十分のはずだ。
カチェル狙いの連中、特に他領の貴族あたりが身分を振りかざしてきても、リアムから話が通っているなら容赦なく叩き出してくれるだろう。
ちらりと出入り口のラディを見ると、彼女は小さく頷きを返してきた。口を挟むことはないらしい。
ブレイズは領兵に向き直った。
「そういうことなら、近いうちに行ってくる。準備の目処が立ったら相談するよ」
獣も落ち着いてきたことだし、現在の森の様子も見ておきたい。
退屈で憂鬱な雨季の、いい気分転換になりそうだった。




