110. 番外編:ファーネ支部の朝
ネタに困って遅れました
「今日はお休みなので、ギルドの受付には出ません。着替えたら朝食の支度をして、午前は洗濯をします」
カチェル・カティアの一日は、その日の予定を声に出すことから始まる。
第三王子ケヴィン・クライヴの庇護下に入ってからの習慣だ。
致命傷すら癒す治癒魔術士は、王侯貴族にとって喉から手が出るほど欲しい人材である。
しかし先天的な素質が必要なため数が少なく、王族はともかく貴族間では奪い合いになるのが常だった。
治癒魔術士であることを明かしてから、カチェルはそんな、奪い合われる立場になった。
在野の治癒魔術士など、ひとたび見つかってしまえば、手段を選ばず自分に仕えさせようとする貴族が必ず出てくる。
即座にケヴィンという王族の庇護を受けたことで大半は大人しくしているようだけれど、それでも諦めない者がいないわけではなかった。
あわよくば、秘密裏に、そんな考えでカチェルに接触を試みる者はそこそこ多い。
手紙や面会依頼などは、支部長とセーヴァがうまく処理してくれている。
ギルドに押しかけてくるようなのは、ブレイズとラディが適当なところでつまみ出してくれていた。
問題は、そのような穏当な手段をとらない手合いだ。
「洗濯が終わったら昼食を作って……午後はどうしようかしら。決まったら言いますね」
ちらりと頭上に視線を向けて、カチェルはベッドから下りた。
かたん、天井の板がわずかに揺れる。
誘拐や脅迫への対策として、カチェルには陰ながら護衛がついているらしい。
そんな彼もしくは彼女の仕事がやりやすいようにと、カチェルは一日の始まりに予定を告げるようになった。
◇
「あれ、カチェル? 今日お休みじゃないの?」
朝食の支度をするためキッチンに入ると、先客が二人いた。
ラディとウィット。カチェルにとっては可愛い妹分である。
「ご飯くらい作るわよ」
「休みの日くらい、ゆっくり寝てればいいのに」
「そういうウィットは珍しく早起きね?」
「カチェルがお休みだと、ラディが一人で大変かなって思って」
頑張って起きた、と笑う少女が可愛くて、思わず頭を撫でそうになる。
踏みとどまったのは、料理中にそんなことをすれば髪の毛が落ちて料理に入ってしまうからだ。
「それで、どこまで作ったの?」
「スープは昨夜の残りがあるから、水でかさ増しして塩を足してある」
それまで黙って鍋をかき混ぜていたラディが言った。
「具がちょっと物足りないから、キャベツとベーコンでも足そうかなと」
「いいんじゃない? その二つなら、火が通るまでそんなに時間いらないし」
手を洗ってからスプーンで味見して、問題なかったのでスープはそのままラディに任せることにする。
ウィットがパンを切っていたので、カチェルは食器の準備をすることにした。
スープボウルと皿をテーブルに並べていると、ウィットから声がかかる。
「カチェルー、パンの厚さどのくらいがいい?」
「薄切りを二枚ちょうだい」
質問に答えながら、食器棚の端にあるジャムの瓶を取り出した。
木苺、イチジク、林檎。北以外を山と森に囲まれたファーネの街は、果実と蜂蜜に困らない。
「僕も二枚にしよっと。ラディは?」
「薄切り一枚」
「……ブレイズ怒るんじゃない?」
「言わなきゃバレないよ」
身も蓋もないことを言うラディ。
……まあ、夜警当番のブレイズはラディと交代で朝食になるので、彼が彼女の食事量を目にすることはないのだけれど。
(大人しそうに見えて、ブレイズにはわりと我を通すのよねえ、この子)
これも一種の甘えなのかしらと、そんなことを思いながら、カチェルは井戸水を沸かして茶を煮出した。
スープは熱いほうがおいしいので、茶は少しぬるめくらいが良さそうだ。
「そろそろスープもいいかな」
そう言ってラディがスープをよそい始めたところで、キッチンのドアが開いた。
まだ眠そうな顔の男が、のっそりと顔を出す。
「おはよーセーヴァ」
「……ああ」
「あなた、また遅くまで書類仕事してたの? そんな死んだ目で受付にいたら、お客さん怯えるわよ」
「その頃には目も覚めてんだろ」
あくびを噛み殺しながら言い返してくるセーヴァに、カチェルは茶の入ったコップを渡した。少しは目が覚めるはずだ。
普段は医務室にこもりっぱなしのセーヴァだが、一応、扱いとしては事務員になる。
なのでカチェルが休みの今日は、彼女の代わりに彼が受付カウンターに座ることになっていた。
人当たりはぶっちゃけ良くないので、本当に臨時の役割だ。
警備の人員に余裕があれば、ラディにやってもらったほうがマシである。余裕がないからセーヴァになったのだけれど。
「セーヴァ、パンの厚さは?」
「適当に厚めの一枚くれ。ラディ、スープ多めで」
セーヴァは棚からトレイを引っ張り出すと、茶の入ったコップ、パンの乗った皿、スープの入ったボウルとスプーンを乗せて持ち上げた。
彼はいつも、キッチンのテーブルではなく医務室で食事をする。
忙しかった頃、食べながら書類仕事をしていた習慣を引きずっているらしい。
カチェルはそれをあんまり良く思っていないのだが、キッチンが狭く全員は入り切らないので、何も言えないでいた。
「ラディ、あとはやっとくからそろそろ食べちゃいなさい」
「分かった」
「ウィットもお先にどうぞ。食べたら交代ね」
「はーい。ちゃちゃっと食べちゃうね」
これから警備の仕事があるラディと、食べ盛りのウィットを座らせて、カチェルはスープをよそってやる。
二人はそれぞれ林檎と木苺のジャムを薄切りのパンに乗せて、同時にぱくりとかじりついた。姉妹みたいでちょっと可愛い。
「そういえば、支部長まだ来ないわね?」
「外で鍛錬してたから、井戸で顔洗ってから来るんだと思う」
「えー、じゃあ、もうちょっと早起きしてたら稽古つけてもらえたんだ」
「交代したらブレイズに言えばいい。どうせ食後の腹ごなしで素振りするだろうから」
お喋りしながら、二人は朝食を手早く腹におさめていく。
朝の慌ただしい時間に、食事を味わっている暇はないのだ。
先に食べ終えたのはラディだった。
「すまない、洗い物は頼んだ」
「ええ、いってらっしゃい」
コップの茶を一気飲みしてラディが出ていってから数分後、ウィットが食べ終えて席を立つ。
「ごちそーさま! お待たせカチェル」
「私は時間あるんだし、慌てなくてよかったのに」
「お腹へったまま待たせるのも悪いじゃん」
ほら座って座って、と急かされるので、カチェルは自分のスープをよそってテーブルについた。
なんとなく、二人が選ばなかったイチジクのジャムに手を伸ばす。
「そろそろ木苺の旬が終わるから、いまのうちにジャムをもうひと瓶買っておきたいところね」
「今日の買い出しで買っとこうか?」
「そうね、お願い」
食べながらウィットと話していると、ようやく支部長が顔を出した。
短く刈った髪から水が滴り、首にかかったタオルに吸い込まれていく。
「おはようございます。遅かったですね?」
「久々に動いたら汗が止まらなくてね。人前に出られる状態じゃなかったから、着替えるついでに浴室で全身流してきたんだ」
「今日は暑いもんねえ」
頷きながら、ウィットが水差しからコップに茶を注ぐ。
そのまま支部長に渡そうとするのを遮って、魔術で少しコップの中身を冷やした。
体を動かしてきた直後なら、冷たいほうがいいだろう。
「ああ、二人ともありがとう」
支部長は冷えた茶に口元を綻ばせた。
これまでと同じようにウィットがパンの切り方を聞いて、スープをよそう。
カチェルが一枚目のパンを食べ終えた頃になって、ブレイズが入ってきた。
「ブレイズおつかれー、パンにする? スープにする?」
「いや両方くれよ」
ウィットの軽口に突っ込みながら、ブレイズはカチェルの隣の椅子に腰を下ろす。
カラフェから勝手に茶を注いで口をつけつつ、彼はカチェルに視線を向けた。
「カチェル、今日は休みだっけか。どっか出かけんのか?」
「さあ、どうしようかしら。午前は洗濯でもしようと思ってるんだけど」
「さっき領兵が来て教えてくれたんだけど、夜中に市場の工芸品の区画で盗みに入られた店があるってよ。犯人まだ捕まってねえらしいから、買い物行くなら気をつけろよ」
そう言って、ブレイズはウィットが持ってきたパンにかじりつく。
スープをかき込んでいた支部長が、真面目な顔になって口を開いた。
「ブレイズ、それ、ラディには引き継いだかい?」
「引き継いだっつーか、領兵から話聞く時に一緒にいた。セーヴァにも話してあるよ」
それならいい、と支部長が頷く。
食事を続けるブレイズを見て、カチェルは思わずつぶやいた。
「あなた、立派に警備員してるのねえ」
「どういう意味だよ」
聞きとがめたブレイズが憮然とする。
それが無性におかしくて小さく笑いながら、カチェルは空になった食器をまとめて立ち上がった。
見れば、支部長も面白そうな顔でブレイズを見ている。
よく分かっていない様子のウィットが、不思議そうに首を傾げた。
さて、午後は何をして過ごそうか。
頼もしい弟分からの警告もあったのだから、市場に行くのはやめたほうがよさそうだ。
(……ま、午前いっぱい使ってゆっくり考えましょうか)
休日はまだ始まったばかり。
手持ち無沙汰になりそうで、時間はたっぷりあるのだから。
Q. 男どもは料理しないの?
A. できなくはないけど基本的に邪魔
・ブレイズ:背が高くて台が低すぎる+自力で火を起こせないので誰かのサポートが必要=お前でかくて邪魔と言われがち。カチェルから基本は教わっている。
・支部長:縦にも横にもでかいムキムキマッチョマンなので、狭い台所だと動線を塞ぐ。実は料理好きなので、真夜中にこっそり夜食を作って食べたりしている。台所の拡張がしたい。
・セーヴァ:大酒飲みなのでやたらと味の濃いものしか作らない。仕事が落ち着いた頃に作ってカチェルをキレさせた過去がある。栄養学はかじった程度。




