107. 番外編:王子様は試合に飢えている
「はははははは遊びに来たぞオーデット!!」
「帰ってくんねえかな」
「ブレイズ」
「……分かってるよ」
たしなめる相棒の声に、ブレイズは渋々ギルドの出入り口へと視線を向けた。
良く言えば目の覚めるような、いまの心境では目にやかましい、鮮やかな赤髪を持つ軍服姿の男が堂々と立っている。
外側に開け放された扉を後ろで押さえているのはマーカスで、目が合うと小さく笑いながら手を振ってきた。
(客がいなくてよかった)
一人でもいたら面倒なことになっていた。
何しろ、商業ギルドの客は大部分が商人だ。
商機を見出すため、もしくは商売を円滑にする世間話のタネとして、面白おかしい話には目がない連中ばかり。
ただでさえ、いまのファーネ支部はカチェルの件で妙な知られ方をしているのだ。
王子様が遊びに来るギルド支部だなんて、そんな噂が追加で広まるのは勘弁してほしい。
ブレイズがげんなりしていると、応接スペースの掃除をしていたウィットがひょこひょことケヴィンに近づいていった。
「殿下ー、お仕事は?」
「急ぎのものは終わらせた!」
「急ぎじゃねえもんは残ってんですけどねえ」
「む、今日の警備はレイリアか。怪我はもう大丈夫なのか?」
「おかげさまで」
マーカスからの聞こえよがしの皮肉をきれいに黙殺して、今度はラディに絡み始めるケヴィン。
さすがに警備の邪魔をされるわけにはいかないので、ブレイズは深くため息を吐いてから口を開いた。
見ている限り、『お友達対応』で問題ないだろう。
「……で、何しに来たって?」
「オーデット、暇か?」
「昼過ぎくらいまでなら、まあ」
実のところ、今日はラディの復帰初日なので、何かあった時のために近くにいようと思っていたのだが。
このままケヴィンに居座られるほうが、よっぽど彼女の負担になるだろう。
「夜警で仮眠しなきゃなんねえから、あんま長くは付き合えねえぞ」
「ふむ、それなら……」
ブレイズの返答に、ケヴィンは少し考える素振りを見せてから。
「よし、手合わせをしよう!」
やけにきらきらとした瞳で、そう言った。
◇
備品倉庫から木剣をいくつか引っ張り出して外に出ると、鍛錬場では上着を脱いだケヴィンが柔軟体操をしていた。
脱いだ上着は、近くに立つマーカスの腕にかかっている。それを見て、ブレイズはこっそり安堵した。上等そうな服だったので、正直やりにくいと思っていたのだ。
……相手が王子様という時点で十分やりにくいのだが、それは言わぬが花というものである。
「いやあ、久々に体を動かせるな!」
「国軍さんで訓練とかやんねえの?」
「王族が混じると兵が萎縮するからやめろ、とレスターに言われてしまってなあ……」
実際は「頼むからやめてくれ」と懇願したんだろうなあ、とブレイズはなんとなく思った。
レスター隊長はいかにも軍人といった雰囲気の偉丈夫だが、あれで細かい調整などに気を配っている苦労人だ。
この、まったく大人しくしていない王子様の扱いに苦慮しているのだろう。それも仕事のうちなのだろうが、個人的には同情する。
「やるなら兵の見ていないところで、後腐れのない相手とやれと言われた」
「それで俺かよ」
同情心が一瞬で吹き飛んだ。
つまりこの状況の元凶じゃねえかふざけんな。
「つっても、俺あんま対人は得意じゃねえぞ」
「そうなのか?」
「意外っすね」
目を丸くするケヴィンの後ろで、マーカスもきょとんとした顔をした。
「警備員だし、手慣れてると思ってたんすけど」
「俺の剣術は獣相手を想定して叩き込まれてっから、死ぬか殺すかみたくなっちまって。無力化とか、戦意を失くさせるような立ち回りとか、そういうのはちょっと……」
これは別にブレイズに限ったことではなく、ラディや支部長も同じである。
とはいえラディは魔術をうまく使えばどうにでもなるし、支部長はあの巨体だから、力まかせに押さえ込んでしまえばいい。
実のところ、最も警備員に向いていないのはブレイズなのだ。
「じゃあ、普段の警備で変なの来た時はどうしてるんすか?」
「抜かないで鞘ごとぶん殴るとか、あとは体術? 抜き身の剣は脅しにしか使わねえかな」
マーカスの質問に答えると、今度はケヴィンが首を傾げる。
「……つまり、どういうことだ?」
「俺が対人やると基本急所狙いになるし、剣だけじゃなく手も足も出るぞってこと」
「ああ、純粋な剣術試合にはならないという心配か」
ケヴィンは「構わない」とあっさり言った。
「実戦に近い手合わせができるなら、それに越したことはないからな」
「打撲くらいは覚悟してもらうことになるんだけど……」
「なに、気にするな。仮に傷を負ったとしても、ここにはカチェル殿がいる」
「そういうことかよ……」
護衛のはずのマーカスが止めないわけだ。
死ななければ治癒魔術でなんとでもなるし、ブレイズに殺意はないのだから死ぬ危険も少ない。
……セーヴァとカチェルには、死ぬほど怒られそうな使い方だが。
ともかく合意が成立したところで、ブレイズは抱えていた木剣を足元に下ろした。
自分の得物に一番近い、ロング・ソード型を手に取る。
ケヴィンは短剣型とショート・ソード型の二本を選んだ。二刀流らしい。
残った木剣は、まとめてマーカスの足元に置いた。
「マーカスさん。俺らが熱くなりすぎて止めたくなったら、この辺使って適当に止めてくれ」
「りょーかい」
軽い調子でマーカスが請け合う。
本当に大丈夫なのか不安になる軽さだが、ここまで来たら彼の目と腕を信用するしかない。
(いや本当に、やばくなったら止めてくれよ……)
ケヴィンが軽く素振りをしているのを横目で見ながら、ブレイズは心中で念押しする。
本人は実戦経験に乏しいようなことを言っていたが――こちらが手加減できるほど弱くもなさそうだ。
「……ふむ、だいたい分かった。重心が少し違うが、大した問題はないな」
「さっそくやるか?」
「ああ、そうしよう」
頷き合って、鍛錬場の中央に移動する。
ケヴィンが左半身をやや後ろに引いて身をかがめるのに対して、ブレイズは両手で持った剣を真正面に構えた。
「マーカス、合図を」
「はいよ」
マーカスが息を吸う気配。
ブレイズは木剣を握る手に力を込める。
まだだ、まだだ、張り詰めた神経をそのまま保つ。
合図と同時に動けるように。
(……踏み込むタイミングを他人任せにすんのは、やっぱり慣れねえな)
そんなことを思った矢先。
「――始めっ!」
踏み込んだのはほぼ同時。
打ち合わされた木剣の、高く乾いた音が響いた。
Q. 手加減できないなら警備中は木剣持ってたら?
A1. 『殺傷可能な武器を持っている』ということ自体が抑止力(脅し)になる
A2. 強盗などマジでやべえのが来たら最悪殺すことも許容されている
警備を手伝っていたルシアンとリカルドも、あれでいて旅の途中に出た野盗を躊躇なく殺すくらいのことはします。




