106. 番外編:お前ら全員お嬢様
領主になったリアムくんが何やってるのかの話。~突然のお嬢様を添えて~
エイムズの街にある、領主の屋敷の一室。
領主の執務室に直接繋がっているその部屋で、若い役人が四人、それぞれ書類仕事に勤しんでいた。
彼らはみな、新領主リアム・レ・ナイトレイに献策や提案を持ってきた者である。
持ち込まれた案をリアムが執務室で検討している間、他の仕事を片付けているのだ。
色々あって上層部の人間がごっそり消えたナイトレイ家で、ぼんやり指示を待っている暇はない。
「やべ、インク切れた」
「俺の使っていいぞ」
「やだよ、お前の使ってるインクってなんか薄いじゃん」
「ああん? 目に優しいだろうが」
「喧嘩すんなインクの色ごときで」
「つーか口が悪いのなんとかしろよ」
「お前もな」
そこまで言い合って、部屋に沈黙が落ちた。
全員がエイムズ生まれのエイムズ育ち、ドがつく失礼だろうと気安さのうち。
お互いに言いたい放題、歯に衣着せぬ物言いの彼らだが、最近このままでは良くないと思うことがある。
気心知れた仲のせいで、物言いが乱暴になりがちなのだ。
先代の頃は領主からして側近とじゃれ合いながら仕事をしていたので気にもしなかったが、領主がリアムに代替わりしてからは、大抵の部署に外部から来た相談役がいる。
気安い物言いをして、彼らに顔をしかめられることが多いのが気になっていた。
リアムと一緒に学び舎で学び、ともに育った役人たちは、みなリアムの友人であり兄貴分であると自認している。
自分たちのせいで、リアムが外の人間に侮られるのは不本意だ。
「……よし」
役人の一人が、何かを決意したようにひとつ頷く。
他の三人が何を言い出すのかと注目すると、彼は重々しい口調でこう告げた。
「全員、いまからお嬢様言葉以外禁止な」
マジで何言い出してんだコイツ、という言葉は呑み込まれた。
お嬢様言葉ではなかったからだ。
「……それはそれとして、インクの補充をして来ますわね」
「そこは『参りますわね』と言うべきですわよ」
「貴方こそ、『言う』ではなく『おっしゃる』のほうがいいんじゃありませんの?」
「足の引っ張り合いは醜いですわよ」
上辺の言葉遣いだけ(彼らの考える精一杯の)お上品に寄せても、心根が変わらなければこのザマである。
出来上がったのは、二十歳を過ぎた男どもがお嬢様言葉でひたすら互いにケチをつけ合う、名状しがたい空間のみ。
全員が全員(俺たち何やってんだろう)と思い始めたところで、唐突に執務室に続く扉が開いた。
「……皆様、お待たせいたしました。ご提案に対するお返事をいたしますので、ご着席なさって」
リアムお嬢様の降臨である。
もしかしなくても聞かれていたらしい。
リアムに付き従って執務室から出てきた護衛の冷ややかな視線を受けながら、役人たちは椅子に座り直す。
リアムもまた開いている席に腰を下ろし、手元の書類に視線を落としながら口を開いた。
「まずはジェフ様。領内の道を整備するために領外の業者にいらして頂く件、これ自体は大変結構です。……ただ、先に自領の業者にお伺いするべきですわね」
(えっお嬢様続行すんの?!)
役人たちは驚愕したが、身から出た錆である。
何よりも、彼らはリアムの友人であり兄貴分。
リアムがやりたがってるなら乗るべきだろうと思い直し、役人ジェフは息を吸う。
「でもリアム様。自領の業者で大規模な工事のできるものは、もう……」
「……お父様が仕事を与えなかったせいですわね。一度お話を持っていって、お引き受け頂ける範囲でお願いして、経営を立て直していただきましょう。その際は私も参りますわ、お詫びをしなければなりませんから」
「では、自領の業者が受けられなかった分を領外の業者に依頼するということで?」
「その方向で進めてくださいませ。避けていただきたい領がありますので、後ほどお知らせいたします」
リアムがぺらりと書類をめくって、次。
「デリック様。領兵の増員計画ですが、採用枠は倍に増やしてくださる?」
「よろしいのですか?」
「当面の予算は、ミューアからの借入金でなんとかいたします」
ため息を挟んで、リアムが物憂げに続ける。
「……当家はそもそも、魔境に対する防衛のために置かれた家。現在は力不足から、ファーネ南の防壁を国軍の皆様にお任せしていますが……早めに復帰したいものですから」
「お気持ちは分かりますが……」
「焦りすぎでしょうか?」
「……まず、各隊の隊長に受け入れ可能な人数を確認しましょう。兵舎の空きも確認しておくべきです」
「ああ、それもそうですわね」
ふっとリアムが苦笑する。
役人デリックは、この場の話し合いが終わったら即座に練兵場へ向かうことを決意した。
ギリギリまで受け入れるよう、各隊長にゴリ押しする気満々である。予算に問題がないなら、兵舎を増築したっていい。
「最後にフィル様とテッド様は、交易の振興策でしたわね」
「はい。人頭税の増税は領民の反発と離反を招きますから、できればしないで済ませたくて」
「……色々と考えてくださったのに申し訳ございませんが、増税はします」
「決定事項ですか?」
ええ、とリアムは頷いた。
「これは財政ではなく、外交の問題なのですよ。かつてお父様が人頭税を大幅に減税しましたが、あれ、近隣のご領主に何の連絡もなく行ったようで」
「連絡しないといけなかったんです?」
「減税につられて移民が来たでしょう? 見方を変えれば他の領から領民を奪い取ったとも言えるわけで、心証は良くありません。そういう経緯があるので、近隣の領と同程度まで人頭税を引き上げます。それで領民が他領に出ていってしまっても、かつて奪った領民をお返しした、という形で収めるしかありませんね。……デリック様の件に影響が出てしまうので、そこは申し訳ないのですが」
道の整備の件に続いて、ここでも先代の行いが足を引っ張るようだ。
リアムの父、先代領主カーティスに向ける役人たちの感情は複雑である。
苛政を布かれたわけではないので、恨んだり憎んだりするわけではない。
ただ、役人として領の仕事に関わると、領地をうまく回せていないのが目についた。
それについて意見しようにも、彼の耳に入る前に、取り巻きの老人たちが「未熟な若造の戯言だ」と握り潰してしまう。
結果、彼らの反感もまた、側近の老人たちのところで留まっていたのだ。
彼らがカーティスに初めて悪感情を抱いたのは、リアムを家から放り出した時だ。
学び舎でともに育ち、年齢も近い彼らの間には、強い仲間意識があった。
仲間であるリアムをカーティスが害したあの日を境に、カーティスは彼らの『敵』となったのだ。
恨んでも憎んでもいないが、隔意と敵意はある。
取り巻きの連中もひっくるめて、領主としての器量は見限っている。
リアムの父親だという情も、当人の行いで消え失せた。
――これ以上、余計なことをしないでくれ。
――さっさとその地位をリアムに譲って、取り巻きごと消えてくれ。
そんな思いを胸の奥底に隠して、リアムがカーティスを蹴落とすのを心待ちにしていた。
つい先日、その願いがようやく叶ったというのに。
(マジでろくなことしねえな……)
役人フィル、およびテッドはげんなりとため息をついた。
話に参加していない他の二人も同様である。
そんな役人たちの内心を知ってか知らずか、リアムは机に頬杖をついて再び口を開いた。
「そもそも、これまでの税率は低すぎて領地の経営が成り立ちませんわ。正当性がない、ということです。……そうですわね、商売で言うところの不当廉売に近いでしょうか。なので是正する必要があるのです」
空いた手で手元の書類をもてあそび、据わった目で続ける。
「お父様たちは税収をご自分の私財としか思っていらっしゃらなかったので、低い税率で慎ましく暮らすご自分は名君であるとでも思っていらしたのでしょうね。それで余ったはした金を恩着せがましく領に還元していらっしゃいましたが、そうやって領の経済を回すことを怠った結果が現状ですの。……まったく、領主とは領民に養って頂くだけの家畜ではありませんわ」
父親に対する皮肉と愚痴がお嬢様言葉のまま飛び出してきた。
色々な意味でそろそろ止めたほうがいいだろうなと、役人たちは目線で示し合わせる。
代表して、役人デリックが口を開いた。
「あー、リアム様、リアム様」
「……なんですの?」
反応したリアムに、他の三人が言う。
「心の闇が漏れてますわ」
「言葉遣いがブレなさすぎてヤバいですわ」
「お嬢様のプロでいらっしゃる?」
数秒固まったのち、リアムは机に突っ伏した。
消え入りそうなほど小さな声で「違うんですよ」と聞こえてくる。
「何が違うんですの?」
「愚痴なら聞いてもいいですけどね」
「あら、アタクシはリアムお嬢様も嫌いじゃなくてよ」
「おい、お前ら」
それまでリアムの後ろに黙って控えていた、専属護衛のジーン・ゴーラムが口を挟んだ。
「そのくらいにしとけ」
「ハイ」
ひっくい声で脅されて、役人たちは口を閉じた。
ジーンが領兵となってから、もうすぐ六年になる。
その間エイムズへの帰郷を一度も許されず、数年前からファーネに追いやられていた彼は、帰還してすぐにリアム専属の護衛職を希望した。
その話を耳にした時、自分たちは「やりやがった」と思ったし、リアムがその希望を通したと知った時は「あちゃー」と遠い目をしたものだ。
ジーンの気持ちは分からないではないし、リアムにはこの先そういう存在が必要だと思ったので、反対はしなかったけれど。
おそらく同郷の自分たちしか知らないだろうが、ジーン・ゴーラムはリアムに対して大変に過保護な男である。
自分たちの年代の、特に一人っ子だった者たちは揃ってリアムを弟のように可愛がったが、ジーンのそれは度を越していた。
例えば、彼らが年齢一桁の子供だった頃。
何が気に食わなかったのか、リアムをぽこんと殴って泣かせた子供がいた。
翌日、その子供は両頬を真っ赤に腫らして半泣きでリアムに頭を下げた。ジーンを見て怯えた目をしていた。
外から来た胡散臭い商人が、領主の子と聞いてやたらとリアムにつきまとっていたこともあった。
ある日ぱったりと姿を見なくなったが、同じ時期にジーンが親にこっぴどく叱られていた。
子供である自分たちには何も知らされなかったが、無関係には思えなかった。
そういった武勇伝に事欠かない男である。
彼がエイムズに戻ってこないように手を回されている、と役人たちが気づいた時、彼らは同時に「さもありなん」と納得したものだ。
その頃には、上層部がリアムを疎んじているということにも気づいていたので。
そんな、実の親が遠ざけるレベルの過保護野郎は、戻ってきて早々モンスター保護者に進化した。
色々な意味でパワーアップした息子に、ゴーラム家のご両親は泣いた。
自覚のありなしに関わらず、リアムの足を引っ張ることをジーンは許さない。
役人たちが自分たちの言動を省みたのも、このままだと自分たちがジーンの制裁対象になると危機感を持ったからである。
昔から続く友人関係に、冷水を浴びせるような真似をする。
彼らの知るジーン・ゴーラムは、そういう無粋で、おっかない男で、けれど。
「じゃあ、大まかな方針はさっき言った通りで。また判断に困ることがあったら教えて。――戻るよ、ジーン」
「はい、リアム様」
執務室に戻る二人を見送って、扉がぱたんと閉まる音。
それから数秒置いて、役人たちは顔を見合わせた。
「……さすがジーン」
「相変わらずの鉄壁っぷり」
「安心、安定で何よりだな」
「それな」
ジーンがつきっきりで守るなら、リアムは間違いなく安全だ。
有形無形にかかわらず、あらゆるものからリアムを守り通すだろう。
――俺らがジーンを敵に回さなきゃいいだけの話だ。
そう考える程度には、彼らは長くジーンの友達をやっているのだ。
第一部、というか1章であんまりちゃんと書けてなかったので改稿時に描写足すつもりですが、先代領主カーティスさんとその一派は無自覚に色々とやらかしてます。
イメージとしては日本で言うところの『天下統一されて太平の世になったし幕府に忠誠も誓ったのに戦国時代の感覚で近所の藩主を出し抜こうとする困ったちゃん』が近いです。
実績も信用もゼロに近いリアムくんですが、先代がアレすぎたので「アレよりは話が分かる」「ああなってはくれるなよ」と他の領主からは優しめに見守られています。




