104. 番外編:ウィットのファーネ散策(2)
ギルドの南側にある商店や民家をいくつか回り、ウィットは手紙を届けていった。
メモと籠の中身を三往復くらい見比べて、届け残しがないことを確かめてから、中央通りを引き返す。
ギルドを通り過ぎてしばらく歩くと、中央広場に到着した。
広場の外周は、露店や屋台でぐるりと囲まれている。軽食を提供する屋台からは、熱気と香ばしい匂いが漂ってきた。
獣肉と野菜の串焼きに、具沢山のスープ。
ノリッツ芋という、ジャガイモに似た芋で作られたもちもちのガレット。
火の魔術で冷やしたエールに、山で採れた林檎を絞った果実水。
「おいしそう……」
昼食は済ませたはずなのに、見ているだけでお腹が減ってきそうだ。
けれどウィットは仕事中なので、ここはぐっと我慢する。
お昼はとっくに過ぎているけれど、屋台の前にはそこそこ多くの人が集まっていた。
職人らしき集団や、休日らしい普段着の青年。どうやら遅めの昼食らしい。
「あ」
そこに配達先のひとつを見つけて、ウィットは籠から封筒を取り出した。
「おーい、アドルフおじさーん」
「あん?」
ウィットの呼び声に、串焼きの屋台に並んでいた一人がじろりと振り返る。
木こりのアドルフさんは、茶色の髪と髭がもっさりした、立派な体格のおじさんだ。
アドルフおじさんはウィットの姿を見ると、目を剥いて怒鳴った。
「てめえこのウィット! こん悪ガキが!」
「へっ?」
怒鳴られる心当たりがないウィットは、びっくりして目を丸くする。
その反応は火に油を注ぐようなものだったようで、アドルフおじさんは拳を握りしめながら続ける。
「おめえ自分が何やったか忘れてんな? ガキどもにしょーもねえこと吹き込みおって」
「えーっと…………あっ」
「誰がブラジャー必要な爆乳おじさんだゴルァ!!」
「ぶほっ」
思い出したと同時にアドルフおじさんが吼えた。
視界の端にいた青年はエールを噴いた。
よく見たら、青年はいつも見回りをしている領兵の一人だった。どうやら非番の日らしい。
(ごめんね昼間からお酒飲んでるとこ邪魔して……!)
ウィットが心の中で領兵に謝っている間も、アドルフおじさんの口は止まらない。
「納品で山から下りてみりゃガキが指さして『ノーブラおじさん』とか呼んできやがるしよ、出どころがおめえだって分かった時にゃおめえは王都に出かけとるし、その後は国軍さんの兵舎やら何やらでこっちが忙しいわ、仕事が落ち着いたと思ったら今度はおめえが死にかけとるわ……」
「そこまですれ違ったならもうよくない?」
「よくねえわ。こちとら嫁にまで『……使う?』って半笑いでお古のブラジャー差し出されたんだぞ」
「面白がられてんじゃん」
「儂はちっとも面白くねえわ!」
最終的に、おじさんから脳天に拳骨をひとつ頂いて、この話は終わりとなった。
「……で、おめえは何の用で話しかけてきたんだ?」
「そうだった」
ようやく本題に入ることのできたウィットは、手に持っていた封筒をアドルフおじさんに渡す。
「おじさん家、遠いからさ。いま渡せてよかった」
「おう、ご苦労さん」
アドルフおじさんがズボンのポケットに封筒をねじ込むのを見届けて、ウィットはその場を離れた。
「さて、いま何時くらいだろ」
広場の中心まで歩いていって、石造りの日時計を覗き込む。
今日はいい天気だから、影がはっきりしていて分かりやすい。
「うわ、もう三時過ぎてるじゃん」
ファーネでは、午後五時を過ぎると日が暮れ始める。
西の空が赤く染まれば、そこから真っ暗になるまではあっという間だ。
「これは本気で急がないと……」
残る届け先をメモで確認していると、その背中に甲高い声がかけられた。
「あ、ウィット兄ちゃんみーっけ!」
「バカ、お姉ちゃんでしょ」
振り返ると、六つか七つか、そのくらいの年頃の子供たちが数人固まっている。
ファーネの街に住む子供たちだ。広場に集まって遊んでいたらしい。
その中に青果店の娘チェルシーと靴屋の娘イヴの姿を見つけて、ウィットは小さく手を振った。
二人も気づいたようで、小さな手をぱたぱたと振り返してくる。
どうやら、あれからきちんと仲直りできたようだ。
「ねーちゃんヒマ? あそぶ?」
「残念、お仕事中」
「にーちゃん剣、剣みせて!」
「だーめ。街中で抜いたら怒られるの僕だもん」
籠を覗き込んでくる頭を押しのけ、腰にまとわりついてくる手を剥がす。
ブレイズに拾われたばかりの頃によく遊んでやったせいか、ファーネの子供たちはウィットに対して遠慮がない。
いまのように急いでいる時に遭遇すると、厄介なこと極まりなかった。
「そうだ、イヴ。今日ってお店にお父さんかお母さんいる?」
「えっ?」
いきなり名指しで声をかけられて、イヴがぴゃっと肩を跳ねさせた。
「う、うん。どっちもいるよ」
「ありがと」
確か、靴屋にも一通届ける手紙があったはずだ。店にいるなら、そちらへ届けたほうが早い。
「はいはいお仕事中だっつってるでしょー」
懲りずに剣の鞘へ伸びる小さな手をかわし、ウィットは広場を抜け出した。
後ろから「ケチー!」と叫ぶ声が聞こえてきたが、反応したら負けなのは知っている。
「さーてと」
もう一度メモを確認して、ウィットは再び歩き出す。
次に向かうのは、街の北東にある市場だ。
◇
「昼に仕留めたばかりの鹿肉だよー! 背肉はステーキ、脛は煮込みに、旨味が濃くて濃厚だよー」
「山葡萄で作ったワインはいかが? 木苺のジャムも安いよー!」
「カーヴィル港から届いた魚のオイル漬けだ! 油で煮てあるからそのまま食べられるぞ!」
賑やかな食料品の区画から横道に入って、隣接する工芸品の区画へ入る。
食料品と違って売り物が腐ることはないためか、こちらは落ち着いた雰囲気だ。
(でも、ヘニングさんがここで化粧品の露店やった時はすごかったんだっけ……)
何がって、女性たちの勢いが。
カチェルも言っていたけれど、ファーネでは色のもとになる材料が採れないので、色鮮やかな口紅やアイシャドウが特に売れたらしい。
香りのいい石鹸も、普段ムクロジを使っている住人たちには評判がよかったそうだ。
ヘニングがファーネに来たのは医薬品の取引のためだったけれど、別口で商品を置きたいという店も出てきたと聞いている。
ウィットもお風呂は好きなので、石鹸やバスソルトが手軽に買えるようになるなら嬉しい流れだ。
「えーっと、次の届け先はっ、と」
てくてく歩きながら、あちこちの店に手紙を届けていく。
店が閉まっていても、大抵の店は二階や裏に居住部分がある。表通りからあまり離れる必要がないので楽だ。
「ごめんくださーい」
「お、ウィットちゃんか。いらっしゃい」
区画の隅にある靴屋を訪ねると、イヴの両親が迎えてくれた。三十歳手前の、若い夫婦だ。
彼らは過日にあった魔物の襲撃の際、イヴの引き起こした騒ぎに真っ青になって、ギルドに平身低頭して謝りに来たらしい。
その頃のウィットはまだ意識が戻っていなくて、支部長が対応に困っていたと聞いている。
そもそもイヴをそそのかしたのは路地裏の闇商人だし、連中がのさばっていられたのはギルドが取り締まれなかったからだ。
つまり、もとを正せばギルドに力がなかったせいである。
そこのところを、支部長が分かっていないはずはない。だったらあまり強くも怒れないし、対応に困るのも無理はないだろう。
――結局、捕まった実行犯が全て悪いということでギルドは痛いところを突かれずに済み、うやむやのまま事件は解決とされている。
裏で話をつけたんだろうなあ、というくらいはウィットも察しているし、わざわざそこをつつく気はない。
(リアムのお父さんとかにバレたら面倒くさそうだしね……)
述懐しながら、ウィットは夫婦に手紙を渡す。
宛名を見たイヴの父は「お義父さん宛だな」と言って妻に封筒を渡した。婿養子らしい。
「イヴは今日、チェルシーちゃんと広場で遊ぶって言ってたんだけど、ウィットちゃんは見かけたかい?」
「うん。男の子も合わせて、何人かで一緒にいたよ」
「そうか、よかった」
ウィットが答えると、イヴの両親は揃って満足げな表情を浮かべた。
「チェルシーちゃんと仲良しなのはいいけど、さすがに他に友達がいないってのも良くないからね」
「そうよねえ。あんまりべったりだと、チェルシーちゃんにボーイフレンドができた時に邪魔しそうだし」
「おいおい、イヴに彼氏ができないことのほうが心配じゃないか?」
「そっちはイヴが恋でもしない限り、どうにもならないわよ」
夫婦で話し始めたところで、ウィットは仕事に戻ることにする。
市場周辺の届け先はこの店で最後だけれど、あと数件、街外れまで行く必要があった。
「そうだウィットちゃん、ブレイズに伝言頼むよ。『靴の修理が終わったから取りに来い』って」
「はーい」
忘れないようメモしておきたいところだけれど、あいにくペンもインクも持っていない。
頭の中で伝言を繰り返しながら、ウィットは店を後にした。
ここに書いたということは、改稿してもアドルフおじさんのくだりは残すということです。
ちなみにTwitterでも言ったんですが、中世~近世ヨーロッパのファッションで一番好きなのはボディスです。
農民女性がシフトの上からボディスつけてるの、かわいいなあと思います。




