102. 番外編:子供は少女か少年か
「よう兄ちゃん、久しぶり」
警備中のブレイズに声をかけてきたのは、どこかで見た覚えのあるおっさんだった。
一瞬だけ記憶を探って、以前に王都まで行った際、途中の街で会った行商人だと思い出す。
「……ヘニングさんだっけ?」
「お、ちゃんと覚えててくれたか」
「まあ職業柄な」
ギルドの警備に立つ以上、人の顔はある程度覚えておく必要がある。
手配中の賞金首や、出入り禁止にした人間をギルドに入れるわけにはいかないからだ。
ブレイズは物覚えのいいほうではないが、こればかりは意地なり根性なりでどうにかしないと仕事が務まらない。
「ファーネまで来んのは初めてだよな?」
「おう。魔物の襲撃があったんだろう? 医薬品の需要がありそうだから、取引の話をしに来たのさ」
「ああ、そういや薬屋だっけか」
確かイェイツで話した時にも、医薬品を扱うと言っていた。
そういうことなら、とブレイズは受付に声をかける。
「カチェル。このおっさん薬関係なんだけど」
「あら、じゃあセーヴァのほうがいいわね。ウィット、ちょっと引っ張り出してきて」
はあい、と返事をして、ウィットが奥の扉へ消えていった。
この時間なら、セーヴァは医務室だろう。
カチェルを見たヘニングは、愛想のいい笑みを浮かべた。
「やあ、これはまた別嬪さんだ。隣国の人かい?」
「あらどうも。……ええ、生まれはハルシャですけど」
「ならちょうどいい。あっちから輸入した化粧品がいくつかあるんだが、良かったらちょっと見てくれないかい?」
そう言って、彼は背負っていた荷物をカウンターの前に下ろす。
中身がぱんぱんに詰まった背嚢から木箱をひとつ引っ張り出すと、ふたを開けて中身をカウンターに並べた。
液体の入った色ガラスの小瓶、ふた付きの小さな缶、つるりとした陶器製の丸い器。
どれからかは分からないが、花のような香りがブレイズのところまで漂ってくる。
「こっちは露店で売ろうかと思ってね。薬の取引の間、手が空いてたら女性陣で見てくんな。店先で試してもらう分だから、ちょっと肌に乗せてみても構わんよ」
「まあ!」
ぱっと表情を明るくして、カチェルが嬉しそうに声を上げた。
普段は仕事もあるので控えめだが、彼女は本来、おしゃれをするのが大好きな人間だ。華やかな化粧品には、心惹かれるものがあるのだろう。
目をきらきらさせるカチェルの横を通って、ラディがカウンターから出てきた。
「ヘニングさん、久しぶり」
「おお、魔術士の嬢ちゃん。相変わらず美人だなあ!」
「ええと……すぐに担当者が来るので、こっちにどうぞ」
反応に困りながら、ラディは受付横の応接スペースにヘニングを連れて行く。
奥まった位置にあるテーブルまで彼を案内すると、相棒はこちらへ戻ってきた。
「カウンターじゃなくてテーブルか?」
「支部長の指示だよ。……ヘニングさんが医薬品の商人だって言ったら、そうするようにって」
小声で問いかけると、小声で答えが返ってくる。
「薬は防壁にいる国軍でも必要だろうし、大口の取引でも考えてるんじゃないかな」
話していると、医務室に続く扉からセーヴァが出てきた。手には書類の束がある。
その後ろを、コップの乗ったトレイを両手で持ったウィットが続いた。
二人とも妙に遅いと思っていたが、色々と用意があったらしい。
「はい、お茶どーぞ」
「お、黒髪の嬢ちゃんもいたのか。精霊使いの兄ちゃんもいるのかい?」
「ううん、あのお兄ちゃんは王都でお別れ。……じゃ、ごゆっくりー」
茶を並べ終えたウィットが、トレイを抱えてテーブルから離れた。
ヘニングの向かいの椅子に座ったセーヴァが、書類片手に何やら話し始める。
カウンターの中に戻ろうとするウィットの腕に、カチェルの白い手がするりと伸びた。
「ねえウィット、この色あなたに似合うと思わない?」
「ええ……僕そういうの性に合わないんだけど」
「いいじゃないの、たまには女の子らしいことしましょうよ」
身を引こうとするウィットだが、その腕はカチェルの指にがっしりと掴まれている。
(あー、始まったか)
ラディと視線を交わして、ブレイズは小さく苦笑した。
カチェルは自分でおしゃれするのも好きだが、他人――特に女の子を着飾ることも大好きなのだ。
ラディの私服はほとんどが女性らしいワンピースだが、これもカチェルが激しく勧めたからである。それまでは、ブレイズのお下がりで済ませていた。
……発覚した時、セーヴァ共々めちゃくちゃ怒られたのを覚えている。
「ほら、ラディも一緒に見ましょ」
「……うん」
カチェルに手招きされて、ラディは苦笑を浮かべながらそちらへ歩いていった。
この相棒も『最低限の身だしなみ』以上のおしゃれには興味がないのだが、カチェルにはそれがもったいないことに思えるらしい。
別に減るものもないので、仕事に支障をきたさない範囲なら、抵抗せず好きにさせているようだった。
「ブレイズ、他にお客さんが来たら教えてね」
「あいよ」
化粧品から視線は外さないままだが、仕事は忘れていないようで何よりである。
ため息交じりの返事をして、ブレイズは天井へ視線を投げた。
◇
「ヘニングさん、どれも素敵ね!」
セーヴァとの話を終えてカウンターに戻ってきたヘニングに、カチェルが明るい声で話しかけた。
目はずっときらきらしているし、心なしか肌もつやつやしているような気がする。
「発色がきれいだし、品質も文句なし。これなら普通にお店を構えたっていいくらいよ」
「ははは、気に入ってもらえたようで何よりだ」
「特に口紅とかアイシャドウね。色のもとになる染料や鉱石がファーネだとなかなか取れないから、すごく需要があると思うの」
口を動かしながら、カチェルは一刻も早くとばかりに露店の出店許可証を準備している。
そんな彼女の後ろで、支部長とセーヴァも何やら忙しそうに立ち回っていた。あちらは医薬品関係だろう。
カチェルから解放されたウィットが、ブレイズのところへ歩いてくる。
その顔を見て、ブレイズは思わず噴き出しかけた。誤魔化すように咳をする。
子供の唇だけ、やけに鮮やかな赤色で彩られていた。
「……っ、随分と派手にやられたな」
「カチェルが『黒髪だとこういう色が映える』って……」
困ったような顔で言って、ずいっとブレイズに顔を近づけてくる。
「どう?」
「口だけ浮いて見える」
「だよねえ」
自分でもそう思っていたらしく、ウィットは同意するように頷いた。
手の甲で唇をぐしぐしと拭うが、口紅は肌の上に伸びるばかりでなかなか取れない。
「うえ……どうすんのこれ」
「ウィット、こっちにおいで」
途方に暮れるウィットに、応接スペースの片付けをしていたラディが声をかけた。
「しっかりした口紅だから、オイルじゃないと落ちないよ。裏の井戸で落としてこよう」
そう言うラディも、目元がほんのりと赤く色づいている。
泣いてまぶたを腫らしたようで、どうにも落ち着かない。
二人が奥に引っ込むのを見送ると、書類を整え終えたらしいカチェルが不満そうに唇を尖らせた。
「あんたね、もうちょっと気の利いたこと言えないの?」
「顔だけ塗ったくったって違和感しかねえよ」
ブレイズが言い返すと、横で聞いていたヘニングがからからと笑う。
「ま、坊主みたいな格好で顔だけ化粧してもなあ」
「一度かわいい服着せてみようかしら……」
「あんま無理強いすんなよ」
ウィットは普段の振る舞いからして、少女というより少年のような性格だ。
スカートにもまったく興味を示さない。「性に合わない」と言っていたのは本心だろう。
「かわいい顔してると思うんだけどねえ」
残念そうに言うカチェルに、ヘニングは笑いながら返した。
「ま、もうちょい育てば興味も出てくるだろ。その時は相談に乗ってやるんだな」




