101. 番外編:倫理と禁忌は投げ捨てるもの
後日談のネタが切れたので番外編という体で続けます。
だいたい虫(蜘蛛)の話です。
「収集依頼?」
「はい、先方はソレイルさんをご指名です」
王都ローレミア、商業ギルド本部の一階受付カウンターにて。
にこにこしている受付嬢を前に、ロア・ソレイルは訝しんで眉をひそめた。
ロアを指名する依頼は少なくない。
彼は南方民族に多い『精霊使い』と呼ばれる存在で、精霊の力による『癒し』――傷を治療する術を使うことができる。
傷を負ったその場で塞ぎ、傷痕も残らないその力を求める者は多かった。
しかし、ロアはあまりその手の依頼を受けないようにしていた。
依頼そのものはともかく、受けた後が面倒なのだ。
治癒の力に一度でも触れると手放しがたくなるようで、「このまま自分たちのところにいてくれ」という誘いが必ずと言っていいほど入る。
断ってあっさり引き下がってくれるならいいが、しつこく食い下がってくる者も多い。
ロアにはやるべきことがある。
他人のやりたいことに付き合う義理も、時間も持ち合わせていない。
ギルド側も彼が指名依頼を好まないことを知っているので、よほどの緊急時でもない限り、こうして彼にわざわざ話を持ってくることはないはずだった。
(しかも、収集依頼?)
文字通り、植物や鉱石などを一定量集めて納品する依頼である。
これまで癒しの力ばかり求められてきた身としては、それがどうして自分に来たのか分からない。
眉をひそめっぱなしのロアに、輝くような作り笑いの受付嬢が言う。
「依頼書、確認されます?」
「……一応」
カウンターの上にさっと出された依頼書を上から順に読んでいったロアは、そこに書かれた依頼人と収集品目に、今度は思い切り顔をしかめた。
◇
王都近くの平原や雑木林で目的のものを集めたロアは、検問からまっすぐ依頼人のいる場所へ向かった。
依頼人のところへ直接持っていくのは依頼書にそう指示があったからで、直行するのは長く持っていたくないからだ。
目抜き通りを歩き、中央区画の王立学院の門で足を止める。
いつかの時と同様に守衛所で紹介状を見せると、ほどなくして依頼人がやってきた。
「やあ、依頼を受けてくれてありがとう」
「……あんたには、シルビオさんを紹介してもらった恩があるからな」
ほら、と依頼品の入った布袋を突き出すロアの手を無視して、依頼人であるフォルセ・ルヴァードは彼の背後に回り込む。
その背を優しく押して、フォルセは有無を言わさずロアを敷地の奥へと連れて行った。
「これはこっち、これは……とりあえずこっち。……お、これアオミドリエビゾリアシナガコガネグモじゃないか! どこで見つけたんだ?」
「そんなよく分からんのを獲ってきた覚えはない」
学院の敷地内にある研究室のひとつ。
作業台に並ぶ木箱に『依頼品』を移していくフォルセを、ロアは手持ち無沙汰に眺めていた。
「あ、こいつは脚がもげてるな」
「元気なら多少の欠損は問題ない、と依頼書にはあったが」
「うん。きみならここに持ってきてから治せば済む話だろ?」
「だから俺を指名したのか……」
うめくロアを余所に、フォルセは機嫌よく仕分けを続けている。
フォルセが依頼してきたのは、生きた蜘蛛の収集だった。
雄雌、種類に指定なし。単一の種類ではなく、なるべく幅広い種類を希望。
多少の欠損も問題なし――この理由については、いまさっき明かされたが。
「というわけで、こいつの治療を頼む」
脚の欠けた蜘蛛をつまんでこちらへ向けるフォルセに嫌な顔をしながら、ロアは言われた通りに癒しをかけてやる。
関節の先を失った歩脚、その欠けた面から、細い何かがするすると伸びていく。それを覆うように殻が再生していき、他の脚と同じ形をとった。
「よし……見た限りは問題なさそうだな」
フォルセは再生した脚を満足そうに見ると、その蜘蛛を小さな木箱に入れる。
ところどころ透明なガラスが嵌め込まれ、中が見えるようになっているものだ。
次に、彼は近くにあった瓶からピンセットでダンゴムシを一匹つまみ上げると、蜘蛛の目の前に放り込んでフタをした。
蜘蛛はぎこちない動きながら、ダンゴムシに飛びかかって体の下に抑え込む。
「お、食べてる食べてる。ほら牙を突き刺してる」
「見せなくていい」
「そうか……」
残念そうに言って、フォルセはダンゴムシの詰まっているらしい瓶を棚へ片付けた。
「今回は助かったよ。別種が必要になったらまた頼むかもしれない」
「いやもう勘弁してくれ。今回だって、検問を通してもらうのに相当手こずったんだ。幸い、毒蜘蛛は取ってなかったから捕まりはしなかったが」
検問で荷物検査を受けるのはもう慣れっこだが、蜘蛛入りの布袋をいきなり開けようとされた時は肝が冷えた。
慌てて制止すれば疑いの目を向けられるし、中身が生きた蜘蛛だと言えば虫が苦手だったらしい衛兵に青い顔で睨まれるし。
依頼書を出して説明したが、あの様子だと依頼人のフォルセ共々、要注意人物として目をつけられたかもしれない。とんだとばっちりだ。
「毒蜘蛛を頼む予定はないな。医薬系の研究室に行けば資料あるし」
「普通の蜘蛛の資料はないのか……?」
「普通というか、基本的な構造なら知ってるんだけどね。特定の種類だけに見られる臓器とか、そういうのをまとめてる資料は信憑性がまちまちで……」
「……臓器?」
何やら嫌な予感がした。
しかし、やめておこうと思う前に、ロアは疑問を口にしてしまう。
「……この、捕まえてきた蜘蛛って、何に使うんだ?」
「解剖だよ」
フォルセはあっさりと答えた。
「東方大陸で見たことのない蜘蛛が見つかってね。それが全くの新種なのか既知の蜘蛛の亜種なのか、そもそも蜘蛛に分類していいものかも分からなくて内部構造の似ている種がいないものかと――」
続く説明を聞き流し、ロアは先ほど自分が脚を生やしてやった蜘蛛に視線を落とす。
爪ほどのサイズの小さな蜘蛛は、餌のダンゴムシを抱え込んでじっと動かずにいた。
せっかく脚を取り戻したこの小さな虫は、どのみち長生きできない運命らしい。
「あんた、虫が好きなんじゃなかったか……?」
「好きだよ。興味深いよな」
そんな予定は一切ないが、どうやら研究者にはなれそうにないなとロアは思った。




