学年一の美少女と偽の恋人関係始めました
「付き合ってください」
放課後。
空き教室に呼び出された俺はとある女子生徒から告白を受けた。
だれかはわからないけれど、可愛らしい子であった。
現在だれとも付き合っておらず、毎日を自堕落に過ごしていた。
断る理由もなければ――付き合う理由もなかった。
「ごめん」
数秒の間を置き、そう答えると彼女は「そっか」と悲しげに呟いて教室をあとにした。
俺はすぐに出て彼女と昇降口で再び出会わないよう机にひょいっと乗ってひとり残る。
「はあ」
どこからともなく深いため息が漏れる。
「ため息なんか吐いて……、告白した子が可哀想だよ?」
戸が開き、顔を覗かせてきたのはひとりの女子生徒。
綺麗に整った相貌。
凛とした眉、長い睫毛に星のように輝く瞳、雪化粧のような白い肌にふっくらとした唇。それらひとつひとつのパーツが彼女の美貌を形成する。
小柄ながらもしゅっとした手足が彼女のスタイルのよさを表す。
「……なんてね」
艶やかな黒髪が舞う。
控えめながらも確かな膨らみを持つそれが彼女が翻ったのと同時に揺れる。
「告白をする側よりもされた側のほうが大変ってよく言うよね」
心を見透かしたかのように言い、ぴたっと俺の前で止まった。
「白峰くん、だったよね?」
名前を呼ばれるも俺は未だに彼女の真意が読めず、この場での最善手がわからなかった。
「私たち、付き合わない?」
流れるように告白してきた彼女――領島真帆。
返事をするのにこれほどまでに時間を使ったことはいままでなかっただろう。
そうして俺――白峰晃は生まれて初めて、告白に了承の意を示した。
――――
領島真帆という女子生徒は学年一と評されるほどの美少女、らしい。
美少女というのは人の主観であり、まあ難しい問題であろうがとても人気のある女子生徒であることには違いない。
とはいえもともとそこまで人との関わりが薄い俺は、噂は聞けど、彼女がその人物であったというのは昨日知った。
「へえ、晃くんは寄り道とかしないんだ」
学校近くのファミレス。
そこに昨日から付き合い始めている俺と領島真帆が向かい合って座っている。
「チャリ通だからな」
「チャリ通でもする人はしますー」
「寄り道する理由がないからな」
「誘われているくせに」
「誘われても俺が行く理由にはならない」
「晃くんって想像以上に……面倒くさいね」
「ほっとけ」
領島はくすくす笑いながらストローに口をつける。
「つまらないなら出るか?」
「出ません」
「あーそう」
やんわりと解散しようとした俺の目論見はあっさり霧散する。
「なあ。これって意味あるのか?」
「意味?」
「周りだれもうちの生徒いないじゃん」
「あー」
店内を見渡す。
そこには年配のお客さんや主婦と思われる女性客、壮年の男性客くらいしかいなかった。
「……あっ、来たよ」
客の知らせを告げるベルが鳴る。
すると領島はビンゴとばかりにそっちに顔を向けた。
つられて見れば、そこにはうちの学校の制服を着た女子生徒が数名入ってきていた。
「ほら、こっち見た」
「…………」
彼女らと目が合うとどこか楽しそうにこそこそと小声で言う領島。
「意味あったでしょ」
「お前、呼んでないよな?」
「失礼な彼氏」
疑いの眼差しを向けると領島はぷいっと怒ったように顔を逸らす。
「確かにそんなことしてもなんのメリットもないな」
「その納得の仕方は私が納得できませーん」
「ごめんマイハニー」
「許す」
「許すのかよ」
たはは、と笑う彼女に俺は小さく息を吐いた。
「まあほら、こういうこともあるし。どこでだれが見ているかもわからないからふたりでいる姿を見せるのは必要でしょ。それに慣れとかも必要になってくると思うからさ」
「そうだな」
特に反論することなく頷く。
「これで告白されなくなるんだから、安いもんでしょ?」
まだ俺が不服な様子でいると思ったのか領島はそう付け加えてくる。
「わかっているって」
昨日領島真帆に告白され、俺は受け入れ、付き合うことになった。
それは事実だ。
事実だが、しかし、俺たちは普通の恋人ではない。
「俺と領島が付き合っていることにすれば――よほどのやつじゃなければ告白なんてしてこない。なかなかなことをやっていると思うぜ、俺は」
学年一の美少女とたる領島真帆は告白されまくるのだそうだ。
どこぞの二次元ヒロインのような信じられない話だったけれど、彼女の顔を見れば多少の話の盛りはあるかもしれなかったけれど、あってもおかしくはないと思った。
そして俺も俺でそれなりにモテる。
どうやら俺は一般的に言う、美形の類に入るらしい。
そこまでの自覚はなかったけれど、中学生あたりから告白めいたことをされ始め、高校生になってその頻度は格段に上がったのを感じ、自分がモテる人種なのだということを認めざるを得なかった。
まあそんな事情もあり、互いの利害が一致。
偽の恋人関係を始めるに至った。
「こら、晃くん」
むっとした様子で指を差される。
「悪いな……真帆」
「よろしい」
満足げに頷いた領島はジュースを美味しそうに飲み干す。
「あ、そういえば昨日のテレビでさ――」
彼女と付き合うことで告白されることはなくなるだろうが。
それがイコールで俺の負担を軽減させてくれるかどうかはわからなかった。
――――
目の前に広がったのは色とりどりのお弁当だった。
ミニトマトとナスのマリネサラダ、鶏もも肉のレモン焼き、アボカドのグラタン等々。
説明を受け、それらを一口食べる。
「美味い」
「よかったあ」
素直に感想を述べると領島は心底ほっとした様子で言う。
「愛妻弁当作ってあげるって自信満々だった人の反応じゃないな」
「しょうがないじゃん。だれかのために作ったことなんかないんだから」
うーむ。
初めてが偽の恋人なんかでよかったんだろうか。
「いい練習台になれてよかったよ」
「練習のつもりで作ってない」
「そうだな。周りに見せつけるためか」
「そういうことはあまり言わないこと」
人差し指で口を塞がれる。
昼休みの中庭には俺たちの他に数名の生徒が昼食を摂っていた。
万が一にも会話が漏れ、偽物の関係がバレたら危険であると釘を刺される。
「あーんしてあげよっか?」
「遠慮しておく」
「付き合いたてのカップルなんだからしないとおかしいよ?」
「俺には痛々しいカップルにしか見えないんだが?」
「それくらいのほうが手出しだせないでしょ」
「…………」
ああ言えばこう言う。
わからなくもないが、そこまでする必要性は本当にあるのかと思ってしまう。
「まあ強制させるのもあれだし――ん?」
口を開ける俺に領島は小首を傾げた。
「やるんなら早くしてくれ」
口に入れろと合図すると領島は「素直じゃないなあ」と言って小さく笑う。
「はい、あーん」
「――ん」
香ばしい味が口いっぱいに広がる。
それを味わうように咀嚼しているとその表情を領島が覗き込んでくる。
「どう?」
「若干酸味が強いかと」
「評論家か!」
ぺしっと肩を叩かれる。
領島は不満そうに口を尖らせ、「普通、あーんされたほうが美味しいとか言うでしょ」とぶつぶつ呟いていた。
まあ。
こんな経験初めてで。
味がほとんどわからなかった、というのが正直なところだった。
――――
「晃。三組の領島さんと付き合っているってマジ?」
同じクラスの男女数人が俺のもとに駆け寄ってきたかと思えば、開口一番に問われる。
「ああ。つい最近な」
答えると、彼らは「マジかよー」「やばっ」「てかベストカップルじゃね」「晃なら仕方ねえ」「やるじゃん」「領島さん可愛いもんねー」「どっちがコクったの?」などなど驚きつつも楽しそうに話が盛り上がっていく。
ここ数日、ふたりで過ごすことが多かったためか、その効果が出ていた。
「晃くーん」
教室の扉のほうから名前を呼ばれる。
話の中心人物である領島が顔をひょっこり覗かせていた。
「噂をすれば……彼女さんの登場じゃん」
ひとりの男子生徒がからかうように言うと、周りからヒューヒューと口笛なのかただ口で言っているだけなのか、囃し立てられる。
「悪ぃ、帰るわ」
「今度話聞かせろよ」
「ああ」
囲んでいる生徒たちに断りを入れて扉の前で待つ領島に手を挙げる。
「ナイス」
「効果抜群だね」
質問攻めをなんとか切り抜け、俺たちは昇降口を出て帰路につく。
「晃くんは人気者だね」
「面倒くさいだけだ」
「嫉妬しちゃうなあ」
「だからあんな大きい声で呼んだのか?」
「助けてあげたんじゃん」
「……そりゃあどうも」
なにが本当でなにが嘘なのか、いまいちわからない。
「人気なのはそっちも同じだろ」
「そっち?」
「……真帆」
いちいち面倒くさいやつである。
「嫉妬してくれているんだー」
「あー、そうですよー」
なんの感情も込めずに棒読みで言う。
「結局はステイタスが欲しいんだよね」
からからと自転車を押しながら歩幅を合わせていると、急に彼女が止まる。
後ろを振り向くとにこっと笑ってすぐに隣について歩き始めたので俺も続く。
「領島真帆っていう――かなり可愛い人間と一緒にいるっていうね」
どこか寂しげに声が落ちる。
それを拾い上げるのに多少の時間を要してしまった。
ステイタス。
顔がいい人間というのはそれだけで一定の価値を持つ。
だからこそ周りの人間はそいつといることで自分の価値を上げ、勝ち組になりたがる。
それは俺も感じていたことだった。
どんなに会話がつまらなくっても。
どんなに性格が悪くっても。
どんなに勉強ができなくっても。
俺の周りには――人が集まる。
どうして、などと考えるまでもない。
「自己評価高いな」
「私可愛くなーいって言ったほうがいい?」
「自分で思っているほうでいいと思う」
「じゃあ超絶美少女に訂正」
「…………」
自覚がないよりも自覚があったほうがいいとは思うけれど。
これはこれで……なんだかなあという気分である。
「あははっ。冗談だから。引かないでよ」
「ははー、冗談に聞こえねえ」
――――
とてとてとペンギンが陸を歩くのをぼーっと眺める。
「うわあ、可愛いっ!」
「だな」
興奮気味に目を輝かせる領島。
パシャパシャと写真を撮りながら蕩けるような表情でペンギンを見つめる。
「あっ! 餌食べた! ねえ、いま餌食べたよ!?」
「だな」
「あっちの子、すごい速いっ!」
「だな」
「あーっ寝てる! あの子寝てる! 超可愛い!」
「だな」
ペンギンを見終えたらしい領島は子供のように次の場所へと移っていく。
「イルカショー始まっちゃう。早く早く」
「だな」
「ねえ、晃くん」
「だな」
「晃くん?」
「だ――」
な、と続けようとした俺の口が閉ざされた。
傍から見たら笑顔のそれだが、俺にはわかる。
まったく笑っていない。
「さっきから『だな』しか言ってなくない?」
「だな――い、いや、そうか?」
「デート中なんだけど?」
「……デート、ね」
休日の水族館。
家族連れが多く、館内は多くの人でごった返していた。
「休日も会う必要あるのか?」
素朴な疑問を投げかけると領島は呆れをありありと乗せた息を吐く。
「信憑性を高めるためにもこういうことは大事なの」
「だれにも会ってないけど」
「そういうことじゃないの」
言って、スマホを俺に見せてくる。
「デートに行っていることをSNSで発信するのよ」
「へえ」
だからやたらと写真を撮っていたのか。
「頑張るなあ」
「楽しいからいいの」
言うや早いか、領島はイルカショーがあるからと俺を急かしてくる。
「ではイルカと触れ合いたい人!」
「はーい!」
イルカショーが始まり、トレーナーさんがイルカとの触れ合い体験を募集すると元気いっぱいに手を挙げた女子が隣にいた。
小学生かよ。
「では最前列で手を挙げてくれた女の子、どうぞ!」
指名されたのはなんと領島だった。
「やった! ほら、行こう!」
「え、いや、俺もかよ」
強引に連れていかれ、大きなプールの中にいるイルカと対面する。
「どうぞー」
促され、まずは領島がイルカに触れる。
「わあ、本物だあ」
はしゃぐ領島を横目に俺はどうしたものかと頭を掻く。
「彼氏さんもどうぞー」
「……ああ、はい」
恐る恐る触るとイルカはどこか嬉しげに体を小さく振った。
「可愛いね」
「確かに」
まあこんな休日も悪くはない、と思った。
「今日はありがと」
「彼女が行きたいって言ったんだから行かないわけにはいかないだろ」
「わー、格好いい」
感情のこもっていない拍手を受ける。
「これも買ってくれてありがと」
「彼女が欲しいって言ったんだから買わないわけにはいかないだろ」
「わー、格好いい」
イルカのキーホルダーをひらひらとさせながら満面の笑みとなる。
ちなみに領島が俺の分のイルカを買ってくれたので実質自分の分を買っただけである。
「じゃあ送り届けたことだし、俺は帰るぞ」
「あー、待って」
わざわざ遠回りである領島の家まで来た俺はとっとと帰りたかったのだが彼女が俺の袖を引っ張って止めてきた。
「なんだよ。終電になっちゃうだろ」
「や、まだ夕方の五時なんだけど」
早く用件を言えと言外に伝えると領島はゆっくりと口を開く。
「キス、する?」
「なんでだよ」
間髪入れずに応えると領島は真面目くさった顔でこちらを見続けていた。
「恋人だったらするでしょ」
「するのかもしれないな」
「じゃあしようよ」
「だからなんでそうなるんだよ」
まるで意図を掴めないでいると彼女の手が俺の服から離れた。
「断らないんだね」
「断って欲しかったのか?」
「うーん、どうだろう」
はっきりしない態度を示され、俺はひとつ息を吐く。
「断るのは簡単だ――けど、その前にどうしてそんなことを言ったのか聞いてみてからでもいいって思っただけだ」
真剣な口調で言い終えると、領島の表情が和らいだ。
「もしかして私のこと好きになってたり?」
「そうかもなあ」
そう嘯いて、俺たちは別れた。
☆
畢竟、私のことを本当に見ている人なんていないのだ。
だからもう諦めていた。
自分の幸せは訪れないことを悟った。
それなりの職業に就いて、それなりの生活を送る。
淡々と。
変わり映えのない日常を。
その時、私と同じような人を見つけた。
彼は自分の価値を理解していて、自分の存在理由を自覚していて。
すべてを受け入れ、諦観し、つまらない日々を過ごしていたように見えた。
たぶん私は彼と自分を重ねたのだ。
彼に楽しんでもらいたかった。
「ううん、違う」
彼が幸せになることで――私も幸せになれるのだと証明したかったのだ。
「最低ね」
ひとりごち、机から次の授業に使う教科書類を取り出そうと手を伸ばし――
「人気者、ね」
皮肉げにそう小さく呟いて、次の授業に臨んだ。
☆
領島真帆と偽の恋人関係を始めて一か月が経とうとしていた。
知られた当初はそれなりに周りもうるさかったが、すでに落ち着きを取り戻していた。
それに俺たちの目的である告白をされるということも付き合い始めてからというもの、なくなった。さすがに俺たちが付き合っているとわかると横取りなど考える人は出てこなかったようだ。
「遅いな」
放課後になるとすぐ俺の教室まで来る領島だったが、まだ来ていなかった。
日直か委員の仕事がある場合は事前に連絡をくれるので珍しい。
とりあえず今日はこちらから向かおうと三組まで足を運ぶ。
「いねえ」
教室を見渡すも領島の姿は見当たらなかった。
「あれ、白峰くん?」
後ろから声をかけられる。
そこには三人の女子生徒がいたが、名前は思い出せなかった。
「なになに。遊びに来たの?」
フランクに話しかけられ、俺は苦笑いを浮かべ、頬を掻く。
「いや、えっと、領島真帆ってどこにいるかわかる?」
「あー、真帆ね」
目的がわかると彼女は得心した様子で答えてくれる。
「まだ着替えているんじゃないかな」
「「そうそう」」
後ろの女子ふたりも頷く。
「体育だったのよ。まだ更衣室だと思うよ」
「なるほど」
言われてみると彼女たちの表情などからも疲れが見て取れた。
「そっか。教えてくれてありがとう」
ならもう少し教室で待とうかと彼女たちに礼を言って立ち去ろうとすると、
「ねえねえ、今度みんなで遊ばない?」
ひとりの女子生徒から誘いを受ける。
「遊ぶってのは……?」
「ほらうちら真帆と仲いいし、真帆のこととかも聞きたいってのもあって。それに真帆のこととかも教えてあげるからさ。ね、いつでもいいから」
微妙に断りづらい言い方をされる。
下手に断ると領島の友達ということもあって彼女にも影響を及ぼしかねない。
しかしかと言って遊ぶのも気が引ける。
「あれ?」
返事に窮していると前方から見知った顔が見えた。
「晃くん?」
「おう」
こちらに気づいた領島が駆け寄ってきてくれる。
「どうしたの?」
「ああ。いつもより遅かったから」
「そか。ごめん、着替えるのに遅くなっちゃって」
「そうか。ならいいんだ」
領島はちらりと俺と話していた女子生徒のほうを見やる。
「待ってて。すぐ荷物取ってくるから」
「ああ」
素早く教室に戻った領島を見送る。
「真帆来たね。じゃあうちら行くから。考えといてね」
なんとか返事を曖昧に誤魔化すことができ、一安心する。
いろいろ面倒だなあ。
「ごめん、お待たせ」
「いや、いいよ」
「香苗たちとなにか話していた?」
「さっきの人たちか? 真帆いるかどうか聞いて、ちょこっとな」
「そっか」
特別言及されることもなかったので俺は遊びの誘いの件については話さなかった。またそういう話が出たらどうするか聞けばいいだろう。
――――
朝登校し終え、自席でぼけーっと外を眺めていると前の席の男子生徒が振り返ってきた。
「なあうちのクラスの花嶋いるだろ」
「いるな」
いまいち顔は思い出せないが名前は知っていたので話の腰を折らずに頷いておく。
「眞仲の彼氏に色目使ったってことでグループの輪から外されたらしいよ」
「へえ、眞仲の彼氏にね」
眞仲と言えばクラスでも目立つタイプの女子生徒だ。
花嶋はどうだっただろうか、と教室を見やれば、ぽつんとひとり席についてだれとも話さずに過ごしている生徒を見つけ、それが花嶋であったと思い出す。
確か彼女は眞仲と一緒のグループだったはず。
「色目使うってのは?」
「ふたりで会話してたとかどうとか」
「それだけ?」
「いや詳しくは知らんけど、その時に友達の距離感じゃなかったとかじゃね?」
「ふーん」
特段興味もなかったので軽く流す。
「領島さんはどう? 束縛とか嫉妬とか」
「そこまで強いほうではないかな」
「そうか。まあ女子って面倒だから気をつけろ」
「ああ」
会話が終わるとちょうど担任が来て朝のHRを始めることを告げた。
「あれ、晃くん?」
西日に目を細めていると、背後から声をかけられる。
「どうしたの? 今日は委員会で遅れるから先帰っててって言ったのに」
「俺も用事があってな」
「そんなに私と帰りたかったのか」
「まあな」
「感情込めてよ」
いつものやり取りをし、領島が隣についたのを確認してから歩みを始め、
「ん、今日って体育あったのか?」
ふと疑問に思い、問う。
「え、どして?」
当然のように聞き返される。
「いや、朝と顔が違うなあと」
言うと、領島はぱっと顔を背けた。
「なにそれー、どういう意味?」
「もともと濃いほうじゃないけど、化粧が薄いなあというか、してないんじゃないかなと」
だから体育で汗をかいて化粧が落ちたのではないかと俺は踏んだのだ。
しかし今日は彼女のクラスは体育はなかったはずだし、それに体育があったからと言っても常の彼女ならば完璧に整えてくるはずだったので違和感を覚えてしまった。
「……私のことよく見ているんだね」
「彼女の顔くらいわかる」
「へえ、晃くんって髪切っても気づかないタイプの人かと思ってた」
「興味がなければ気づかないな」
「興味あるんだ」
「――で、どうかしたのか?」
このままだと話が変な方向へ移行してしまいそうだったので話を戻す。
「べつにー。今日暑いせいで汗かいちゃって、それで晃くんとも会わないからいいかなあって思っただけ」
すらすらと述べる領島の横顔をじっと見ていると彼女は恥ずかしそうに下を向いた。
「……なに?」
「女子ってすっぴん見せたくないのはなんでだろうなあと思ってな」
「そりゃあすっぴんって素の顔だし……」
「そこまで変わらないだろ――特に真帆は」
「~~っ! な、なにいきなりっ!」
照れたように顔を真っ赤にさせた領島の顔を俺は以降見ずに下校した。
――――
付き合うことで周りへの影響というのはそれなりにあるだろう。
彼女がいるから誘いづらい。
彼女がいるから話題を出しづらい。
彼女がいるから話しかけづらい。
逆もまたしかりであり、彼女がいるからこそ誘えることや新たな話題や会話ができる。
そして周りの反応というのも変化する。
たとえば俺の場合。
男子からは羨ましがられたり、嫉妬や恨み言など言われたがそれらは好意的なものだったように思う。また女子は領島の人気っぷりもあってよく射止めたと褒められたり、楽しそうに質問をしてくるなど男子同様に好意的なそれだった。
けどそれは彼女――領島真帆のほうも同じだと断言することはできない。
同じような反応なのかもしれないし、まったく違うのかもしれない。
それを俺は――わからなかった。
いや、わかろうとしていなかったのだろう。
俺は。
さもふたりの目的は達成できているのだと勝手に思っていた。
「……イルカのキーホルダーつけてないんだな」
帰り道。
いつものように俺がチャリを押しながら領島の隣を歩いていると、交差点で立ち止まった時にふと目にした彼女の鞄にお揃いで買ったイルカのキーホルダーがついていないことに気づき、話を振った。
「え……、あ、ああっ! うん。ごめん……つけていたんだけど、結構汚れちゃってさ。だから家の中で保管しておいたほうがいいかなって! ごめん、言ってなかったね」
「そうか」
返答を聞き、俺は自分のイルカのキーホルダーを見やる。
大して汚れてもいないそれをぎゅっと握る。
「なあ俺たちって付き合ってもう二か月近く経つよな?」
「そう、だね」
「どうだ?」
「どうって……?」
「告白。されていないか?」
本来の目的を口にすると領島は得心いったというように笑みを刻む。
「うん。あれ以来まったくだね。いやあ、付き合っているってわかるとやっぱりみんな告白なんてしてこないんだねえ。晃くんはどう? 全然でしょ?」
「――いや」
首を横に振る。
「実は数回あってな」
俺の答えに領島は唖然とした様子で立ち尽くした。
「あった、の……?」
「言ってなかったけどな。うちの学校のやつもそうなんだが、他校とかもあってな」
「他校……、そっか。そっちもか」
「うん」
相槌を打ち、俺は言う。
「偽の恋人関係やめないか?」
「――え」
唐突に切り出された言葉に領島は驚きを禁じ得ない。
「どうし、て……」
「どうしてもなにも、俺たちは互いに告白されないために偽の恋人になったんだろ? でも結果として告白は減りはしつつもなくなりはしなかった」
「そう、だね」
「だから一緒にいる意味ないっていうかさ……、帰りを一緒にするとかお昼を一緒に摂るとか、面倒なことのほうが多くなっているのを感じてな」
もっともな理由を告げ、俺はもう一度言う。
「そっちにとってはいいかもしれないけど、もう俺は必要ないかなって。だからやめさせてくれないか?」
お願いするような形で言うと領島は数秒の間沈黙し、ゆっくりと顔を上げる。
「わかった。じゃあ――やめようか、偽の恋人関係」
快く承諾してくれる。
「あ、でももうちょっとだけ待ってくれる?」
言葉の意味を聞こうとするも先に彼女の口が開いた。
「ほら、いきなりだとあれじゃん」
「ああ、わかった。まあそこのところは臨機応変にいこうか」
「うん。ごめん、お願いね」
そうして俺たちの偽の恋人関係は終わった。
――――
俺は自分のことをつまらない人間だと思っていた。
なにかに熱中するわけでも勉強ができるわけでも運動ができるわけでもない。なにか自慢できることも誇りとなるものもなかった。
だから俺を好いてくれる人も――その程度の人間だと思うようにして、断り続けた。
もちろん俺も自分の価値がわからないわけではなかった。
むしろそれは充分に理解していた。
理解していたからこそ、嫌だったのだ。
俺のことをそういうふうにしか見てくれない人間のことが。
「見つけた」
ゴミ袋に入っていた内履きを取り出す。
そういうふうにしか見てくれないから、と俺は決めつけていた。
だれとも向き合おうとせず、人と関わろうとしなかった。
しかし彼女と過ごすうちに、楽しいという感情が芽生えた。
彼女と関わることで初めての経験をしているかのように面白くって。
いつの間にか俺の中に言葉にできない感情があって。
きっとそれがいまの俺を突き動かしているのだろう。
☆
「はあ」
深いため息が漏れる。
なにに対してのものなのか、自分でも理解できておらず、私はだれもいない教室でひとりなにもせずに過ごす。
どれくらい経っただろうか。
「真帆」
そろそろ帰ろうかと考えていたその時、がらっと扉が開いて顔を覗かせたのは白峰晃だった。以前まで偽の恋人関係であった、晃くん、である。
「どうしたの?」
「これ」
教室に入ってきて彼が床に置いたのは私の内履きだった。
「…………」
それを持ってきたということは、そういうことなのだろう。
けれど、スリッパでいる私は内履きを見つめたままなにも言えない。
「なんで言わないんだよ」
少し語気が強く、そこには怒りのようなものが込められていた。
「人気者は辛いね」
あえて私は軽い調子で返し、内履きに履き替えた。
「真帆の友達って言ってたやつらの内のひとり。以前に俺に告白していたんだな」
「……いま知ったの?」
「――真帆がそこまで俺にする必要性はどこにある?」
真剣な面差しに私は同じように真面目なそれで言う。
「幸せになりたかったの」
私は言う。
「晃くんならわかると思うけど、私の周りって薄い関係の人ばかりっていうか、私を自分の価値を上げる道具にしか思っていない人ばかりで、全然つまんないんだよね。幸せになることなんてこの先一生ないって思っていた――けど、そんな時晃くんに出会った。私と似た境遇の晃くんに出会って、思ったの……晃くんが幸せになれば私も幸せになれるんじゃないかって。だから私は晃くんに幸せになって欲しかった、それだけなの」
突き放すように言葉を並べる。
「幻滅した?」
思ったよりもすらすらと言えたことに自分で驚きつつも、胸のつかえが取れたかのように心は軽くなっていた。
なんでかはわからない。
彼に嘘をつき続けなくてよくなったから?
彼に本音を言えたから?
そんなわけがない。
そんなわけがないのに。
なんだか私の胸の奥にはまだつっかえているなにかがあった。
「ははっ、幸せになりたいから俺を幸せにって……真帆って馬鹿だな」
彼が笑ったことで重い空気が一気に吹き飛んだ。
「~~、な、なによ! 私は真面目に答えて――」
「俺、ここのところずっと幸せだったけど?」
なんの恥じらいも見せずに笑みを落とす。
「なあ、今日一緒に帰らないか?」
熱を帯びたように熱くなった私の顔だったが彼の突然の誘いを受け、一気に冷めていく。
「えっと、なに? どういう意味?」
「意味もなにも……普通にデートの誘い?」
「や、私たち別れたじゃん」
「別れたっていうか、偽の恋人関係をやめただけだろ」
「……一緒じゃん」
「一緒か……そうか、一緒になるのか」
ふむふむと納得したように頷いてから彼は言った。
「じゃあもう一度付き合おう」
「……はい?」
「あー、違うな」
疑問符を浮かべる私を無視して彼は無駄に制服を正して私に向き合う。
「俺と付き合ってください」
頭を下げ、腕を思いっきり伸ばして、手を差し伸べられる。
青春の一ページを切り取ったかのような光景だった。
「こちらこそよろしくお願いします」
きっともう私は幸せなのかもしれない。