私でいいじゃん賢者サマ!〜モテたい賢者ととにかく付き合いたい剣聖〜
息抜きで書きました、人生初ラブコメです。
もしかしたら続くかも?
ここは港町リューデンブルグ、出会いと別れの町。
ここにはありとあらゆるモノが集まる。
酒に香辛料、絹織物に冒険者たち……
そして大いなる野望を胸に抱く血気盛んな若者たちは皆、町の酒場――“黄金の鴎亭”に集まるものと相場が決まっていた。
念のため言っておこう。
“鴎”などというどこか呑気な響きから、のんびりとしたジャズの流れるお洒落な海辺のバーなどを想像している読者諸兄は考えを改めるべきだと。
ここに集うはさしづめ鴉。
“黄金の鴎亭”とは、己が欲に目をぎらつかせ、死肉を啄むことすら辞さない荒くれどもの吹き溜まりなのだ!
男たちの下卑た笑い。
グラスの割れる音、怒声、咆哮。
どこからともなく漂う血と煙の臭い……そんな中、顔を突き合わせて酒を酌み交わす二人の男女の姿がある。
片方は銀髪にして碧眼の美男子である。
透き通った白磁のごとき肌、どこか物憂げな表情は同姓であれ胸の高鳴りを感じてしまうほどだ。
無理やりにでも一つ欠点を上げるとすれば、年の割にやや幼い顔立ち――しかし彼の圧倒的な美貌の前には些細なことである。
男はぐびりとエールを流し込み、そして至極真剣な表情で切り出した。
「俺がモテるにはどうしたらいいと思う?」
これを受けて女性、ふふんと余裕の笑み。
――こちらも相当の美女である。
加えて高貴な家の出なのだろう。
彼女は後ろで丁寧に編み上げた金の髪をさらりなびかせ、見る者全てを惑わすような紅い瞳で男を見据える。
そして薄紅色の唇をゆっくりと開き――
「まずは女友達の一人でも作るところから始めるべきだと思うわ」
至極、まっとうな意見を口にしたのであった。
男は「たしかに」と深く、深く頷く。
――彼の名はヴァルハイト・コール。
またの名を“大賢者”ヴァルハイトである。
今から五年前、弱冠十七歳にして魔道の極致に至り、国から大賢者の称号を賜った天才児だ。
一方こちらの女性もやはり只者ではない。
“剣聖”ガーネット・アウデンリートである。
剣に生き、剣に捧げ、剣に愛された、鉄の女。
彼女の振るう剣は、かのガイアール帝国騎士団長ですら魅了したほどだと言う。
もしも今、酒場で飲んだくれている荒くれどもが、なんらかのきっかけで彼らの正体に気付いたとすれば、即座に失神してしまうことは請け合いだ。
この界隈において二人はそれほどのビッグネームなのである。
まぁ、そんな二人がこんな場末の酒場で駄弁っているとは当然誰も想像だにしていないので、今日も黄金の鴎亭は通常営業である。
ガーネットは白魚のような指をくるりと一振り。
「そもそもモテるとはなんなのか、そこから話し合うべきじゃないかしら」
「なるほど、まずはモテるの定義を明確にするべきと」
「あなたはどう思ってるのかしら」
「もちろん、モテるというのは状態のことだな」
重ねて言うが、男は実に真剣な表情だ。
「要するに不特定多数の女性から好意を持たれている……その状態を指してモテていると言うのだと、俺は思う」
「それは受動的な状態ね?」
「そうだ」
「でも冷静になって考えてほしいの、たとえば、そうね、絶世の美男子がそこにいたとする」
「うむ」
「髪がさらさらで、肌が白くて、目鼻立ちがしゅっとしていて、意外とスタイルが良くて、少し私より身長が高いぐらいの……」
「やけに具体的な例だ」
「まぁそれはそれとして、そんな男がいたとする」
「いたとして」
「ソイツがぼーっとカカシみたく突っ立ってるだけで、自動的に女の子からの好意が集まってくると思う?」
ヴァルハイトは、しばし思考した。
“全てを視た人”とまで呼ばれた所以であるその天才的頭脳を用いて、幾重にもシミュレーションを重ねた。
そして彼はたった一つのシンプルな解答を弾き出す。
「……集まるのでは?」
「はい、期待通りの解答ありがとう、ここが戦場ならあなたは真っ先に死んでいます、それぐらいひどい状況判断です」
「そんなに」
ヴァルハイトは目を丸くした。
それなりに自分の解答には自信があったからだ。
――何を隠そう、彼は色恋沙汰というものに対してたいへん疎い。
「いくら疎いといっても限度があるでしょ、なに? 今までの人生寝てたの? ずっと?」
「知っての通り魔術に傾倒していた、だからこそ親友であるお前に忌憚なき意見を求めているんだ」
親友。
この単語を口にした瞬間、ガーネットの美しい眉間に小さなシワが刻まれたことを、ヴァルハイトは知らない。
「で、集まらないのか? 何故だ? 女性というのはなによりも男性の顔かたちを重視すると聞いたぞ」
「そういうこと言ってる時点で300%モテないから」
「そんなに……」
「いーい?」
ガーネットは、まるで子どもにしつけでも教え込むかのような口調で続けた。
「そもそも顔の美醜なんてそれこそ人によりけりでしょ、そのへんの女の子適当にとっ捕まえて世界で一番のイケメンは誰か? って聞いて回ってみなさいよ、皆バラバラのこと答えるから」
「言われてみれば、たしかに……」
「そりゃ実際顔かたちがある程度整ってれば多少は有利よ、でも結局は好みの問題なの、ほら、最近流行りのオーク顔男子って知ってる?」
「浅学なもので、知らない」
「アンタほんとに世間知らずよね、オーク顔男子、要するにオークを連想させる顔立ちの男子を好きな女の子たちがいるらしいわよ」
「オークを連想させる顔立ち……? あの知性を感じさせず、いかにも本能だけで動きそうな潰れた豚顔の男を好く女子が、この世に存在すると……?」
「彼女らにしてみれば、愛嬌があってワイルドで肉食系の顔立ちよ。ね? 見方次第でしょ? 他にもリザードマン顔とか、ゴブリン顔とか……」
「……ガーネットは、そういう顔の男が好みなのか?」
ヴァルハイトはおそるおそる問いかけた。
ガーネットは一瞬きょとんとした表情になったが、ややあって、ふんと鼻で笑い。
「残念、私は顔よりも中身で判断するタイプなの、顔は二の次よ」
「そうか……なんというか、安心したぞ……」
ヴァルハイトは一つ安堵の溜息を吐き出す。
「まぁ要するに、イケメンなら黙ってるだけで異性からモテモテ~なんてそんな美味い話はないってこと、裏を返せばたいして顔に自信がなくても、イケメンに対抗しうるってことよ」
「夢のある話だ、――して、異性からモテるにはどうすればいい?」
ここで、ガーネットはいかにも自信ありげに後ろ髪をさらりとなびかせた。
その顔は溢れんばかりの自信に満ちており、彼女はゆっくりと口を開いて
「――彼女を作るのよ」
――ここに至って、ヴァルハイトの脳はいとも容易くパンクした。
古今東西の魔術を会得し、また新たな魔術創り出してきた彼の優れた脳細胞が一斉に活動を停止する。
モテる=彼女を作る。
この絶対的な矛盾方程式は、彼の思考をことごとく破壊した。
そして彼にとって永遠とも思える数秒が経ち、ようやく彼は正気の断片のようなものを取り戻す。
「どういう、意味だ……」
「言葉通りの意味よ、モテるためには彼女を作ればいいの」
言い直されても全く理解できなかった。
目の前の彼女が、もしや自分と全く思考体系の異なる異種族なのではないかと不安になったほどだ。
もちろんガーネットは突如として凍り付いてしまったかのごとく微動だにしなくなったヴァルハイトの思考など、お見通しだ。
「あのね、何も女の子と付き合うこと=モテることじゃないのよ、これは余裕の話なの」
「余裕の話?」
ヴァルハイトはようやく我に返る。
「そ、余裕、じゃあ逆に聞くけどどうして女性経験のない男はモテないんだと思う?」
「それは、あれだろう……なんというか、勝手が分からないんだ、全く未知のモンスターと戦うようなものだからな」
「まぁそれもあるけど、一番大きな要因は余裕のなさよ」
「余裕のなさ」
「要するに、がっつきすぎて適切な距離感が分かんなくなってるのよ」
「ふむ……?」
ヴァルハイトは、彼女の言が未だにピンとこない。
彼女はこれを見て取って、
「……あれよ、グルカンドの戦いにおける名軍師ゼノンの致命的失敗、あれと同じ理屈」
「なるほど!!」
ヴァルハイトは目から鱗が落ちる思いだった。
よもやこんなにも分かりやすく、そして革新的な説がこの世に存在したとは!
さすが剣聖、さすがガーネット・アウデンリート!
彼は内心で彼女に拍手と称賛を贈った。
「確かに絶望的な状況下で決着を焦るのは得策ではない、いい教訓だ」
「……そう」
どこか生き生きとした表情で何度も頷くヴァルハイトとは対照的に、ガーネットはなんだか疲れ果てたような表情である。
「……要するに女の子と付き合うことで生まれた心の余裕が女子との適切な距離感に繋がり、結果モテるのよ」
「なるほど、これは盲点だったな、……しかしここで一つ問題がある」
ヴァルハイトは神妙な表情になって、言う。
「俺には交際できるような女性のアテがない、先ほども指摘された通り、気軽に話しかけられるような女性の友人ですらただの一人もいないのだ」
――そう、ヴァルハイト・コールは童貞である。
神の愛を感じさせるほど恵まれた美貌に生まれた彼は、冒険者たちの間で、さぞやモテるのだろうとまことしやかに囁かれているが、実際のところは違う。
若くして大賢者の称号を得た彼は、当然のごとく青春の全てを魔術に費やした。
そしていくら目鼻立ちが整っていようが、本人にその気がなければ当然のごとく女性との交際経験などあるはずがない。
ゆえの童貞、ゆえの奇跡である。
数少ない例外、ヴァルハイト唯一の女性の友人――ガーネット・アウデンリートはもちろんこれを承知の上だ。
「それは由々しき事態ね」
ガーネットはその艶めかしい唇を、妖艶に吊り上げた。
「モテるためには彼女を作らなければいけない、でもあなたと付き合ってくれるような女性はいない、困ったわね、これは困ったことになったわ」
「ままならないものだ」
「あなたのような魔術一辺倒の恋愛素人が0から女性との交際関係を築くのは、大変な労苦でしょうね」
「これは長い道のりになりそうだぞ」
「大賢者サマの肩書きにふさわしい、賢い選択を迫られる場面よ」
「大賢者らしい、選択……」
眉間にシワを寄せ、うんうん唸るヴァルハイト。
そんな彼を、薄く開いた瞼の隙間からじっと見つめるガーネット。
奇妙な膠着状態が続く。
ややあって、
「ああ! 思いついたぞ!」
「ふ、ふふん、随分と考え込んだわね、まぁ答えは簡単――」
「――ギルドの受付嬢だ! 彼女なら何度か言葉を交わしたことがある! 灯台下暗しとはこのことか!」
「……」
「こうしてはいられない!」
ヴァルハイトは、残りのエールを一息に飲み干して、弾かれたように椅子から立ち上がる。
そして、彫像のように固まったガーネットに向かって去り際に一言
「今日も助かったぞガーネット! やはりお前は頼れる友人だ! 今度また困ったら、よろしく頼む!」
それだけ言い残して、姿を消してしまった。
早速ギルドの受付嬢を食事にでも誘おうという腹積もりなのだろう。
ガーネットは依然、氷の彫像じみた静止を続けている。
そんな時、後ろの席で一人酒を煽っていた小柄な女性が、おもむろに振り返って彼女を見た。
ガーネットにどこか憐れむような視線を向ける彼女――名はイオネ・オリヴィエ。
緑髪の彼女はトレジャーハンターであり、ガーネット・アウデンリートの数少ない旧友である。
「……もう行ったよ、賢者サマ」
「……でいいじゃん」
「なに?」
「――私でいいじゃん!!!」
ガーネットは、どかん! と額をテーブルに叩きつけた。
あやうくテーブルが真っ二つになるところである。
イオネは友人のあまりの惨めさに一つ溜息をついて椅子を持ってくると、彼女の隣に再び腰かけた。
「これで何連敗目?」
ガーネットはテーブルに突っ伏したまま、無言で指を四本立てる。
「四連敗?」
ガーネット、無言の否定。
「ああ、四十連敗か」
ぐうっ、とガーネットが小さく呻いた。
いくら旧知の仲とはいえ、さすがのイオネも呆れ顔である。
「もう諦めちゃえばいいのに」
「なんてこと言うのよ!」
ガーネットは勢いよく身体を起こして
「四十連敗して、それでも諦めきれないぐらい彼が、す、す……」
「す?」
「き……気になってるんだから……」
かああああっ、とものすごい速度でガーネットの顔面が紅潮する。
これを見て、イオネは更に深い溜息。
「好きの一言もマトモに言えないくせに、よくもまぁあれだけ恋愛上級者ぶれるよね、なに、モテるためには彼女を作れば~って、キミ、モテた試しも彼氏ができた試しもないじゃないか」
「うぐっ!?」
見事図星を突かれ、余裕なく顔を歪めるガーネット。
――そう、ガーネット・アウデンリートもまた処女である。
剣に生き、剣に捧げ、剣に愛された彼女は、残念ながら男には愛されなかった。
何故ならば彼女は強すぎたのだ。
いくら絶世の美貌を持ち合わせていようが、ドラゴンを片手間に切り刻む「淑女」という概念から最も遠く離れた彼女に、男性との交際経験はない。
ゆえに
「と、友達から聞いたもん!」
ゆえに、呆れ顔のイオネにできる反撃は、所詮この程度のものである。
「……はぁ、賢者サマの鈍さも相当なものだけど、ガーネットも大概めんどくさいよね、もういっそ恋愛上級者ぶるの辞めて実は処女ですってカミングアウトしちゃえば?」
「それは無理ぃ……」
「なんでさ」
ガーネットは恥ずかしさからか、これでもかと顔全体を紅潮させ、まるで蚊の羽音のようにかぼそい声で。
「だってそれがバレたら、もうアイツが私のところに恋愛のことで相談にくることなくなるじゃん……」
めんどくさ。
イオネはよっぽどそう言ってやろうかと思ったが、すんでのところでエールと一緒に喉まで出かけた言葉を呑み込んだ。
なんだかんだ言っても親友であった。
「はぁ、もう、ボクはキミが何をしたいのか全然分からないよ、ホントに」
「私も分かってない……」
「というかどうすんの? もし万が一その出まかせ恋愛知識が成功しちゃったら? 賢者サマ顔はいいから、案外あっさりと……」
「それ以上言ったら私はこの場で奇声をあげながら暴れまくるわよ」
「めんどくさ」
とうとう口に出てしまった。
これが合図となり、ガーネットはだぁんとグラスの底でテーブルを叩き、叫ぶ。
「――というかなによモテたいって!? おかしいでしょ! こんなにアプローチしてるのに! こんなに可愛くて、頭のいい子が迫ってきてるのに!」
「間違いなく頭はよくないと思うけど」
イオネの容赦ない追撃、ガーネットはうるりと瞳に涙を溜めて――
「ああ、もう!! 私でいいじゃん賢者サマあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
重ねて言うが、こんな場末の酒場で奇声をあげる頭のおかしな女が剣聖ガーネット・アウデンリートであることに気付く者など、誰一人としていない。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そして、それはこちらも同様である。
黄金の鴎亭をあとにしたヴァルハイトは、受付嬢の下へは向かわなかった。
あれは口実で、彼はただあの場から逃げ出しただけなのだ。
そして今は建物の陰に隠れて、必死で息を整えている。
「はぁ、危なかった」
ヴァルハイトは大きく安堵の溜息を吐き出し、呟く。
「……危うく、告白するところだった」
――ヴァルハイト・コール、彼は童貞である。
彼には女心が分からない。
女性との交際経験がないからだ。
それはもちろん彼が青春の全てを魔術に捧げたため、というのもあるが、最も大きな要因は――彼がガーネット・アウデンリートに惚れていたためである。
「早く経験豊富な大人の男になって、対等に告白できるようにならなくては、美しく聡明な彼女が他の男に取られる前にな……」
はぁぁ、と彼は一つ大きな溜息を吐く。
――まったく、世の中というのはままならないものだ。
本当に好きな女を振り向かせるためには、不特定多数の異性から好意を寄せられなくてはならないなんて。
これは今まで女性経験のない彼にとって、大変険しい道のりである。
しかし彼はやらなくてはならない、何故ならば彼は――
「……お前がいいんだ、ガーネット」
自分で言っておきながら途端に恥ずかしくなって、彼は赤面しながら一人悶えた。
――ここは港町リューデンブルグ、出会いと別れの町。
ここにはありとあらゆるモノが集まる。
酒に香辛料、絹織物に冒険者たち……そして、面倒くさいほどにこじれてしまった、二人の男女。
お察しの通り、二人の道のりはたいへんに厳しい。