8.亡き彼女のための狂騒曲
予約投稿ミスりました、すみません。
巫女姫壮行パーティの準備で慌ただしい王城内。
その知らせが飛び込んで来た時、第一王子は執務室で他国の招待客をどう接待するか頭を悩ませていた。
「…………なんだと?今、なんと申した?」
ただでさえ凶悪なまでの美貌だ、その上あまりに考えなしにパーティの実行を公表してしまった弟王子の尻拭いでこのところ寝不足とあって、鬼気迫る顔つきでギロリと睨まれた侍従は、ヒィッと悲鳴を上げて平伏しながらも、どうにか『事件』の第一報を繰り返した。
曰く、神殿にて行われている婚姻式にて事件が発生。死者もでる大惨事となっているが、詳細は未だ不明。ただいま待機中だった騎士隊が現場へ向かっているとのこと。
「婚姻式で死者だと?……なんと物騒な……」
「なぁにを呑気なことを言ってるんだい、第一王子!婚姻式と聞いて何も思い至らないっていうなら、今すぐその形の良い尻に物理的に火をつけてやるから覚悟しな!」
バァンッ、とドアを蹴り破って入室してきたのは、いつもは綺麗に整えられているミルクティーベージュの髪をあちこち跳ねさせ、宝石のようだと讃えられるペリドットグリーンの双眸を血走らせた蛇……もとい、こちらも激務が祟って亡霊のような顔になっている医局の責任者、マクスウェル。
そんな彼を必死で止めようと背後から近衛騎士達が追いすがっているが、彼は「お退き!!」と一言で文字通り蹴散らし、ズンズンと大股でデスク前へと近づくと、胡乱げな視線を向けてくる第一王子の目の前でバシンッとデスクを叩きつけた。
……ミシッ、と嫌な音が鳴ったことに眉根を寄せながら、第一王子は不穏な闖入者を静かに見上げる。
「今すぐ、あの巫女とかいうクソビッチとオツムの弱い直情バカ、それから軟弱者の二股男を私に差し出しな!あいつら……死んだ方がマシって目にあわせて、泣いて懇願したって許してやるもんか!!」
(巫女、はともかく……直情バカというのはシリウスか?なら、軟弱者の二股男というのは……いや待て、そもそもマクスウェルがここまでキレているということは、もしかして)
「ま、さか…………まさか、ミサキが?いや、まさか……」
「あぁ、そのまさかだよ、第一王子。しかもよぉっくお聞き。ミサキを殺したのはあのクソビッチ、その手伝いをしたのは直情バカだ。それだけじゃない、あんたの側近…………あいつはミサキを裏切って、クソビッチと関係を持ってたそうだよ。他ならぬミサキ本人が暴露したんだ、間違いない」
ガシャン、とデスクの上からティーセットが床に落ち、粉々に砕け散った。
マクスウェルは、普段から飄々として掴みどころがなく、いつも何かを企んでいるような笑みを浮かべていることもあり、誰も近くに寄り付こうとはしなかった。彼もまた親しい者を作ろうともせず、流されるままに、楽しいことだけを考えて生きてきたところがある。
しかし、そんな彼が興味を抱いたのがミサキという異世界から誤って召喚された娘だ。
彼女は確かに脆弱で、能力も目を見張るものはないし、顔立ちも平凡、背も低い。しかし魂の輝きとも例えられる魔力だけは素晴らしい輝きを放っていたため、こんな珍しい娘なら構ってやってもまぁいいかと退屈しのぎに構いだした、のだが。
(なんだ、あの娘は。基本礼儀正しいくせに毒を吐くし、愛想よくしたかと思えば妙に冷めてるし。負けず嫌いで意地っ張り、鈍感で変に鋭い。……あぁ、面白いね)
ものの見事に、彼は取り込まれた。
つまらないと思っていた固有スキルを思わぬ方向に進化させたり、堅物脳筋な純血エルフの弟子として認められたり、第一王子をもいつの間にか惹きつけていたりと、その言動には驚かされることばかりで。
求婚されたから婚姻式をする、と告げられた時も「あぁ、なんかやらかそうとしてるな」とは思ったが、それが面白いことに繋がるならとあえて欠席を申し出て、様子をみるつもりでいた。
それがまさか、こんなことになるなんて。
もう二度と、会えないなんて。
沸き起こってきたのはどうしようもない怒りと、憎しみと、殺意と、そして喪失感。
自分で自覚していた以上に彼女が大きな存在になっていたことに、今更気づいてももう遅い。
ならばせめて、彼女を殺した者を、彼女を裏切った者を、この手で。
そう意気込んでやってきた第一王子の執務室。……だがそこで彼が見たものは、自分と同じ……否、同じような重みでありながら全く違う種類の喪失感をたたえる、第一王子エドガーの顔だった。
「……どうだ、少しは落ち着いたか?」
すぐにでも殴り込みに行きそうな鬼気迫る空気の中、しかしそれを抑えたのは事情を知って塔から駆け付けたルートヴィヒだった。
ミサキの死を間近で目撃してしまったカレンが危うく魔力を全開放して暴走しかけ、立ち合いやら警備の関係で居合わせた魔法師総出でどうにか気絶させて惨事を防いだ。その後塔に戻ってきた彼らから事情を聞き、今後のことについて報告すべく王城内へと入ったところ、第一王子の執務室にマクスウェルが殴り込みに来たと耳にした彼は珍しく慌てた。
急いで執務室まで転移した彼は、すっかり殺気立っている二人の腕を掴んで塔の一室まで再び転移し、究極に苦い特製の薬草茶を無理やり飲ませ ―――――― 今に至る。
「ちょっと、容赦なさすぎじゃないかい、脳筋エルフ。あー……まだ口の中が痺れてるよ」
「お主にだけは言われたくないな、鬼畜魔族よ。これはそもそも、お主の知己が調合した薬だろうに」
「話をすり替えるんじゃないよ、使い方が問題だって言ってるんだ。なんでもない相手に気付け薬を飲ませるなんてね」
「何を言う。『錯乱』状態だったのだから、作用としては間違っていない」
互いに譲らずムッとした表情のまましばし睨み合っていた二人は、仲良く揃って反対方向に顔をそむけ、ふぅっと大きく息をつく。
「…………しかし……あの子はまたなんで……いや」
なんで一人で全部抱え込んで逝ったのか。
そう言いかけて、埒もないことだと口をつぐむ。
(相談できるような関係性じゃなかったんだ……当たり前、か。からかってばかりじゃなく、もっと歩み寄ってやっていれば……)
でも、だとしてもきっと変わらなかった。相談したいならカレンでも第一王子でも、相手はいたのに。なのにミサキは彼らに負担をかけまいとして抱え込み、結果として誰より先に逝ってしまった。
バカな子だ、とマクスウェルは唇を噛む。
視線を戻すと、腐れ縁の仲である脳筋エルフはじっと続き部屋の方を見据えていた。
まるで中で何が起こっているのか、見守ろうとしているかのように。
焦げ茶色のちょっと固めの髪が、真っ白なベッドの上に控えめに散らばる。まるで眠っているかのように表情は穏やかで、しかし白いその肌には生気がない。薄く開いた唇からも吐息が漏れることはなく、感情豊かとまでは言えずとも理知的な光を宿していた琥珀色の瞳が、彼を映すことはもう二度とないのだ。
燭台で左胸を刺し貫かれたはずなのに、純白のドレスの胸元には血の跡どころか破れも汚れもない。
これは恐らく女神の御力だろう、とルートヴィヒはそう言っていた。
『現場を見ていた者によると、ミサキが絶命したと思われるその時……眩い虹色の光と淡い紫の光が混ざり合って、神殿内を照らしたそうだ。そうして気がつくと、ミサキはこのように浄化されていた、と』
虹色の光は、ミサキの持つ魔力の色。淡い紫の光は、女神の祝福と呼ばれる色。
本来なら巫女が祈りを捧げた際にこの祝福の光が女神像を照らし出すのだそうだが、今代の巫女は既にもう何日前から祝福の光を授かることができなくなっていたという。勿論、あの瞬間も。
それになにより、その光はミサキの魔力と混ざり合って顕れた。……それはまるで、ミサキが最初から女神の祝福を授かっていたかのように。
そしてもしそうなら、彼らはとんでもない過ちを犯したということになる。
「………………っ、」
堪えきれず伸ばした指先で触れたその頬は、ひんやりと冷たい。
以前、戯れついでに突いたことのある感触は柔らかく温かかったが、今は固く全てを拒絶する。
(……ユーリスが神殿に足繁く通っていることを知っていたというのに、私はそれを諌めなかった。ミサキを大事にしろよと忠告はしたが、あの男は当然ですと笑っていた……笑いながら、巫女と関係を持っていたというのか?ミサキとの婚姻を急いだのは、その魔力を手放さないためか?どうして……っ、どうしてだ、ユーリス)
常に冷静さを保ち、身分にとらわれることなく公正な態度を貫いていたユーリス・セレイア。彼を側近にと取り立てたのは、その野心のなさと権力に媚びへつらうことのない気性故だ。そんな彼だからこそ、ミサキのエスコート役にと選んだ。彼ならば巫女に取り込まれることもない、嫌な思いをするだろうミサキを守ってやれるに違いない、と。
そして、彼だからこそ ―――― ミサキを任せられる、胸の奥に燻る想いを諦められる、そう判断したというのに。信頼、していたのに。
ミサキは、知っていた。巫女が様々な男と親密に触れ合っていたことを。ユーリスもまた、その一人だということを。その、未だ制御できない能力を持ってまざまざと見せつけられた彼女は、一体どれだけ苦しんだのだろう?
己の婚姻式で、全てを暴露して壊してしまおうと思いつめてしまうまでに、追い詰められてしまっていたのだろうか。
もう一度だけ、とその頬に手を伸ばした彼はしかし、続き部屋からガシャンと何かが壊れる音がしたことで、ピタリとその手を止めた。
耳を澄ますと、口汚く罵っている声……これはマクスウェルだろう。そしてその後を追うように、冷静すぎていっそ心がないのではと揶揄されることもあるルートヴィヒの少し高めの声。
その声で『セレイア』と紡がれたことで、彼は弾かれたように立ち上がり扉へと手をかけた。
「おや…………これはこれは。わざわざ自分から殺されにくるなんて、随分と殊勝なことじゃないか」
「マクスウェル」
「わかってるよ、ルートヴィヒ。なぁに、すぐに殺しはしないさ。あの子の受けた苦しみを十倍返しで味わわせてやるまではね」
カツン、と石畳を殊更ゆっくりと踏みしめたマクスウェルは、ギラギラと剣呑な光を放つペリドットグリーンの双眸を、招かれざる闖入者へと向ける。
ここは、彼らが今までいた塔の入り口。塔の住人もしくはその許可のない者が入れるのはここまでで、此処から先はその身分に応じて登れる階が制限されている。勿論忍び込もうとしても結界に阻まれ、無理に押し通ろうとすれば即座に警報が鳴り響いて、騎士団詰め所から騎士が駆けつけるという仕組みだ。
今も、『とある高位貴族の嫡男』が無理に中に押し入ろうとしている、と警備の魔法師より責任者であるルートヴィヒに通信が入り、それが『セレイア家嫡男』だと聞いたマクスウェルが罵声を放ちながら駆け出したことで、やむなくストッパー役としてルートヴィヒも駆けつけた、というのが現状である。
長身痩躯、白衣こそ着ていないもののいつものようにピシリと乱れのないダークグレーのスーツを身に纏ったマクスウェルは、腕を組み、顎をツンと上げて、見下すような鋭い視線を目の前の青年に向ける。
対してその正面にガチガチに緊張して立っているのは、花嫁と対になる銀糸の刺繍を施された純白のタキシードに、今は残念ながら泥に汚れた白の革靴、せっかく整えられていたはずの黒髪はぐしゃぐしゃに乱れ、いつも穏やかな笑みを浮かべている整った顔には焦りなのか怒りなのか悲しみなのか……複雑な感情の入り混じった色が浮かんでいる。
無言で睨み合うことしばし……埒が明かないと判断したルートヴィヒは、マクスウェルの傍らから静かに言葉を発した。
「ここが魔法師の【塔】であることを、よもや知らぬわけではあるまい。何用だ、セレイアの小倅」
「………………」
「言えぬのならば引き返せ。我らは暇ではない。式典の準備だけでも手が回らぬというに、どこかの阿呆が騒動を起こしてくれたお蔭でな」
持って回った言い方をしているが、意訳すると『諸悪の根源が何しに来てんだよ、帰れ』となる。
努めて冷静に振る舞っていても、ルートヴィヒとて弟子を亡くしたやるせなさを感じていないわけではない、ということだ。
帰れと言って素直に引き下がるならよし、もし粘るようなら激怒した毒蛇の餌食にするのもやむなし ―――― と、そんなギスギスした緊張感を切り裂くように、何かに耐えるように歯を食いしばっていたユーリスが、とうとう口を開いた。
「 ―――――――― 妻を、返していただきたい」