6.閑話:未来へ繋がる出会い
時系列上はつながってますが、内容的には本筋から離れます。
読み飛ばし…はしないほうがいいかな、という人との出会いがあります。
「あちらはどうしているかしら……」
時折不意に、カレンはそうやって物憂げなため息をつく。
仲がいいとまでは言えないものの疎遠でもなかった家族、損得勘定抜きにして付き合っていた友人達、一緒に仕事していた会社の同僚達、そして…………結果的に他に目移りしてしまったものの、許嫁という関係にあった男性。
彼ら、彼女達のことを考えて、どうしようもないことなのだけどと苦笑しながら、その反面どうしてこうなってしまったのかと嘆いている。
「もう戻れないというのは、納得はしているの。どういう訳だかこちらの世界とあちらの世界じゃ、一方的にしか道が開かれないようだから。まだ、突然なんの脈絡もなくこちらに『落とされた』わけではないだけ、恵まれているのでしょうね」
この世界には、あちらの世界からある日突然『落ちて』くる【落ち人】と呼ばれる者がいる。その名の通り、時と場所を弁えずとにかくいきなり『落ちて』くるのだから、運良く誰かに保護されれば恩の字で……運が悪ければ凶暴な魔物の餌食になって即終了、ということもあるという。
もしくは、あてもなくさまよい歩いているうちに野垂れ死にだとか、幸か不幸かはわからないが奴隷商につかまって競りにかけられる、ということもあるのだとか。
(確か、大陸の東にあるヴィラージュって国だけは、【落ち人】保護のための法律とか作ってるんだっけ。そこなら、少しは気が楽だったかなぁ……)
彼女は【落ち人】ではないけれど、異世界人であることは間違いない。保護する法律があるなら順当に考えてその国には『異世界人』が他よりも多く住んでいる可能性が高い、ならばここで肩身の狭い思いをするよりもマシなんじゃないだろうか。
(…………なんて。そう夢想したこともあったけど)
その東の大国ヴィラージュのことを調べ、大陸内の移動手段やかかる費用なんかも考え、出国するためにはどうしたらいいかなんてことまで考えていたミサキはしかし、今はもう無理だと諦めてしまっている。
常時傍に誰かいる。今は特に大事な時期だからとセレイア家の使用人がついてくることが増えたし、そうでなくても一人になれば例の嫌がらせが襲ってくる危険性があるため、逃げることを考える隙がないのだ。
「……なんだか騒がしいですね。喧嘩でも?」
「さぁ?あの特徴あるダミ声はパン屋のダンよねぇ……盗みだなんだって聞こえるし、スラムの子でも迷いこんだかしら?」
今ミサキが来ているのは、城下町の中でも一番大きな通りに面した魔法薬を取り扱う店。
彼女の後見人はたまにこうして『このリストにある薬を買っておいで』とお遣いを命じることがあり、この時ばかりは一人で行動させてもらえる。魔法薬というもの自体が機密性の高いものであるためだ。
それをどうしてミサキが買いに行くのかというと、魔法の素養がない彼女には悪用したくてもできない品であるから、という理由らしい。
そんなわけでつかの間の自由を満喫しつつ買い物を済ませた彼女は、表通りでぎゃあぎゃあと騒がしい声が響いてきたことで、ふとそちらに視線を向けた。
正体不明、年齢不詳な店主の言う通り、ダミ声で『盗った』だの『このガキ』だのと喚いているのはパン屋の店主のようで、彼は黒い服を来た十代半ばほどの少年の腕を掴んで捻り上げている。少年の髪は黒、目の色はよくわからないが、どこかで見たような、懐かしさを感じるようなその黒の上下はもしかしたら、と彼女は店主に荷物を預けて駆け出した。
(あの服、もしかしたら学ランかも!だとしたらあの子は……ううん、多分そう!)
少年の手元に散らばっている紙切れには、恐らくこちらの世界では再現できないだろう緻密な肖像画が描かれてある。そしてこれも見覚えがある、『100』や『50』と刻んである銀色の硬貨。加えて、着ている服が黒の学ランとくれば、もうほぼ間違いない。
「離せっ!盗もうとしたわけじゃねーだろ!!金ならあるって言ってんじゃねーかっ!!」
「こんな紙切れのどこが金なんだ!?デタラメ言って逃げようったってそうはいかねぇぞ、この盗人め!このまま腕の一本でも折ってやろうか!あぁ!?」
「ちょっ、待ってください!!その子、うちの弟なんです!!」
パン屋の店主がグッと掴んだ腕に力を込めたのがわかって、ミサキは慌てて店主の反対側の腕にしがみついた。驚いた店主は咄嗟に動きを止め、「はぁっ!?弟だって!?」と素っ頓狂な声を上げる。当然見に覚えのない少年も驚きで目を見張るが、否定しないだけの理性はあるのか声は上げない。
そのタイミングを逃すことなく、ミサキはとにかく謝り倒した。
自分たちはここから遠く離れた国の出身なのだが、あまりに距離があるため独自の文化や習慣というものしか知らず、その所為でこの国のお金や買い物のことなども全く知らなかった。弟はこの国に来たばかりで何もまだ学んでいない、なので許してもらえませんか、と。
(一応、『弟』以外は間違ったこと言ってないし。謝っとけばこれ以上怒ることもないでしょ)
これぞ日本人の得意技、『なんだかよく事情はわからない上に自分は悪くないけど、とりあえず相手が怒ってるなら謝っとけ』である。
加えて、彼女は手持ちのお金を取り出した。貴族街であってもそこそこ高価な装飾品をひとつくらいなら買えそうなその金額に、パン屋の店主の顔色が変わる。
「本当にすみませんでした。お詫びと言ってはなんですが、このお金で買える分だけのパンをください」
『事情はよくわかんないけどぉ、ワケありよね?二階の部屋、ちょっとだけなら貸してあげる』
顔なじみとなった魔法薬店の店主の厚意で、パンが詰まった大きな袋を抱えた二人組はおっかなびっくり二階の住居スペースへと上がり、そしてそこで改めて向かい合った。
ミサキはまず、咄嗟にポケットにねじ込んできた『日本国貨幣』を少年へと差し出す。そして、聞かれてもいないというのに、彼の身に起こっただろう事態について説明してやった。
この世界とあちらの世界は隣り合っているらしいこと、どういう理由だか一方的にあちらからこちらへの道が現れることがあるらしく、そこから不運にも『落ちて』くる者を【落ち人】と呼ぶこと。
ほとんどの国では【落ち人】は認識されず、いい扱いも受けていない……だが大陸の東にある大国ヴィラージュだけは法律で【落ち人】を保護しており、その国まで行ければ保護してもらえるかもしれない、ということ。
全てを聞き終えた少年は、「やっぱ戻れねぇか……」と泣きそうに顔を歪めてうつむく。
それが、普通の反応なのだ。カレンだってそうだ、ここでの居場所を与えられて恵まれた能力も開花させた彼女だって、未だに元の世界を恋しがって嘆いている。
ミサキだって戻れるものなら戻りたかった、この世界に彼女が必要ないのだとするなら尚更。
だけど、と思い出す。
どういう訳だか、最初の頃にあれだけ嘆いてみせたエリーだけは、巫女召喚の話を聞いて以降『元の世界に戻りたい』などと言い出す様子もなく、ひたすら求められ、愛され、守られる日常に甘んじているように見える。
(おかしい。なんか狂ってる。まるで自分の境遇に酔ってるみたいで……気持ち悪い)
なぁ、と低いその声に視線を少年へと戻す。
彼はもう顔を上げており、真っ直ぐにミサキを見据えていた。
「その東の大国とやらに行けば、俺はちゃんと暮らしていけるかもしれない。……でも実際、ここからその国へ行くにはどうしたらいい?その、パスポート……じゃなくて、なんか通行証とかいるんじゃねぇのか?」
「冷静だね」
「パニックになって暴れ出してぇ気持ちはあるけどな。けど、暴れたってなんの解決にもならねぇ…………なら、なんとかして生きてく手段を探さなきゃ、だろ」
「…………うん。君がその気なら、聞いてきてあげる」
何を、と聞かれる前にミサキは立ち上がり、恐らく聞き耳を立てているだろう店主の元へと向かった。
「あの……以前、ヴィラージュ国に滞在したことがあるって言ってましたよね?ここからあの国へ行く、一番効率的な手段ってなんですか?」
どうせ、聞こえてましたよね?事情、知っちゃいましたよね?
そう含みをもたせて問いかけると、見た目二十代後半の肉感的な美女はフフフと忍び笑いをもらす。
「ホント、貴女って面白い子ねぇ。アタシが魔族だって知っててそれ聞いちゃう?」
「魔族の評判があまり良くないことは知ってます。けど忘れてませんか?私、その魔族の後見受けてますし。そもそも貴女、マクスウェル様のお知り合いでしょう?その上、多分ですけど師匠ともお知り合いですよね?魔法薬なんて扱ってるわけですから、知らないはずないです」
だから、とミサキはもったいぶって一度言葉を切り、ニヤリと笑って続けた。
「鬼畜後見人と脳筋師匠、二人のツケってことで手を貸してもらえませんか?」
そう言うと、店主は堪えきれなくなったように声を上げて大笑いした。バンバンとテーブルを叩きながら笑い転げるその姿に、さすがに気になったのか階段を下りてきた少年も唖然として固まった。
しばらくそうして爆笑し、ひーひー言いながら腹筋の痙攣が収まるのを待ち、ようやく笑いの止まった店主は「いいわよぉ」とあっさりとその無茶苦茶な提案を了承する。
「そうねぇ、あの鬼畜魔族と脳筋エルフに貸しを作るのも悪くないわぁ。ちょうど明日、ヴィラージュの方まで仕入れに行こうと思ってたの。助手してくれるんなら、連れてってあげてもいいわよ」
「え、っ……いい、のか?」
「ただし、向こうに着いたら勝手にしてちょうだいねぇ。その後のことまで面倒見られないし」
勿論、と即座に頷く少年に店主も頷き返した。
帰り際、今日はこの店に泊めてもらうらしい少年から呼び止められる。彼はまず助けてくれたこと、事情を説明してくれたことに礼を言い、そしてどこか哀しそうな視線をミサキへと向けてきた。
「あんたは……一緒に行かないのか?」
「え?」
「あんたも、行きたかったんじゃないのか?今ならまだ、」
「残念だけど、無理だよ。…………もし出国できたとしても、そこで連れ戻されるか、命を狙われるか。もう、逃げ場はないみたいだから」
「っ、なんだよ、それ……っ!」
拳を握りしめて憤ってくれる少年に、ミサキは「内緒だよ」と前置きしてから簡単に自分の置かれた状況について話した。
(きっと、私も誰かに愚痴を言いたかった。可哀想に、って言ってもらいたかった)
会社から突然同僚二人と一緒に召喚されたこと、うち一人は偉大な力を持つ巫女姫、あと一人は絶大な魔法の力を持っていたのに、ミサキにはたいした能力がなかったこと。ただ彼女の持つ魔力の質はかなり高いそうで、それを欲した貴族に目をつけられたこと、その反面で巫女信者達には邪魔者扱いされ、命を狙われる危険にもさらされていること。
「じゃあ、あんたには監視が……」
「ついてる。多分、今も」
だから逃げられないんだと念押しのように言うと、少年はくしゃりと顔を歪めた。
「なぁ……その巫女姫って、マジで巫女なのか?乙女ゲームみてぇに男侍らして、それだけじゃ足りなくて他所の男誘惑してさ。ところかまわずイチャイチャチュッチュして、そんなのに世界の命運託さなきゃいけねぇとか最悪。何が穢れなき巫女姫だよ、最後の一線越えてねぇだけだろ。とんだビッ」
「はいはい、そこまで。あんまり言うと、君が今度は狙われるからやめなさい」
少年を宥めながらもミサキはこれまで漏れ聞いた情報を頭の中で整理していた。
『巫女の周囲に取り巻きがいない時間なんて殆どないそうよ。それこそ、大事な祈りの時間でさえもね』
『浄化スキルは女神からの贈り物、しかし訓練せねばレベルも上がらぬ。歴代の巫女は祈らずとも瞬時にスキルを発動させていたというのに、今代は長時間祈ってほんの僅かとは。情けない』
『長い時間跪いて祈らないとスキルが発動しないなんて不便すぎます……女神様の祝福の光もぼんやりとだけだし』
(元々レベルの低かった浄化スキルが、今じゃ中々発動しなくなってる。それが例のイチャイチャに関係するなら……)
『何が穢れなき巫女姫だよ、最後の一線越えてねぇだけだろ』
このままスキンシップが過剰になってきたら、浄化スキルはどうなる?
「せめて最後に名前教えてくれないか?……俺は透、水城透だ」
「私は御崎まどか」
「まどかさん、その、俺があっちに定住できたら迎えに来るから。そん時は一緒に逃げようぜ。約束」
「うん、約束」
(ごめんね、透君。守れない約束なんて、するべきじゃないんだけど)
でも、また会えたらその時は。
叶わないとわかっていて、それでもミサキは小さく微笑んだ。