5.見えない悪意
数話、ちょっとコレはないわーという展開が続きます。
「ねぇ、そんなに辛いなら行くのをやめたらどう?」
「…………え?」
いつものように息抜きにとお茶に誘われたミサキは、しかしぼんやりとティーカップを見下ろしたまま。さすがにこれは重症だからとカレンはその手からカップを取り上げ、神殿の茶会に行くのはやめたらどうかとため息混じりにそう忠告してきた。
その言葉に緩々と顔を上げるミサキのあまりのやつれように、続けてため息が溢れる。
「何を抱え込んでるの?わたくしには言えないこと?」
「ううん…………でも言っていいことなのかどうか……」
「機密事項だっていうなら今更よ。ここは結界も張られているし、他の魔法師も入ってこられない。吐き出せるなら吐き出してしまいなさいな」
「…………」
言ってしまおうか。それとも誤魔化そうか。
散々逡巡した後、ミサキは耐えきれずにぽつりと言葉をこぼした。
「嫌がらせの手紙が届くの」 ―――――― と。
巫女との茶会が定例化してきたことで、毎度エスコートしてくれるユーリスとの距離は徐々に縮まっている。そしてもうひとつ、大きな変化が。
「第一王子殿下宛の手紙は私が仕分けすることになってるの。巫女からの手紙もそうして届く。けど最近になって、そこに巫女以外からの手紙も混ざるようになってね」
「ちょっと待ちなさい。……それってもしかして」
「うん。他の取り巻きから。神殿を通して届くから開けないわけにはいかなくて、でも……名目上はすごく丁寧なんだけど、そこに込められた魔力残滓が、その、」
「あぁ、わかったわ。嫌なら言わなくていいから」
端的に言って、『気持ち悪い』のだ。
取り巻きたちは皆タイプこそ違え美形で、神殿を通した公の手紙だからと精一杯丁寧に美辞麗句を連ねた文章を書いて送ってくるのだが、そこに残る魔力残滓は偽れない。どれもこれもドロドロとした、妬みと嫉みと憎しみと殺意、そういった、色に例えるなら赤黒い魔力が纏わりついている。
これならまだ直接的に「巫女に近づくな」と脅される方がマシだ、と思いながらもその能力を未だ一部の者にしか知らせていない関係上、誰にも相談できずにいたのだ。
「多分だけど、知られているんだと思うの。ほら、あっちには第二王子や魔法師がいるわけだし。いくら他言無用って言っても、どこかで漏れてる可能性もあるよね?だからこそ、こういう私にしかわからない姑息な嫌がらせを思いついたんだろうなぁ、って」
「感心してどうするの!全くもう……」
行かなきゃいい、という段階ではもうない。もし巫女の誘いに乗らなくなってしまったら、この手の嫌がらせはきっとエスカレートする。ならば誘いは受けつつ、どうにか防御するしか方法はないのだろう。
「……まぁそのうち、機会をみつけて師匠に相談してみるから」
「そうなさい。貴女、まるで幽鬼のようよ?」
「そんなに酷い?」
疲れてるなぁ、という自覚はあった。ユーリスや第一王子、マクスウェルにさえ「たまには休め」と言われるほどに、今のミサキは酷い有様なのだろう。
だけど、神殿からの誘いはやはり断ることなどできない。一度くらいいいかと断ることも考えたが、そうなったら手紙に込められた魔力残滓が更にバージョンアップして襲いかかってきそうで、それが怖かった。
結局、この日も渋るユーリスに付き添ってもらいながら神殿まで足を運んだミサキは、開口一番エリーに「酷い顔ですね!」と先制パンチを食らってしまった。
ユーリスは顔をしかめていたけれど、ミサキはしっかりと見ていた。……巫女の取り巻き達が、してやったりと笑みを浮かべていたのを。
「本当にミサキさん、やつれてますよね?……目の下のクマとか酷いですし……ダメですよ、女子はきちんとお肌ケアしないと!よかったら、あたしがこっちで使ってる化粧品、紹介しますから!」
「あぁ、うん……ありがとうございます。その気持だけで、十分なので」
(とんでもない!巫女様御用達の化粧品なんて、めちゃめちゃな高級品に決まってるんだから。買えるわけないでしょ)
無理無理、とミサキは慌てて頭を振る。巫女御用達の化粧品など、彼女の給料ではとても続けられない。最低限の化粧品代くらいは後見人に頼めば……と考えたところで、マクスウェルの意地悪い笑みが脳裏に浮かんできて、すぐにその考えを打ち消す。
純血の異種族は名誉貴族の称号を与えられているため、資金的に困ることはない。ただしそれを何に使うかは当然本人の意思によるため、「巫女姫御用達の化粧品が欲しいです」などと言おうものなら、
「へぇ……お前、それで巫女と張り合おうとか思ってるんじゃないだろうね?土台が違うのに無様なことだ」
と嘲笑されるのがオチだ。そうして散々馬鹿にされた挙げ句にお金を出してもらえても、その頃には購買意欲などなくなっているに決まっている。
と、脳内でストーリーを完結させてしまったミサキを見て、エリーは『提案が断られた』と意気消沈したものの、すぐに何か思いついたのかパチンと手のひらをあわせて顔を輝かせた。
「あ、それじゃせめてお花なんかどうですか?すごく香りのいいお花なんですけど、良かったら気分転換に是非!」
「えぇと……」
匂いの強い花は苦手だった。だがそれを言ってしまえば『巫女の厚意を踏み躙った』と睨まれてしまう、それなら馬車の移動中だけどうにか我慢して、後はマクスウェルにでも押し付ければいいか、とミサキは顔が引きつらないように気をつけながら、ありがとうございますと微笑んだ。
今日はいつもと変わらず隣にいてくれるユーリスも、小さく口の端を緩めて頷いてくれる。
付き人らしい女性神官から差し出されたのは、庭の奥……巫女が一人になりたい時などに散策する結界の張られた特別な花壇にあるという、白百合だった。危惧していたほど、匂いはさほど強くない。
城まではユーリスがその花を抱えていってくれたお蔭で匂いに酔うこともなく、馬車を降りた彼は改めてその花をミサキの方へと差し出した。
反射的に受け取ろうと手を伸ばし、花びらに指先が触れたその瞬間
( ―――――――― っ、え?)
白百合が咲き誇る、巫女しか入れぬ秘密の花園。
なにかに躓いたのかバランスを崩したその女性を、咄嗟に膝をついて抱きとめる黒髪の青年。
二人は抱き合ったまま何事か語り合い、静かに見つめ合って……そして唇が、重なる。
それは、一瞬のこと。
慌てたように身を離した青年の頬はしかし隠しようもなく紅潮し、濡れた眼差しで困惑気味に己を見上げる『少女』と呼んでもいいほど幼さを残した女性を至近距離で見下ろす。
なにか言いかけた青年に今度は女性が抱きつき、ふるふると緩く頭を振っている。
青年がその、背中に回された腕をほどくことはなく、そして…………まるで磁石が引かれ合うかのように、もう一度、二度、と二人の唇が重なった。回を重ねるごとに、やや深く。やがて、絡み合うように。
(やめて!!もうやめて!そんなもの、見せないで!!見たくないっ!!)
明るい茶色の髪を、結いもせずに背に流したドレス姿の女性は紛れもなく巫女姫エリー。
そして。
そんな彼女の許可がないと入れないはずの白百合の花壇で、抱き合いキスを交わしていた黒髪の青年は…………今、ミサキの目の前で不思議そうにゆっくり瞬きながら、白百合の花束を抱えている、ユーリス・セレイア。
ガツン、と脳天を殴られたような衝撃があった。
これまでなら、不安が妄想となって現れただけだと自己暗示をかけることもできただろう。
だが、ここしばらくあの脳筋師匠ルートヴィヒから地獄の特訓を受け、何十何百という数の魔力を読み取って解析してきた彼女なら、例え物言わぬ草花からもそこに残った魔力残滓を読み取ることができてしまう。
魔力残滓はそう長い時間とどまることはない、つまりあれだけ鮮明に読み取ることができたあの光景は、そう遠くない……ここ数日の間に実際にあったことなのだ。
「……ミサキ?」
ユーリスは、ミサキが必死で訓練した結果あらゆるものから魔力残滓を読み取れるようになった、という成果をまだ知らない。誰かに知られれば悪用されるかもしれないから、と未だ口止めされているからだ。
故に、それを知るのは師匠であるルートヴィヒ、その後見を受けるカレン、ミサキの後見人であるマクスウェル、国王、そして第一王子のみである。
巫女の取り巻き達にも知られている可能性はあるが、それはそれとして。
(どうして……どうして、ユーリス様が。家の用事だからって、それだけだからって言ってたのに)
ただ会っていただけならいくらでも誤魔化しはきく。そこが例え巫女姫の秘密の花園だったとしても、迷い込んでしまったとか気分転換に巫女に誘われたのだとか。それがどんなに苦しい言い訳でも、誤魔化されることはできた。だけど。
見つめ合って、キスを交わす二人。固く抱き合い、深く深く絡み合う姿。
巫女は、何を思ってこの百合をミサキに贈ったのだろう?隣にピッタリと寄り添っているこの青年が、自分と想いを交わしているのだと勝ち誇りたかったのか。それともユーリスに対し、私の存在を忘れないでとアピールしたかったのか。
(ううん、違う。…………あの子は多分、何も考えてない)
小難しいことなど何も考えず、彼女はただ単に自分がお気に入りの花をプレゼントしようと思った、それだけのことなのだ。もし彼女がユーリスを本気で想っているのなら、茶会に招待された時点で顔に出ていたはずだ。自分を想って欲しい、自分だけを傍において欲しい、なのに他の人の傍にいるなんて酷すぎる、と顔や態度に出ていたはずだ。
だけど、あの場での二人は特に挨拶以外に会話することもなく、巫女は終始ミサキだけを相手に喋り続けていた。しかも、わりとご機嫌に。……これは一体、何を意味している?
「ミサキ?一体、どうしたんだい?」
顔を覗き込んでこようとするユーリスから、反射的に一歩引く。
避けられたと気づいたのか、彼の表情が訝しげなものになったことを悟ったミサキは、慌てて「そのお花、香りがきつくありませんか?」と花の所為にした。
「……いや。俺はさほど感じないけど……この香りは苦手?」
「えぇ……さっきは巫女様の手前、言えませんでしたけど。なのですみません、それはユーリス様がお持ちください」
「あぁ、うん。それは構わないけど…………そうだ、少しだけ待っていて」
逃げるように城内に入って行こうとしたミサキを慌てたように引き止めると、ユーリスは一度馬車に戻って百合の花束を座席に置き、代わりに座席の隙間に隠し持っていた小さな箱を持って戻ってきた。
そして彼は、それをミサキに向かって差し出す。
「本当はもっと、ちゃんとしたところで申し込みたかったんだけどね……今言わないと、機会を逃してしまいそうだから。ミサキ、どうか俺と結婚して欲しい。そしてできれば、忙しくなる前に式をあげたいと思ってる」
「………………な、にを……」
「厳密に言うと恋人という関係ではないけど、俺はずっと君と付き合っているつもりだった。だから、というわけじゃないんだけど……その、最近君が周囲に認められてきているようで、焦ってしまって」
それに、嫡男だから早く跡継ぎをと急かされることも多いんだよ、と彼は小さく苦笑する。
つい数分前のミサキなら、喜んで手を取っていた。結婚ばかりが全てではないとしても、これで家族を持つことができる、幸せになれる、想いが通じて嬉しい、と。
だけど、今の彼女は喜ぶどころか心は荒れ狂っている。
(ずっと付き合ってるつもりだった?早く式をあげたい?それはどうして?巫女と、想いを交わしたんじゃないの?キス、してたじゃない。抱き合っていたじゃない。なのにどうして?)
押し付けられるように、小箱を受け取らされる。
その瞬間、見えてしまった。
『ユーリス、巫女と親密になったそうだが……首尾はどうだ?』
『いいわけないでしょう。片っ端から手を出しまくっている尻軽です、俺のことなんて気にも止めてません。ですけど、神殿とは繋がりを持ちました。だからもういいでしょう?ミサキに結婚を申し込みます』
『それは構わない。あの魔力は他家に奪われるには惜しいからな。かの魔族が養子にするだのとほざいているようだが、その前に婚姻を成せ。婚姻の誓約を交わしてしまえば、養子縁組など無効になるからな。しかし、巫女との関係は続けよ。求められれば応じるのだ、良いな?』
『わかりました、父上』
すとん、とそれは落ちてきた。
(そういうこと……巫女とは付かず離れず、高い魔力の質を持つ私を囲い込んで血筋に加えようってわけか)
馬鹿にするなと怒ってもいいはずだ。ふざけるなと箱を投げ飛ばしても許されるはずだ。お断りだと殴りつけても、彼女は悪くない。だけど。
「…………あり、がとうございます……喜んで、お受けします」
「ミサキ、っ!」
「あのっ、……ちょっと、香りに酔ってしまって。すみません、もう戻っても?」
「あ、あぁ……すまない」
勢い余って抱きしめてこようとする腕を避け、ミサキは今度こそ城内へと駆け込んだ。
そこから、住まいにしている医局の離れにたどり着くまで、彼女は決して泣かなかった。
(もう……いっそのこと、全部壊れてしまえばいいのに)