1.悪夢のはじまり
プロローグは全部で十話予定、その後本編に入ります。
設定上、展開が「リバース」とやや似た部分がありますが、基本別物です。
とにかく好きなものを詰め込むためのお話なので、私の他のお話と似たところがあってもご容赦を。
「 ―――― ずっと、君が好きだった。どうか私と、結婚して欲しい」
その場に跪いて愛を乞う、キラキラ眩しい金髪にマリンブルーの双眸を持つ、ハッと目を引く顔立ちの青年。少し離れたところからキャアッという嬌声があがり、何十もの視線が己に向くのを自覚しながら、彼女はただ静かに青年を見下ろし……そして
「お断りします」
「………………は、?」
「ですから。お断り致します、殿下。お話がそれだけでしたら、私はこれで」
跪いたままポカンと間抜け面になる王子をそのままに、言いたいことを言い切った彼女はくるりと背を向け歩き出す。背後から己の自称保護者が呼び止める怒声が聞こえるがどこ吹く風、全く気にならない。
「待ってくれ!!」
「まだ、なにか?」
「その、以前は……かつては、喜んでと受けてくれたじゃないか。なのに、何故なんだ?」
(バカだなぁ、この人)
振り返りながら、微笑む。できるだけ優しく、穏やかに。
「ご存知ですか?殿下。女性の恋は上書き保存……前世の恋なんて、とっくに書き換えられていますから」
前世の彼女は、【地球】という世界の【日本】という国で生まれ育った、何の変哲もない平凡な娘だった。
同年代の平均値より些か低い身長であることと目の色が琥珀色とちょっと淡いことを除けば、ごくごく普通の容姿。成績も常に中の上で、優等生でもなければ劣等生でもない。顔立ちもそこそこ整っているはずなのに、印象に残りにくい地味顔。
平凡な彼女はそこそこの学校を出て、そこそこ有名な会社に入った。
営業事務という、人と関わるものの完全内勤の職種をゲットして、日々代わり映えしない平穏な生活を送っていた彼女は、その日もいつもと同じように定時退社すべくさっさと荷物を持ってエレベーター前に立っていた、のだが。
「あ、あのっ!その……時々ここで会いますよねっ!ずっと、なんか気になってたんです!」
緊張しているのかやや上ずった甲高い声がすぐ背後から聞こえたことで、彼女は首を傾げながら振り返る。
そしてそこに立っている可愛らしいワンピース姿の女性を認め、あぁ、とその名を瞬時に思い出していた。
(七瀬さんか……そういえば秘書課も同じフロアだったっけ。とはいえ、滅多に会うこともないわけだけど)
営業課のあるフロアには、秘書課と経理課がある。経理課も余程のことがない限り定時退社が基本なので、経理課のメンバーと会うことはよくあるのだが、秘書課は基本的に役員と同行することになるため滅多に顔を合わせない。勿論、役員が休みだとかこの日は出かけないとかであれば、秘書であっても定時退社することもあるのだが……この七瀬 絵里衣という名の彼女だけは、秘書課の中でもちょっと特殊な位置づけにあることで有名だ。
今年入社の新入社員にして、憧れの秘書課に配属になった絵里衣。
ふわふわと柔らかい茶色の髪をいつも丁寧に編み込んでくる女子力はたいしたものだが、彼女は秘書検定こそ合格していたものの、秘書に必要な身のこなしや会話力などが身についていなかった。なので当初は別の部署で経験を積んでからと言われていたらしいが、どういう理由だか秘書課長が「うちで面倒を見る」と無理を通して引っ張ったのだとか。
彼女は高卒なので今年19歳……成人年齢には達していないため接待には連れ回されないが、その代りに配属先の京極秘書課長付きになり、実地で秘書の仕事を仕込まれているのだと他の秘書課員達が妬ましそうにそう噂していた。
秘書課長の京極は独身・イケメン・エリートと三拍子そろった、絵里衣が『ヒロイン』なら『ヒーロー』の立ち位置にいるだろう男性上司で、ちなみに年齢はまだギリギリ二十代。
お決まりの如く名家の生まれで、お決まりの如く家の決めた許嫁がいるが、正式な婚約者ではないため遊び程度なら黙認されているそうだが、それでもポッと出の新人を本気で構い倒す京極の評判は最近芳しくない。
「気になっていたんです」と話しかけられた当の本人はしばしどうすべきか考え、ひとまず挨拶するかと口を開きかけたところで
「あら貴女……秘書課だけに飽き足らず、営業課にまで伝手を作ろうとしているの?営業課は男性ばかりの部署ですものね。そのお眼鏡に叶った【王子様】でもいたかしら?」
「ひっ、酷いです!!どうしていつもいつもいつもそんな意地悪ばっかり言うんですか!?あたし、何かしましたか!?」
「ふぅ……秘書たるもの、大声はご法度だと大好きな秘書課長様に教わらなかったの?まぁこの程度、一般常識だからわざわざ教える必要もないのだけれど。ねぇ、御崎さん?」
「はぁ」
まさに立て板に水とばかりにスラスラと嫌味を並べ立てる黒髪美人の登場に、絵里衣はわかりやすく顔を歪め、『御崎さん』と呼ばれた彼女は軽く肩を竦める。
この黒髪美人は、彼女……御崎まどかの同期、ではあるが二歳年上の樋口 花蓮。
女性にしてはスラリとした長身と、長くストレートの黒髪。少々吊り気味の瞳は日本人でも稀なヘーゼルで、きゅっと引き締まった唇は社会人らしくピンクベージュと控えめだ。
花蓮は京極に負けず劣らずの名家のお嬢様で、家同士が決めた彼の許嫁である……というのはもはや公然の秘密であり、社内のそれなりに年数を経た社員なら誰でも知っている事実だ。
といっても彼女自身それをひけらかすこともなく、普段は経理課でバリバリと仕事をこなすキャリアウーマンとして評判が高い。
京極を狙うハイエナ女子社員達を注意するでも牽制するでもなく、まさに正妻然としてどっしり構えているようだった彼女はしかし、どうやら今回は勝手が違ったらしい絵里衣の登場に、幾度か非公式にだが忠告をしたらしい。
といっても『彼に近づくな』という嫉妬丸出しのそれではなく、あくまでも『会社での上司と部下の関係を越えているのではないか』『公私を分け、立場をわきまえたらどうか』という、社会人として当たり前の忠告だったようだけれど。
(樋口さんの場合、言い方はキツいけどほぼほぼ正論だしね。同意をすれば七瀬さんに恨まれるし、かといって反論するほど彼女に思い入れはないし)
ここは曖昧に誤魔化すか、とへらりと笑ったまどかの真意が伝わったのだろう、花蓮もそれ以上つっこむことはせず、ちょうどタイミング良くチン、と扉を開いたエレベーターに無言で乗り込んだ。そしてそれに続いてまどか、慌てたように絵里衣も乗ったところで、小さな箱はゆっくりと下降していく。
「…………」
「…………」
「……あのぉ……ミサキさん、お話しても?」
沈黙に耐えきれなくなったのか、こりずに話しかけてきた絵里衣。これを無視するのは流石に良くないか、とまどかもそれに応じようとしたところで、突然ガクンと身体が……否、エレベーターが揺れた。
どこからか溢れる白い光 ―――― 床に凄まじい勢いで描かれていく幾何学模様。まるで映画かマジックか、とそんなことを呑気に考えたところで、まどかは脳を揺さぶるような激しい揺れに耐えきれず、意識をブラックアウトさせた。
『………し、子……おかえりなさい』
淡い紫色の光が、ほんの一瞬だけ己の身体を包み込んだことにも気づかずに。
「あ、あのっ、あたし七瀬絵里衣って言いますっ。それで、あの、あなた達はどちらさまで、ここは一体どこですか?あたし、エレベーターに乗ってて……そうだ!今から家に帰ろうとしてて!その、もしかして、あたし達あのまま死んで……死んじゃったってこと……!?うそ……そんなぁ……お父さん、お母さん……」
悲劇に酔っているかのような甲高い声……これは絵里衣だろう。そして
「はぁ……貴女、いい加減その軽々しいお口を閉じて冷静になってみたらいかが?ここが貴女の言う死後の世界だとして、胸に手を当てれば脈打っているし、息を吐けば白くなるのは何故?どうしてあちらの彼女はさっきからずっと横になったままなの?ここは明らかにエレベーター内ではないし、会社でもないわ。舞台や撮影所にしてはカメラもないし、セットにしては手の混んだ造りね。わたくしとしては質の悪い大々的なドッキリか詐欺ではないかと思うのだけど……だとしたら悪趣味ね」
呆れ返ったようなアルトの声、これは花蓮だ。
あぁ、またやってる……そう思った時点で、まどかは違和感に気づいた。彼女らの声は頭上から聞こえるのに、自分は寝たまま。しかもどういう理由だか目は開けられるのに、体が動かない。息はできるのに、声は出せない。
これは一体どういうことか、とパニックになりかける思考をどうにか落ち着かせ、感覚を研ぎ澄ませる。
(視界には……なんだろう、大理石?石造りの梁が何本も行き交ってて。寝かされてるのも、多分石の上。声が聞こえるのは七瀬さんと樋口さんで……でもそれ以外の気配もいくつか。一体ここはどこ?)
絵里衣はしきりに「死んだなんて嘘」「誰か助けて」と現実逃避しているし、花蓮は冷静にそれにツッコミを入れている。ある意味いいコンビじゃないかと思ったのは、内心だけに留めておく。とはいえ口に出したくとも、現状声が出せないので無理なのだが。
しばらくそんなコントが頭上で繰り広げられているのを聞くとはなしに聞いていたが、カツンと石の床を響かせて近づいてくる足音が聞こえ、まどかは意識をそちらへ集中させた。と同時に、言い合っていた二人もピタリと言葉をつぐむ。
「ようこそ、麗しの巫女姫。俺はこの国、ルシフェリアの第二王子シリウス。巫女姫召喚の儀の責任者だ。異なる世界より訪れし巫女よ、どうか我らの国を……この大陸を救って欲しい。この大陸は現在、存亡の危機に瀕している。大陸の危機に召喚されし巫女は、光の女神の遣い。どうか、女神の御力をもって我々を救って欲しいのだ」
『王子』という身分は、日本には存在しない。しかも彼は『巫女召喚』を行った責任者であり、現在この国のみならず大陸全土が存亡の危機に瀕しているという。
(樋口さんの言う、悪趣味なドッキリとかいうやつか……それとも、手の混んだ誘拐劇?なんにせよ、現実味がなさすぎる。召喚?巫女?女神?なにそれ、ラノベの読みすぎ?厨二病なの?)
『王子』と名乗る青年の姿は見えない。もしかすると金髪碧眼でキラキラしい顔立ちをしているのかもしれない。だからといって、すぐさま言われたことを信用できるほど彼女らはお手軽ではない。
大陸存亡の危機ですか、それは大変ですね、ぜひお力になりましょう、なんて同情する馬鹿は……
「大陸存亡だなんて……っ。ごめんなさい、あたし自分のことばっかりで……どうか、どうか、お話を聞かせてください!あたしで役立てることなら頑張りますから!」
(………………いた)
「はぁっ!?」と思わず声を裏返らせた花蓮はきっと悪くない。ミサキも声を出せたなら同じように言っていただろう。
「ちょっと貴女、何を軽率なことを言ってるの?まさか言われたこと全て信じるなんて言わないわよね?」
「逆に、どうして信じてあげないんですか!?酷いですっ。この人、こんなに必死に助けてくれって言ってるのに……正直、全く何もわからないですけど、でもあたしでなんとかできるなら助けてあげたいじゃないですか!そうでしょう!?」
「……待って頂戴。どうしてそう簡単に感情移入できるの?意味がわからないわ……少し冷静になって考え直したらいかが?」
「樋口さんは冷静すぎますっ!」
(…………ねぇ貴女、どこのヒロインさん?単純なの?バカなの?考えなしなの?)
絵里衣はどうやらこの『自称第二王子』である青年の言葉にすっかり感情移入してしまったようで、困っているのなら助けたい、助けるのが当たり前だと主張を繰り返している。
それはまるで、物語やゲームに出てくるヒロインのようだ。自分の置かれた立場に酔い、帰りたいと嘆いたかと思うと、貴女の力が必要だと乞われて手のひらを返したかのように「頑張ります」と張り切る。
巫女というのは何をどうするのかもまるで気にせず、頼られたからそれに応じるなど色々突き抜けすぎていて、まどかにも理解できない。
(なんだか、違う生き物みたいな気がしてきた……一生わかりあえない気がする)
元々、妙にやる気を見せる子だなぁとは思っていた。「これやっといて」と言われれば「わかりました!」となんでも受けて、しかし何をどうすればいいかわからないため途方に暮れる……それを男性社員に見られて同情され、手伝ってもらうというのが彼女のテンプレだ。
噂ではそのフォローに入るのは社内でも人気の高い男性社員ばかりで、一度手伝えば二度、二度出逢えば三度、とフォローに入る頻度が上がっていくのだとか。そしてそれに従ってランチの時間や出勤、退勤時に親密そうに寄り添う姿も見られるようになるのだと、噂好きの女子社員達はそう言っていた。
今回もどうやらそのパターンらしい、と気づいたまどかは頭を抱えたくなったが、身体が動かせなかったため代わりにふうっと大きく息を吐き出した。
秘書なら空気読め。