その5
さらに1か月後、今度は駅前のコーヒーショップ。
松下のおばちゃんがゴンちゃんに一枚の書類を渡した。
「書いてきたわよ。」
「ああ、おばちゃん申し訳ない。ホント何から何までありがとう。」
「書かせてもらって何だけど、本当にアタシたち夫婦で良かったのかしら?」
「もちろんだよ。うちのお袋が『あなた達を引き合わせたのは松下さんなんだから、証人は松下さんにお願いしなさい』って言うしよ、俺たちも願ったりかなったりだよ。」
「ずいぶん高く買われてるみたいで、不相応な気もするわ。」
「いやいや。お袋も仲人みたいに思ってるんだろうな。」
「仲人は光栄だけど、だからってお礼とか止めてよ。受け取らないわよ。」
「その辺はお袋にも言っておいたよ、おばちゃん嫌がるからって。でも野菜とか送るのは止められないけどな。」
「毎回あんなに送ってもらって大丈夫なの?商売ものでしょう?」
「あれくらい別に…農家の生産量ってすごいんだよ。収穫とか見たら、おばちゃんビックリするよ。」
「そうなのね。でも何か悪いみたい。」
「あれはお袋の趣味だから気にしないでくれ。」
そう言いながらゴンちゃんは書類をまじまじと見つめた。
「こんな紙切れ一枚で夫婦なんて、何だかなあ。」
「紙はただの証明よ。大事なのはお互いの気持ちと、お腹の赤ちゃんでしょ?」
「まあな。あとはこれを出せば、独身時代もおしまいか。」
「晴れて夫婦になる気持ちはどう?」
「うーん、分からねえなあ。住んでる場所は一緒だし、何も生活は変わらねえし。相方はそろそろ産休みたいだけどな。」
「奥さん、アパレル業だっけ?立ちっ放しのお仕事だから無理できないわよね。」
「本人は子育てが落ち着いたら復帰したいみたいだけど、あと何年かは俺の稼ぎだけになるからな。しっかり働かなきゃなあ。」
「頑張らないとねえ。」
「しっかし、おかしいよなあ。『バンドでビッグになる』って言って飛び出してきたのに、アナーキーな生活どころか左官屋やって嫁ができて次はガキができて…こんな人生送るはずじゃなかったんだよ。変わらないのはバンドだけ。」
「でも、悪い気はしないでしょ?」
「まあな。」
そう言ってゴンちゃんは婚姻届けをカバンの中にしまった。