その4
それからまた2か月後。今日は松下のおばちゃん行きつけの、高円寺の高架そばにあるタイ料理屋。アングラな店内に、あらゆるジャンルのレコードがそこかしこに大量に山積みされている「いかにも」な店。
松下のおばちゃんが、ゴンちゃんにCD-Rを手渡した。
「サンキュー、はい2千円。」
「悪いわね、結婚パーティの写真なのに、ライヴと同じだけ手数料をもらって。」
「いやいや当然だよ。それより結婚祝いまで頂いちゃって、ホントありがとう。」
「それは当然よ。年寄りなんだから、そういうことはきちんとやらないと気が済まないの。」
「ありがたく使わせて頂きます。」
「奥さん、どう?」
「ああ、さすがに当日は疲れたって言ってた。でも楽しかったみたいだよ。ギヤでタバコの臭いがしないのが変だとも言ってたな。」
「壁に染み着いた臭いは仕方ないけど、確かに普段から比べたら全然だったわね。」
「石川亭で二次会やっただろ。交渉して昼から喫煙所って形で店を前借りしてたんだけど、ギヤの反動でタバコ臭いの何のって。」
「ゴンちゃんもだいぶ禁煙に慣れてきたみたいね。」
「あの臭いがないとライヴハウスじゃねえとは思うけどな。正直、ハコ以外では気になるようになった。」
「ライヴハウスで喫煙するのは個人の自由よ。今のゴンちゃんはダメってだけよ。」
「へいへい、分かってますよ。約束だもんな。」
ゴンちゃんはガパオライスの大盛りを注文していた。禁煙を経て食欲が増しているみたいだ。まだ太り始めてはいないが、注意しないと。
「しかし、すごい客入りだったわね。」
「全部で140人だってよ!ありがてえよ。ケータリングはいつものカレー屋で頼んだんだけど、多めに手配しておいて良かった。最後はすっからかんになったもんな。」
「いろいろな人が来てたわねえ。ゴンちゃんの職場の親方って人、ノリノリだったじゃない?」
「あの人は昔、キャロルの追っかけだったからさ。俺が永ちゃんを聴き始めたきっかけも親方なんだよ。」
「どうりで場慣れしてると思った。あとゴンちゃんの弟さんも声をかけてくれたわよ。」
「アイツが前に話した、東京でパンクやりたいっていう弟。」
「本人もそう言ってたわ。」
「お袋は嫌がったけど、兄貴の結婚パーティだからって仕方なく上京を許してさ。初めてハコで生のパンクを観て、もう絶頂だよ。ありゃ覚醒も時間の問題だな。」
「アタシもお母さんに頼まれてたから『楽じゃないわよ』とそれとなくは言ったけど。でも本人の問題だからねえ。」
「あんなライヴを次々に目の前で見せつけられたらな。」
「そうね、本当にライヴもすごかったわね。」
「飛び入りも出たしな。ギャラが出ないどころかパーティ代かかってんのに、みんなにホント感謝だよ。」
女性の店員が松下のおばちゃんにハーブティ、ゴンちゃんにウーロン茶を運んできた。おばちゃんとはとても仲良しの店員なのだが、今日は店が忙しいらしい。
「一番驚いたのは、やっぱりあの二人ね。」
「アイヴィーとシンな。」
「弾き語りするとは聞いてたけど…まさか二人で出てくるなんて!ゴンちゃん前に言ってたわよね、シンちゃんが女の子とは絶対にバンド組まないっていう話。」
「そうだよ、それが弾き語りとはいえ…まさかな。誰にも言ってなかったみたいだから。」
「あとシンちゃん、ギターが上手なの驚いちゃった!」
「ああ、パンクやってっから分かりづらいけど、シンは超絶にギター巧いぜ。俺なんか全然かなわねえよ。」
「アコースティックだからホント綺麗なメロディで!聴き惚れちゃったわよ。いつもあんなのやって欲しいわ。」
「いや、それじゃシンじゃないだろ。」
「そうね、たまにだから面白いのよね。」
「たまにどころか、もう一生ないかもな。あとはせいぜいミッチが結婚する時くらいじゃねえか?」
「ジャッキーとショージの時もありそうじゃない。」
「アイツらには嫁に来てくれる相手がいねえ。」
「ひどいわねえ。でも確かにミッチはイケメンだし、気配りが細かくてモテそうよね。ミッチには彼女いないの?」
「いるって話は聞いたことないなあ。前に『好きな子はいる』ってポロッと言ってたけど。」
「じゃあ、片思いなのかしら。ミッチみたいないい男に振り向かない子、どんな子か見てみたいわ。」
「そうだな。」
ゴンちゃんはウーロン茶をすすった。
「今日は飲まないの?」
「とりあえずパーティで飲み納めにした。一人で飲んでもつまらねえし、次は相方が飲めるようになったらな。まあ外では場合によっちゃ少し飲むかもだけど。」
「優しいわね。そういえば奥さんもお酒好きだったものね。」
「酒は飲まねえ、タバコは吸わねえ。次は手にバッテン書いて肉をやめるか?」
「どうして?」
「ああ、おばちゃんストレート・エッジ(パンクの一種であると同時に、禁煙・禁酒・肉食反対などの信条を持つ生き方)とか知らねえか。」
「分かんない。」
「まっ、とにかくパーティも終わった。あとは産まれるまでライヴと仕事をしっかりやって、その日を待つまでだ。」
「実感、湧いてきた?」
「どうだろうな?エコーとか見ても、正直何だか分かんねえし。腹は確実にデカくなってるから、ときどき耳とか当ててみるけど、まだ動くとか動かねえとかよく分かんねえ。」
「男は赤ちゃんが出てくるまでは会えないからねえ。」
「やっぱり顔を見るまでは実感ねえんだろうなあ。」
「顔を見れば絶対変わるから。ゴンちゃん、いいお父さんになるわよ。」
「そうなのかねえ。」
ゴンちゃんは手持ち無沙汰にまたポケットを探った。