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その1

高円寺の日曜日、昼下がり。「ズギューン!」御用達のスープカレー屋に、今日は松下のおばちゃんとゴンちゃんの二人だけが座っていた。

「悪いなおばちゃん、急に呼び出して。」

「いいのよ。どうせ昼間は暇してるんだから。」

「今日はライヴ行くの?」

「行くけどギヤだし、頼まれてるのトリ(最後)の1バンドだけだから大丈夫よ。最近はなかなかいいバンドが出てこないわねえ。」

「地方だとけっこう、熱いバンドがいるんだけどな。東京は停滞してるかもしれねえな。」

「そうねえ。この前、ゴンちゃんたちの企画に出た関西のバンド、あれ何だっけ。」

「ディザスター・ポインツ?」

「そうそう、あの子たち良かったわねえ!」

「大阪のバリバリだよ。ツアーもガンガンやってるし、たぶんすぐまた東京に来ると思うよ。」

「来たら教えてね。また撮りに行きたいわあ。」

ゴンちゃんはなかなか本題を切り出さない。

「で、どうしたの?何だか改まって。」

「えっ、改まってる…かなあ?」

「アンタがわざわざ二人きりで話したい、しかもギヤだってどこだって話せるのにここまで呼び出したんだもの。何かあるに決まってるでしょう?」

「うん…まあ、そうなんだけど。」

「あんまり他の人に聞かせたくない話があるんでしょ。たぶん「ズギューン!」のメンバーにも。」

「うん、まあな。」

ゴンちゃんは落ち着かなげにタバコをふかした。

「写真をさ、撮って欲しいんだよ。」

「いいわよ。そんなのお安い御用じゃない。」

「どっか、スタジオで撮りたいんだよ。」

「いいじゃない。ゴンちゃんのアー写(アーティスト写真の略。ライヴではなくポーズを取った写真)?前にも頼まれたことはあるけど、アタシあんまり得意じゃないわよ。」

「いや、相方と二人でさ。その…正装して、ドレス着てさ。記念にさ…。」

「あら、あらあら。」

しーちゃんがゴンちゃんの生ビールと松下のおばちゃんのコーヒーを運んできた。つかの間、二人とも黙り込む。

「ゴンちゃん、おめでとう!良かったわねえ!」

「うん。まあ、ありがとう。」

ゴンちゃんは照れくさそうにビールを口にした。

「とってもいい話じゃない。早くアイヴィーちゃんたちにも教えてあげないと。」

「うん。まあ、本当はまずアイツらに言うのが筋なんだけどさ。」

「どうしたのよ。何か言えないわけでもあるの?」

「おばちゃん。写真、なるべく早く撮ってくれないかな。」

「どうして?」

「腹が…目立つ前に撮りたいんだ。」

松下のおばちゃんは、さっきからゴンちゃんがこちらの目をマトモに見ようとしない理由をやっと理解できた。

「ああ、そういうこと。」


モヒカンを立てていない時は、ゴンちゃんは髪の毛を垂らして後ろで結んでいる。今日はニット帽をかぶっていた。神妙な顔つきでタバコに火をつける。

「いつなの?」

「いま2カ月くらいだって。病院に行ってハッキリしたのが昨日なんだ。その前から『何かおかしい』とは思ってたみたいだけど。」

「ゴンちゃんは気づかなかったの?」

「まあ…俺は頭ん中、バンドのことばっかだしさ。ライヴも立て込んでたし、最近は仕事も忙しいし。『ここんとこ、ライヴに来るって言わねえな』とは思ってたんだけど。」

「まったく。男の子って仕方ないわねえ。」

「面目ねえ。それに関してはホント何も言えねえ。」

「で、彼女はどうなの?」

「体調はいいみたいだよ。今のところつわりもないし。」

「それが何よりね。で、本人は何て言ってるの?」

「喜んでる。」

松下のおばちゃんは思わずニッコリした。

「じゃあ、文句なしじゃない。おめでとう。」

「ありがとう。まあ一緒に暮らし始めて長くなってきたし、先のことも何となく考え始めてたから、そんな時に…予想外っちゃ予想外だったけど。でも『産みたい、産む』って言うから、俺も腹くくるしかねえよな。」

「ゴンちゃん、嬉しい?」

「うーん、嬉しくないことはねえけどな。こんなことアイツには言えないけど、よく分からん。正直言って、混乱してる。それに…。」

「ああ、バンドのこと。」

「うん。結婚だけだったら別に問題ねえけど、子供ができるとなると…その辺がどうなるのか俺には想像もつかない。みんな、どうしてるんだろな?」

「それは人それぞれよねえ。1ヶ月くらい休んで復帰する人もいるし、これを機会に辞めちゃう人もいるし。」

「その時になってみないと分かんねえよなあ。」

「彼女は何て言ってるの?」

「ああ、それはアイツは『ズギューン!』ありきで俺と出会ったから。『絶対続けなきゃダメ』とは言ってるよ。でも今まで通りに、とはいかないだろうな。」

「それは仕方ないかもね。」

「おばちゃん、アイヴィーたちに何て言えばいいかな?それをずっと考えててさ。」

「それはもう、正直に言いなさいよ。アンタたちはずっとそうやって来たんだから。」

「そうだよなあ、本当は俺も分かってるんだけど。」

「レーベルに入った時もアイヴィーちゃんのメジャー移籍の時も、彼女が戻って来た時も海外に行った時も、4人で話し合って決めてたじゃない。ゴンちゃん一人で悩む必要はないから、4人で考えて答えを出せばいいのよ。」

「一人で悩む必要はない」と言われ、ゴンちゃんは少し救われたような顔をした。

「アイヴィーちゃんなんか絶対に喜ぶわよ。あの子、子供が大好きだから。」

「喜んでくれるかなあ。バンドに迷惑かけちまうって、そればっかり考えててよお。」

「アンタたち一人ひとりの人生があって、初めてバンドも成り立ってるのよ。人生で結婚したり子供ができたりするのは当然じゃない。そんなことで壊れる仲じゃないでしょ、アンタたちは。」

「そうだな、話してみるよ。おばちゃん、ありがとう。」

「お父さんになるんだから泣かないのよ。」

「泣かねーよ!というか、泣いてる余裕なんかねえよ。まだ修羅場が待ってるんだから。」

「まだ何かあるの?」

「親にさ…まだ言ってないんだ。」


松下のおばちゃんはすっかり冷めたコーヒーをかき回した。

「ご両親って、どちらのご両親?」

「どっちも。」

「それは…問題よねえ。同棲してることは知ってるの?」

「お袋には話してあるよ。前に『避妊とかはちゃんとしなさい』って言われて『余計なお世話だ』って思ったのに…。」

「それは何も言い訳できないわねえ。」

「相方も向こうの親に『一緒に暮らしてる』程度のことは言ってあったみたいだけどさ。向こうも田舎でカタい家っぽいし、趣味が音楽だとは言えてもなかなかバンドマンだとは言えなかったって。」

「彼女の気持ちも分かるわ。それが急に子供ができたというのは…なかなか言いづらいわね。」

「おばちゃん、俺どうしたらいい?こんなこと、松下のおばちゃんにしか聞けなくてよ。ホント情けねえけどお手上げだ。助けてくれよ。」

「ズギューン!」のバンマス(バンドのリーダー)として、いつも優しく、みんなのまとめ役・ゴンちゃん。

そのゴンちゃんが「助けて」と言うのを初めて聞いた。

これは年寄りが手を、そして知恵を貸さなくては。

ただし。

「いいわよ。アタシができることはやってあげる。」

「ホント?おばちゃん、ありがとう!」

「その代わり一つだけ、アタシの言うこと聞きなさい。」

「聞くよ、聞く。何でもする。」

「じゃ、今から禁煙しなさい。赤ちゃんと奥さんのためよ。」

ゴンちゃんはビクッと身体を反らせた。一瞬、「それだけは勘弁してくれ」というような切ない表情が浮かぶ。

ゴンちゃんはタバコの箱をじっと見つめた。そして目を閉じ、くわえていた一本を深々と吸い込むと灰皿で揉み消し、松下のおばちゃんに残りのタバコとライターを手渡した。



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