ロッキーロードの歪曲
Twitterでお世話になっている、煌泉さんと合作した小説です!
私が後攻のようなので、先に煌泉さんのお話(http://ncode.syosetu.com/n3898eo/)『ロッキーロードの矛盾』をお読み頂くと、よりお楽しみ頂けると思います!
チョコレートが噛み砕かれる瞬間。
甘い風も苦しい山道も、その刹那のために。
この男がたまらなく好きだった。
ただでさえ悪い目付きは、私を視認した瞬間に最悪と呼べるものへと変わる。開封したばかりのメスの替刃みたいに鋭利な視線だ。
剥き出しの敵意に気がついていないフリをして、私は努めてお気楽に、彼に話しかける。
「あら、永倉さん。ちょっとお時間いい?」
「忙しいんで手短に済ませてくれませんか? 御堂先生」
一応の体裁だけ保ちつつ、彼はあからさまに不機嫌を露呈させた。聞こえるようにため息をついて、舌打ちすらした。
そういうところは昔からひとつも変わらない。まっすぐな悪意を躊躇いなくぶつけてくる。
でも、私の素直な反応は見せてやらない。
「あははっ! そんな怖い顔しないでよ! 日々頑張ってる看護師さんを労おうってだけなんだからさあ」
「あなたが邪魔しに来なければ1000倍は仕事が楽です」
「ふふふ、イケメンって怒っててもカッコいいよねー!」
ニコニコと笑って軽くあしらってみせると、彼は心底疲れたといった様子で首を振った。
永倉蓮二、私の想い人。
彼と出会ったのは高校生の時だった。地元を離れるのが億劫で中学校まで公立に通い続けていた私は、高校受験で思い切って都内の有名校に挑戦した。肩を並べる人もいない地元で燻るより、良い環境へ飛び出して刺激を受けた方が良いという両親の意向もあった。実際のところ、元より勉強には自信があったし、努力も嫌いではなかった。だから合格通知を見た時も、確か意外と感動しないものだと思った気がする。
しかし両親の期待も虚しく、私は入学して初めての定期試験で学年1位をとった。毎日コツコツと家で勉強をしてはいたが、正直ちょっと拍子抜けだった。学年1位をとったというよりは、学年1位がとれたという感覚の方が近かった。
そうしてぼんやりと成績の貼り出された掲示板を見ていると、突き刺さる視線を感じた。そこにいたのが、彼だった。
私はその時の感覚を未だに忘れることができずにいる。私の肌を貫かんばかりにぶつけられるのは、彼の純粋な敵対心だった。殺意すら感じる漆黒の視線が全身を凍りつかせる。痺れるような感覚と浮遊感。それはつまり、快楽の類で、最初の気付きであった。
「お前、その御堂京香か?」
怒りか嫉妬か羨望か、彼自身命名できずにいるであろう感情で声が震えている。
「そうだけど……」
「外部生だよな? どこの中学だよ。一体どれだけ勉強してるんだ?」
自己紹介すらしない彼の言葉は、名をつけるとするならば詰問と呼ぶべきだろう。攻撃的な強い口調で喋る彼は、今にも「卑怯者」と罵りそうであった。
私は魂が震えるのを感じた。これまで想像だにしないところで眠っていた器に、何かが満たされていく。自身の脆弱な身体を構成する細胞の一つ一つがリビドーに支配されて蠢く。
脳天に突き抜けるようなエクスタシー。それを齎してくれる強烈な敵意をもっと浴びたくて、私は生まれて初めて利己的な嘘をついた。
「20分くらいかな」
それからというものの、彼は何かと私を目の敵にしてきた。奇妙で特別な関係だった。聞くところによると、彼――永倉蓮二は中等部まではダントツの学年1位だったのだそうだ。テストや模試のある度に、彼は私の点数を聞きつけて、あの視線で私を滅多刺しにした。その度に、焦げつくような情熱で胸の内がオーバーヒートした。最早それこそが、青春時代の駆動力であり、生き甲斐ですらあった。
だから、彼が医学部志望を取り止めて看護師を目指すと聞いた時は、心底ショックだった。
私も同じ大学へ進み、また同じように6年を過ごしたいと考えていたからだ。同級生として入学し、また彼の視線に焼かれたかった。
果たして大学には彼の代わりになる殺意がいるだろうか? いや、それはありえないだろう。これほどまでに恋焦がれた。
私はそうして、彼への好意に気がついたのだ。それはひどく歪で、ねじ曲がった好意なのだと、理屈では理解していた。
こうして彼を追いかけるように同じ病院にいるのも、結局はそういうことだ。
「で? 本題はなんだよ、京香」
本気で嫌そうな声で彼は言った。私が何をするつもりか、彼は理解しているのだろうか? その上でこの態度だというなら、ちょっとかわいいような気もする。
「ハッピーバレンタイン、蓮ちゃん」
「なんだよこのゴミ」
「ゴミじゃない! よく見てよ!」
私が突き出した袋を、彼は不承顔で開いた。
ロッキーロード。チョコレートの中にマシュマロやクッキーを入れて、ゴツゴツした山道に見立てたお菓子だ。
「ふーん、サンキュ」
中身を確認した彼は、敢えて素っ気なくそれを受け取った。眉の動きや視線の色を見れば、彼が胸中で何かを考えていて、それを隠したことは、私にしてみれば火を見るより明らかだったのだが。
彼は何を思ったのだろう。
「私は必要なかった?」
ポツリと口から出たのは、予想外の言葉だった。でもきっと、私は彼の気持ちが聞いてみたかったのかもしれない。私に鋭利な敵意を突きつける彼が「お前なんか要らなかった」って言ってくれるかどうか、聞いてみたかったのかもしれない。
「どうしたお前」
「ん? なんも!」
私はこれ以上のボロを出さないうちに立ち去ることにした。今日はまだ殺意を浴び足りないが、まあよしとしよう。
私のロッキーロード、彼はどうするのだろう。
高価なチョコレートを取り寄せ、材料も器具も彼のために良いものを買って、何度も何度も練習して作り上げた渾身のロッキーロード。
食べるだろうか? 捨てるだろうか? 踏みつけてくれるのもいい。燃やされるのも悪くない。どこかに置き去りにされて忘れられるというのもそそる。
笑顔の鉄仮面の下で、私は恍惚に顔を歪めた。
やりたい放題やらせていただきました!