第零章 始源
ーー泣かないで、別に二度と会えないわけじゃないから。
「……っ、泣いてねえし!別にお前と会えなくなるなんて思ってもないし、実際会えなくても寂しくねえ!早く行けばいいじゃねえか!!」
艶のある黒髪に、対照的な雪色の肌と紅色の唇。誰もが、美少女と答えるであろう『彼女』は、俺にまぶしく微笑んでみせる。
ああ、俺はなんとバカなのだろう。彼女の前で最後まで素直になれないなんて。
目を腫らしつつ、今にも溢れそうな嗚咽を堪えながら、それでも強がり続けるその姿は、誰が見ても愚かなものであっただろう。それでも、俺は彼女に『弱さ』を見せたくなかった。
「子供の頃から強情なのは変わらないね。そんなだから、いつまでも好きな人ができないんだよ」
「別に強がってるわけじゃねえ!そうやっていつも子供扱いしやがって……」
彼女は俺にとって何なのかと聞かれると、俺は答えられない。当然恋人ではないが、かといって親友という関係でもなかった。
彼女とはいつも一緒にいた。家も近かったし、何より親同士が親友と言えるほど仲が良かった。だから、両家族一緒に遊びにいったり、誰かの誕生日の度に一緒にパーティーを開いたり等、家族同士の結びつきがとても強かった。そんな中で育ったから、俺と彼女はいつも一緒にいた。
彼女が突拍子のないことを始め、俺が慌てて止めようとするが最終的に巻き込まれてしまう。彼女といるときはいつもこうだった。そして、その度に彼女は俺を子供扱いしてくる。
あらゆる力関係で彼女が上で俺が下という状態だった。ケンカしたことも一度や二度では済まなかったが、俺が勝てたことはなかった。
とはいえ、俺も彼女といることが嫌だと思ったことはない。むしろ、楽しんでいたといえるだろう。俺が叱られるとき、彼女はいつも俺と一緒に怒られるか、庇ってくれた。もっとも、俺が叱られる原因の大半は、彼女の行動に巻き込まれたからだが。
そんな不思議な関係のなか、俺は彼女と別れたくはなかった。しかし、俺には彼女の下に見られていることの方が我慢できなかった。
「ねぇ……約束、しよ。離れてても忘れないように。そして、またいつか会えるように」
「だ、っ……から、子供扱いすんなって言ってんだろ!?……ま、まあ、お前がどうしてもっていうなら別にいいけど……」
こちらの気持ちも知らずに、彼女は小指を差し出してくる。
俺はもはや自棄と言わんがばかりに声を張り上げて踵を返そうとするが、やはり彼女と別れ難く、ぶっきらぼうに小指を彼女に差し出す。
その様子に笑みを溢し、彼女は二人の指を結ぶ。
俺は指切りでもするのかと思っていたが、突然、小指の結び目から淡い光が発せられた。
その光は一秒続いたかどうかで消え、何が起きたかわからず目を丸くする俺とは対照的に、彼女は満足そうに指を切った。
「な、何を……?」
「指切りよりもっと効く、再会できる『魔法≪おまじない≫』だよ」
彼女はもう一度微笑み、一歩後ろに下がる。
「それじゃあ……バイバイ。いつか、また、どこかで」
「あ……っ」
彼女は最後に三度微笑み、別れを告げる。
彼女に言いたい、いや言わなきゃいけないことがある。そんな気持ちが心に浮かび上がるが、俺は言葉を発することができなかった。
すぐに彼女は踵を返し、この場を後にする。その間、俺は必死に言葉を発しようとするが、何もできず、ただ案山子のように呆けていた。
言葉を発することができないまま、どれだけ時間がたっただろうか。彼女の姿が既に消えてしまってさらに時間が経ってようやく、俺は声を出せるようになった。
言おうとした『何か』は既に失われていて、俺は彼女と約束をした小指に視線を向ける。
まだ感触の残る小指を見つめながら、気がつくと俺はたった一言呟いていた。
ーーあいつの名前は……何だ?