別れ店
死者は出てきますがこわいという感じではありません。恋愛ものですが純粋な恋愛ものとして扱わせてもらいます。
彼女に会いたい…。
彼女の真っ黒なさらさらな髪に包まれた小さな顔…その顔の中にある大きな目の中に入った茶色い瞳が2つ。可愛らしいピンクの唇…。真っ白な肌…。何気ない微笑み…。彼女のどこか暖かみのある言葉…。彼女の少し高めの声と彼女の笑い声…。全て好きだ…。でも、今はもう全て消えてしまった。彼女がこの世から消えてしまったから…。もう、会いたくても会えない。ずっと俺はそう思っていた…。
「まだ、彼女のこと思っているのか…。」
俺の同僚は酒を飲んでそう言った。俺は今40代のおばさんが経営している普通のそこらへにあるやがやした小さな居酒屋にいる。
「忘れたくても忘れられないんだよ…。」
俺はぐいと酒を口に流しこんだ。酒の香りと味がじわりと口の中に広がる。
「もう、あの事故が起きてから3年になるぞ。俺達はもうそんなに若くないんだ。そろそろ新しい人見つけたらどうだ?」
同僚の言葉が俺の耳に無理矢理流れこむ。
「お前に言われなくたってわかってる。でも、今の俺には無理なんだ。彼女にもう1度…1回だけで良いから会いたい…。ただそれだけだ…。それと彼女に謝りたいんだ…。」
そう、彼女と俺の中に彼女がこの世からいなくなる前ひびが入っていた。
俺が悪かったんだ。
彼女以外の女を俺の家に入れたんだ。
そう、俺にとって大切になりかけている女を…。
いわゆる浮気だ…。
それが彼女にばれたんだ。それから俺達は連絡をとらなくなった。そして1週間後…交通事故で彼女はこの世から旅だってしまった…。彼女の遺体には傷ひとつなく美しいままだった…。ただうちどころが悪かった…。運が悪かったんだ…。ただ前と違うのは彼女の体に温もりがなくなったということだけだった。
「そんなに彼女に会いたいのなら良いことを教えてやるよ。」
同僚は酒を少し呑んだ。
「良いこと…?」
俺は同僚の顔を見た。
「あぁ。『別れ店』って知ってるか?」
俺は少し考え、
「ない…。」
と俺は低い声で答えた。
「見た目は古い木で造られた感じらしい。飲食店らしいんだが、その店では死者と食事ができるらしいんだ。本当にその死者の事を思い続ければ7月7日つまり七夕の日に現れるらしい。利用できるのは一生に一度…。まぁ、都市伝説だ。まっそんなもの存在しないだろうな。」
同僚はにやりと笑い、
「おばちゃん、レバーちょうだい。」
と声を少し張り上げてまた酒を口にした。俺はふっと鼻笑いした。
その日、それからずっと今日…7月7日まで『別れ店』という言葉が離れず、彼女のことも忘れることができなかった。そして今、俺はある店の目の前に立っている。そう、『別れ店』だ。同僚の言っていた通り、古ぼけた木で造られた店だ。屋根のところにさびだらけの看板に『別れ店』と書かれている。俺は一歩ゆっくりと店に近よりのんびりと手を戸にかけ引き戸をがらがらと開けた。中はいくつかのテーブルと椅子があり老若男女それぞれ数人の人々が席につき、料理を食べながら小さな声で話しをしている。俺がきょろきょろと店を見回していると1人の若い少し小柄の、肩くらいま延びた髪の女性が来た。
「お一人様ですか?」
女性は愛想の良い笑顔でそう可愛らしい声で言った。
「はい…。」
「ではご案内させてもらいます…。」
女性はそういって歩き始めた。俺もその後に続く…。そして小さなテーブルに2つの椅子がある席についた。
「ご注文はこちらにお書き下さい。書き終わりましたら呼んで下さい…。」
女性はそう言ってまた歩いて行ってしまった。注文を書く?変な店だと思いながらも注文を書く紙を見た。そこには呼びたい亡くなった方の氏名 名前と書かれている。
俺はあの女性が置いていったHBの鉛筆で『高上 幸子』フリガナ『タカガミ サチコ』とゆっくり書いた。手が少し震えて上手く書けない…。次にその人の生年月日…1981年8月29日…と記入した。彼女の最後の誕生日が頭に思い浮かぶ。酷い雨の日で俺は誕生日にペンダントをあげた…。青い円錐型の物体がついたペンダント…。そこら辺の安物だったのだが彼女は
「綺麗…。ありがとう…。」
と言ってとびっきりの笑顔を俺にプレゼントしてくれた。
店員が俺のテーブルに透明なコップに氷と水が入ったものを置いていった。
「ご注文は書けましたか。」
と店員が話しかけて来た。
「いや、まだです。」
「では書き終わりになりましたらお呼び下さい。」
と言って店員は行ってしまった。俺は記入するのに時間がかかるほうなのだろうか。俺は水で喉を潤し、また紙に目をやった。
次に『死因』と書いてある。彼女は交通事故でこの世から旅立ってしまった。寒い2月でその日は特に冷える日だった。俺は家でポテトチップスを食べながらバラエティ番組を見ていた。その時携帯に着信が入っていた。男の仕事仲間からだ…。俺はのろのろと携帯を手にとり電話に出た。
「もしもし…。」
「上原かぁ?」
その仕事仲間のがたがたと震えた小さな声が耳を通る。
「あぁ。何だよ、そんな声をだして?」
俺はテレビに目をやりながら言った。
「高上が…。」
彼女との間にひびがはいっていた俺はその名前を聞くだけでむかむかしてきた。
「そいつのことは今ききたくない。」
俺は低い声でそう言った。
「バカヤロー!!」
いきなりそいつは怒鳴った。
「お前に何がわかる?」
俺はテレビのリモコンを手に取り、テレビの電源を切った…。
「高上、あいつ…事故にあったんだ!今は意識不明の重体だ!いつ死んだっておかしくねーんだよ!」
俺はその言葉を聞いた瞬間、携帯を支えていた手から力が抜け、スルリと畳にぼたっという音を立て落とした。俺はしばらく何もできなくなった。そしてふと我に帰りそいつに彼女が運ばれた病院をきき、急いで病院に駆け付けた。しかし時遅しだった。既に彼女は冷たい体になっていた…。死因は交通事故…。いきなり青信号を渡っていたら白い乗用車がつっこんできたらしい。運転手の体内からはアルコールが検出された。これで全ての項目が当てはまった。俺は
「すみませーん。」
と店員を呼んだ。
「はい。」
店員は相変わらず愛想の笑みを浮かべている。
「注文が書けたんですけどー…」
俺がそういうと店員は紙を取り
「高上 幸子様。生年月日1981年8月29日。死因、交通事故でよろしいですね。」
と言った。
「はい。」
「かしこまりました。料理は高上様が来ました時にメニューをお持ちします。ではしょしょお待ち下さい。」
店員はまた何処かへ行ってしまった。暇になった。何だか落ち着かない。俺は水を口へと運んだ。
「光雄…。」
懐かしい聞き覚えのあるあの少し高めの声…。俺は少し顔をあげた。すると、そこには真っ黒なさらさらの髪に包まれた小さな顔、大きな目の中の茶色い瞳、可愛らしいピンクの唇…白い肌。そして白いワンピースを身にまとい青い円錐型の物体をつけたネックレスを首からぶら下げている。そう、彼女が俺の目の前に立っていた。俺はただ目を丸くすることしかできなかった。「元気だった?」
彼女はにけりと微笑み、そっと椅子に腰をかけた。
「あぁ…。」
俺はぼそりと呟いた。
「もっと喜んでよ。久しぶりの再会なんだからさ。」
「あのさ…。すまなかった…。」
俺は彼女の顔から目をそらして言った。
「えっ?」
彼女は俺をじっと見た。俺は重い口を開いて
「浮気…して…。」
と言った。俺は彼女の顔にまた目をやり、
「俺…お前がいなくなってわかったんだ!俺にとってどんだけお前が大切か…。」
俺はぐっと手を握った。力が入った拳はがたがたと震えた。
「光雄…。ありがとう…。」
彼女の目に美しい透明な液体がたまる。店員がやって来て
「こちら、メニューになります…。お決まりになりましたらお呼びください。当店は12時までの営業となっております。」
と言ってメニュー二つをテーブルに置き、氷と水の入ったコップを彼女の前に置いてまた行ってしまった。時計を見ると7時をまわっていた。後、5時間しかない。とっさに焦りが走る。
「何にしよっかな…。」
彼女はペラペラとページをめくる。俺はとっさにメニューに目をやった。そこには和食がずらりと書かれていた。
「俺、焼きうどんにしよっかな。」
「そういえば光雄は焼きうどん好きだったね。」
彼女は上品にふふっと笑い
「どうしよう、私決められないよ。」と言った。彼女は優柔不断だ。普通だったらいらいらするだろうが俺にとってそんな彼女の姿は可愛らしい…。
「決めたっ!私、ザルそばにする!!」
まだ食べてもいないのに彼女は声を弾ませて言った。彼女はささいなことでもすぐに喜ぶ。
「じゃあ、呼んで良いか。」
「うん、良いよ。」
「すみませーん。」
俺がそういうと店員はすぐやって来た。
「ザルそば1つとやきうどん1つお願いします。」
俺がそう言ってる間も彼女は俺に目をやる。俺は彼女の顔を見ていないが、目線を感じる。
「ザルそばお1つ、やきうどんお1つ。以上でよろしいでしょうか。」
「はい。」
「かしこまりました。」
そう言って店員はまた行ってしまった。彼女に何を話せば良いのだろう。
「あのさぁ…。」
先に言葉を発したのは彼女だった。「皆ー元気?」
俺はその言葉を聞いた瞬間、苛立ちが立ち込めた。俺のことに集中して欲しい。
「あぁ…。」
俺はぶっきらぼうにそう返事した。
「そのペンダント…まだつけてたんだ…。」
今度は俺が話題を作った。
「あたりまえでしょ。」
彼女はネックレスをいじりながら、
「これは私の光雄から貰った宝物だもん。手放さないよ。綺麗だし。」
と自慢気に言った。俺の顔は自然と微笑んだ。
「新しい…人…見つかった?」
彼女は俺から目をそらせて言った。
「見つかるわけないだろ!!」
と俺は怒鳴った。周りの客が一斉に俺に目線を注ぐ。俺は小さな声で
「俺はお前以外の女に興味ないんだ。」
と言った。
「ねぇ、きいて光雄。」
彼女の顔が少し傾く。
「私あなたに新しい人を見つけて欲しいの。」
「できない…」
俺は下を向いた。
「光雄…。あなたの気持は嬉しいよ。本当に。でも、私はもう、死んだのよ。この店が閉まったら、もう会えないの。あなたには幸せになって欲しい。」
俺はしばらく何も言えなくなり沈黙が続いた。ただ周りの音だけが耳に入る。
「お願い…。」
幸子のかぼそい声。
「わかった。でも、今はーそのーこの店がやってる間は…」
俺は一度目をそらしてからまた幸子に目をむけ、
「お前だけが好きだ。」
と堅い口を動かした。幸子は少し微笑み、
「私もだよ。」と言った。店員が歩いて来て、
「こちら焼きうどんになります。」
と言った。
「あぁ、はい。」
焼きうどんを店員がテーブルに置く。続いて店員は
「こちらザルそばになります」
と言ってザルそばを置くと
「以上でよろしいでしょうか。」
と俺や彼女を順番に見ながらいう。
「はい。」
「ごゆっくりどうぞ」
と言ってお会計の紙を置いて行ってしまった。焼きうどんの上にのっかっているかつおぶしがゆらゆらと踊っている。俺はパチっという音をたて割り箸をわり焼きうどんを口へと運んだ。
「うめぇー。」
俺がそういうと彼女はにこりと笑った。そしてひゅるひゅるとそばを口へと吸い込んだ。彼女の食べ方は上品でどこか可愛らしい。
「美味しい。」
彼女は幸せそうにふふと笑い、
その後の話は楽しかった。初めて出会った時の話。俺達は会社で出会った。彼女は会社のマドンナ的な存在だった。俺はふられるだろうと思いつつ、会社の屋上で
「お前のことが好きだ!」
と告白をしたこと。本当に彼女が
「私もよ。」
とにこりと笑って言ってくれた時はびっくりした。
次に発デートの話。恋愛ものの映画を見に行った。発デートなのに俺が寝てしまったこと。
意外な子供の頃のエピソード…。このまま時間が止まってしまえば良いのにと思った。気が付けば11時55分。周りの人々が会計に並び始めた。
「そろそろ時間ね…。私たちも並ぼ。」
「並びたくない。」
俺はうつ向いた。
「大丈夫、このを店を出るまでだから。」
彼女はウィンクした。俺の顔は瞬間的に熱くなった。俺と彼女はそっと手をつないだ。心臓の鼓動が身体全体に伝わる…。千円札を払い、420円のおつりをもらい会計を終えると俺達はさっきよりも手をぐっと握った。
「離れたくない。」
俺はただそう言った。
「私も…。でも…それは決して許されることではないのよ。」
彼女の目に美しい透明な涙が浮かぶ。
「約束…守ってよ…。絶対に…。」
「わかってる…」
涙が出て来そうだ。我慢出来ない。
「光雄…好きだから…。」
「幸子…お前のこと好きだから…。」
俺達は軽く唇を触れ合った。
「そろそろ閉店1分前なのでー」
と店員が声をあげた。次々と客が出ていき俺達だけになった。
「あのー」
という店員の困った声が耳に入る。
「出たくない…。」
「閉店までに出なければあなたまで死ぬことになりますよ…。」
店員はにこりとも笑わずに言った。
「それでも良い。幸子と一緒なら…。」
「駄目よ!約束を守って!お願い!馬鹿なこと言わないで!!」
彼女の顔は涙でぐちゃぐちゃだ。
「のこり…10秒です…。」
「やだっ!」
俺は怒鳴った。喉がヒリヒリと痛む。
「9…」
「お前といたい…。」
「8…」
俺はぎゅっと彼女の手を握った。
「駄目よ!お願い!!」
「7…」
「俺はお前が好きなんだ!」
俺の顔も涙でぐちゃぐちゃになった。
「6…」
「私もよ…。」
「5…」
「光雄…私が死んだ時泣いてくれたぁ?」
「4…」
「当たり前だろ!」
「3…」
「私もあなたが死んだら涙が今よりもっと出ちゃうよ!」
「2…」
「私を泣かせる気!?」
「…」
「1…」
「生きて約束…守ってね」
背中に力が加わり店の外に俺は出た。その瞬間目の前が真っ黒になった。気が付くと俺の部屋の畳の上だった…。夢だったのか。そうだよな。俺はふっと笑い腹が減ったから近くの弁当屋に行った。すると不思議なことに千円札が一枚なくなり小銭は420円多く入っていた。もしかしたらあれは夢ではなかったのかもしれない。
俺は半年後に新しい人を見つけ…3年後に見事結婚した。
「幸子…約束…守ったぞ。」




