第八話
「リュドミラ……さんは神の何なんですか?」
山道に戻り、しばらく俺たち4人は無言で歩いていた。
その沈黙を破ったのが、アビーのこの問いかけだ。
沈黙は確かに苦しかった。
空が青いですねぇ、空気が綺麗ですねぇ、などというどうでも良いことを何度言おうとしたかわからない。
だが言えなかった。
うかつなことを言えば、重い沈黙の変わりに炸裂的な口論が訪れそうだったから。
「ご主人様じゃ」
「……な、なんですって?」
アビーはわなわなと肩を震わせ、顔を紅潮させていく。
嵐の前の静けさは終わりを告げ、テンペストが訪れる。
俺の神への祈りは届くことなく、ご主人とアビーによる戦争が始まる――。
そしてその様子を微笑みながら見守るダリアさん。
何も口に出していないが、俺はダリアさんの方が怖い。
「我が神は唯一無二の神であるのに、ご主人様とはどういうことでしょうか?」
「わしがソーマをこの世界に呼び出したのじゃ。
ご主人様以外の何者でもなかろう」
「なっ!!」
ご主人が勝ち誇ったように言い放った言葉に、驚愕するアビー。
「ということは……、リュドミラさんは我が神の巫女様だったのですか……?
わ、私はなんて失礼なことを……」
「その通りよアビー。
りゅどみんは巫女、アタシが神であるソーマくんの代理人」
「ちがっ! わしはソーマのっむぐぐぐ……」
ダリアさんがご主人の口を塞ぐ。
思考が完全に迷子になっているアビー。
そんなアビーをみんなと協調できそうな場所へダリアさんは導こうとしているのか。
でもさりげなくご主人より高い位に自分を置くダリアさん。
「本当なのですか? 神よ……」
「先ほども言ったように、この人たちは俺の大切な人です」
「おお、神よ……。
リュドミラさん、ダリアさん本当にすみませんでした。
私の勘違いで、神の使途である貴女方にご迷惑を……」
後でご主人に怒られないように、ここは肯定しないでおく。
肯定はしていないが、アビーが肯定したと受け取るように。
「むー……」
「ご主人、丸く収まりそうなので我慢してください」
「むー……」
ご主人は不満そうだけど、反論を出さないところを見ると納得してくれたのだろう。
後は時間がたてば、きっとよそよそしさも消えていくに違いない。
「さあ!
みんなこれからは仲良くできそうだし、頑張って頂上を目指すわよ!」
「そうですね!
蒼天に聳え立つ白き神の座を目指して!」
「ふふふっ、ソーマくんったら。
ここは雪山じゃあないわよっ」
「あっ、いっけねぇ!
白きじゃあなくて、緑のですね!」
俺とダリアさんは笑いあいながら駆け出す。
いつまでもギスギスとした雰囲気で山を登りたくない。
ここらで和やかな空気にしないとな!
「ああっ、神よ!
お待ちください!」
「ま、まつのじゃ。
わし、少し疲れて……、のああぁ」
俺はご主人を触手で捕まえ、俺の上に乗せる。
「えっちなことをしたら……」
「しませんよ」
とにかく今はこの空気を打破するのが先決だからな。
こうして、4人仲良く頂上を目指した。
なぜか走って。
―――
「ハァ……、ハァ……」
俺とアビーは息が切れ、頂上に辿り着くと同時に倒れこんだ。
ダリアさんは平気な顔をしている。
ご主人は倒れこむ俺を優しく撫でている。
ダリアさんはあんなに体力があるのに、なぜ行き倒れていたんだ……。
「ここが頂上ね。
どこにドラゴンパワーとかいうのがあるのよ?」
キョロキョロと辺りを見回すダリアさん。
そんなダリアさんの前に、4人の男たちが姿を現す。
「よくここまで登ってきた!」
「オレたちがウスベルクの!」
「竜のパワーを極めし番人!」
「ドラゴンフォースだッ!!」
唐突に現れた4人の男たちは、なぜか回りにいる他の観光客たちを無視して俺たちに話しかけてくる。
「聞いたことないわ」
「ガイドブックにも載っておらん」
ガイドブックを開いて確認するご主人。
ペラペラとページを捲るが、この4人の男についての記述はないらしい。
「なんだと!
そんなバカなことがあるかッ!
そのガイドブックを見せてみろ!」
パンティーを被ったおっさんが、ご主人からガイドブックを奪い取り、中に目を通す。
「なんだコレはッ!
10年以上前に発刊された本じゃないか!
こんなモノッ!!」
「ああっ、わしのガイドブック!」
パンティーを被ったおっさんは、谷底へとガイドブックを投げ捨てる。
これは明らかなマナー違反だ。
「何をしているんですか!
山にゴミを捨てるなんて最低です!
山にゴミを捨てても許されるのは生死がかかった時だけです!」
「精子がかかった……」
俺が良いことを言ったはずなのに、ダリアさんがボソっと何か言う。
俺は良いことを言ったはずなので、構わず続ける。
「お前たちのような外道は許しておけません!
ご主人、成敗してやりましょう!」
「当たり前じゃ!
わしと苦楽を共にしたガイドブックをあんな目に合わせたのだから、楽に死ねると思うな!」
「神がおっしゃることは宇宙の真理。
ならば神罰を下すのは信者の定め」
「んー、いいんじゃない?」
満場一致だ。
この外道どもを始末する。
「勝負をするのはよかろう」
「我々に勝ったなら」
「このドラゴンドロップを」
「貴様らに授けようッ!」
男たちは飴玉らしきものを見せる。
ちゃんと紙の上に載っており、素手で触らないよう配慮をしてくれていた。
意外にこいつらは清潔志向なのか。
「勝負内容は私が恥力ッ!!」
パンティーをかぶったおっさんが覇気を込めて言い放つ。
「オレが体力ッ!」
マッチョなアニキがポージングしながらキメる。
「ボクが魅力」
イケメンが口元を光らせながら語る。
「我が意志力だ!」
ボンテージを着たスネ毛が鞭をしならせる。
「各々、勝負する相手を決めるが良い」
アニキが笑みを見せる。
パンティーのおっさんはともかく、マッチョなアニキはフェア精神を重んじるタイプに見える。
「当然わしが知力じゃな。
伊達に109年生きておらん」
「私は神のためならどのようなことも厭いません。
意志力で挑戦させていただきます」
「じゃあアタシが魅力かな?」
「余った体力は俺ってことですね」
特に揉めることなく決まる。
なんか趣旨が変わってる気もするがいいだろう。
ご主人が知力、俺が体力、ダリアさんが魅力、アビーが意志力。
それぞれの得意分野っぽい所にうまく割り振れたように思う。
「決まったようだな。
では、誰から勝負を挑む?」
「もちろんこのわしじゃ!
貴様らのような変質者が、このわしに敵うわけがない!」
ご主人が胸を張って言う。
これは恐らくご主人が勝てるだろう。
あのパンティーをかぶったおっさんが、そこまで知識を持っているようには思えない。
エロ知識勝負というのなら話は別だが。
「良かろう。
勝負内容は、どれだけ恥ずかしい格好をできるかだッ!!
審査して戴くのは、今この頂上に来ている皆さんッ!!」
「えっ? えっ?
知力ってクイズ対決とかじゃないの?」
「恥力と最初に言ったであろう」
慌てふためくご主人。
こと、ここに至って俺は気づいてしまった。
知力ではなく、恥力。
思えば、おっさんがパンティーを被っている時点で気づくべきだったのだ。
あのおっさんが知力のはずはない。
「ソ、ソーマ、代わって――」
「ならんッ!
具体的な内容を聞いてからの変更は不可とするッ!!」
くっ、ご主人のピンチだ。
だがどうすることもできない。
ルールなら仕方ないじゃないか。
こうなっては、ご主人に恥ずかしい格好をしてもらうしかないッ……!
「ご主人……!
ルールならどうすることもできません……!
頑張ってください……!」
「ルールなら仕方ないわよね」
「神がそう言っている以上、従うのが自然の摂理です」
「くっ……、裏切り者どもめ……」
「話は決まったか?
勝負は既に始まっているぞ」
見ると、パンティーを被っているおっさんは、既に何も着ていなかった。
何も着ていないにも関わらず、おっさんは全く動じていない。
「さあ、貴様も早く恥ずかしい格好になるが良い」
「くッ……!」
ご主人は着ているローブに手をかけるが、そこから動かない。
手はぷるぷると振るえ、顔は上気してきている。
そして騒ぎに気づいた観光客たちが、俺たちを囲むようにして集まってきた。
大量の人だかりに、ご主人が更に追い詰められていく。
「できないのならそれでも良い。
私の勝ちだな」
「ま、まてッ!」
強い声でおっさんに声をかけ、意を決したようにご主人はローブを脱ぎ捨てる。
「おおっ!」
回りに集まっていた観衆たちから声が上がる。
ローブを脱ぎ捨てたご主人、その下にはタンクトップとスパッツを着ていた。
くっ……!
そんなバカな。
まだ下着まで届かないなんて。
ん、待てよ。
そういえば、ご主人はブラジャーをしているのだろうか?
あの大きさでブラジャーが必要とは思えないが。
「フッ、それでおしまいか?」
パンティーを被ったおっさんは、ストッキングを取り出し、履き始めた。
ストッキングを履くことにより、更なる高みへと昇ったおっさん。
裸でいるだけならあり得る格好なのだが、ストッキングを履くことにより言い訳を許さない変質者へと移行する。
対して、まだ薄着ではあるが恥ずかしい格好というほどではないご主人。
この戦いに勝つには、まだまだ恥ずかしい格好をしなくてはいけない。
「ご主人!
勝つためにはタンクトップを脱ぐしかありません!」
ブラジャーをつけているのかどうかが気になる俺は、ご主人に熱い声援を送る。
俺の声に涙目でぷるぷると首を振るご主人。
顔だけじゃなく、体も赤みを帯びてきている。
「そうだそうだー!」
「お嬢ちゃん、このままじゃ負けちまうぞー!」
「あのおっさんの恥力は既に1万を超えているぞー!」
観衆たちもご主人に声援を送る。
このウスベルク山の頂上は今、一つの意思で満たされていく。
「ご主人!」
「む、むりじゃあ!
だって、これ脱いじゃったら見えてしまう……!」
決まった。
結論は出た。
ご主人はブラジャーをつけていない!
俺はこの結果に非常に満足した。
「それ以上は無理なようだな……。
ならば、私の勝ち――」
「異議ありッ!!」
「ほう、どんな異議があると言うのだ。
私とお嬢さんの真剣勝負に割り込んでくる以上、それなりの理由があるのだろうな」
おっさんの勝利宣言に割り込んだ俺に対して、おっさんが勝ち誇った目を向けてくる。
「たしかにアンタは今、恥ずかしい格好をしているかもしないが――」
「フフフ、そうだな。
裸にパンティーを被り、ストッキングを履く。
これ以上に恥ずかしい格好などそうあるまい」
「そうだな。
だがおっさん、アンタは今、全然恥ずかしがっちゃいない!
むしろ、その格好でいることに喜びを感じているんじゃないのか!?」
「なっ……!?」
俺の言葉におっさんが動揺する。
動揺は周囲の観客たちにも広がっていく。
「おっさんは勝負をする前、恥力の勝負と言った。
恥力とは即ち、恥に耐える力のことじゃないのか!?
恥を感じなくなったおっさんに、恥力があると言えるのだろうか!?」
「な、なにをバカなッ!
私が喜びを感じているという証拠がどこにある!?」
「フッ……。
まだ気づかないのか、おっさん。
アンタが裸になったときから、アンタの気持ちを何より雄弁に語っているモノが見えているんだぜ!!」
その瞬間、その場にいる全ての者がある一点を見つめた。
おっさんの股間だ。
「そんなにいきり立っているのに、喜んでいないと言えるか?
それに比べて俺のご主人は、少し肌を見せただけだというのにあんなに恥ずかしがっている。
見ろ! ご主人を! ご主人は恥ずかしさに耐えているのだぞ!
あんなに小さい体を震わせて、みんなの視線に耐えているんだ!
これこそ真の恥力と言えるのではないのか!?」
「待て! おかしいぞ!
その理屈はおかしい!」
必死に抗議するおっさんだったが、既に勝負は決まっていた。
視線に興奮した変態は、既に恥を持っていない。
恥を失った彼は、ただの露出狂に堕ちたのだ。
マッチョなアニキがおっさんの肩に手を置き、無言で首を横に振る。
マッチョなアニキの目を見たおっさんは膝を折り、涙を流した。
ようやく己の過ちと敗北に気づいたのだ。
「ソ、ソーマ!」
涙目のご主人が笑顔を見せ、俺に抱き着いてくる。
普段と違い、タンクトップにスパッツという格好のご主人の抱き心地は最高だ。
「ありがとう。
わし、わし……」
「いいんですよ。
今はただ、勝ったことを喜びましょう」
ご主人を抱きしめ、俺たちは勝利の余韻に浸るのであった――。
第七話の胡麻まんじゅうをたまごまんじゅうに変更しました。
ストーリーには影響ありませんが、一応この場を借りて報告しておきます。