第六話
「とりあえず今日はこの村で一泊じゃな」
俺たちは竜が棲んでいたという山の麓の村に着いた。
既に日も落ちかけていたので、山に登るのは明日が良いだろう。
「そうね。この辺りには温泉も湧いてるみたいだしね」
温泉。
このキーワードから導き出される答えは――。
「ご主人、混浴がある宿にしましょう」
「お断りじゃ。
そもそもソーマは男なのか?」
ご主人の一言に俺は衝撃を受けた。
そもそも俺は男なのか?
この問いに対する答えを俺は持っていない。
雌雄同体という可能性すらある。
ナマコやイソギンチャクは雌雄異体のはずだが、だからと言って俺もそうだとは限らない。
一つだけ確実に言えるのは、メンタリティが男であるということだけだ。
であるならば、俺の魂の形に相応しいはずのこの身体は男であると断言しても良いのか。
いやしかし、深層心理は女性という可能性も――。
「ここなんて良いんじゃない?」
「そうじゃな」
俺の思考が自分探しの旅に出ている間に、泊まる宿が決定していた。
竹の塀で囲われ、木製の看板にデカデカと書かれた「旅館まつや」の文字。
今のところ竹しか見えていないので、非常に違和感がある。
ご主人が受付を済ませると、従業員さんに部屋へと案内された。
畳敷きのその部屋に漂う香りは、俺の心をとても落ち着かせる。
「ご主人、一緒の部屋でいいんですか?」
「うむ、ダリアもおるから一緒の部屋でいいじゃろう。
布団は3つ用意してくれるそうじゃ」
「お食事はお部屋にお持ちするということでよろしいですか?」
“お”をやたらとつける従業員さんだ。
「うむ、それで良い」
「お食事のお時間までまだありますので、お先に温泉にご案内しましょうか?」
さすがに温泉に“お”はつけなかったか。
「そうね、そうしましょう」
「従業員さん、個室の温泉とかってありますか?
俺が温泉に入ると、他の方々の迷惑になるんじゃないかと……」
外見で差別はいけない――とは言うものの、やはり俺の見た目は異形だ。
同じ湯船に浸かるのは嫌だと言う客がいるかもしれない。
でもせっかくの温泉なのだから入らないというのも悲しい。
「そのようなこと、お気になさらなくても良いのですが――。
もしそちら様がお気になさるようでしたら、お三方から貸しきれる露天風呂が御座いますので、そちらに入って頂くというのは如何でしょうか?」
「そ、それは3人じゃないとダメなのか?」
「そうですね、通常は3名様以上でのご利用をお願いしております」
「アタシはソーマくんと一緒でも構わないわよ」
さっすが~、ダリアさんは話がわかるッ!
「ご主人、無理なら俺は大丈夫ですよ。
温泉に入れないのは残念ですけど、また別の機会もあるでしょうし
あまりわがままを言って、旅館の方を困らせたくありませんし」
俺はここであえて引く。
ここで押しては下心がバレてしまう。
あくまで慎ましく、紳士的な使い魔を演じる。
ご主人はなんだかんだ言っても俺のことが可愛くて、俺のことが大好きなのだ。
だからここは、「本当は温泉に入りたいけど、他の客から反感を買ってご主人に迷惑をかけたくない健気な使い魔」にならなくては。
「うむぅ~……。
じゃがソーマ一人だけ温泉に入れないというのも……」
計算通り。
だがもう一押し必要か?
昼間の獣人への行為がまだ頭に残っているのかもしれない。
「タオルもあるし、別に裸を見せるワケじゃないんだからいいんじゃない?」
――ダリアさんの紅い瞳が妖しく光る。
ダリアさんは一見、俺への援護をしているようだが、その目的は別にありそうだ。
彼女の鮮血のように紅い瞳が何より雄弁に語っている。
今は俺の味方だが、信用してはいけない。
“貸切露天風呂”ということは、俺を排除することにより、ご主人とダリアさんの二人きりになるのだ。
ダリアさんが同性愛者だとしたら――、ご主人の貞操が危なくなる。
しかし、逆にダリアさんとうまく協力関係が結べたのなら、俺&ダリアさん同盟対ご主人という図式になる。
こうなれば、圧倒的な戦闘能力を保持するご主人を――。
「ソーマくんだって、温泉のためならエッチなことは我慢できるわよね?」
「我慢します」
我慢はする、だが我慢には限界があるのだ。
だから限界が来てしまったのなら、それは仕方ないことである。
「うむ、わしも心を決めよう。
その貸切露天風呂を借りるぞ」
意を決したように従業員さんに告げるご主人を見て、俺は表情を崩しそうになる。
まだ笑うな……、こらえるんだ……、し、しかし……。
異形の俺の表情をご主人が読み取れるかはわからないが、意図を察せられては全てが水の泡だ。
「よかったわね、ソーマくん」
「ありがとうございます、ダリアさん」
俺に笑顔を向けてくるダリアさんだが、目は笑っていない。
恐らく本当の戦いはこれからだ。
ダリアさんが「ソーマくんに触られた」と言い放てば、俺は簡単に追放されてしまう。
露天風呂での絶対的優位はダリアさんにある。
そのことを努々忘れてはならない。
「それでは貸切露天風呂にご案内しますね」
従業員さんが先導し、俺たちは露天風呂へと向かった。
「ここが貸切の露天風呂になります。
明朝までご自由にお使いください」
そう言いながら、従業員さんは頭を下げながら去っていった。
今はお客さんが少ないのか、明日まで貸しきれるらしい。
――しまった!
ここで、「じゃあ時間をずらして入ればいいんじゃない?」とダリアさんに提案されたら全てが水泡に帰す。
いや、ご主人が気づいてもアウトだ。
クッ、まずい――ならば気づかれる前に!
「それじゃあ俺は先にお風呂に浸かってますね。
俺がいると着替えにくいでしょうし」
先んずれば人を制す。
常に先手をとることが重要だ。
本当は二人の着替えをじっくりと鑑賞したいところだが、ここは“我慢”する。
「おお、いつになく気が利くぞ」
「ソーマくんも温泉に入りたかったのよ。
だから追い出されるようなことはしないはずだわ、きっと」
ご主人とダリアさんの声を背に受けながら、俺は表情を緩める。
どうやら二人は時間をずらせば良いということにまだ気づいていないようだ。
意外に二人ともうかつなんだな。
俺の存在の第一目的はエロスだというのに。
露天風呂に出た俺は、手早く身体を洗う。
興奮しているせいで、触手の動きが活発になっている。
「いやっほぉ~~~い!!」
身体を洗った俺は、乳白色の温泉に勢いよく飛び込む。
エロスエロスとは言っているが、やはり温泉も良い。
この乳白色の温泉は、いかにも肌がツルツルになりそうだ。
ん……、待てよ……?
この乳白色の温泉にあらかじめ触手を張り巡らせておけば、ご主人とダリアさんがお風呂に入った瞬間捕縛できるのではないか。
身体に触手を巻きつけさえすれば俺の勝利は確定的になる。
クックック……、この戦の勝者が決まったようだな。
「ま、まつのじゃダリア」
「タオルで隠してるんだから大丈夫よ。
早く来なさい」
ダリアさんと、遅れてご主人が入ってくる。
ダリアさんは手に持ったタオルで、胸から股間を隠している。
揺れるタオルが俺を期待させるが、物理法則は非情だ。大事な部分はしっかりと隠れている。
全く恥ずかしがらずに歩くダリアさんの恥辱に歪んだ顔を想像し、俺の性衝動が大きく蠢く。
ご主人はタオルを胴体に巻きつけている。
それでも不安なのか、胸や股間を手でしっかりと押さえつけていた。
その恥ずかしがる様子が俺のリビドーをアクセラレートさせる。
「ご主人、俺はむこうを向いていますから安心してください」
このままずっと2人のことを見ているのもいいが、紳士を装ってご主人の警戒心を解くことにする。
温泉に入る前に、俺の仕掛けた罠を見抜かれる可能性もある。
ここは少しでも早く温泉に入って欲しいところだ。
「う、うむ。
さきほどからソーマは紳士じゃな」
「もしかしたら昼間のこと、反省したのかもしれないわね」
ここはあえて返事はしない。
ダリアさんは俺より役者が一枚上だ。
ここで下手なことを言うと、俺の張った罠がバレる可能性もある。
沈黙は金だ。
「ほら、ソーマくんがアッチを向いてる間に、早く体を洗いましょ?」
「そ、そうじゃな。
ソーマ、いきなりこっちを向いたりしないでくれよ?」
「もちろんですよ」
俺の目的は2人の体をこねくり回すことだからな。
だがいまだにダリアさんの目的が読めない。
もしかして、俺が温泉に入れるように便宜を図っただけで、他意はないのか……?
いや待て、俺の第一目的を忘れるな。
例えダリアさんの真意がどこにあろうとも、俺のすることは変わらないはずだ。
「ふんふんふーん」
「ぬぅ……」
「どしたの?」
「……何でもない」
ご主人が唸っているな。
たぶん、自分の胸とダリアさんの胸を比べているんだろうな。
ご主人はほぼないと言っても過言じゃない。
ダリアさんは特別大きいというわけではないが、それでもご主人よりはある。
ああ、もう一人、巨乳な娘がついてきてくれないかな~。
あの犬耳は実に良かった。
「ソーマ、わしらも温泉に入るから、少し端に寄ってくれんか?」
「わかりましたぁ」
あれ、なんかおかしいな。
くっ、うまく歩けない。
触手もへなへなでうまく操れない。
俺としたことが……、のぼせたのか……?
強烈な目眩を感じる。
「あらら、残念ね」
ダリアさんの悪戯っぽい声を聞き、俺の意識は途切れた。
―――
白い世界。
靄がかかった世界に俺はいた。
ああ、なんだ夢か――。
なぜかすぐに夢だとわかった。
そんな俺の前に、今日出会った猫耳、犬耳、兎耳が姿を現す。
彼女たちを見ると、彼女たちの肌の感触が蘇ってくる。
猫耳はほどよく筋肉がついていた。
俺の触手の動きによく反応して、弄りがいのある体だった。
犬耳の胸は大きかった。
俺はとにかくその胸をたっぷりと愉しんだ。
兎耳は全体的に肉付きが良かった。
触手がもっちりと食い込んだ太ももは、とても美味しそうだ。
しかし、そんな至福の時間のすぐ後。
俺は気づいてしまった。
いや、気づかされた。
俺の触手がどれだけ未完成なものなのかを。
獣人が消え、ダリアさんが現れる。
ダリアさんはご主人の指に口をつけた。
そして、音を立てて吸い付く。
口をはずし、今度は舐る。
指を弄ばれているだけなのに、ご主人の顔は上気していく。
ダリアさんのおかげで、俺は自身の触手の不甲斐無さを知った。
俺の触手はただの触手だ。
ダリアさんの口のように、吸い付いたり舐めたりできない。
俺の触手がもし、吸い付いたり舐めたりできたら、獣人たちはもっと――。
そう思った俺の触手が、姿を変える。
触手に穴が穿たれ、中から濡れた舌のような器官が見える。
その穴は収縮運動し、空気を吸い込む。
俺にも――、俺の触手にも可能なのか?
吸い付いたり舐めたりすることが。
俺の問いに、俺の触手は応えた――。
―――
目が覚めると、そこは旅館の部屋だった。
きっと、ご主人やダリアさんがのぼせた俺を運んでくれたんだろう。
部屋は暗く、2人の寝息が聞こえる。
ご主人とダリアさんの寝息だろう。
――ダリアさんは吸血鬼なのに、夜に眠るんだな。
俺は布団から這い出だして、自らの触手を見る。
以前と変わらない、ただの触手。
だが、俺は知っている。
俺の触手は吸い付いたり舐めたりすることができる。
俺の意思を汲み取った触手が形状を変えていく。
穴が穿たれ、そこから濡れた舌のような器官が出てくる。
夢は夢ではなかった。
魂と肉の体が呼応し、結実したことを教えてくれたのだ。
明日、朝一番にご主人に報告しよう。
きっと喜んでくれるに違いない。
露天風呂でエッチなことはできなかったが、俺は非常に満足していた。
俺自身の肉体の変化が嬉しい。
そんな俺を祝福してくれるのは、今のところ窓の外に浮かぶ月だけであった。