第三話
「執事のおじさん、お聞きしたいことがあるのですが」
「なんでしょうか?」
「ご主人って、見た目はかわいい女の子じゃないですか?
でも、本当はとっても強いと思うんです。
現にカードを確認した後、単独での依頼受注を了承してくださったわけですし。
それなのに、執事のおじさんや依頼者さんは驚いた様子がありませんでした」
道中、俺はご主人の機嫌が悪くなるのを覚悟で聞いてみた。
宿屋のおばちゃんも、一人で子供が旅をしていることを不思議に思っていなかったようだ。
どうも俺の感覚が他の人とズレているように感じる。
「おっしゃりたいことはわかりました。
簡単なことです。
貴方様や貴方様の主は見た目からは想像できない程、能力がある。
それ自体がわたくしの解答にもなるのですが……」
「見た目で判断しないっていうことですか?」
「そういうことですな。
見識の浅いわたくしですら、外見と能力が大きく乖離している御仁を何人も知っています。
ですから、外見で判断すると痛い目に遭ったり、逆に得をする機会を逃したりします」
「なるほど。
ありがとうございました」
「いえいえ、他にもございましたら何なりと」
どうやらこの執事のおじさんが言うには、外見など些細な問題のようだ。
様々な者たちが住むこの街では、外見で能力を判断することなどできないということらしい。
外見で人を過小評価するとどうなるか、俺は実例を知っている。
街に向かっている最中に襲ってきた人攫い風のおっさんたちだ。
俺は執事のおじさんが話していたことをしっかりと心に刻むことにした。
自分一人が痛い目に遭うならまだしも、ご主人に迷惑をかけるわけにはいかない。
さっきの“かわいい女の子”に怒っているかな、と思いご主人の様子を伺ってみる。
ご主人は特に怒った様子もなく、「うむうむ」と頷いていた。
子供扱いは駄目で、かわいい女の子扱いは問題ないのかな。
……アレ? ご主人が子供扱いされると怒るっていつ知ったんだっけ?
そんなことを悩みながら歩いていると、目的の鉱山が見えてきた。
「結構近いんですね」
「鉱山で発展した街ですから」
鉱山の入り口は木組みで補強されているが、崩れてしまわないか俺を不安にさせる。
「それじゃあ安全のため執事さんはここで待っておるのじゃ」
「中は大変入り組んでいますので、道案内役としてわたくしもお供しますよ」
「危険じゃぞ?」
「承知の上です。
危ないと思いましたら、真っ先に逃げ出しますので」
にこやかに言う執事さん。
「それなら道案内を頼むとするかの。
ソーマ、わしと共に執事さんの前を行くぞ」
「あ、やっぱり俺も入るんですね」
「当たり前じゃ!」
大きい蜘蛛ってやだなあ……。
どれくらいの大きさなんだろうか。
ご主人が指先から光の球を出現させる。
その光の球はふよふよと漂いながら、鉱山の入り口を照らした。
「ご主人、それ綺麗です」
「ん、そうか?
こんなので良ければいくらでも出せるぞ」
俺の言葉に気をよくしたご主人は、次々と光の球を出現させる。
「ご主人もっと!」
「ひほほほ、ホレホレ」
鉱山の中に入り、奥へと進みながら光の球をぽいぽい放るご主人。
俺が催促すると、ご主人はどんどん光の球を放っていった。
そのうちの一つが通路の奥まで飛んで行く。
ふよふよ~と飛んでいったその光の球は、突然4つの眼を照らした。
「ご、ご主人!」
「慌てるでない。
わしがおるから大丈夫じゃ。
ほれソーマ、やっておしまいなさい」
「えっ、俺が戦うんですか!?」
「何事も経験じゃ。
なあに、食べられそうになったら助けてやるから安心せい」
俺があたふたしている間に、大蜘蛛はコチラに向き直る。
赤黒い8つの眼がコチラを睨みつけている。
大きさは人間の成人男性が四つんばいになったくらい。
想像よりは少し小さい。
蜘蛛って8つも眼がついてたんだな――なんていう呑気なことを考えながら、俺は触手を伸ばした。
俺にできることは少ない。
触手で掴んで四肢を引き裂いてやる。
「ぬぎぎぎ……」
8本の脚を触手で捕え、力いっぱい引っこ抜こうとする。
「頑張るのじゃっ!」
「頑張ってください!」
「ふんぬーーーーッ!」
ご主人と執事のおじさんの熱い声援を受け、俺の触手にもさらなる力がこもる。
すると、蜘蛛の脚からあまり心地よくない音が響き、脚が抜ける。
「やりました!」
「うむ。
だがトドメを刺すまで安心するでない」
「わかりました」
止めを刺そうと、触手を蜘蛛の頭部に持っていく――が、その時。
「いだっ!」
触手を噛まれてしまった。
「大丈夫か?」
「ええ、少し噛まれてしまっただけですから――いづっ」
心配するご主人を安心させようとするが、突然激痛が走る。
噛まれた触手から激痛が広がっていく。
「本当に大丈夫なのか?」
「すみません、毒蜘蛛だったみたいです……」
朦朧とする意識の中で、辛うじてご主人の言葉に反応する。
ご主人は俺を信じて任せてくれたのに、その信頼に応えられたなかったのが悔しい。
「もう良い。ゆっくり休め。
蜘蛛はわしが皆殺しにしておく」
ご主人の声を聞きながら、俺の意識は暗闇へと落ちていった。
最後に見たご主人の目は、とても暗いものだった――。
―――
気がつくと俺は鉱山の入り口にいた。
辺りはもう真っ暗になっていて、焚き火の光が俺を照らしている。
「気がついたかの?」
「はい、俺は……」
確か蜘蛛に噛まれて……。
そうだ、蜘蛛の毒で気を失っていたのだ。
「すまんかったの」
「いえ、俺の力不足で……」
ご主人が俺を撫でながら謝る。
「それより、中にいた蜘蛛は?」
「わしが駆除したから安心せい」
「本当にすみません……」
ご主人の優しさに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「わたくし共の方でしっかりと情報を集めていればこのようなことには……」
「いや、蜘蛛が相手である以上、毒を持っている可能性も考慮するべきじゃ。
わしの落ち度じゃな」
いや、そうじゃない。
ご主人はトドメを刺すまで油断しないよう警告していた。
なのに俺は蜘蛛に噛まれると言う失態を犯した。
「違います、俺が――」
「良い。休め。
わしは治癒術があまり得意ではないから、まだ毒は抜けきっておらぬだろう」
俺の言葉を遮り、ご主人が言う。
「すみません、そうします……」
今の状態ではきっと、自らの失態にネガティブな感情がわくだけだ。
反省するのはいいが、後悔することは意味がない。
もう少し休もう。
俺は焚き火の音を聞きながら、眠りについた。
―――
目を覚ますと、ご主人が俺に寄り添うようにして寝ていた。
心配かけてしまったことが申し訳ない。
「目が覚めましたか?」
執事のおじさんが料理をしている。
「はい、昨日はご迷惑をおかけして……」
「いえいえ、わたくしは何もしておりません
それよりも、凄まじいものを見させてもらいました」
「凄まじい?」
「ええ。
このような使い手がいらっしゃったとは、わたくしも驚かされました」
ご主人のことだろう。
あっと言う間に人攫い風のおっさんどもを消し炭にしたご主人なら、大蜘蛛もすぐに殲滅したんだろうな。
「そうですね。
ご主人はとっても強いから……。
俺は情け無いです」
「ハハハ……、それはそうでしょう。
あのような業ができる御仁と比べては、誰だって惨めにもなります。
ですがね、わたくし共は本来、軍などで訓練を受けたことがある、もしくは怪物の討伐を経験したことがある者を10名程度集めようと考えていました」
「そうなんですか」
「ハイ。5人ずつの2組で相互にカバーしながら大蜘蛛を退治していただこうと考えてましてね。
ですから、大蜘蛛一体を貴方様お一人で相手なされたことは誇っても良いことだと思いますよ」
「……ありがとうございます」
この執事のおじさんは、今まで自分から話を振ることはあまりなかった。
それなのに、今はこうして饒舌に話をしている。
きっと俺を慰めてくれているのだろう。
「貴方様は、少しずつ出来ることを増やしていかれたら良いのです」
「そうです……ね」
執事のおじさんの言葉に、俺は少しだけ楽になった。
「むにゃむにゃ、なんか良い臭いがするぞ……」
ご主人が目を閉じたまま体を起こす。
「食事にしましょう。
わたくしが腕によりをかけましたので、お味は保障します」
「食べるのじゃ」
「いただきます」
白くてとろとろとしたスープに、鶏肉や野菜が入っている。
そのクリーミィで優しい味わいは、俺の心をそっと暖めてくれた。
執事のおじさんは、言葉だけでなく、料理でも俺のことを慰めてくれているのだろうか。
「うむ、うまい」
「そうですね、とても美味しいです」
「沢山作りましたので、どんどん食べてください」
夢中になって料理を食べる俺をご主人が優しく撫でる。
「もう大丈夫かの?」
「はい」
俺の返事に、ご主人は微笑を見せた。
―――
「無事戻られて何よりです。
コチラが報酬になります」
依頼者は笑顔で俺たちを迎えた。
「うむ、ありがとう。
それじゃあ、わしたちはこれで……」
さっさと館を出て行こうとするご主人。
「いやいや、お待ちください。
もしよろしかったら――」
「よろしくないのじゃ」
「報酬は――」
「わしにはやらねばならぬことがある。
じゃから、旅を続けねばならないのじゃ」
「そうでしたか。
でしたら、その旅が終わりましたらまたお越しください」
残念そうな依頼者を置いて、そそくさと立ち去った。
「ご主人、次はどうしますか?
もう少しお金を稼いでいきますか?」
「もういいじゃろ。
それより、わしは思った」
「何をですか?」
「ソーマを鍛えるべきじゃな」
にんまりと口を歪めるご主人に、俺は嫌な汗を掻く。
「ご主人、確かに俺は今回不覚を取りました。
しかし、急いては事を仕損じます。
ここはゆっくりと俺を育てると――」
「そんな言葉は受け付けん!
わしの使い魔は特別でなくてはならんのだから!」
くっ、仕方ない。
ならば俺も覚悟を決めよう。
「わかりました。
ご主人がそこまで言うならそうしましょう。
ところでご主人」
「なんじゃ?」
「今回毒蜘蛛と戦って、毒蜘蛛に噛まれて――」
「うむうむ」
「俺の体に何か変化とかってあります?
『様々な出来事を経験すれば、おのずと魂の形も変わり、体もそれに相応しいものに変化する』んですよね?」
「うむ、そうじゃな……、触手がちょびっとだけ太くなった気がするかもしれん」
「そんな! あんなに苦しい目に遭ったのに!
すっごいショックです! 触手だけに!」
俺の抱腹絶倒必至の必殺ジョークに、ご主人が絶対零度の視線を向ける。
アレ? ご主人って火とか雷が得意だと思ってたんだけど。
「わしは今、ちょびっとだけソーマを召喚したことを後悔したよ……」
「そ、そんな! 無責任です!
ペットを飼うときは、最後まで責任を持たなきゃ駄目です!」
あわあわと慌てふためき、にゅるにゅると触手を蠢かし抗議する。
「冗談じゃよ。
さ、今日は宿に戻ってゆっくり休むぞ」
そう言って微笑むご主人の目は、いつものように優しいものだった――。