第二十話
集中しろ。
風の音も、波の音も、海鳥の鳴き声も、全ての音を消し去り、認識の外に置くのだ。
雑音を追い出したら甦らせろ。女性たちの声を。喘ぎ声を。
目を閉じ、瞼の裏に映すのはおっぱい。お尻。そして顔。
触手に感触を思い出させるのだ。女性の柔らかさ、筋肉の収縮による反応、肌の温もり。
思うのではない――、今このとき、疑わなければそれは存在するのだ。
妄想の奥義は信じようとすることではない、疑わないということ。
――見えたッ! 水の一滴ッ!
俺は自家発電により生み出した力に、燃え盛る炎のイメージをのせて放つ。
しかし、触手からは何も出てこなかった。
やはり俺が思ったとおり、この力は愛の力なのだ。
誰かの為、誰かを想って力を振るわなければ効果は生まれないのだろう。
ちなみに自家発電のみで生み出した力でも、微力ながら効果が発動することは既に確認している。
時間はかかるが、Hなことをできない場合には有効かもしれない。
「ふぅ……」
何度も一人で妄想と賢者タイムを繰り返したために、俺の体には疲労が蓄積していた。
だがその甲斐あって、自らの力についてかなり理解が深まったと思う。
「励んでいるようだな、ソーマよ」
振り返るとアニキが立っていた。
アニキの表情は柔らかく、俺を殴り飛ばしたときのような怒りはない。
己を高めようとする意思がある限り、俺のことを同士だと認めてくれるのがアニキだ。
アニキの後ろに、ご主人やアビーもいた。
「みなさん……。ご心配をおかけしました。
俺はもう大丈夫です。
女性を孕ませることはまだできないでしょうが、自らの力を理解することはできました」
「そうか」
「神なら自ら立ち上がることができると信じていました」
「ソーマよ。大事なのは、自らの力を何のために使うかだ。
強大な力を持ったものは、常に責任と義務が発生する。
努々忘れることのないようにな」
アニキの言葉の意味をしっかりと考えていかねば。
「ところで、人魚さんたちの件ってどうなったんでしたっけ?
俺、あの時は賢者タイムに入っていて、話を聞いてなかったんですが」
「なんじゃその賢者タイムというのは」
「男の子が全てを出し切ったときに訪れる、大いなる時のことよ」
船酔いから開放され、晴れ晴れとした表情のダリアさんが解説してくれる。
今のダリアさんはとても爽やかだ。
「ふーん、さっぱりわからん。
まあ良い、人魚たちの件じゃったな。
人魚の雄をかどわかして、『ぎゃくはーれむ』なるものを形成しておる魔物がいるらしい。
今は人魚の案内で、その魔物のいるところへ向かっておる」
「へー、じゃあその魔物をご主人がブッ飛ばすだけですか」
「そうじゃな。その魔物――、スキュラとかいう種族らしいが、そやつは殺しても構わんのじゃろ?」
「問題ないだろう。ただし、人魚の雄は巻き込まないようにな」
ご主人は幼女なのに血なまぐさいことをさらっと言う。
殺さないで済むならその方が良いと考えてしまうのは、俺が甘いのだろうか。
「人魚は海底に宝物をしこたま溜め込んでいると聞くからのぅ……。
謝礼も期待できるじゃろうて」
ご主人が凄く下衆っぽい。
薄ら笑いを浮かべながら銭勘定をしているっぽいご主人が凄く下衆っぽい。
「ご主人、すぐに殺すとか言うのは良くありませんよ。
ここは殺さないように捕まえて、スキュラさんの話も聞いてみましょう。
何か理由があるのかもしれませんし、なければおしおき(女性なら性的な意味で)すればいいじゃないですか」
「めんどくさいのぅ」
「なるべく殺さない、駄目なら仕方ないくらいに考えておけばいいんじゃない?
それより見て見て、お魚釣れたわよ」
無邪気に魚を見せびらかすダリアさんの笑顔がとてもまぶしい。
このダリアさんの笑顔は、俺の力によって船酔いを取り除いたから訪れたものだ。
生殖能力を持っていないと判明したことは残念だが、それは俺がまだ子供だからかもしれない。
悩んだり落ち込んだりしても生殖能力は手に入らないのだから、今は自分がしたことによって、誰かが笑顔になっていることを喜ぼう。
「とうっ!」
甲板に突然人魚さんが躍り出る。
俺が触手で舐った人魚さんだ。
その姿を見ると、あの柔らかな感触を思い出してこみ上げてくるものがある。
「みなさん、あの島です」
人魚さんが指差す方向に島が見える。
さほど大きくは見えないその島には、人工物らしきものは見られない。
砂浜と、多くはない緑が見えるだけだ。
全体的に斜面が多く、島の大きさの割には全体の標高が高そうだ。
「旦那がたァ! これ以上は浅瀬に乗り上げちまうから近づけませんぜ!
小船を用意しますンで、あの島に行くなら乗って行ってくだせェ!」
船員さんの声が聞こえる。
「フッ、小船を用意するのも手間だろう。
これくらいの距離、泳いで行けば良い」
アニキは当然のように、銛を手にし海に飛び込んだ。
「わしも飛んでいくからいらん」
「それじゃあ私も泳ぎます」
「私もみなさんと一緒に行きます」
ご主人がぷかぷかと浮いて、島に向かう。
アビーと人魚さんもアニキを追うようにして海に飛び込む。
みんなに置いていかれないうちに、俺も海に飛び込もうとするが――
「ソーマくん」
ダリアさんが声をかけてきた。
「なんですか?」
「アタシ、『流れる水を自力で渡れない』のよ」
「え?」
「吸血鬼だから」
「つまり……」
「今回はお留守番ね!」
吸血鬼って意外と不便だな。
「わかりました、それじゃ晩御飯をたくさん釣っておいてください」
「まかせておいて!」
親指を立てているダリアさんを背に、俺は海に飛び込んだ。
触手をゆらりゆらりと振り、海中を進む。
そういえばこの体で泳ぐのは初めてか。
浮く分には問題ないのだが、息継ぎがしにくい。
触手で海底を突き、体を海面から出して息継ぎをする。
これは水を掻いて進むより、海底を突いたり、海底にあるものを掴んで体を引き寄せるようにして進んだ方が速いかもしれない。
どうすればより速く泳げるのか、色々試しているうちに島まで着いた。
浜についたのは俺が最後だ。
「恐らくあの洞窟の中にスキュラはいます」
島の規模に相応しくない大きな洞窟がある。
その洞窟には海水が流れ込んでいた。
「アビーは俺の上に乗ってください。
泳ぎながらじゃ銃を撃てないでしょうし、火薬が濡れてもいけないでしょう」
「神の上に乗るなんて……」
「大丈夫です。かわりに色々触りますから」
「そ、そういうことなら……」
アビーを乗せ、俺は海に入り、洞窟を目指した。
ご主人も俺たちに速度を合わせて宙を飛ぶ。
アニキは銛を口に咥え、水しぶきをたたせず泳ぐ。
入り口も大きかったが、洞窟の内部は更に広かった。
もしかしたらこの島の中は全て空洞なのかもしれないと思わせる程に。
洞窟の中に入ると、ご主人が光の球を浮かせ、洞窟内部を照らし始めた。
あの光の球を見ると、毒蜘蛛に噛まれたときのことを思い出す。
まだそんなに日にちは経っていないが、昔のことのように思える。
「ひさびさのお客さんね。何の用……って決まってるわよね」
昔のことを思い出し、感傷に浸っていた俺の前に、一人の女性が姿を見せた。
長い黒髪を振り乱し、白いワンピースを着た女性。物憂げな瞳が印象的だ。
下半身からは足ではなく、六匹の大きな犬が顔を出し、魚の尻尾や蛸を思わせる吸盤のついた触手が生えている。
くっ、なぜ俺が出会う女性たちはこうも美人ばかりなのだ。
あのような女性を乱暴に扱うなど、俺にできるはずがない。
だがご主人は冷徹な目で彼女を見下ろしている。
助ける理由が見つからなければ、ご主人は容赦なくスキュラさんを殺すだろう。
ならばスキュラさんと戦わないで済むよう、ここは率先して説得を試みるべきだ。
「スキュラさん、連れ去った人魚さんたちは無事なんですか?」
「ん、無事よ。何人かと交わらせてもらったけど、それだけ」
「彼らを解放してもらえますか?
彼らがいないと、人魚さんたちは困ってしまうらしいです」
「ふーん……。もし私が彼らを解放したら、あなたたちはどうするの?」
「どうもしません。俺たちは彼らを返して欲しいだけです」
「そう。それは……、ちょっとつまらないわね」
スキュラさんの体内から魔力の高まりを感じる。
様々な魔術を受けてきた今ならわかる、彼女は俺たち敵意を持っている。
スキュラさんの魔力の高まりに呼応するかのように、急激に潮が流れ始めた。
スキュラさんを中心として、渦を巻くように潮が流れる。
このまま海中にいては危険。
そう判断した俺は洞窟の天井に触手を伸ばし、体を海水から出した。
もちろん、背にはアビーを乗せたままだ。
「ぬぉおおおおおおうッ」
潮の流れに飲まれたアニキ。
何とかして俺はアニキを助けようと触手を伸ばすが、アニキは海中に消えてしまった。
暗い洞窟の中、急激な渦潮の中ではアニキの姿を見つけられない。
「まず一人脱落かしら?」
「ふん、あのような筋肉ダルマを数に入れるでない」
ご主人の右手から炎が噴き出し、雄大な鳥の形を成していく。
火の鳥が完全に形を成すと、自ら羽ばたき、火の粉を散らしながらスキュラさんに襲い掛かる。
それにしてもアビーのお尻は肉付きがよくて柔らかいな。
「ここが陸地なら、これで終わってたのでしょうけど」
スキュラさんが右手を振り上げると、海水の柱が立ち、火の鳥に襲い掛かった。
膨大な熱量を持った火の鳥は、大量の海水を蒸発させるが、スキュラさんに届く前に消え去ってしまう。
お尻だけじゃなくて、アビーの大きななおっぱいもちょっと……。
「あっ……、あの。私が二射したらん、移動してくださっ、いね」
「わかりました」
ご主人だけに任せておくわけにはいかない。
一刻も早くスキュラさんを戦闘不能にして、アニキを助けなくては。
辺りは蒸発した海水で視界が悪くなっていたが、アビーなら問題なく当てるだろう。
アビーが二発、犬を撃ち抜くが、厚い毛皮に銃弾が防がれているようだ。
銃を撃ったときの反動で、アビーの柔らかなお肉たちがぷるるるるるん。
「銃……ね。噂には聞いてたけど、思ってたより貧弱なのね」
蒸発した海水を隠れ蓑に、ご主人はいつの間にかスキュラさんの背後を取っていた。
ご主人は魔力を込めた右脚をスキュラさんの右脇腹に叩き込もうとするが、スキュラさんは海中に没し、姿を隠す。
「ちっ、面倒な……」
「ご主人!」
「わかっておる。あの筋肉ダルマごと、ここを消し飛ばしたりはせんよ」
ご主人がその気になれば、きっと海中に身を隠したスキュラさんを倒すことは可能だ。
この洞窟一帯を破壊すれば良いのだから。
だがそれではアニキが助からない。
うん、やっぱりアビーはおっぱいが一番魅力的だな。
「それでご主人、どうします?
このまま時間が経ってもアニキは……」
「全くあの筋肉ダルマは。
散々偉そうなことを言っておいて、足手まといになりおって……」
「ご主人、悪口を言うならもう少しやんわりと――」
突如、俺の真下から触手が伸びてくる。
俺の体に巻きついた触手は、そのまま海中に俺を引きずり込もうとする。
俺の触手を超える圧倒的な膂力を持つ、スキュラさんの触手。
咄嗟に、俺はアビーをご主人の方に突き飛ばした。
「ソーマ!」
遠ざかるご主人の声。
俺の体は海面に叩きつけられ、そのまま海底へと引きずり込まれていった――。