第十七話
アタシの目覚めを促したのは、窓から差す陽光でも、小鳥たちの囀りでもなく――、空間の揺らめく気配だった。
目を開けたアタシの視界に飛び込んできたのは、空中から生える触手。
そっとベッドから抜け出し、この触手をどうしてやろうかと考える。
昨日、うわんに捕えられていた女性たちをこの村まで連れてきたアタシ達は、そのまま宿で一泊することになった。
女性たちは村に駐在する兵士に引き渡した。後は国がどうにかすべき問題で、アタシ達にできることはない。
そのうわんからソーマくんが得た、触手を転移させる能力。
アタシは今、この部屋に一人だ。にも関わらず、ソーマくんの触手は、今こうしてアタシの部屋にいる。
ソーマくんの視覚の外にも触手を転移させることができるとは、なかなか興味深い。
これで触手自体にも視覚や聴覚といった感覚器官が備われば、色々と便利に使えそうだなと思う。
空中に生えている触手は、慎重に、探るようにベッドへと下りていく。
やっていることは痴漢行為以外の何物でもないのに、相手の女性を気遣うような優しさも感じる触手の動き。
そんな憎たらしくて、可愛らしくもある触手に、アタシは少しイタズラしてやることにした。
触手にそっと指先で触れる。
その瞬間、触手はビクリと反応した。
アタシから触ってくるとは思っていなかったのだろう。
予想外に楽しい反応を見せてくれた触手を、指先で、そっと撫でる。
少し赤みがさしたように見える触手は、緊張しているのか力が入っているようだ。
可愛らしい反応を見せる触手に、もう少しだけサービスしてアゲたくなってしまう。
顔をゆっくりと触手に近づけ、軽く唇で触れ、そのまま舌でペロリと触手を舐める。
すると、触手は慌てたようにして引っ込んでいった。
こういう所がソーマくんは可愛いのだ。そのうち、ソーマくんの血を吸い尽くして、僕にしてやろうかとも思ってしまう。
でもそんなことをしたら、りゅどみん――いや、魔王様に殺されるだろうなと思い、苦笑いしながら夜着を脱ぎ捨てる。
ショーツ一枚になったアタシは姿見鏡の前に立つ。
姿見鏡にアタシは映っていない。
吸血鬼と人間の外見は区別がつかないが、簡単に見分ける方法が存在する。
それは鏡に映すことだ。
人間は鏡に映るが、吸血鬼は鏡に映らない。
こうして姿見鏡の前に立つと、16歳の誕生日を思い出す。
あのときと同じように立ってみても、鏡に映るのはショーツに描かれたクマさんの横顔だけだ。
もう、自分の顔も思い出せない。
―――
「ぬひっ!」
「なんじゃ~、うるひゃい。わしは寝ておるぞ!」
俺の奇声に寝ぼけたご主人が抗議する。
触手をダリアさんの部屋に転移させ、寝ているダリアさんの体を触ってやろうと思ったのだが、予想外の反撃に遭った。
あれほどの技を持っているとは、やはりダリアさんは経験が豊富なのか……。
残念なような気もするが、長生きらしいから当然のような気も……。
いや待て、経験豊富なフリをして実は初めてなの、というパターンもある。
ご主人は間違いなく未経験だろう。
ダリアさんもご主人くらいわかりやすければ、こんなことで悩まなくて済むのだが。
「むぁん、こうなったらあれを……」
寝ぼけたご主人が何か言っている。
最近はご主人と同じ部屋で寝るようになった。
ご主人が俺を強制連行するのだ。
俺がダリアさんといつの間にか仲良くなっていたことが、余程悔しかったのだろう。
「ごしゅじーん、そろそろ起きた方が良い時間ですよ~」
「でっどえんどくらいまっくす~」
「ごしゅじーん、起きてってば~」
わけのわからないことを言うご主人を揺り起こす。
「んあ、起きておるよ~」
ようやく目を覚ましたご主人が、いけしゃあしゃあとのたまう。
「俺は先に食堂に行ってますから、着替えて来てくださいね!」
「んあんあ」
テキトーな返事をするご主人を置いて、部屋を出る。
食堂に着くと、アビーは既に食事を始めていた。
「おはよう、アビー」
「おはようございます」
アビーと同じ食卓に着く。
店員さんが俺に水を出してくれる。
愛想はないのだが、対応は素早くスマートな店員さんだ。
「今日は良い天気ですね」
「そうですね」
「……」
「……」
会話が続かない。
そういえばアビーと2人きりになったのは、出会ったとき以来だったか。
無言でパンを口に運ぶアビー。
その様子をただ見ている俺。
アビーは健啖家だ。
よく食べるからこそよく育ったんだろうな。胸が。
俺の視線に気づいたアビーが、パンを食べる手を止める。
「あの」
「ん?」
「あんまり見られていると恥ずかしいです……」
「ご、ごめんなさい」
ジロジロと見られていたら、居心地も悪くなるだろう。
俺の配慮が足りなかったな。
正直なところ、俺はアビーとどう接したらいいのかわかっていない。
なぜか神と崇められているが、このような歪な関係をいつまでも放っておくわけにはいかないだろう。
だが、どう諭せば良いのか見当もつかない。
「そういえばアビーって、どこに銃を持っているんですか?」
考えた末に出した話題は、当たり障りのないものだった。
「コートの裏地がちょっと特殊なんですよ」
アビーが見せてくれたコートの裏地は、うわんが出していた黒い穴に趣が似ている。
「これって……」
「そうですね。うわんの能力と似ているのかもしれません。
原理はわかりませんが、ここに色々と詰め込めるんですよ」
そう言いながらコートの裏地に手を突っ込み、銃を出して見せてくれた。
「いくらでも詰め込めるんですか?行商が捗りそうです」
「いえ、それほど容量はないんですよ。銃器でいっぱいになっちゃってます」
「うーむ、色々悪用できそうだと思ったのに」
「世間に出回るような物じゃないので、悪用されることもないですよ」
世間に出回らないような物を持っているって……。
そういえば巨人さんのとき、アビーはなんだか偉い人っぽい感じだったな。
うわんに捕えられた女性を兵士さんに引き渡したときも、何か見せていた。
「アビーって偉い人なんですか?」
少し迷ったが聞いてみることにした。
アビーが隠したいようならこれ以上詮索しなければ良い。
「私自身は何者でもありません。
ただ、私の先祖が王族だっただけです。
色々と便利なので存分に利用していますけど」
「へ、へ~」
平静を装う俺だったが、さらりとしたアビーの態度に内心は驚いていた。
いやむしろ、肝を冷やしたと言う方が正しいか。
「ふ~ん、アビーも偉い人だったのね~」
「あ、おはようございますダリアさん」
ダリアさんが席に着く。
そして素早く店員さんが水を差し出す。
よく訓練されているな。
「私自身は偉くないですよ。
でも色々と助かってるのは事実ですね」
「いいことね。アタシ達も色々と助かってるし」
アビーのご先祖が王族で、ダリアさんはアンデッドを纏めるドラキュラさんの娘……。
実は凄い人たちに俺は囲まれていたんだな。
良く考えたら、高貴な血筋の女性にセクハラできるなんて、とても素晴らしい環境だ。
俺とダリアさんの前に食事が運ばれてきた。
皿に乗ったソーセージを見て、どんなセクハラ発言をしようかと考える。
そんな俺とは対照的に、ソーセージに何の躊躇いもなくナイフを入れるダリアさん。
「むぐぉー! 何でわしを置いていったんじゃ!」
ご主人が理不尽な怒りを振りかざし、こちらへとやってきた。
「ご主人が起きてくれないからです」
「じゃったら起きるまで待つのが使い魔じゃろ!」
「いやです、俺は自由意志を持った知的生物です。人権を主張します」
「だったらアタシの僕になる?」
「パンティーを自由にする権利がいただけるのなら」
「う~ん、どうしよっかなぁ」
「ソーマはわしのモンじゃ!」
「神は誰のものでもありませんよ」
賑やかな食卓。
アビーが何者でも、俺たちの関係は変わらない。
「あ、そういえばご主人」
「なんじゃ?」
「ご主人の種族って何ですか?」
「何じゃいまさら。どこからどう見ても人間じゃろう」
「えー、でも人間って、魔術を使うとき呪文の詠唱が必要って聞きましたよ」
「わしはスペシャルじゃからな!」
「なるほど! さすが俺のご主人!」
やっぱり俺のご主人も凄い人だったようだ。
こんなに凄い人に囲まれてるんだから、俺も頑張らないとな。
「そ、そういえば外洋に出る船に当てはあるんですか?」
「そんなもの、わしにはないぞ!」
「アタシもないわね」
「当然、俺もないです」
「実は私の知人に、他の大陸と交易を行っている方がいまして。
その人に頼んでみようと思うんですが……」
「うむ、任せる!」
おお、さすが王族の子孫だ。
コネクションは社会で最強の武器になるからな。
「変なことに巻き込まれないように港町へ急ぐぞ」
「ご主人がご飯を食べ終わったら出発ですね」
遅れてきたご主人の朝食を皆で待ち、宿を発った。
―――
「うーむ、磯臭い……」
これで8回目だ。
港町に着いてからご主人は8回、磯臭いと言った。
漁民や商人が多く見られる港町は、活気に溢れていた。
馬車が行き交い、あちらこちらから威勢の良い声が響く。
海に近いため、海から流れてくる風に乗って、潮の香りが鼻腔をくすぐる。
「ご主人、海が近いんだからしょうがないですよ」
「うーむ、空気もなんだかベタベタするし……」
「リュドミラさん、これから何日も船旅をするんですよ」
「うむむむ……、やっぱり海へ出るのをやめに――」
「駄目です。アビー、前に話していた交易をやっている人のところへ案内して下さい」
「はい、こっちだと思います」
文句の多いご主人を放っておいて、アビーについていく。
アビーにつれられて、体格の良い男性が多く往来する区画に来た。
積荷を保管するための倉庫が集まる区画のようだ。
大きい建物が多いこの区画でも、特に目を引く大きな建物にアビーは入っていった。
「どうもはじめまして。あっしはコルラートと申します」
建物の中で会ったのは、いかにも小男と言った感じの話し方をする山羊頭の男性。
話し方とは裏腹に筋骨隆々とした体型だ。蝙蝠の羽が背から生えている。
アニキ程ではないが、彼もなかなかの肉体だ。
「リュドミラじゃ」
「その使い魔のソーマです」
「ダリアよ」
軽く自己紹介を済ませ、アビーが本題に入る。
「お久しぶりです、コルラートさん。
実はですね、船に乗せて欲しいんです。外海を越えた先にある大陸に行きたいので」
「アビゲイルさんの頼みならば断る理由はないんですがねぇ、コチラも頼みがあります」
「何でしょう?」
「簡単なことです、万が一船が襲われたときは、船を守るために戦って欲しいんですわ」
「構わんぞ、何せわしは最強じゃからな!」
よくわからないタイミングで割ってはいるご主人。
そのご主人を、コルラートさんは一度見て、二度見て、三度見して顔を青くする。
「も、もしかして魔――」
「魔女っ子ですよッ!」
急に大きな声を出すアビー。
ちょっとびっくりした。
「そ、そうですか、魔女っ子でしたか……。
とにかく、そういうことなら問題はありませんので。
船が出港するまで、宿で休んでいてくだせぇ」
そう言い残し、そそくさと去るコルラートさん。
「魔女っ子って何じゃ?」
「さあ?」
ご主人の問いかけに、ダリアさんが干したイカを齧りながら答える。
「ダリアさん、ちょっとそのイカ下さい。その唾液にまみれて柔らかくなった部分を」
「いやよ」
「と、とにかく船を確保できて良かったですね!
船の準備ができるまで、ゆっくりと休みましょうね! リュドミラさん!」
「うむ、そうじゃな。
できれば湯に浸かりたい。塩気でベタベタじゃ」
遂に船を確保した俺たち。
俺たちの目指す先には一体何があるのだろうか。
できれば美人がたくさんいると良いのだが――。